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陸軍少年学校物語  作者: 崎ちよ
最終章  弥生「それぞれ」
80/81

第80話「学生達のさようなら」

「泣かないって決めてた」

 輪になって抱き合う三人。

 涙声のサーシャ。

「……わたし……も」

 必死に言葉を絞り出す緑。

「なんで……決めてたのに……」

 風子はギュッと抱きしめた腕に力を込める。

「笑ってよ」

 サーシャは青い瞳から涙を流し、整った顔をグシャグシャにしている。

「笑ってるって」

 口をへの字に曲げた風子。彼女はなんとか歯を食いしばって口の端をギュッと締めて丸めた。

「無理ぃ」

 根を上げる緑はそのまま膝を付いて泣き崩れてしまった。

「みどりぃ」

 なんとか立たせようとサーシャと風子が緑の肩を持ち上げようとするが、すぐに伝染してしまう。

 三人とも膝をついて抱き合い。そして、子供のように泣いた。

 金沢駅の改札前。

 行きかう人々なんてどうでもよかった。

 そんな女子三人を遠巻きに見ている男達。

「行かなくていいのか?」

 腕に包帯を巻いたままの大吉が視線を次郎に向ける。

 彼はちょっと困った顔になって首を振った。

「……あの輪の中に、泣きじゃくる高校生男子が入ったら、なんか嫌だろ」

「泣くのか」

「泣いて何が悪い」

「否定しないんだ」

 大吉が意地悪く笑う。

「大吉こそ涙目のくせして」

「涙目なんかなってねえよ、花粉症だちくせう」

「俺だって、あれだよ、あくびだちくせう」

 改札口に消えていくサーシャ。

 このまま東京に行って、成田からドバイ経由でモスクワに向かう。

 ロシア情勢が悪化する中、直行便はなくなっていた。

 改札口の向うで、もう一度振り返るサーシャ。

 同期がみんなで手を振る。

 彼女は笑顔で視線を移す。

 次郎と目が合う。

 何か特別なものでもない。

 その笑顔のまま視線が外れる。

「さようなら」

 サーシャは流暢な日本語でそう言って、背中を向けて駅の群衆の中に消えて行った。



 ■□■□■

 


