第66話「大人達の旅」
飛騨の冬は白い。
灰色の空がますますコントラストをなくす。
でも、この日の山間部は珍しく晴れて、白以外にも色があった。
キラキラとした風景が広がっていた。
そんな飛騨の凍結した道路を歩く三人。
「小山君、情けない」
橘桃子は小山にそんなことをいった。
いつもの切れ味のいい筋肉をむき出しにした服装ではなく、モコモコした着ぐるみのような格好をしている小山。
桃子はそんな彼に冷たい視線を送っていた。
小山はそんな彼女の視線を気にすることもない。
分厚い手袋を着つけているにも関わらず、両腕を交差し脇の下に手を挟んだ格好で盛大に『寒くて凍えそうだ』とアピールをしていた。
それくらい寒いらしい。
ぷっくりしたダウンジャケットの首元に口元を突っ込んで、暖かい息を逃さないようにしている。
少しでも体温を減らしたくないようだ。
「寒いものは寒い」
首元から白くなった息が漏れる。
桃子は薄手の皮の手袋とコートを着てはいるが、前の方は開放している。
あまり寒くないようだ。
「普段、学生に我慢しろ我慢しろって言ってるのに?」
ブルブルッと体を震わせると同時に、小山は首を振った。
「馬鹿は相手にしない方がいい」
軍服の上に黒い外套を羽織った佐古。
腰には短い軍刀を下げている。
桃子はそんな佐古を改めて見てため息をついた。
「プライベートなのに」
彼女がそう言って吐いた息も白い。
佐古の運転するオフロード用の軽自動車に乗った三人。
急に佐古が誘った旅。
金沢から富山を抜け、神岡を通り、そして飛騨に来ていた。
ちょうど、二十年前に、彼らが通った道。
彼だけが行った道。
「今日は、挨拶だから」
佐古はそう言うと、真新しい病院と、その奥にある山々を見上げた。
こんな格好じゃないと、耐え切れない。
そんな思いがあるのかもしれない。
三人は既に、ひとつの挨拶を終えていた。
神岡での挨拶。
二十年前、自分達の中隊長が死んだあの場所。
神岡の東にある鉱山の一角。
石碑も何もない場所にぽつんと置かれた目印。
入口に鍵のかかった金網の扉が設置され、中に入ることはできない坑道。
手のひらサイズの丸い石がその脇に置かれ、古ぼけた花立が転がっていた。
日之出大尉。
あの時、あの場所に居たという。最後を看取った中隊先任上級曹長の中川曹長から聞いていた。
中隊長の最後の言葉。
出血多量で、じわじわと死んでいく中、最後まで斬り込みをしようとしていたという。
結局最後は諦めて、当時松本市の方から逃げ伸びてきた若い少尉だった、今の大隊長に自決を手伝ってもらったらしい。
あの戦いが始まって数日後の出来事。
松本正面から攻勢に出た敵を奥飛騨で阻止しようとして、金沢から富山、そして奥飛騨に向かう途中だった。
現役組の後方支援をするため、彼ら学生は神岡に集結していた。
させられていた。
だが、状況は一変。
後方地域が前方地域に変わった時。
数ヵ月は持久できると思っていた新潟と富山の境が一瞬にして突破され、富山方面から挟み撃ちにされるような形になってしまった。
逃げ道は飛騨方向。
彼らの盾になって、飛騨に逃がした中隊長。
――日之出大尉は少年たちを戦場に駆り出しました。
――しかし、逃げだした少年兵たちを放ったまま、別行動を取り、そして自害しました。
『少年兵たちの悲劇』なんて題名のドキュメンタリー番組。
葬式の司会のようなしゃべり方をする女性アナウンサーの声。
――少年たちの長く、辛い戦いが始まったのです。
そんなことを言っていた。
「あの時」
桃子はそう言って黙る。
彼女もまた、少年学校の学生だった。
奇襲を受けたあの日。
東の共和国が一気に国境線を抜けてきた時。
彼女は連れて行ってくれと涙ながらに訴えたが、女子は全員福井に下げられていた。
「わたしも、ここに居たかった」
少し目を伏せ、日光に照らされ、雪面が乱反射をおこす山を見上げた。
「俺は勘弁だな……寒くて死ぬ」
小山が笑う。
