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陸軍少年学校物語  作者: 崎ちよ
第10章  睦月「冬」
67/81

第67話「慣れていく世界」

 冬の軽歩兵補助服――軽歩――は寒い。

 というか、冷たく痛い。

 夏は汗だくになるぐらい熱を持つ機体だが、冬は逆だった。

 鉄の塊。

 電動モーターとディーゼルエンジンで動く機械。

 熱を発生する動力原だがあっという間に外気に吸い取られ、装甲の中まで熱は届かない。

 もちろん、ヒーターもある。

 だが電池負担を軽減するため、緊急時以外使用は不可であった。

 そもそも緊急時が何かもわからないので、寒いぐらいでは使わないという意味である。

 乗っている方は、包み込むような形で乗り込んでいるものだから、底冷えどころか、全身から熱を奪われる感覚である。

 そういう環境だからこそ、この時期に訓練をやる必要もあった。

 所々白い雪が残っている訓練場の森。

 学生達は『軽歩兵補助服による各種地形の通過要領』という課目の訓練をしていた。

『いーい! 林の中はしっかり上も見て歩く、あと地面には障害物があったり、それからトラップなんかも仕掛けやすいから、なるべく足を上げて、ほら一番! もっとゆっくり! 四番が付いて行ってない!』

 教官である真田中尉――鈴――が拡声器片手に叫んでいる。

 学生は四人一組。

 『一番』と言われたのは大吉の軽歩。

 先頭で前方と地面を警戒する役割。

 『四番』と言われたのが次郎、一番後ろで数歩ずつ後ろを振り返り後方を警戒する役割。

 それ以外に、上と左を警戒する役割である『二番』の緑、右を警戒する役割である『三番』の風子がいた。

 鈴が言う通り、大吉が後ろを気にせずサッサと歩いているため、後ろを振り返る必要がある次郎や、右を警戒する役割の風子が遅れている。

 三番である風子の場合、軽歩用小銃――一二.七ミリ対戦車狙撃銃のようなもの――を右手を軸にして持っているため、正面を向いて歩くと銃口はどうしても左を向くことになる。

