第64話「さきっちょには気を付けろ」
「暑い! 暑い! 死ぬう!」
非常識な叫び声を上げる大吉。
北陸の真冬。
「水うう、水うう」
しかも今年、金沢の人々が口々に、多くて大変だと言う。そんな寒波と雪の当たり年。
「もう、無理、脱ぐ」
大吉同様に汗だくの次郎もそう言って、足を止める。
鼻水と汗が混じって、唇から流れ込む液体がしょっぱい。
彼らが着込んでいたウインドブレーカー。
教官達に暑くなるから脱いどけと言われたが、あまりの寒さにガンとして聞き入れなかった二人。
今になっては言う事を聞いて置けばよかったと後悔しているが、もう時間は戻らない。
二人とも、こんな真冬のしかも雪の上で熱中症の一歩手前である。
とうとう二人そろって、その下に来ているジャージまで脱ぎ捨てた。
雪の積もったグランド。
二本の細い轍。
グランドの形にそって、数個円が描かれている。
走るスキーのコースである。
学生達が教官達に煽られながら、滑って走って運動を続けている。
そんなことをしていた二人。
暑さの限界にきて、止まっていた。
発狂したようにウェアーを脱ぎ捨ててタンクトップ一枚の次郎。
大吉も白シャツ一枚である。
気温はマイナス二度。
今年はとても冷え込む日々が続き、今日も例外ない気温である。
「気持ちえええ」
異口同音に唸る二人。
そんな二人に対してひとりの教官が反応した。
「サボってないで、走りなさいっ」
白くて長いストックをぶんぶん振り回して真田鈴が叫んでいる。
スキーが得意な彼女は今日のスキー訓練の担当教官である。
ちなみに今日はあれなので、機嫌が悪い。
「やべ、鈴ちゃん怒ってる」
大吉が慌てて轍――走るスキー周回コース――に戻る。いや、戻ろうとしたが、とっさに下がった。
「邪魔ああああ!」
猛スピードで走り去るジャージ姿の女子が来たからだ。
大吉の近く、その金髪をなびかせながらあっという間に通過していく。
「どいてえ!」
猛スピードの女子がもう一人。
サーシャを追うようにして、滑っていく。
「……なんだ、あれ、楽そうだな」
大吉や次郎の場合は、滑るというよりも、バタバタ走っている状態である。
普通に走るよりもきつい。
重いスキー板や、ストックで推進するため、無駄な力を使い過ぎて嫌でも体が発熱する。
止まると冷えてくるが、Tシャツ一枚でも十分なぐらいなのだ。
それに比べて、サーシャや風子は普通に走るよりも、楽に前へ前へと進んでいるように見えた。
あれだけランニングが嫌いな風子にしても、彼らの三倍以上のスピードとスタミナで過ぎ去っていくのだ。
彼女の場合、うまく体重移動をさせて走るというよりも、無駄なく足を運び、滑っているような感覚である。
そんな風子も、あれだけ必死に走っているのは、サーシャと勝手に負けず嫌い選手権を始めたからだ。
スイースイーと風子が滑っていると、横をサーシャがスウッと抜いて行く。
このように、スキーが得意な学生達はこぞって勝手なレースを始めていた。
「いくぞー、鈴ちゃんに怒られる」
今日はなんだかコワイということはわかっていた。
理由は子供なのでよく知らないが。
ぐいぐいっとストックで地面を押して次郎は進みだした。
もちろん、動かしたスキー板は滑ることなく、かんじきと同じように歩いている感覚である。
「ふおおっ」
叫び声をあげる次郎。
重心を背中に乗せてしまったからだろうか。
板は前に進まず、踏み込んで前に押そうとした左足の板がうまく乗らず、逆に後ろにずれてしまった。
前にも進めず、ストックで辛うじて倒れないように踏ん張る。
「やばい、やばい」
スキーを履いてからというもの、ずっとこの単語しか言っていない次郎。
「九州人にスキーとか拷問すぎるし、うぬぬ」