「……根性なし」
「桃子さんみたいに脂肪があれば、生き残れるかもしれんが、俺みたいに余計なものが……ぐほ」
桃子の肘が小山のみぞおちを直撃する。
「筋肉キモイ」
ゾッとするような冷たい声だ。
「夏専用だ」
小山はそう答えた。
「筋肉は冬を想定していない、脂肪は最高の暖房だが、俺の趣味ではない」
めちゃくちゃなことを言っている。
桃子は侮辱と受け取り、軽く小山の尻にまわし蹴りを入れた。
痛いと跳ねる小山。
そんな彼も飛騨に、来ることはなかった。
三人は同級生。
あの時、桃子は二人と金沢で別れた。そして、小山は神岡で佐古と別れていた。
「よかったな、あの時お前がああならなければ、筋肉はこの山で埋まってるよ」
ははっと佐古が笑った。
小山も笑いながら脇腹をさする。
もう、そんなに目立たなくなった傷口が疼いていた。
彼は神岡まで来たが、初戦の敵の砲迫射撃の影響で怪我をして、いち早く後送されていた。
まだ、神岡、富山そして金沢への後方連絡線が生きていた時に。
「お前、あんなところに居たのか」
白い山を見上げる小山。
佐古は頷いた。
「横穴掘って、なんとか、な」
そう言って歩き出す。
「もう、こんなに新しくなったけど、あそこにあった病院で、宮島中尉が死んだ。 病院に敵を引き付けている間に、俺たちは山に逃げることができたんだ」
目を細めて佐古はそう言った。
「宮島中尉って、すっごくお茶目で面白かったから、女子の人気高かったんだよね」
桃子がボソり、そう言った。
「ほら、あの頃ってそういうもんじゃない、教官とかカッコいいとこしか見えなかったし」
彼女はどことなく、少女のような声と語り口調になっていた。
「ああ、そう言えばエロ話もできる、いい兄貴というか、そういう感じだったな」
小山は相変わらず首をすくめて体温を逃がさないようにしながらしゃべっている。
「俺はね、山からじっと見てたんだ」
佐古が新しいとは言っても、すでに十数年経っている病院。
壁にできている数か所の日々を下からなぞるようにして見ていた。
「突入した共和国軍の兵士が次々と、玄関から運ばれていた……もちろん担架に乗せられていて」
病室の窓。
二重窓がぴしゃり閉められている窓は、反射した光で青空を映している。
「窓から放り投げられたものが何回かあった……きっとあのうちのひとつが宮島中尉だったんだろうって、思った」
「佐古くん……」
桃子がスッと伸ばした手が佐古の右肩に置かれている。
「……無理、しないで」
彼女は心配そうな顔を佐古に向けてそう言った。
小刻みに震える佐古。
寒さのせいではない。
「いや、いいんだ」
佐古の代わりに、小山がそう言った。
彼は桃子の手に触れ、佐古の肩からそれを外した。
「それから、二十年前の今日まで、あの山に籠っていた」
「……何人、いたの?」
同級生の三人。
あれから、あの時のことを話す機会はあった。
もちろん、話したこともある。
だが、佐古は飛騨での出来事だけは一切触れることはなかった。
ここのことだけは、触れてはいけないことだと思っていたから、誰も話題を避けていた。
そして、今日。
ここにやってきた。
だから、桃子は聞いた。
佐古が小山に誘われたから飛騨に行こうと誘った時はびっくりした。
彼女もあのドキュメンタリー番組を見ていたので、なんとなく理由はわかっていたが。
「最初は二十三人生き残っていた」
神岡から、宮島中尉に率いられ逃げていった学生達。
道路という道路は敵に抑えられていた。
もちろん、山の獣道さえも敵がいる可能性がある。そのため、ひたすら獣道さえも通らず、藪を抜けて飛騨市に向かっていった。
途中、敵の射撃を受け倒れた多くの学生達。
倒れた仲のいい同期を捨てきれず、残るといった学生。
結局生き残ったのは、生きて飛騨市に入ったのは宮島中尉と佐古、そして他の八人。
「飛騨市に行ってから、他のみんなは終わるまでに死んでいった……福山、佐伯、安井、牛木、小田、古庄、増田、森本」
