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陸軍少年学校物語  作者: 崎ちよ
第1章  卯月「ようこそ陸軍少年学校へ」
8/81

第8話「命短し恋せよ……」

 陸軍少年学校。

 そこで学ぶ少年少女の一日は忙しい。

 午前は高校生としての勉強、そして午後は軍事教育。

 特に午後は体を使った野外訓練や体育がほとんどである。

 したがって、まだまだ体力がついていない一年生にとって、午前のお勉強は散々たる状況になっていた。

 中村風子にとっても例外ではない。

 例外どころか、彼女は酷い状況を醸し出していた。

 涎。

 十五歳にして女子力が皆無。

 一度カクンといってしまったら最後。

 彼女はそのまま(コウベ)を垂れ、だらしなく半開きになった口の端から光る液体が出ていた。

 幸いなことに誰も気づいていない。

 なぜなら、強大な恐怖が目の前に存在していたからだ。

 自分のことで精一杯である。

 風子の気持ちよさそうな寝顔など、見てる余裕がないほどに。

「中村!!」

 教室を揺るがすような大声。

 いや、怒声と言った方がいいだろう。

 電気が走ったように風子は文字通り飛び上がった。

 彼女は居眠りこくぐらいだから、肝っ玉はどっしりしている。

 だが、さすがに気持ちい眠りを怒鳴り声で覚まされたものだから、びっくりしてしまった。

 飛び上がるぐらいに。

 そんな彼女よりも更に高く飛び上がりそうになったのは周りの学生である。

 緊張感いっぱいの授業でビクビクしていたところに、超巨大な喝である。

 自分が怒られていないにしても、電気が走った。

「眠いなら、立て!!」

 言われなくても立っている風子に向かって、教壇に立っている野太い声の主が言い放った。

 教壇の主は小山岩男(コヤマイワオ)

 日本史の授業を受け持っている男性教諭。

 ちなみに軍人ではない。

 文民(シビリアン)である。

 春先のまだ涼しい時期にも関わらず、ラガーシャツにハーフパンツ。

 しかもムチムチに体のラインがわかるような筋肉もりもりなスタイル。

 どう見ても体育教師だが、その格好のまま堂々と日本史を教えていた。

 風子はそれを見て犯罪的だと思っていた。そして、恐る恐る見上げると、鬼の形相の筋肉先生と目が合った。

「涎は拭け、レディーの嗜みだ」 

 風子は慌てて口の辱を手の甲で拭う。

 慌てたついでに椅子を蹴ってしまい、後ろの学生の机に勢いよく当った。

 ガチャンと音が響く。

 彼女はその音に弾け飛ぶようにして後ろを振り返り、後ろの席の学生に頭を下げた。

 彼女が我に帰った瞬間、眉を潜め「げっ」と声に出しそうな表情に変わる。

 いや、心の声は確かに漏れていた。

 後ろの席が上田次郎だったからだ。

 彼は思いっきり目を背けていた。

 ちょっとムカつく笑顔とともに。

 ――こ、の、や、ろ、う!

