おいてけぼり
「重今日この後飲みにいかへん?」
甲本さんが片手でお酒を飲むふりをしながら言った
今日は金曜日で仕事は五時終了、ロッカーで着替えて帰り支度をしているところだった
「いいですけど、俺、六本木の映像アート展やってたでしょ?
ヴィルヴィオラ、あれ行こうと思ってたんで
それ付き合ってくださいよ、そのあとどっかで飲みましょう」
「バカいうな俺明日7時から仕事やから今日は会社に泊まろうとおもってんねや、だから会社近くの京王多摩川駅近辺か
調布周辺にしようや」
彼は去年の四月に兵庫から出てきたが関西弁はなかなか抜けない。
今日は上司から、あんな話が出たから誰かと話したかったのだろう。
アート展には行きたかったが、この日は甲本さんにつきあうことにした。
彼は俺より一ヶ月先にこの会社に入社してきた、年は2歳年上で大学は同志社を出ている、大学名に恥じない切れ者で
知識と仕事ぶりから俺は彼のことを年の近い先輩の中では一目おいている。
そんな彼は入社時期は一ヶ月しか変わらないにもかかわらずなぜか俺に対して先輩風をふかせたがる。
でも俺もそういう風に甲本さんが接してくるのが嫌いではなかった。 会社の面倒見のいい兄貴という感じだ。
帰り際エレベーターに向かう途中、甲本さんが営業の人と話し込みはじめた。長くなりそうだったので、
先に一階のロビーで待つことにした。五分くらい経った頃エレベーターから甲本さんが降りてきた
「お前先に一階に行っとったんか、なんも言わんで行ったから帰ってもうたかと思ったやんけ、俺を置いていくな」
エレベーターを出るがはやいか、口にしたこの言葉。
俺が思うところ彼は酷く淋しがりやだ。
「重ぇ飯いくか?」
互いに平常勤務の時は絶対に昼飯を誘われる。一度同じ日に半休したことがあり、
天気がよかったので家で洗濯物でも干してゆっくりしたかったのだが、彼の提案で吉祥寺をぶらつくことになった、夕時になり帰ろうとすると
飯でもくってくか、ということになり、居酒屋にも行ってしまい
「今日はウチに泊まってくんやろ?」
と言われ断りきれずに一泊してそのまま会社に出社し、半休したその日の予定はメチャメチャになってしまったこともあった。
そんな彼を疎ましく思わないのは、俺が彼に対してなにかしらの魅力を感じているからだと思う。
会社を出て調布の繁華街へと向かった、サラリーマンの人たちが利用しそうな品のある、純日本居酒屋に入る
少し黄色がかった木の素材を活かすつくりになった木造の店内には昭和歌謡が流れ、割烹着を着た女将さんが二人を席まで案内してくれた
和風ダイニング居酒屋のような所にしか行ったことがない俺にはこういう、テレビドラマでサラリーマン達が熱燗を飲みそうなコテコテの日本居酒屋は始めてでとでも新鮮だった。
女将さんが持ってきてくれた熱いおしぼりを顔に押しつけながらそう思った。
店までの道中11月末の冷たい風に吹き付けられた顔に押し付けるおしぼりは、最初は熱かったが、しばらくたつと心地よい具合になり、勤務の労をねぎらってくれているようだった。
「お前おやじやな23歳やろ、それ女の前ではすんなよ」
入社当時随分耳障りだった関西弁もだいぶ耳に馴染んできた。ビールが入ったジョッキをぶつけて乾杯。
いっきに喉に流し込む、飲むたびに改めて実感することなのだが、スポーツ、仕事をした後のビールは本当にうまい。心のそこからそう思う
喉の乾きを口から流し込むキンキンに冷えたビールが満たしていく。この爽快感を味わいたくて多くの人が仕事終わりの一杯目でビールを口にするのだろう。
「それにしてもどうするかなぁ、この会社そんなに長くおるつもりなかったんやでぇ」
彼は今日上司から出た話のことを言っているのだ。その内容というのが、会社が甲本さんを美術進行に迎えたいという。
美術進行とはセット作りの全体を取り仕切る仕事だ、デザイナーとの打ち合わせ、セットにかかる費用の計算、もちろんセットの制作現場にも立ち会うのでまさにセット制作の最初から最後まで携わる仕事なのだ。