 従って、半身でカニ歩きをしなければならない。

 だから、歩くだけでも、動きずらくなっていた。

 風子はセンスがいいが、それでも遅れそうになるような状況。

 それ以上に悲惨な状態なのは次郎。

 木の根っこや切り株に足をとられドタバタしていた。

 確かに、前よりはうまくなっているが、下手であることは変わりない。

『大吉ー、いいとこ見せなくていいから、ゆっくりいこーぜー』

 次郎はぜーはーぜーはー言いながら情けない声を上げているが、それでも必死に強がりを見せている。

『うるせー! てめーが風子さんとぴったり接触するからわざとやってるんだ』

 触れ合い。

 大吉が言っているのは、止まった時のことである。

 止まると全員が警戒方向を向くことになっていた。つまり、次郎の四番は止その時後ろを向いている。

 後ろを向いているため、前の様子がわからない。

 このため、三番と四番は機体をお互いに触れさせ、動くときはタッチで合図を送り、置いてけぼりになるのを防ぐ工夫をしていた。

『……聞こえてる』

 少し怒った声の風子。

 からかわれていると思っていた。

『風子ちゃん……男子達がうざいけど、あれ、遠回しにアピールだよ』

 そんなことを言う緑。

『うざいとかひどいっ! お約束でしょ、好きな女の子に対する礼儀とか』

 泣きそうな声の大吉、よっぽどショックだったらしい。

『あのな、俺は中村とはそーゆー関係にならないから安心しろって』

 と次郎。

『ばっか、近寄る男は全部敵』

 大吉のアピール。

 夏の告白以降、もうこの手の絡みはネタとしか思えないほど繰り返されてきた。

 からかわれてるとしても、猛烈なアピールをされているとしても、恥ずかしいことには変わりない。

 ギャーギャー喚く男たちの声を聞いて、わなわなと風子は震える拳を握った。

 からかわれているとして『うるさい』と叫んだら、ますます美味しいことになるだろう。

 大吉のアピールだとして『うるさい』と叫んだら、彼は傷つくだろう。

 まずい。

 ならば冗談を返すように『おだまり!』あたりで手を打っておくかと風子は思った。

 ――面倒くさい。

 女と男、好き、嫌い。

 男子に色目を使えば、コソコソと別の女子――緑は涎を垂らして喜ぶが――から言われる。

 もちろん、言い寄る男子を無下に扱えば高飛車だと同じような扱いを受ける。

 ――きっと、そういうのもわからないんだろうな、大吉君は。

 イラッとするが、それよりもうらやましく感じるのだ。

 そういうものを理解できない世界にいる男子のことを。

 ――面倒くさい。

 ついため息をついた。

 その時だった。

『やかましい! 男女交際した奴は、一生外出禁止の刑だっ!』

 拡声器から聞こえる声。

 中隊長である佐古少佐が車の窓から顔を出して拡声器片手に叫んでいた。

『恋愛する場所じゃない! 軍隊の訓練をしてる! 私語を慎め! いちゃつくな! 真面目にやれ! そんなことじゃ、戦場でクソの役にも立たねえぞ!』

 慌てて動き出す次郎達を見て、ニッと笑う佐古。

「やだね、これだから軍人さんは」

 後部座席に乗ってるスーツ姿の小山がそう言って笑った。そして、ニヤついた顔のまま言葉を続ける。

「佐古、冗談にしては面白くない」

 真面目な顔のまま、佐古は振り向いた。

「馬鹿野郎、冗談じゃない、熱烈な指導だ」

「心にもないことを言うんだから、冗談以外ないだろう」

 佐古の口の端が、ぴくっと動く。

「仕事だ」

「その気もねえのに……発破かけるなら、まともな言葉を使え」

「しかたがないだろう……だいたい軍人ってのはボキャブラリーがない、決まり文句ってのがわかりやすくて一番いいんだ」

 戦場じゃ使い物にならねえぞ。

 佐古はそう言うとチラッと車の外を見る。

 そして、目を大きく見開いた。

 派手な騒音を立てて、軽歩達が次々とひっくり返っている。

 原因は次郎だった。

 足を木の根っこにひっかけ、最後尾の彼を起点に将棋倒し。そして、四人とも地面に転がってしまった。

 佐古はまた車の窓から体を乗り出す。

『馬鹿野郎! お前ら全員腕立て百回!』

 拡声器が割れるんじゃないかと思うほどの大声。

『あと、整備工場長に謝っとけ』

 壊れてないことを祈ろう。佐古はそう願った。

 ――缶コーヒーでも持って頭を下げに行くか。

 嫌味のひとつやふたつは言われるが、学生にその代償を支払わせるわけにはいかない。

 佐古はため息をつき、そして、顔を上げた。

『恋愛している暇あったら、軽歩の操縦でもしておけ! お前ら全員補習決定!』

 そう、心にもないことを怒鳴っていた。


「ハフゥー、コレガ女子ノカオリ」

 この部屋のストーブは煙突がついたタイプなので換気はあまり必要ではない。    

 そのため、締め切った教場内には様々な匂いが混じっている。

 もちろん女子特有の匂いも。