 風子がイライラした感情を一瞬だけ剥き出しにした時、その背中に圧倒的な圧力を感じた。

 ズドオオン。

 教室が激しい衝撃波とともに揺れた錯覚に襲われた。

 教室にいる学生全員がその音に反応して揺れる。

 小山の分厚い左手が風子の後頭部に振り下ろされた音だった。

 がくんと風子の目線が三〇㎝ほど下がった。

 彼女はたまらず、頭一個分ぐらい体勢を低くする。

 膝をガニ股に開いて頭を両手で押さえ「いったああああ!」と悲鳴を上げながら、涙目と抗議する目つきで小山を見上げた。

 顔にも筋肉がついているんじゃないだろうかと思うような、筋張った鬼瓦が口を開く。

「仮にも軍人の端くれだろう! 文民(シビリアン)の一撃を受けたぐらいで悲鳴を上げるとは何事だっ!」

 ――いや、無理だって。

 学生達は、その無駄に蒸気でも噴出してそうな筋肉を見ながら誰もがそう思った。

 いや、なにかわからない湯気は幻想でもなくでているのだが。

 小山先生の必殺技。

 脳天チョップ。

 学生の間から『シビリアンチョップ』と呼ばれている。

 悲鳴を上げる学生に対し「それでも軍人の端れかっ!」と喝を入れられるのが特徴。

 また、その効果については「ライフが一つ減る」とか「半径一メートル以内には十から百のダメージ」などと分析されている。

 ちなみにライフが何だとか、ダメージって何とかそういうことはよくわかっていない。

 一撃を見舞った小山は教壇に戻り、引き続き話を進めた。

 授業は南北朝。

 風子は苦手意識どころか、興味もない。

 なに、南北朝って、何で天皇が二人いるの? 上皇ってなに? 法皇ってなにそれ偉いの? 美味しいの?

 そういう状態だ。

 一人だけ教室でぽつんと立っている風子は思考停止。

 さすがに眠気は去ったが、やる気が明後日の向うに走って行ってしまっていた。

 彼女はげっそりした顔のまま黒板を見ている。

 むずむずっ。

 風子は声を出しそうになった。

 なんとも言えない悪寒がお尻を走ったからだ。

 プレッシャー、なんだかお尻のあたりにそれを感じる。

 彼女はさっきの件もあったので、後ろを振り向くこともできず、立ったまま、教科書を上にしたり下にしたり落ち着かない。

 ――あいつだ。

 彼女の直感がそう言った。

 上田次郎。

 奴だ。

 奴がお尻を見ているに違いない。

 ぴきーーーん。

 変な音が頭の中で鳴った。

 ――プレッシャーを感じる。

 彼女は第六感が走っていた。

 実際はプレッシャーどころかスカートを引っ張られていたのだが。

「っつ!」

 彼女は気付いた。

 バッと教科書を持っていない左手でスカートを抑える。それと同時に、小山に咎められないように一瞬だけ後ろを振り返り、次郎を睨みつけた。

 だが、またスカートを引っ張られる。

 ――変態行為っ!

 風子が顔を上気させ、怒りの感情が暴走しようとする。

 もう一度、小山の動きを気にする。

 彼が黒板を向いたその隙をついて、次郎を睨みつけた。

 すると、次郎は頭をぶんぶん横に振って『違う違う』というジェスチャーをするが、小山が振り返ったので、スッと動きを止める。

 妙に背筋の伸びた姿勢で。

 彼女は次郎を軽蔑した。

 さすがに、痴漢行為だけはしないだろうと思った。

 そうだ。胸だ。

 あのとき、私のおっぱいをもんだから、それでこんな痴漢行為をしてもいいと勘違いしているんだ。

 そう思った。

 ――ゲスの極み!

 心の中で叫んだ。

 声に出したら、文民チョップの餌食になるとわかっていたので、我慢したが。

 やはり、母の言うとおりだった。

 ――男はすぐ図に乗るからね、一度お触りさせたら最後。

 ――手を握ったら、抱きしめてくる、抱きしめたらキスしてくる、キスしたら揉んでくる、その後は押し倒してアレよアレ。

 そんな母親の言葉を思い出しながら、風子は考えた。

 ――確かにすでに押し倒されるところまでいっているレベルなんだけど。

 彼女の言う押し倒しと母親の言う押し倒しのイメージは天と地の差があるのはおいて置こう。

 もやもやとそういうことを考えているうちに、今度は背中になんとも不思議な刺激を受けてしまった。

「うひゃいっ」

 油断してしまったのかもしれない。

 声が出てしまった。

 慌てて手で口を押さえる。

 背中をさすられ、ゾゾゾッという感覚。

 しかも、すごくエッチな触れ方をされた。

 彼女は人一倍そこが感じてしまうことを、恥ずかしいけど自覚していた。

 ――くっそー! 変態め。

 後ろをバっと振り返る。

 次郎はさっきよりも更に大きく顔をぶんぶんふった。

 それにしても、と彼女は思う。

 小山先生の授業中にちょっかい出すとはいい度胸だと。

 もちろん、小山の授業で居眠りこく彼女の方がいい度胸だ、と教室の学生から思われているのだが。

「……っ」

 今度は予想をしていた。

 彼女は声が出る前に右手の教科書で口を押さえる。そして、左手は背中を(マサグ)る不届き者の手を捕まえた。

 三度も四度も同じ手にやられる風子さんではない。

「あ……」

 右手を捕まれた状態で舌をぺロッと出しているのはサーシャ=ゲイデンだった。

 サーシャは陸軍少年学校女子制服であるセーラー服を着ていた。

 留学生達の制服は自国のもの――サーシャはロシア帝国の陸軍幼年学校は深緑のブレザー――を基本的には着用するようになっているが、陸軍少年学校の制服を着てもいいことになっている。

