第69話「いらっしゃいませ輸送艦熊野」
「でっけえー」
感嘆の声を上げているのは大吉。
その小柄な体を大きく開きながら叫んでいる。
「恥ずかしいからやめろって」
次郎はそう言って大吉を制す。
「やだやだ、そうやって大人ぶる子供はやだ」
「そんなんじゃねーし」
子供――実際そうだが――のようにはしゃぐ大吉を次郎は羽交い絞めにしながらじゃれ合っている。
確かに目の前にくると、この艦艇は大きい。
輸送艦『熊野』。
帝国海軍が誇るヘリ搭載大型輸送艦。
排数量二万トン。
緊張高まるロシア、その一番近い軍港があるサンクトペテルブルグへの輸送任務。
その準備をしている艦艇。
金沢基地に寄港しているが、荷物を積み終えればロシアへと向かう。
「どうせなら、ミサイル巡洋艦を見たかったけど」
そんなマニアックなことを言うのは幸子。
「マニアめ」
大吉がぼそっと言った。
「軍事が何かもわからないお子様男子には、ちょうどいいかも」
幸子がそう言い返すと、次郎が間に入った。
「もっと言ってやってよ山中さん……ほかの男子は大人だから、いっしょにされたら困るし」
なんだか少し不機嫌な顔をする幸子。
次郎、まだまだわかっていない子である。
野暮。
邪魔。
「なんだよー、でっかけりゃいいんだよ」
口を尖らせて抗議する大吉。
「小さいもんねー」
自分より背が低い大吉を見下ろす幸子。
彼女は大吉を一瞥して、フンと笑った。
「……くう」
大吉は黙る。
次郎は次郎でそんなことを言う幸子を見て、ふと思った。
――ああ、確かに幸子も小さい。
彼は視線を引率のためきている日之出中尉に目を向け、そして比べるようにして幸子を見てしまった。
察した幸子はさっと自分の胸を隠すように両腕を組む。そして『変態』という文字を描いた左右の瞳で次郎を蔑む。
大吉に向ける視線と違い、まったく優しさが入っていない。
「違う、そういう意味じゃない、ちょっと待って」
次郎が慌てて言い訳をした。
「何?」
大吉がキョロキョロして二人の視線を確認する。
彼は同様に幸子を見て、そして日之出中尉を見た。
「あー、そういうこ」
迂闊である。
大吉は迂闊すぎた。
ごふ。
ごふん。
げんこつ二発。
幸子ではない。
風子姐さん登場であった。
最近元気な彼女。
「幸子ちゃん、こんなエロ男子相手しないで行こう」
風子は幸子の腕をぐいっと引っ張り歩き去る。
「乙女の怒りをなめんなよ!」
風子は男子二人にそう言い放ち、そこから離れて行った。
「ひどい」
涙目の次郎。
「やばい、風子さんに嫌われた」
大吉は狼狽するが、次郎にしてみれば今更……と思う行動だ。
「……そんなに気にしてた?」
確かに。
次郎は触れたことのある風子の胸のことを考える。
でも、あくまでアレは幸子に向けた視線である。
まさか、風子が反応するとは思わなかった。
でも、さすが貧そうなアレを持つだけのことはあると彼は考える。
それだけセンサーは発達しているのかもしれない。
だからすぐに、反応……そんな女性の半分ぐらいは敵にまわしそうなことを考える次郎。
まだまだ若造。
若造は更にひどいことを思う。
晶のに比べて数倍とかそういう計算にならない、と。
ゼロに何をかけてもゼロだから。
頭のこぶをさすりながら、そう彼は思った。
次郎。
高校一年生。
シスコン野郎は、姉の豊満なそれに慣れたせいか、そんなことを思う。
女子の敵であった。
タラップに掲げられた横断幕には『いらっしゃいませ輸送艦熊野』と書かれてある。
その文字の端には白い熊のゆるキャラが書かれていて、熊本県のアレから訴えられるんじゃないかというぐらい似ていた。
黒と白の違い、そして海軍の水平服を着ていることぐらいである。
ツッコミたい次郎。
タラップに近づき、まじまじとその横断幕を見上げた。
風で揺れる熊のゆるキャラ『くまのん』。
先に登っていた女子達のスカートもゆらゆらしていた。
次郎はまったくそっちには気付かず、見上げたままである。
もう『くまのん』に首ったけ。
ツッコミたくてしょうがない。
その時だ。
頭上に現れる影。
次郎の視界に入る白い足。
その付け根にある水色の布。
そして、闇。
「エッチ!」
そんな叫び声とともにマッハで突っ込んでくるドロップキック。
ぎゃふんと声を上げて転がった次郎。