 ボブ・アームストロングはその長い足を組んで机に腰掛け、感慨深そうに声を出していた。

 深呼吸二回。

「甘ク、ソシテ、セツナイ」

「……意味わかんねえ」

 次郎がジト目でボブを見ている。

 ちなみに、ボブが座っているのは次郎の机。

「どけよ、このバカボブ」

「ワカルマイテ、我々男クラガ求メ続ケテイタモノヲ享受シテイテ、ソノ価値ガワカラヌ愚カ者ニハ」

「もう、いいから、ね、どいて……休み時間毎に同じことばかり言わなくていいからさ」

「……コノ喜ビヲ告ゲタクテショウガナイノダヨ、ボウイ」

「うるせえ」

 くんかくんか。

 男クラは、所属している三中隊の現役組である中隊長以下が出払っているため、ここの一中と隣の二中に学生が分けられていた。

 おかげで、教場は四〇人のところが六〇人になってぎゅうぎゅうになっている。

 そんな最悪の学習環境、それでも一部の学生は喜んでい事態であった。

 このボブのように。

 彼は両手に花の状態だった。

 机が入らないので、二つの机を三人で座るという状況。

 うまく行けばボブのように女子二人に挟まれる場合もある。

 もちろん、次郎のように増えた男クラの学生に挟まれている男もいるのだが。

 そんな訳で、この机に座っていた。

 自慢したいだけのボブ。

 あの秋の体育祭の仕返しなのかもしれない。

「ボブ……もう、俺、あの教室に帰れない」

 そんなことを言う次郎の右手に座っている男クラ男子。

「何ヲ言ッテイル」

 そんな男子が隣の席で甘んじているのに。

 という意味で。

「教室に漂う、この空気、この感覚」

 左手の男クラ男子がクワッと目を開く。

「この机の隣を通る女子のスカート……もう一〇センチ風になびけば布が、布が」

「ムフウ、十数ヤード離レテイタアノ隠サレタ布、今ハ一フィートニアル……アノ繊維ノ隙間カラ見エルカモ知レヌ……」

 深いため息をつくボブ。

 そんなことで感慨深くなるなよ……と次郎はツッコみたくなるが、我慢する。

 なんとなくそれをしたら負けたような気分になると思ったからだ。

「夏……夏に戻りたまえ」

 涙目なのは右手の男クラ学生。

 呆れた次郎は椅子に大きくもたれかかった。

 きっと、シャツの下着が透けて見えるのが数メートルとかそういうことを言うんだろう。

 飢えすぎている。

「もっと、もっと匂いを感じれたのに」

 クンカクンカ。

 鼻を大きく開ける学生。

 ズルッと、次郎は椅子から頭一個分滑り落ちた。

 斜め上を行く、マニアックな回答。

 ――俺ら男子の匂いと混じってエライ事になるけど。

 とは言ってやらない。

「これが続けばいいのになあ」

 左の男クラ学生がつぶやく。

「ハハ、ソヴィエトニモ、コミンテルンニモ感謝シナイト」

 ボブが冗談で笑う。

 右の男クラ男子も笑っている。

 次郎も、つられて笑った。そして、笑いながら、シーンとした自分の心が見える。

 ――不謹慎。

 いいや違う。

 ――感じられない。

 そう。

 九月に見送った野中大尉時に感じた違和感。

 真剣に祖国を思って、動いてしまったサーシャ。

 トラックに乗って出動した兵士達。

 それを説明する鈴の軽さ。

 三和の警告。

 テレビで見た少年学校の二十年前の姿。

 ――ドラマみたいだ。

 ふと、自分の体から心が離れたような感覚。

 声が聞こえなくなり、ツーンとした感覚が鼻、目、そして脳に刺さる。

 学生たちの好き勝手な言葉。

 実感のない空気。

 そして何より。

 今、ここで、こうして笑っている自分。

「こんな狭苦しいのは、勘弁」

 次郎はそう言った。

 いつになったら、こんなことは終わって、元に戻るのだろうか。

「早く、終わって欲しいなあ」

 自然とそう口に出ていた。

 ボブは、笑った顔を元に戻し、そして頷く。

「Hope so. 」

 と、だけ言った。  



 ■□■□■


「寒っみい」

 円筒型のストーブに外套を羽織った大人二人。

 中佐と少佐の階級章が付いている。

「早く春になって欲しいが」

 大隊長の横尾中佐がそう言って白い息を吐く。

「雪が溶けたら奴らも来る」

 皮肉いっぱいに笑いながらそう言ったのは野中少佐だ。

「そりゃ困った」

「どっちも面倒な相手だが」

「ったく、最近お堅かった大隊長が柔らかくなりすぎて困る」

「そうなれって言ったのは野中だろう」

「そういう意味じゃなかったんだが」

 同期の二人。

 上司と部下。

「危機が迫れば迫るほど、冗談を言いたくなるとは思わなかった」

「そんなものか」

「もともとふざけている野中とは違うんだよ」

「……真面目、大真面目な中隊長なんだが」

「伝染した」

「俺のせいか」

「そうだ」

 横尾は思う。

 覚悟というか、肝が据わったというか。

 慣れたというか。

 自分でもわからない感覚だった。