 そんな訳でサーシャはセーラー服を着ていた。

 パッと風子が手を離すと、左斜め後ろの席のサーシャが小声で話しかけてきた。

「(ごめんなさい、あまりに退屈、暇で、もう死にそうだったの)」

 平気な顔をですごく理不尽な言い訳をする。

「(スカートめくろうとすると、後ろの上田君がそわそわするのが面白くて)」

 風子はどんな表情をしていいかわからず、とりあえず首をがっくり落とした。

 その時だ。

「ごおおらああ!!」

 教壇から教室全体を揺らす様な低い声が響く。

 風子が教壇を見ると、筋肉先生の目が赤く光った。

 もちろん錯覚であるが。

 ――やばい。

 ――でるぞ。

 ――死ぬ。

 そういう声にならない声が教室を包み込む。

「そこぉっ!!」

 教壇から鋭い気合とともに何かが飛んでいく。

 確かに光ったように見えた。

 錯覚だけど。

 風子の前に飛び出す影。

 彼女を守る態勢でサーシャが右手、次郎が左手をかざしていた。

 そして次郎の右手に消しゴム。

 消しゴムが煙を上げている。

 ――レーザービームが出たぞ。

 ――あれが噂の小山ビームか。

 ――愛ゆえの諸行か。

 ガヤガヤと学生たちが騒ぐ。

 もちろん、光ったり煙があがって見えたのは錯覚である。

 風子はそんな緊張感の中、同部屋二年生の先輩であるユキから聞いた噂を思い出していた。

 ――小山先生の消しゴム飛ばし、通称『小山ビーム』は気をつけてね。噂じゃ一昨年の卒業生はこれをくらって三人が失明したという。

 ――いや、失明させたら、この人教壇に立ってないでしょう、ユキさん。

 聞いたその時はありえない馬鹿話とユキの話を聞き流していたたが……。

 今はツッコんだら負けだと思うほど、ツッコミどころが多い。

 たった今、噂の実物を見てしまったから。

 しかも、それが自分に向けられたものだった。

「でしゃばり」

 サーシャが次郎にボソッと言った。そして、彼の手をぎゅっと握る。

「な、何を」

 不意を疲れた彼がバランスを崩しサーシャのペースに巻き込まれた。

「むっつりのくせに」

 サーシャがそう言ったまま、次郎の手を離さない。

「な、ななな」

 次郎が慌てた。

「え、えええ」

 風子も破廉恥と思ったので声を漏らした。

 サーシャがおもむろに自分の胸に次郎の手を抱え込もうとしたのだ。

「いきなり、手首を極めようなんて」

 暴力女め。

 そう次郎は思った。

「いきなり、おっぱいタッチさせようなんて」

 破廉恥な。

 風子は思った。

 次郎と風子が互いの言葉を聞いて向き合う。そして、すぐに目を背けた。

 ごほん。

 地面を揺らすような咳払い。

 もちろん錯覚だが、小山はそのぐらい大きな音を立てて注目をひかせた。

「授業中だ、静かにしろ」

 ――あんたがだろう。

 そんな学生達の心のツッコミほどでは小山の進撃を止めることはできない。

 サーシャと次郎が手首のつかみ合いをしているところに割って入きた。

 ギッと次郎が小山を睨みつける。

「確かに騒いだのは申し訳ないと思います、サーシャが悪いです」

 軽く、サーシャを売り飛ばす。

 確かに次郎は何も悪くない。

「でも先生、女子にそういうのはよくないと思います」

 鬼の形相の小山。

 教壇からゴゴゴゴゴゴという音が聞こえる。

 そういう錯覚に襲われた。

「フェミニストぶって気持ち悪」

 サーシャが口を尖らせて非難する。

「うるさい」

 負けずと口を尖らせ対抗する次郎。

「上田」

 静かだが迫力ある声が響いた。

 小山の一言で教室が静まりかえる。そして、ギョロっと上田を睨んだ。

 ズン。