顔を赤くして、スカートを抑えているサーシャ。
彼女はすごい形相で彼を睨んでいた。
「スカートの中見た」
「え? え? 確かに見たけど」
それは、お前が上から飛んできたから。
状況が掴めない次郎。
「いけしゃあしゃあと!」
目が吊り上がるサーシャ。
狼の如く、そこから飛び出して次郎を捕食しようとした瞬間だった。
『こらあああ! タラップから飛び降りるなあ!』
至近距離の拡声器。
海軍の陸戦専門の兵士が着る灰色迷彩服を着た男性。
「す、すみません」
なぜか被害者の次郎が先に謝る。
謝ることが多い人生、つい慣れてしまっている。
「ご、ごめ」
途中で言葉を止める。
三者面談。
お互いに相手を確認した。
「あー!」
「あー!」
「あー!」
三人同時に声を上げる。
「あの時の、暴力娘」
「チンピラ海軍陸戦隊その一! しかも弱い!」
サーシャはひどいことを言う。
今にはじまったわけではない。
硬直する海軍の男性。
春の痛い思い出。
ファイティングポーズのサーシャ、なぜか釣られて次郎も構えた。
そう、あの男である。
春に出会ったあのチンピラ少尉。
「すみません、学生が」
騒ぎを聞きつけ走ってきたのは教官の日之出中尉。
彼女は、猛ダッシュで走ってきて頭を下げると同時に、右手で無理矢理サーシャの頭も下げさせた。
トラブルは予想の範疇である。
「こら、海軍のところぐらいは大人しく……そりゃ、春はチンピラみたいなクズに絡まれて大嫌いかもしれないけど、あなたの大好きなお兄様も海軍でしょう、ああ、すみません……もうこのようなことをしないようにいたしますので」
余計なことを言いながら誤っている晶。
そのまま外行き淑女フェイスで申し訳なさそうに顔を上げた瞬間、硬直した。
口の端がグイッと上がる。
「あ、晶姉さん」
ブルッと震えて一歩二歩と下がる元チンピラ海軍少尉。
「なんで、一貫……あんたがここに」
学生達が聞いたことがないような口調の晶。
「あー! 春の祭りの時に俺たちに絡んだ奴!」
次郎が指を差して驚いた。
ちなみに、夏に駐屯地に来て格闘大会に出ているのも見ているが、そういうことは忘れている。
サーシャに絡んで返り討ちになった、クズ男。
海軍陸戦隊所属の少尉、大川一貫である。
晶をなぜ晶姉さんと呼ぶかは、また別の話。
とにかく、拡声器を持った時の勢いはどこかへ行ってしまい、ただただ一貫君は小さくなっていた。
「よくも、また私の前に現れたな、下郎」
げろう。
そんな日本語をサーシャはよく知っているなと感心しながら、次郎も再び身構えた。
「ほう、一貫のくせに生意気な」
謝る気などサラサラないという態度の晶。
「いや、なんかすみません……つうかまって、晶さん……あれだから、これ仕事だから、タラップから飛び降りたりするとか、めっちゃ悪いことだから」
大川一貫と金沢陸戦隊の小隊。
彼らは海軍陸戦隊はここからこの輸送艦に乗って、サンクトペテルブルクに行く予定だった。
そのため、艦外警備――見学案内――を手伝わされていた。
「ほう、言いたいことはそれだけか」
冷たい声の晶。
「それだけか! コラー!」
虎の威を借る狐のように被せるサーシャ。
こういうところはうまい子である。
「いや、だって」
「だってじゃない」
ぴしゃり。
「じゃないんじゃー! コラー!」
サーシャはきっと日本のやくざ映画でも見たのかもしれない。
チンピラ度最高である。
そんな騒ぎにわいわいと寄ってくる大人達。
「どうしたのー、ほらー、そんなKUZUに近寄ったら、ほら、クズが感染るから、離れなさーい、KUZU菌匂うしー」
笑顔でひどいことを言うのは真田中尉。
彼女は一貫にひどいめにあいそうになった過去があるが、それもまた別のお話し。
とりあえず、KUZUと呼ばれる彼とちょっとしたいざこざがあった間柄であったからしょうがない。
「おう、また痛い目に合いたいのか」
楽しそうに拳を鳴らしながら寄って来たのは綾部軍曹。
冗談で言っているんだが、もちろん当事者はそう思えるはずがない。
大川一貫と言われた若い海軍少尉の顔がだんだんひきつっていく。
恐怖であった。
次郎はなんだか彼を可哀想だと思いながら、ラッキースケベの神様に感謝していた。
初めてラッキースケベの後に、あまり痛い仕打ちを受けずに済んだからだ。
――蹴りいっぱつとか……!