ただ現在所属しているスタジオサービスよりも業務内容が複雑なため、一人前になるには、短くても一年はかかるといわれている。
「俺は映像制作現場を見てみたいっていう軽い気持ちでここ入ったんやで、美術進行かぁ、どうするかなスタジオサービスよりはやりがいあるかもしれへんけど
やってくなら長いことこの会社で働くことになるやろうしなぁ。美進でいくなら今後将来やってく仕事の方向性変わってくやろうなぁ俺25やで、俺の中で25は区切りの歳やと思ってんねん」
俺も25歳という歳を意識しているので彼の気持ちはよくわかった。彼は広告業界に興味を持っていて卒業後はアルバイトの傍ら宣伝会議のセミナーを受けていたそうだ
ビールを飲みながら撮影の際に来るCMプランナーで誰が凄いか、偉大かを熱を帯びた言葉で話してくれたが、僕はタダタクのタの字も知らなかった
「ユニクロの時に来てた金髪で色黒のオッサンや」と言われてようやくタダタクが誰のことかわかった。
「で重ぇ、お前は本当は何をしたいん?」
二杯目のビールを飲みおわる頃聞き役にまわっていた俺に唐突に甲本さんが切り返してきた。
「なんとなく仕事もなかったんで東京出てきて角川が募集出してて採用されたから今の会社で働いてるだけで、これといって将来の夢はないです」
勿論そんなこと嘘なのだが俺は会社の人たちに何度も同じ質問をされる度にこういう風に答えるようにしている。
自分の夢を会社の人に喋りたくない、何処かでこの会社の人たちを見下げている自分がいて、俺は心を開いているフリをしているだけで何より自分の思いをけなされるのが怖くて毎回嘘を言っているのだった。
しかし甲本さんは俺の本当の思いに何処か気づいているようで、何度も何をやりたいのか聞いてくるのだが、俺は毎回それをどうにか誤魔化していた。
「甲本さんビール空いちゃったし芋焼酎のボトルたのみましょうか?」
メニューを渡すと彼はしばらく吟味したあと
「じゃコク霧島にしよっ」と言った
コク霧島、暫く考えてそれが黒霧島だということがわかった。酒飲みで焼酎好きと自負する彼が。クロキリをコク霧島と、うそぶくのを見て俺はまた彼のことがちょっと好きになった。
「重ぇ~お前辞めるなよぉ 俺より先に辞めるなよぉ。約束やでぇ、お前がこの会社に不満があるなら俺が変えてやる俺にシッカリついてこい
もし上のやつらがお前のこと否定しても俺が守ってやるから心配することなんかないなぁーんもない、俺について来い、俺より先に辞めるなよ、約束やで」
30分前に頼んだボトルには、もはや数センチ焼酎が残っているだけだ、甲本さんは目が座ってきている、もともとつり気味で切れ長の目がほそくなり、カナリ目つきが悪い。
随分早いペースで飲んだのだから酔うのも仕方がない。さっきの彼がいったことも酔っているからのこと、そうわかっていても彼の言葉はうれしくて俺の胸は熱くなった。
「なんや重ぇ つまみないやないかぁつまみ切らさないようにするのも後輩の仕事やでぇ
まだいけるやろ、なんか頼み」
「じゃ鯨ベーコンなんてどうですか?でも美味いかなぁ、ちょっと高いですしね」
「ええやないかぁ ええやないかぁ 何でも食ってみたらええやないか、何でも経験や、人生なんでも経験や食ってみたらええやないか鯨ベーコン頼み」
鯨ベーコンは1800円だった。身は白く片方の端の部分がピンク色で着色されていた。値段のわりに美味くない。
「これ不味いやないか、もっとましなもん頼めんのか?」
言動が矛盾している、声もカナリでかくなってきている。さっきから他の客の視線が数回こちらに向けられてくる。
このままでは店に迷惑をかけてしまいそうなので会計をしてもらった。レジで女将さんがくれた伝票には10500円と書いてあった。
「ええ金とるやないけぇ ええ金とるやないけぇ」
目はより細くなり、頬は赤くそまり足元はおぼつかない