 ズン。

 教壇から一歩、二歩。

 近づく筋肉。

 小山が進むと、その両脇の机が自然に離れ、道ができていく。

 ズン。

 数メートル離れているにも関わらず、次郎は目の前に立たれた感覚を味わってしまった。

 スッと右手が挙げられる。

 筋肉が発達している口が開いた。

「上田、中村が好きか?」

「はあ?」

「ゲイデン、上田が好きか?」

「へ?」

 小山はうんうんと頷く。

「命短し恋せよ! 少年! 少女!」

 筋肉が効果音で「ドーン」と音がしそうな勢いで彼らを指さした。

 ズンズンズン。

 踵を返し、教壇に戻る。

 黒板が削れるような音を立てながら、チョークを横にして、『恋』と大きく書く。

「どっかの馬鹿が『内恋(ナイレン)禁止』とか言っていると思うが……いいか! 少年少女よ! 今のうちにしっかり恋をしなさい!」

 どっかの馬鹿というのは、中隊長の佐古少佐のことである。

「恋と青春は化学反応だ! 爆発だ! 歴史も動く!」

 堂々と言い放つ筋肉。

 普通の人だったら赤面するような言葉を。

 聞いている学生の方が恥ずかしくなりもぞもぞしている。

「恋だ! 恋はいい!」

 ドーン。

 黒板を拳で打ちつける。

 壁に掛けている時計が揺れて落ちるんじゃないかと、風子はハラハラした。

「恋は自分を磨く! 恋をして自己を練磨せよ!」

 じっと、小山は学生たちを見渡した。

 そして、立ったまま固まってしまった三人を見る。

「サーシャ」

「はい」

「お前は、日本史が面白くないだろう」

「はい」

 即答のサーシャ。

「中村」

「は、っはい」

「お前も、日本史が面白くないか?」

「え、ええ、割と」

 彼女は嘘をつくのもなんか怖かったので、あいまいに答える。

「俺は、お前らがこの国に『恋』をするために日本史を教えている」

 めっちゃ暑苦しい。

「歴史はなあ、お前らのご先祖様が命を燃やして創ってきたものなんだ! だから好きになってほしい、自分が今ここにいることを奇跡と思って欲しい!」

 口調が柔らかになる。

「サーシャ達留学生は、自分の国を誇りに思っているだろう……お前らの国と違って、この日本の歴史はわかりにくいと思う、なんとなくちまちましてて貧乏臭くて、そして、回りくどくて効率的ではない」

 彼は教壇に両手を置く。

「だからこそ知ってもらいたい」

 筋肉が熱をもっているのか、教室内の温度が上がった。

 これは錯覚ではない。

 彼は黒板に向かい、そしてチョークをぼきぼき折りながら『君が代』と書いた。

「知らないものはいないと思うが、この国家の歌詞だ」

 ――君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔の生すまで。

 今度は丁寧に書いた。

「この詩は、元々万葉の時代に作られたという説がある……『読み人知らず』で古今和歌集に載せられた、このあたりは万葉集や古今和歌集は中学で聞いているだろう……それが、明治に今の曲がつけられ、国歌として扱われるようになった……ところで、君たちは日本以外で考えたら、どの国の国歌がいいと思う?」

「松岡!」

 松岡大吉が指名され、彼は慌てて立ち上がった。

 未だ坊主頭が茶色。

「えーっと」

「松岡! まず返事は『はい』だ! 馬鹿野郎!」

「はいっ! 俺はアメリカの国歌が好きです」

「なんでだ?」

「音楽がノリノリです!」

「なるほど、それはあるな」

「俺も、若いころはフランス国歌やアメリカ国歌が頼もしく聞こえた……それに比べわが国の国歌の静けさ頼りなさが嫌だった、しかしっ、その歌詞の中身と君が代とを比べて、私は君が代が好きになった」