感嘆。
こんな幸福初めてだ。
目の前の避雷針――大川少尉――に感謝する。
――ありがとうございます。
そう思いながら蹴られた箇所を撫でる。そして、サーシャの水色パンツを思い出してた。
むっつりスケベである。
そんな次郎。
健康であった。
「広いなあ」
次郎は輸送艦の中を歩きながら声を漏らした。
「俺のでっかいなーと、変わんねえじゃねえか」
ぶーくれた大吉がほれみたことかという視線を次郎に送っている。
次郎は軽く無視。
広い廊下を抜け、次の階に登るためにハッチを何個かくぐった。
大きな輸送艦とはいえ、無駄なスペースを極限するため他の艦艇と同様、人が行き来する階段だけは狭い。
彼らはそんな梯子と変わらないようあ急な階段を上っていた。
「無視するなって」
大吉のぶーくれた口調。
「階段は危ないって……登るのに集中してんの……お前のツッコミ対応なんか」
と言いながらも、下の大吉に目を向けながら階段を登る次郎。
やっぱり、そんなことをしているから、頭に柔らかいものに当たってしまった。
ラッキースケベの神様がこの艦には舞い降りているのかもしれない。
彼はぶつかった瞬間、スッと漂った香水の匂いで教官とかとは違う大人の女性だと思った。
それに同級生だったら、間違いなく足蹴にされているから間違いない。
「す、すみまっせんっ」
とりあえず謝る次郎。
頭に女性のお尻をぶつけたのだから、普通は謝る。
「ごめんなさい、前がとまったから」
そう返してくる女性。
さすが大人の余裕。
何も気にしないような顔で彼女は階段を上がる。
そして、二人が上り終えたあと、お互いの目があった。
「あら、あなた達」
女性が着ている縦線のセーターで少し強調された胸の間にぶら下がるタグに『前田通』と書かれた文字が目に入る。
右腕には『PRESS』と書かれた腕章。
先日陸軍少年学校を取材していた前田通であった。
「こんにちは」
次郎はペコリと頭を下げる。
「こんにちは、取材ですか?」
「そんなものね」
彼女は顎に手を当て、そして笑顔のまま次郎に質問した。
「ねえ、これから戦争に行く艦に乗ってみて、どう思う?」
真顔でそんなことを聞く。
「いや、どうって……」
どう答えればいいかわからないほど唐突な問いだった。
「ここに乗せている弾薬で、ソヴィエトの人々を殺すかもしれない」
ジッと次郎を見つめる目。
「……」
次郎がどう反応していいかわからず固まっていると、近くに大きな影が現れた。
陸軍少佐の階級章。
「陸軍の学生に対する取材許可はないはずです」
わざとらしく咳ばらいをするのは中隊長の佐古だった。
「取材じゃありません、知り合いがいたから挨拶を」
「挨拶にしては、何か意図があるようで」
「なにもないですよ、ふと疑問に思ったことを聞いただけです、他意はありません」
「なるほど、ただあなた方は撮ったものや聞いたものを混ぜこぜにして、あなた方がいいように改ざんされますから」
「改ざんなんて人聞きが悪い、わたしたちは真実を伝えているだけです」
「あなた方だけが信じる真実でしたね」
軽く嫌味を言う佐古。
先日受けた取材の映像をうまく編集し、あの陸軍少年学校の過去を取り扱ったドキュメントに使ったことを根に持っているのだ。
もちろん、悪意を持ってあの取材をしていた前田通。彼がいう意味はわかっているがもちろんとぼける。
「わたしはジャーナリストの端くれとして、少年兵が戦場で戦うのを止めるためにたたかっているだけなんですが」
「だからと言って、真実を曲げるのはいかがだと思うんですが」
あのドキュメント。
もちろん、前田通は佐古があの生き残りとは知らない。
「アレは真実です、とても長い時間を使って調べあげた真実です」
「長い時間……あなた方が努力したから、それが真実とは、いやはや世の中の歴史家と言われる方々が聞いたらきっとびっくりするでしょう」
「……そんなに都合が悪い作品でしたか? あれは」
目を細めて佐古を睨む前田通。
「いや、ただ単に当事者として、カンに触っただけです」
佐古はそう言うと次郎と大吉にあっちへ行けという視線を送る。
「子供を巻き込まないでいただきたい」
彼はそう言うと、触れるか触れないかほどの距離で、スッと前田の横を通り過ぎた。
「そうは言ってもお宅の留学生ちゃんたちと、わたしも同じ案内を受けるので……」
彼女は彼とすれ違いながらそう言った。
そして数秒置いたのちにフッと笑う。
「ご同行させていただきます」