彼は何度もそう言いながら一万円札を叩きつけた
「後はお前が出しとけ」
そう言って彼は先に店を出ていった。俺は残りの500円を支払い女将さんに謝った後いたたまれない気持ちでその店を出た
「お前おつりは?」
「え?いやないですけど」
「バカいうな俺一万円も払ったんやでツリないわけないやろ、ツリ出せ」
財布には小銭と一万円札と五千円札しか入っていなかった。五千円札を財布から出すと彼はそれをふんだくるように俺の手から取った。500円俺が多く払った事になる。
これまでに数回飲んだことがあったが、ここまで酔っ払った彼をみたことがなかった。
赤く染まった顔は腫れぼったく口はすぼみ、フラフラしながら歩いている
「重ぇ二件目行くぞぉ、二件目や二件目、にぃけーんめっ」
俺が何度も帰ろうと言うが彼は聞かない。
「じゃ台北飯店行きましょうか」
仕方なく会社の人たち御用達の大衆居酒屋に連れていくことにした
夜道に頬を流れる風は酔いのほてりをじわじわと冷ましてくれる。となりでふらつく彼には全く効果はないようだが。
踏み切り前にさしかかり遮断機が降りていたので電車の通過を待つ。
駅の近くのためか随分と待たされる、夜の静寂に遮断機の警告のサイレンが一定の間隔で鳴り響きそれに合せて、線路付近のアスファルトを赤い点滅が左右に染める。
乾いたサイレンの響きを電車のけたたましい通過音が引き剥がす、夜の静寂を一瞬で消し飛ばす。
1つの電車が通過しても遮断機はまだあがらない、あと数台通過するのを待たなくてはならないようだ。
吐く息は白くなる。心地よい夜風もだんだん、寒さに変わってきた。
直立不動の状態を保つことができない甲本さんは両手をポケットに突っ込みマフラーをして前かがみになりながらフラフラして俺の1メートル前方にいる。俺はそこからもう1メートルほど彼から後方に離れ、その様子を観察することにした
しばらくすると彼は俺が近くにいないことに気づいたようで、フラフラしながら周囲を見回しはじめた。
千鳥足でクルクルまわりながら俺のことを探しているが俺は彼の背後にまわるために彼は見つけることができない。
俺は面白くてたまらない、11月の寒空の下、踏み切り前で千鳥足でくるくる回る彼は哀れで滑稽だ
途方にくれた甲本さんは近くの自転車を支えて佇むおばさんに掴りはじめた。怯えるおばさん。
俺は急いでそこに駆け寄る
「甲本さん電車もう行きましたよ。台北いきましょう?」
「お前何処いっとったん、置いていかれたかと思ったやんけ、俺を置いていくな、俺を一人にするなっ!!」
彼は台北までの間なんどもそう叫んだ。 ほんのいたずらのつもりだったが、ひどく可哀想なことをしてしまったという気分になった。
そうだった彼は淋しがり屋さんなのだ
彼は台北飯店で注文をするやいなやつぶれてしまった。注文の品が来て彼を起こそうとするが中々起きない。店のおばちゃんは寝かせといてあげなさい
というので仕方なくそうすることにした。一人で二人分の飯と酒をたいらげた、胃がはちきれそうだ。
「ねぇねぇこの子、急性アルコール中毒じゃないの?起こそうとしても中々起きないじゃないの、ほら」
と言いながら俺が食べ終わったのを見計らっておばさんは甲本さんの頬っぺたを軽く叩く
「いや大丈夫ですよ、彼普段から結構飲むし、今日くらいの量はいつも飲んでますけどねぇ」
「前もこんなことあって救急車呼んだのよ万が一ってこともあるから一応呼んでおこうね」
俺は何度も断ったがオバさんは頑として聞かず、結局救急車が到着してしまった。確かに救急車が到着するまでの間何度も彼を起こそうとしたが、薄く白目を剥いて、口をすぼめているだけで反応がない、頬も硬直していた。
ヘルメットを被り青白いカッパのようなものを身に包んだ二人の隊員が店の中に駆けつけた
「この人ですね?」
隊員の一人が左手で甲本さんの片目を開き、右手で持ったペンライトを彼の眼球に当てる。彼の濡れた瞳がオレンジ色の光を浴びる。