「ここで、君達に考えてもらいたい、わが国のこの歌詞の意味を」

「上田!」

「はいっ!」

「答えろ」

「天皇陛下の治める帝国が永久に栄えることを願う意味だと聞いています」

「なるほど、それはどこで教わった」

「小学校で」

「そうか」

「次、中村」

「は、はい」

「やりなおし!」

 女子にも容赦ない小山。

「はいっ!」

 と風子は返事したが、ぼけーっとしていたものだから、答えに戸惑る。

「質問に答えろ」

「上田君と同じです!」

 結局風子はベタな答えをする。

 自分でそう答えてしまったのだが、どうも頭悪い子のような気がしたため、彼女は自己嫌悪で顔をしかめた。

「三島!」

 大人しそうに座っていた三島緑が慌てて勢いよく立ち上がった。

「は、はい」

「声が小さい!!」

「はいっ」

「小さい!!」

「はいっ!!」

「よし、質問に答えなさい」

 小山は容赦しない。

「わ、私は、なんか昔の人がすごく切なく、大切な人を想っている詩に感じます」

 そう言って、彼女は顔を真っ赤にして座った。

「ありがとう。いろいろな意見を聞かせてもらった」

 小山そう言うと、おもむろに黒板にでかでかと字を書いた。

 『愛』と。

 日本史の授業なのに、黒板は『恋』とか『愛』とか書かれている。

 風子は、その異様な雰囲気に目をパチパチさせている。

「俺の考えは、三島が言った意見に近いと思う、一説には愛し合う二人の間に詩われたものだということもある。つまり『愛するあなたよ、二人の絆は離れれば離れるほど積み重ねあう巌のようになり』つぎに苔だが、岩に別の生命である苔が生す、つまり『二人の間に新たな命が生まれる』という意味があるとも言われている」

 一同赤面。

 小山はいつになく優しい声で、しかもかなり熱く語っている。

「もちろん、三島の言った、切ない恋心……そうだな愛し合う二人が防人の任のため離れ離れになる時に歌った歌であるという説もある」

 小山はまったく恥ずかしがる素振りも見せず、真面目な顔で続ける。

「つまり、俺が言いたいことは、わが国の国歌がいろいろ説はあるにせよ、恋文の様な歌詞を使っていると言うことだ……なかなかロマンチックだろう」

「サーシャ、ちょっとはロマンチックな日本が好きになってもらえただろうか?」

 ロマン。

 筋肉の塊の先生がロマンチックと言った。

 変だ。

 風子はそう思った。

 サーシャは返事をできずに固まっていた。

 日本人は変だ。

 筋肉とロマンと恋なんて変だ。

 そう思った。

 ドーン。

 教壇を打ち付ける音で教室が揺れる。

「だから、君達の中隊長が、ナイレン禁止どうのこうのいっているが、みんなしっかり恋をしなさい! 失恋もいっぱいしなさい!」

 筋肉教師は、言い放った。

「恋をせよ! 俺は、応援する!」

 学生はただただ固まるばかりだった。



 夜。

 消灯前の二十二時三十分。

 陸軍風に言うなら二二三〇(ニーニーサンマル)