 危機を前に浮足立つ部隊を規律でがんじがらめにしてしまおうと考えたこともある。

 自分で恐れるぐらいに、当初はガチガチな指揮官だったと彼は自分自身を評価していた。

 だが、だんだんと緩くなっている。

 絞める必要がなかったからだ。

「中隊長が、細かいことまでやってくれるから、こっちはおおらかになってしまった」

 野中が首をふる。

「若いのが、小隊長や下士官あたりがしっかりやってる、厳しいぐらいだから、俺たちがガス抜きしてやらないといけない」

 それは結構なことだと二人は思う。

 士気は高い。

 過酷な環境で、訓練と準備に明け暮れる日々だというのに。

「……フランス軍が撤退するらしい」

 横尾がそう呟くように言った。

 旅団長から直接聞いたことだから、情報の精度は高いと思っている。

「あのテロが……響いたのか」

 野中がそう言うと彼は首を横に振った。

 フランスで起きた、民間人数百人を巻き込んだ同時爆破テロ。

 国内のコミンテルンが犯行声明を出していた。

「あのテロを利用して、手を引く理由ができた」

「横尾……あの国がテロに屈したと見られたらまずいだろう」

「屈してはいない、テロに対する警備強化、治安の回復のための軍隊動員……外国に軍隊をだす暇はないって理由で円満離脱」

 元々フランスは西側諸国の行動に対して独自路線を貫こうとしている国だ。

「それでもソヴィエトは得するんだろう」

 野中は首をすくめた。

「そりゃ、うまくいったと喜ぶよ、このチキンレースの狙いはこちら側の分断……元々損得勘定でお手々を繋いでいる国々だからな、反コミ連合は」

 横尾は目を細め、手元のいつもの煮えたぎって、そして冷えてしまったコーヒーを口にした後言葉を続けた。

「だがね、野中……お前はどう思う? 帝国は、手を引きたいんじゃないか……もう、戦争なんてやっても、銭にならねえって二十年前によくわかってるはずだから」

「そりゃ、ドンパチになるぐらいなら手を引きたいだろう……俺もできればやりたくない」

「金ばかりかかる」

 ため息をつく横尾。

「あの内戦とは違って、命も高くなっちまったからな」

「……ま、安くなるよりは、百万倍ましだけどな」

 野中が知っている戦場で、それは弾丸よりも安い値段がついていた。

 横尾は渋い顔をする。

「帝国が手を引くとしたら」

「……なんでもいいだろう、国民の生命財産を守るということになれば、今の帝国はすぐに手を引く」

「そんなものか」

「そんなものかもしれない」

 そんな野中の答えに、訝し気な目を向けたまま横尾はコーヒーを飲みほした。

「コミンテルンは、我々を分断するためにこのチキンレースをやっている」

「そうだ」

 野中の問いに対して横尾はうなずく。

「ドンパチは避けたい」

「たぶん」

「なら、俺たちはなんでこんなところにいるんだろうな」

「……チキンレースって奴は、なかなか引き返せないからな」

「……なるほど」

 素直にうなずく野中。

「しっかし、コミンテルンは俺たちを分断させてなんの得になるのか」

「そりゃ、目の前のタンコブがいなくなれば」

 横尾は何を当たり前の言っているんだという表情である。

「あいつらの敵である俺らが弱体化したら、あいつらの結束も弱体化するだろう」

 ジッと野中の顔を横尾が見る。

「……なんだよ」

「いや、そうだな、と思って……なるほど、人ってのはどうして、人に起こることが自分に起こらないと思うんだろうな」

「……いきなり、哲学的な話だな」

「哲学なんかじゃない、お前、難しいこと言ったら全部『哲学的』って言えばいいと思っているだろう」

「あのな横尾、お前さんと違って俺はキャリアでもなんでもない脳ミソなんだよ、それでも大隊長殿の高尚な話についていくのがやっとなんだから」

 からかわれて恥ずかしかったのかもしれない。

 野中が早口で文句を言った。

「いや、いい、ますます準備しておかないといけない気がしてきた」

「は? ドンパチはやらないって話じゃ」

「お前が起こると言っただろう」

「何が……」

 横尾はそう言うと笑って「チキンレースと結束」と言う。

 野中は自分の上司がなんでそんなキーワードを言ったのか理解もできず首をひねることしかできなかった。

 チキンレースを途中でやめられる奴はいない。

 今振り上げた拳を降ろすには、それ相応の理由が必要だ。

 そして、人は自分の評価ほど難しいものはない。

 正しい判断なんかできていれば、紛争など起きないだろう。

 そう、彼らは思っている。

 二〇一二年一月。

 ロシア帝国にソヴィエトが侵攻するまで、五ヵ月を切っていた。





ここまでお読みいただきありがとうございます。


残すところ二月と三月の二カ月になりました。

薄暗いところもありますが、学園ラブコメは続きます。

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