取材クルーをチラッと見る。
彼女は少しだけ鋭い目つきをしながら前に進んで行く。
クルーも続く。
「戦争なんかさせない……これ以上いかせない」
誰にも聞こえないような声で彼女は何度も呟いていた。
何度も。
自分に言い聞かせるように。
「「すげええええええ!」」
二人同時に口を大きく開けて叫んでいた。
「「でっけーー!」」
次郎と大吉。
結局、男の子である。
「「かっこいいいい!!」」
輸送艦熊野の甲板は、ヘリや搭載した輸送物品を乗せるため、広い平板になっている。
その荷揚げをするために、巨大なエレベーターがあるのだ。
「でーんでんでーんでっでっ」
この国で数年前に流行った怪獣映画の有名な劇中を口ずさむ大吉。
「……男子、はしゃぎすぎ」
恥ずかしいほどはしゃいでいる男子たち。
風子や緑といった女子達は一歩引いて彼らを見ている。
案内する少佐の階級を付けた海軍軍人はダンディーな雰囲気を出している男性だった。
名札には『山岡』と書いてある。
大人達は、別室でブリーフィングを受けていた。
内容が難しいため、目で見てわかる見学を学生達はしている。
ちなみにサーシャやボブ、それから幸子といった留学生の面々は別行動。
輸送艦といっても、艦内は保全上外国人には見せられない場所がいくつもある。
それに、艦ひとつがその国そのものと言ってもいいので、国の威信をかけて外国人を案内する必要がある。
このため留学生たちは特別コースで案内されていた。
「たっけええー」
「風つえええー」
「でっけええー」
「これいくらするんだろー」
思い思いのことを口にしながら甲板から港を見下ろす男子達。
「陸軍の戦車、自走砲、それからヘリなんかもこの甲板に搭載することができ、一個歩兵旅団は乗せられる設計になっている」
海軍少佐がそう説明をする。
一個歩兵旅団といっても、学生達は規模を想像できない。
それでも、よくはわからないが、なんかすごい量だと言うのだけは想像できた。
そんな彼らは甲板からお約束の狭い階段をスルスルと降りていき、そして格納庫に近づいていく。
駐機された海軍のグレーに塗られた哨戒ヘリが二機止められていた。
「この格納庫にも海軍、それから陸軍の大型ヘリを分解して格納できる」
説明しながら、ダンディーな山岡少佐はチラッと時計を見た。
「でっけー、駐屯地の整備工場並みにでっけー」
さっきからでっけーしか言わない大吉である。
人間、興奮すると、語彙力が落ちるという典型的な例だなっと風子は思った。
苦笑。
風子はそういう大吉が嫌いではない。
一方次郎はなんとも言えない不安に駆られていた。
――ラッキーなままのスケベが多すぎる。
いや、自分で言ってて馬鹿じゃないかと思うが、そわそわするのだ。
そういう体質なのだ。
今まで、うまくいったことがあまりない。
特にこの学校に来て女難はひどかったと思う。
実家では姉さえ気を付ければよかったというのに……。
そんなことで悶々している次郎がスピーカーから流れるキュッという音に反応した。
海軍独特の放送。
チャイムのようなものかなっと次郎は思っている。
『……緊急』
きんきゅう?
学生達はその声の意味がよくわからなかった。
『……緊急』
山岡少佐がキョロキョロと周りを見た。
『……総員退艦、総員退艦』
ザワザワと騒ぐヘリの整備員たち。
『……緊急……総員退艦せよ』
「砲雷長……」
山岡少佐のことだろう、乗組員のひとりが駆けよってきた。
「艦長の声だ……何かあったんだろう……艦長の声に間違いないから君たちは早く退艦した方がいい、私はお客さんを安全な場所に」
そう言って彼はずいずいと格納庫に向け進む。
学生達は彼の案内のままに艦内を進んだ。
何が起こったかはわからない。
だから、鴨の子供のように、後をついていくしかない。
山岡少佐が行く先には、分厚い装甲版のような鉄板が張り巡らされた外壁の部屋があった。
「私は状況を見てくる、ここは弾薬と武器を置く場所だ……艦が沈まない限り、ここは安全だ」
それに……と彼は付け加えた。
重く小さな扉を開ける。
陸軍と同じタイプの自動小銃や、機関拳銃が並べられていた。
「もし、何かあったら君たちもそこの武器を使った方がいい、陸軍軍人の端くれだろう」
そう言って彼は次郎の頭の上に手を乗せる。
彼は弾薬と武器を取り出し、そしてその部屋を出て行った。
残された次郎達。
恐る恐る、自分の身は自分で守る。
その考えだけで、武器に手を伸ばしていた。