佐古が吐く息が白い。
――少年兵を使い、食料の調達、穴を掘らせ、そして多くの共和国軍兵士を殺傷させました。
飛騨市の病院を前にしてそう説明するテレビの中のレポーター。
「宮島中尉は……兄貴みたいに俺たちを、山の中でも生活できるように、穴を掘って、自分は下に降りて敵から食料を奪ったりして……」
「なあ、佐古……みんなどうだったんだ」
佐古が小山の声を聞いて振り向いた。
目に涙は流れていない。
「牛木はいいやつだった」
頷く小山。
「安井もいいやつだった、福山、小田、古庄もいいやつだった、佐伯も、増田も、森本もいいやつだった」
「……」
鋭い風が吹く。
小山は首を益々竦め、そして桃子はコートのボタンを慌てて閉めた。
「いいやつだった、みんないいやつだった……いいやつで……」
「佐古……くん……」
ぼたぼたと涙を流す佐古。
小山はジッとそんな佐古を見たまま奥歯を噛みしめる。
「なあ、どうしてなんだろう……なんで忘れてしまうんだろう……ほんと、思い出すときはしっかり覚えているのに、唐突に思い出して、今そこで起こっているように感じるぐらいに思い出すのに、今はもやもやっとして、いいやつだった……しか思い出せないんだ、なあ、秋口に食料取りにいって撃ち殺されたのは増田と……いや、古庄だったかな……なあ、おかしいと思わないか? どうして俺はこんなに……」
「佐古くん」
桃子はそう言って佐古の右腕を、小山は無言のまま左腕を優しく抱きしめる様にして二人で寄り添う。
桃子も、小山もそうすることしかできなかった。
噛みしめる様な嗚咽。
ギリギリと苦し気なその声も。
真っ白な地面に積もった雪に、響くことなくあっけなく吸い込まれていった。
「……忘れて、いいじゃない」
しばらくして声を振り絞るようにして出したのは桃子だった。
「忘れて何が悪い……」
小山も静かにそう言った。
同級生二人。
佐古は目を見開いたまま、病院を、そしてその奥にある山に視線を送ったままだ。
「くやしい」
震える佐古の唇から漏れる声。
「……」
「……」
「俺たちを守ってくれた中隊長や、宮島中尉があんな風に言われたことがくやしい」
「……」
「……」
「俺は自分の意志で戦った、なのに、なんであんなことを」
涙がふたたび流れ落ちる。
その時、佐古の左腕が今以上にギュッと締め付けられた。
「私たちがこうして、知っていればいいよ」
右腕が熱を帯びる。
「俺も知っている」
小山が頷きながら言た。
「中隊長が俺たちを生かしてくれた」
そんな風に、力強い言葉を付け加える。
「……ねえ、佐古君はさ、もし同じようなことが起こって、中隊長みたいに……できると思う?」
できる。
中隊長みたいに。
命令通りに学生を率いて、戦うことが。
「……わからない」
命令を破って、学生を守ろうと命を捨てることが。
「……わからないけど」
二十年を過ぎて、同じ立場で同じ場所に立つ。
あの頃の軍服とは違うが、中隊長が付けていた階級章を数年前に外し、今では一つ上の階級で中隊長をやっている。
「俺が……」
少し、佐古の声が詰まった。
言いたい言葉を出そうとしたまま、でなかった。
その時、小山がここぞとばかりに口を開く。
「俺がこの筋肉にかけて子供たちは守る!」
ドーン。
一歩大きく踏み込み、右手を前に押し出すようなポーズをとって啖呵を切る小山。
「筋肉は裏切らないっ!」
「……」
「裏切らない」
「……」
「うらぎ……」
「……」
ジト目の桃子。
その視線に耐えれずそわそわしだす小山。
佐古は左腕の体温を惜しみながら、そっとそれを外した。
そして、笑う。
彼が笑うと桃子も笑った。
小山も笑っている。
「もう、共和国と戦争はないよ、それにもう、あの子達を戦場に出すことはない……大隊も学校も編制を変えるまで追いついてないけど、国際法やら条約やら……二十年前とは世界が変わっているから」
「もう戦えって命令は出ない?」