「瞳孔が光をあてても閉じたままですね救急車に乗せて病院まで搬送しましょう」
彼は担架ではなく二人の隊員に脇と足を抱えられて救急車まで運ばれ、救急車内のベットに寝かされ二つのベルトで胴体がベットに縛りつけられた。
「甲本さんっ!!甲本さんっ!!」
こんな狭い緊急事態な空間で間抜け面さらして眠りこんでいる甲本さんに必死で呼びかけている隊員。この情景は不謹慎ながら俺のツボで、腹がよじれる程おかしかったのだが、笑い声を必死でおさえ、笑い顔を悟られないようずっとうつむいていた。
「甲本さん!!甲本さんっ」
必死に隊員が呼び続けて五分程になる。
「搬送先の病院が見つかりました。入院費が2万円近くかかりますけど大丈夫ですか?」
大丈夫なわけないでしょう、ただ眠りこけているだけなのに病院までつきあうのは、流石にさけたい。これは笑えない状況になってきた。
俺も必死で甲本さんに呼びかけ始めた
「甲本さん甲本さんっ!!」
何度か頬を強く引っぱたく。頼む起きてくれ、俺は病院で一夜を過ごしたくない。明日は土曜日で休み。土曜日を寝て過ごしたくなんかない。
「甲本さん甲本さんっ!!」
体を少しよじった。「うーん」低いうなり声が出た、寝ていて誰かに起こされて第一声で発せられるような声
「甲本さん、甲本さんっ!!」
「なんやぁ~なんやぁ~」
彼はまだ目は閉じたままで今自分が置かれている状況が把握できていないようだ、ようやく雰囲気が違うことに気づいたようで、カッと目を開いた。
「何しとんや!!」
上体を起こそうとするがベルトでベットにしばりつけてあるために起き上がることができずもがいている。
一度つぶれて目が覚めてもまだ酔いは覚めないようだ。
「なんやこれ、何さらしとんねん、外せこれっ!!外さんかいっ、動けんやないかい!!」
隊員たちにこれでもかとばかりに怒気のこもった汚い関西弁で彼は罵った。
「お前なんで救急車なんかよんどんねん」
ベルトを外して第一声。
隊員の一人がことの一部始終を説明しようやく合点がいったようだ。ドライバーを含め隊員3人に俺は謝った。
甲本さんは救急車から下車すると同時に胃に溜まったお酒や一軒目の料理の残骸が混ざった胃液をアスファルトに勢いよく垂れ流した
「ごるうえっぇーうぉーうおろろろろろろろろーぅ」
胃から逆流する食べ物達が喉を駆け巡る際に発せられる悲痛なおえつが秋も終わりを告げる11月末の夜空に響きわたり、
冷えたアスファルトには36.5度の水溜りいや、ゲロ溜まりができそこから、ほんのり湯気がたっていた。
俺は絶対その湯気にあたりたくなかった。
湯気にあたらないように気をつけながら後ろを振り向くと
救急車の中から心配そうに彼を見守る隊員達の視線があった。
「もう後は僕が面倒見るんで大丈夫ですよ、ご迷惑おかけしてすみませんでした」
ようやく救急車もその場を去っていった。俺は呆れ帰るのも通り越してなんだかどうでもよくなってきた、ただ病院に行かずに済んだことは幸いだった。
彼の背中をさすると
「重ぇごめんなぁごめんなぁ」と泣きそうな声で何度も言った
「甲本さん明日七時から仕事でしょう?今日は会社に泊まるんですよね?タクシーで会社戻りましょう」
「重ぇホンマごめんなぁ」
タクシーの中で甲本さんはずっと謝っていた。
会社に着いてタクシーを降りると受付の前の道路で彼はまたもやぶちまけた、受付が気づいていないのをいいことに仮眠室まで俺はようやく彼を送り届け寝かしつけた。
週明けの月曜日甲本さんと再会したとき彼は一軒目までの記憶しかなく勿論救急車に乗ったことなど覚えているはずもなかった。
救急車に乗ったことは、自分の胸の中にだけしまっておくことにした。
あれからもうすぐ3ヶ月が経とうとしている。
美進に行った甲本さんは3月1日つけで会社を去る
俺は甲本さんからおいてけぼりをくらった。
俺はまだ自分の夢を彼に話したことがない。