踏ん張ろうとすればするほど、どんどん右足と左足が前後にずれていく。
「くおおおおお」
運命に抗おうと必死な形相で踏ん張る次郎。
「ごめん、俺先行くわ、がんばってな」
大吉が次郎を追いて進もうとする。
「まって、大吉、俺を助けるところだろう、ここは」
はあはあ言いながら次郎が上目使いで大吉を見上げる。
股を思いっきり開いた状態になっている次郎の顔は、大吉の腰のあたりまで落ちていた。
「だって、あれだろ、オチ的にはふたりでからんで、ゴッツんこだろ、そりゃー風子さんとならやるけど、お前なんかと、なんで三島を喜ばせないといけないんだ」
遠くで三島緑ではなく、カウンセラーの梅子先生がくしゃみをしたが、彼らがそれを知る由もない。
「大丈夫、それはない……そうしないと、俺の股が、股が……さ、け……るうう」
「あきらめろ、次郎」
横に倒れろと言っている。
「嫌、だ」
ぐぬぬぬぬという声を出しながら、どんどん後ろにずれていく左足を前に持っていこうとする。
「大腿四頭筋んんん」
必死すぎる次郎。とうとう、自分の筋肉に話しかける始末である。
その時だ、グッと下がった左足が前に出たのは。
「お、おっ」
板が前に出るような感覚。
「まずは、板にちゃんと乗らないと」
風子の声だった。
一周まわってきた風子が、ストックで次郎の板を前に押し出したのだ。
「じゃ」
スーッと滑り出す風子。
「あと、大吉くん、ゴッツんこ、しないから」
ガクガクと震えた大吉。
「やばい、聞かれてた」
体の大きさとは反比例して声がでかい大吉。
デリカシーが足りていない。
「どうしよう、なあどうしよう、またフラれた、やばい」
やばいやばい連呼する男子にロクな奴はいない。
「新しい恋だよ、新しい恋、見つけろ」
肝心な時に友情を捨てた友にはそっけない次郎。
「そんなあ」
頭を抱える大吉。
――もうだめだもうだめだ。
とブツブツ言う大吉。
――絶望だ。絶望だ。絶望だ。
メンタル悪化中である。
「本当の絶望を知りたい?」
サク。
大吉のお尻に刺さる、ストックのサキッちょ。
「痛い! 体罰! 鈴ちゃ、いや真田中尉っ、ちょ、ま」
「早く走ってねー」
サク。
容赦なく次郎のお尻にもストック。
右のストックで大吉。
左のストックで次郎。
彼女はストックを使うことなく、スケーティングで軽々と進んだ。
笑顔。
だが、口の端がピクピク動いている。
どうも虫の居所が悪いようだ。
月に一度そういう日がある。もっと言えば三カ月に一度あるかないかの重い日なのだ。
無性にイライラするときもある。
そういうことで、今日の真田鈴は鬼教官であった。
言うこと聞かない男子生徒には実力行使である。
「ぎゃああ」
「うわあああ」
走る次郎と大吉。
サク。
サク。
後ろから付いて滑っている笑顔の鈴。そして、彼らが手を抜いてスピードを落とすと容赦なくストックで刺すのだ。
「スキーなんて大嫌いだあああ」
次郎と大吉は泣きながら叫んでいた。
しょうがない、当たりなのだから。
「もう、無理」
次郎はそう言って雪の上に大の字になった。
「気持ちいい」
同じように大の字になった大吉も唸っている。
一時の快楽に身をゆだねる二人。
もちろんあっという間に身体が冷え、しかも体温で溶けた雪がべちゃべちゃになってTシャツを濡らし、気持ち悪いわ寒いわという二重苦に悩まされることになるのだが、今の二人にとって、そんなことはどうでもよかった。
いつもとは立場が逆転している。
運動系ではいつも先頭を引っ張ていた二人。
技術がモノを言うスキーだ。
あまり体力のない風子などは、颯爽と、しかもスピードもそこそこで走っている。
暗い空。
分厚い雲。