「出したら、犯罪国家とまでは言わないが、非難を受けて、戦わずして負けるよ」
「……そんなものかしら」
「信用で商売をやっている国だ、戦争になっても、それだけは失ったら困るだろう」
「ふーん」
桃子は質問の答えをはぐらかされてように感じた。
そんなことで、三人の旅は続く。
それから、また車に乗って移動。
市内を歩いた。
もう二十年。
戦場の後は文化財に多く傷跡が残っているが、新しい町並みにはまったくというほど残っていなかった。
そんな道の途中で佐古が唐突に手を合わせるような仕草をする。
「どうしたの?」
佐古は顔を上げてフッと笑顔を作った。
「この辺りで、共和国のやつを撃った」
「……そう」
フラッシュバックというのだろうか。
佐古の脳内から掘り出される記憶。
小銃の射撃。
飛び道具でも、確かな感触があった。
「たまに、はっとした時に思い出す」
ぼそり佐古はそう言った。
もしかしたら、と小山は思う。
――あの、ドキュメンタリー番組を見て、佐古の様子がおかしいと思ったが……。
佐古を飛騨にいこうと誘ってよかったと思う。
最近体調を悪くしていたことを心配していたから。
きっと、ここでの記憶が何度も蘇っていたに違いない。
小山自身、爆発音とともにあの天井が割れて、空気を切り裂く音を聞いた時の恐怖を思い出していた。
一瞬だった。
爆発音が先か激痛が先かは覚えていない。
気付いたら、激痛で声にならない叫び声をあげていたような気がした。
今でも疼く二十年前の傷。
指先ぐらいの鉄の塊が脇腹に刺さっていた。
榴弾の破片。
もう一人けがをした同期は、手のひらサイズの鉄の塊が床に転げ落ちていた。破片の熱によって付着した血が一瞬で蒸発したんだろう、表面がどす黒くなった破片だった。
彼の腕がちぎれてパニックを起こしている学生たち。
必死に止血をしようとして、汗を流しながら彼の二の腕を布で縛る宮島中尉の姿。
同期の血をうけて、ところどころ赤黒い染みがついていた。
「……ああ、ああいう人だった」
ボソリ、小山が言った。
「……どうしたの?」
小山の異変に気付いた桃子が気遣いの言葉をかける。
「小山君まで泣いちゃって」
「泣いてなんかねえ、寒くて涙が出てんだチクショウ」
「変なの」
「そーゆー桃子さんだって、ほら化粧やばいから」
「蹴るわよ」
今にも涙が溢れそうな瞳の桃子。
「……まったく二人とも、何やってんだか」
「バーカ、佐古、お前がそんなに泣き虫だったなんて思わなかったぞ、鼻水まで垂らしやがって」
ズズズ。
佐古は子供のように鼻をすすった。
「泣いて何が悪い、てめえなんでここで泣くんだよ、中隊長の前でも泣かなかったくせに」
「ばっきゃろ、ちがう、筋肉が寒くて泣いてんだよ」
「意味わかんない……」
涙声の桃子。
「泣かしやがった」
涙声の佐古が、小山を睨みつける。
「俺じゃねえよ、チクショウ」
「うるせ、アホ筋肉」
「なんだ、桃子さん、まで……」
「泣いてなんか……っ」
「……っ……っ」
「くそっ……小山につられただけだから」
「馬鹿」
桃子がそう言うと、男二人を正面から抱き寄せた。
右腕で小山の首、左腕で佐古の首。
背伸びをするようにして抱え込んだ。
「……何、この香水、新しい男? こういう趣味……なんだ」
しゃっくりを上げながら必死に声を出す佐古。
「素直になれよ、おまえ、元彼だろ……っ……いい匂いだって言えよ、チクショウ」
言葉に詰まりながら話す小山。
「馬鹿、二人とも馬鹿、大人が泣いちゃだめだって、誰が言った……ていうか、もう今はあのころに戻ったんだよね、ねえ、もう、あの頃の三人に戻ったんだから……」
ギュッと胸に二人の顔を押し当てた。
「泣いてよ」
小山も。
佐古も。
桃子も。
雪がゆっくりと漂う中。
町中で、人目に構わず声を上げて泣いた。
あの学校の制服を着ていた時のような気持ちで。
あの学校の制服を着ていた時にできなかったことを。
やっと。
やっと……。