「やっと咲いたな」

 次郎は薄桃色の花びらを見上げてそう言った。

 この学校で二回目になる桜の季節。

 次郎は大吉と共に桜並木の下を歩いている。

「おい、次郎」

 警告するような大吉の声。

「んあ?」

 間抜けな声を出して、その意味が分かった時にはもう遅い。

 ゴツン。

 誰かとぶつかった。

 軽かった。

 跳ね返りも大したことがない。

 と、なると女子だ。

 怪我をさせるわけにはいかない。

 次郎は慌てて手を伸ばし、倒れそうになる女子を助けようとする。

「あ……」

 だが、世の中そんなにうまくできていなかった。

 女の子の倒れる勢いはなかなかなものなのだ。

 次郎も引っ張られるようにして倒れて行った。

 覆いかぶさる次郎。

「痛っ……」

 聞きなれない声。

 たぶん入学したての一年生だろう。

 顔を確認しようとするが、女子に抱き着くような状態になっているため、なかなか視線を移せない。

 柔らかいものに当たる顔。

 柔らかい。

 うん。

 なんて感心しているその時だった。

 心臓が縮こまるような罵声。

「くおおらああ! 上田次郎! うちの部屋っ子に手を出して! ほんっと、あんたって人は!」

 鬼の形相をした風子さんである。

「風子さあああん」

 泣きそうな顔で彼女を見上げる一年生女子。

 ゴン。

 と次郎は蹴られ転がる。

「ほらほら、ちゃんと前見て歩かないと、ここは変態とか童貞とか転がってくるから、気を付けてっていったでしょう?」

 風子はそう言って、ほこりのついた女子の制服をパンパンと叩いて払っている。

「待って、童貞とか、そういうこと言うと男の子傷つくからね」

 蹴られたところをさすりながら立ち上がる次郎。

「ごめんなさい、まさか、本当だったなんて」

 ほほほほほ。

 風子は口に手の甲を当て笑っている。

「お前だって処女だろう!」

「うん」

 即答。

 別に恥ずかしいことではない。

「……なんか、男子って損だ」

「何? それ恥ずかしいの? 悔しい?」

 そう言いながら女子を抱き寄せ、少しでも男子から守ろうとする。

「そうそう、あの二年生には気をつけたほうがいい」

 風子がこそこそ話をするでもなく、そう女子の耳元で言っている。

「ムッツリスケベだから」

「聞こえてるっ!」

「無意識にえっちなことに巻き込まれる」

「変態扱いしないで」

「あと、けっこう女子に手を出すけど、最後は中途半端で終わるタイプ」

「傷ついた!」

 次郎の抗議にも耳を貸さず、風子は意地悪く笑って、そのまま去っていった。

「……お前、なんかした?」

 と大吉。

「してない……つうか、当たりが厳しくてさ」

「ま、自業自得、しょうがねえよ」

 そう言って彼らは笑った。

 曇りのない笑顔で。

 