 風子は、鏡の前で髪をいじっていた。

 はやく伸びてもとにもどれーっと、暗示をかけながら。

 ぜったい、この三年間が終わったら髪を伸ばそうと決意していた。

「どうだった、筋肉教師は」

 風子の同部屋の先輩、シャージ姿の長崎ユキがベットにパスンとお尻を置いて足を組んだ。

「筋肉教師ですか?」

「熱かったでしょ?」

「熱いも何も暑苦しかったです」

「うざいし?」

「うざい」

「しかも、厳しいし緊張するし?」

「厳しいし緊張するし、私返事何回もやり直しました」

「女子にも容赦ないもんね」

「ないですね」

「でも、面白かったでしょう」

「面白いと言うか、ひきましたけど」

「けっこう、あの筋肉、純粋なこと好きなのよ」

「筋肉なのに、ですか?」

「筋肉なのに、恋とか愛とか大好きで、どうせ『命短し恋せよ乙女ー!』とか叫んでたでしょう」

「いや、さすがにそれはありませんでしたが『いっぱい恋しなさい』なんていってました」

「やっぱ言ったんだ」

 そう言っていると、ユキの背後から彼女の胸を揉もうという手が伸びた。

 それを彼女がパチンと振り払う。

「けち、減るもんじゃないでしょ、つうか邪魔でしょ、減った方がいいでしょ」

「先輩、やめてください……恥ずかしいので」

 ユキはそう言って黒縁眼鏡を人差し指で押し上げる。そして背後の人物――三年生の先輩である田中純子――を非難した。

「ユキは、おじさん好きだからねー、ああいうのが趣味なのよ」

「は、はあ」

 あいまいに風子がうなずく。

「違います……私はもっとしょぼくれたおっさんが好きなんです」

「二中の副中隊長の野中大尉?」

「……あの人はしょぼくれすぎてます」

 少し顔を赤くして俯くユキ。

「ほんと、変わった趣味よねー」

 へへへと笑う、純子。

「違います」

 ユキは上気した顔のまま純子に言い返した。

 そういう、先輩たちを見て、ほんとうにこの人たちはかわいいし、いい人だなと風子は思うのだ。

「ちなみに伝説一つ、教えるわ」

 そう純子が言う。

 三年生でも有名なのだ。

「また伝説ですか、先輩」

「筋肉伝説……むかしむかし純粋な女子生徒がいました、彼女は部隊の荒くれどもの一人と付き合いました……やがて彼女は遊びだったよと捨てられました」

「なんか、先輩、そんな話ばっかりですね」

 ユキが口をはさむ。

「話の腰を折らないで、次ね……捨てられた彼女のことを知った筋肉教師が彼女にいいました『誰だ、そんなひどい男は』そして彼女は名前を告げました……そして次の日ある民間人がある部隊の隊員数名を半殺しにして、裸で首から『僕はロリコンのヤリ男です、軽蔑して下さい』と長々と書いた看板を首からぶら下げた状態で、グランドの真ん中で発見されてました」

「先輩……それただの復讐話じゃないですか、しかもたちの悪い」

 ユキがジト目で純子を見る。

「で、その筋肉教師というのが……」

「すみません、先輩……先のストーリーわかりすぎです」

 つい風子は生意気にもつっこみを入れたが、純子はうれしそうに笑った。

「えー、とっておきの伝説だったのにー」

 純子が口を尖らしてそういうとユキが「まー、純子さんの話なんて、そんなレベルですよね」なんて言う。

「なんか、みんな不幸になる伝説ですね、それ」

 風子はつまらないなんて言えないので、一応話を続けた。

「でも、そのお陰で、少年学校学生に手を出す現役の人はいないらしいという噂」

 しかし、なんだろう。

 軍隊に勝てる学校教師って。

 中隊長の言うこと聞かなくていいからなんていっていたが、本当にそんなんでいいんだろうか。

 まあ、確かに恋愛禁止なんて言われたら、青春の楽しみの多くを失うような気がする。

 それをわかってのことか。

 やはり、そこは軍人と違って文民なんだろうか。

 あの先生は、見た目の極悪さに比べ、中身はいい人のようだ。

 彼女はそう思った。

 そして、最後に一言付け加える。

 ――相当暑苦しいけど。

 と。

 夜は更ける。

 そして、二段ベットの上段に横たわった。

 寝る前。

 風子は電気の消えた、間近にある天井を見上げて思うのだ。

 ――思っていたよりも悪くない。

 一月(ひとつき)、ここで生活して……馬鹿みたいな生活だと思っているけど、むかつく男子はいるけれど……素敵な先輩や面白い友達がいる。

 走ることも慣れてきた。

 足も細くなった。

 ――悪くない。

 彼女の学校生活も一月が過ぎようとしていた。

 そんな少年少女を訓練最盛期の五月が待っていた。

 泥だらけの五月。

 汗だくの五月。

 彼女が目を閉じるとすぐに寝息をたてた。

 心地良く体か疲れているからかもしれない。

 こうやって、四月は過ぎていった。

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