「総学生会長の長崎ユキです……では、役員の紹介を」

 台上のユキの隣にいる男子が一歩前にでた。

 軽薄な感じの挨拶。

 学生会副会長という肩書。

 それは渡辺潤だった。

 相変わらずニヤニヤしているが、そこにいやらしさがないから不思議だ。

 彼が下がると代わりに一歩前にでたのは風子だった。

 ハキハキとした声で挨拶をする。

「二年生の中村風子です、同じく副会長です! よろしくお願いします!」

 短く、簡単に挨拶をした。

 学生会。

 同部屋の先輩であるユキの誘い。

 今までの風子では絶対に乗らなかった話だろう。

 でも、彼女にはひとつの思いがあった。

 変わりたい。

 受け身だった一年生の時の自分をどうにかしたい。

 そう思った矢先の誘い。

 何かのきっかけになればいい。

 彼女はそう思って引き受けていた。

 そんな風子を学生達の中から見上げる次郎と大吉。

 なんとく、遠い存在に感じていた。

 なんとも言えない感情。

 二年生になって疎遠になったような気もする。

 サーシャという存在があったから、絡んでいたからかもしれない。

「俺さ、勉強しようと思ってる」

 大吉が唐突にそんなこと言った。

「なんだよ急に」

「外交官とか、外に出る仕事をしたい」

「はあ?」

「極東共和国とか、そういうところとさ、仲良くするための……なんか、そういう仕事」

 子供じみたことだとわかっている。

 東京帝国大学に合格するほどの学力なんてないということも。

「頑張ってみたいんだ」

 大吉はそう言って笑った。

「けっきょく、軍隊に残って駐在武官になります……なんてことも」

 陸軍士官学校も難関校のひとつだ。

 行きたいと言っていけるところではない。

「そうか……」

 次郎はそんな感想を言った。

「そりゃね」

 好きな女の子を探すため。

 そんな無粋なことは聞かない。

 でも、わかっていた。

「次郎は?」

「俺?」

 鼻で笑う。

「変わんないよ……ただ、中隊長になりたいって」

「軍隊嫌だって、自由になりたいって言ってたくせに」

「そりゃ、ね」

 次郎は笑う。

 佐古少佐。

 ああいう中隊長になりたい。

 彼はそう思っている。

「みんな前に進んでるんだから、俺も」

 少し照れた感じで次郎はそう言った。

 そんなふたりの背後に忍び寄る影。

 両肩に手を置く人物。

 前髪パッツンのおかっぱ頭。

「見つけた」

「見つけ……られた」

 緑のやばそうな笑顔。

 嫌な予感でゾクゾクしてしまう大吉。

「今年もまた、松岡君やってくれるよね」

 今年もまた。

 緑はすでに六月の学校祭の準備委員として活動していた。

 学校規模で巻きこむことができる権力を手に入れていた。

 彼女の趣味の世界に溢れる学校祭の企画。

 去年のあれを巨大化する構想。

 その目玉のひとつがメイド女装の大吉である。

「もう、作ったから」

 瞳の奥に怪しい紫色の光が見えた。

 ブルッと震える大吉。

 次郎はそっと逃げようとした。

「上田君」

「はい」

「去年はハゲだったもんね」

 正確には落ち武者コスプレ。

「今年は正当派メイド喫茶に決めたから」

 声が怖い。

「じゃあ、ウエイターで」

「もう作った」

 緑は紙袋からスカートのような物を取り出す。

「ほら、足とか細いから、黒タイツはけばなんとかなるし、ほら、いいでしょ、ほら、ほら、ほら」

 詰め寄る緑。

 目が怖い。

 冷汗がダラダラ垂れる次郎。

「ねえ、嫌とか……言わない……よね」

 次郎の顎をクイッと上げる指。

 彼は威圧に負けて、二回頷いた。

「ああ、今年も絵になる」

 恍惚の緑。

 その後、大吉と次郎は地獄をみる。

 準備段階から、メイド喫茶のプロモーションビデオがとられ、一年生女子から『女装の先輩』という呼ばれ方をされることになる。

 さらに一部の女子と男子に熱狂的なファンができてしまう。

 彼らはそんな未来をまだ知らない。

 知りたくもなかった。



 ■□■□■



「何を笑っている?」

 サーシャと同じく金色の髪の女性が彼女のスマートフォンを覗きながらそう言った。

 整えられた前髪、そして長い髪を後ろで束ねたような髪型をしている。

 切れ長の目でジッと彼女を見ていた。

 席が隣の女学生。

 サーシャの表情が気になって声をかけていた。

「……え? うん」

 サンクトペテルブルク寄宿女学校。

 主として貴族の子女が入る学校。

 その教室のひとつ。

「日本の友達」

 サーシャはそう答えて笑う。

「見せて」

 遠慮する素振りもなく彼女はそう言った。 

「すっごくバカな人たちだけど」

 画面を見せる。

 スカートを摘み、愛想笑いいっぱいでお辞儀をしている女子……でなく、女装の二人。

 ひとりは背が高く、もうひとりは低い。

「……日本の文化なのか?」

「文化とは言わないけど……まあ、遊びっていうか」

 メイド姿の風子。

 少し髪が伸びたな、とサーシャは思った。

 そして隣に写る緑。

 相変わらず、前髪パッツンのおかっぱ頭。

 またこの子のせいで恐ろしい目にあったんだろうと、嘆息した。

サーシャ(アレクサンドラ)もやったのか?」

「あ、去年はこういうことしてないから」

 まさか、狐耳、巫女服――異教徒の修道女――の格好をしていたなんて言えない。

 隣の彼女は敬虔なロシア正教徒でもある。

「そうか」

 そんな彼女の感想にサーシャは曖昧な顔で頷く。

「しかし、ついこの間休戦したばかりだと言うのに……日本軍も参加したんだろう? 気楽なものだ」

 五月五日に国境線を超えてきたソ連とロシア帝国は約一ヶ月間戦火を交えた。

 ソ連の空挺軍団によるモスクワ奇襲を受け、一時は総崩れになりそうになっていたが、予備隊をもって持ちこたえ、戦局を挽回して休戦になった。

 その予備隊には、日本帝国陸軍が派遣した遠征旅団が含まれていた。

 一カ月の戦いとはいえ、少なからず死傷者は出ている。

 大量破壊兵器の使用は回避したものの、痛々しい傷跡が残ったことは間違いない。

「笑おうって約束してるから」

 サーシャは笑った。

 そして「そうだ」と言って、席を立った。

 表情を変えることなく隣の女学生は彼女を見上げる。

 サーシャは笑顔のままカメラを女学生に向ける。

「あなたとの写真を撮って送ってもいい?」

「……いや、遠慮しておこう」

「いいから」

 サーシャは席をたち、彼女の横に顔を近づける。

「あなた、美人だから、きっと喜ばれるから」

「……そんなんじゃ」

 パシャリ。

「うん、いいかも」

 サーシャはにっこり笑った。

「あの……女装した男達に送るのか」

「送るのは、別の写真の女の子だけど、たぶん見られる」

 そう言って送信ボタンを押した。

「あいつらえっちだし、きつめの女の子が好きだから、なんだろう……きっと喜ぶ」

 そんな余計な説明をサーシャはした。そして、嬉しそうに画面に目を向け反応を待っていた。


ここまで読んでいただき感謝いたします。


残すは後一話。

すこしでも皆様の心に何かひとつでも残れば幸いです。

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