こんな天気が続く北陸の生活はまだまだ慣れない。
「ばーか」
二人を見下ろす金髪。
声かける代わりにバカという。
「ばーかでーす」
大吉が棒読みで反応する。
ザザッ。
雪を掻く音。
風子が勢いよく走ってきたのだろうか、直前でブレーキをかけて止まった。
肩で息をしている彼女。
「やっぱり、すごいね、サーシャ」
ずっとサーシャに追いつこうと風子は必死に走っていたのだ。
「別に、今日は手を抜いたぐらいだけど」
そんなサーシャも追ってくる風子を意識してか、ジャージの下は汗だくであった。
本人はバレていないつもりだろうが、ジャージの喉元から湯気が上がっているぐらいなのだ。
「暑いなあ」
風子がジャージのチャックを下ろした。
立ち上る湯気。
「……気持ちいい」
今日は思ったよりも調子が良かったということもあり、いい走りだったと風子は満足している。
体全体が暑い。
首元、脇の下、肩に熱気が溜まっている。
彼女はぐいっと肩からジャージをずらして肘まで下ろした。
ちょうど、金沢の分厚い雲の間から降り注いできた日光に照らされ、風子の額の汗がキラキラと光る。
ふう。
彼女は優しい息を吐いた。
息が、白い。
サーシャも、息を整え、ふと風子を見る。
そして、目を見開いた。
「ふ、風子! シャツ!」
サーシャが顔を赤くして指をさしている
「へ?」
風子の白いTシャツ。
綺麗に浮き出ている緑色の三角形が二つ。
サーシャの視線を頼りに風子の両手がそこに導かれる。
「え、うそっ」
バッと両手で隠す風子。
こじんまりとしたその下着を両腕で抱え込むようにして隠した。
「見た?」
頷くサーシャ。
風子が視点を落とす。
雪面に大の字になったままの次郎と大吉。
これでもかというぐらいに風子とは逆の方向に首を曲げ、雪の中に顔を突っ込んでいた。
――見てました。
なんて言えない。
間違いなく、ストックで目を刺されて、ジエンドである。
もう盲目の世界に突入である。
まだ、見たいもの――主にエロ――がある二人、それだけはなんとか避けたかった。
そういう危ういことに関して、だいぶセンサーが働くようになったと言ってもいい。
風子の貧相なそれで、大切なものを失うのは大吉であっても避けたかった。
そんな二人をみて、意地悪な表情を浮かべるサーシャ。
春先の復讐をしようと思っていた。
そういえば、同じようなシチュエーションがあったことを思い出す。
「あー、暑いな、暑いな」
本人は芝居をしているつもりだが、わざとらしさ百倍、ひどく棒読みだ。
慌ててジャージの袖を肩まであげ、チャックを閉める風子はサーシャの様子を伺う。
何をするんだろうかという表情だ。
彼女の突飛な行動はいつも先が見えない。
サーシャは次郎達の方向に向きなおした、そして、おもむろに首元のジャージのチャックに手を当てた。
ゴクリ。
ゴクリ。
男子二人の生唾。
不穏な動きをする次郎と大吉。
「あ、太陽が綺麗だ」
「お、どこ? 次郎、まじ綺麗だなあ、天使の梯子ってやつじゃあ」
「エンジェル様あ」
顔は空を見上げる様にしているが、視線が泳いでいる。
「ん、ふう」
風子とは違い、色気を含ませた白い吐息。
顔を動かすことなく、見開いた四つの瞼。
今にも眼球が飛び出すんじゃないかと誰かが見れば心配しそうになるぐらいに、目力を込めている二人。
そう、サーシャの吐息はピンク色に見えている。
ジジ……ジ。
下ろされるチャック。
ギリギリ音がしそうなぐらいに、その水晶体に映像を捉えようと必死に眼球を浮かせる二人。
顔を動かすことなく、周辺視で確認しようとした結果である。
血走っている。
ふんわり。
サーシャの首元から湯気が立ち上った。
男達は期待する。
ガバ。
白いTシャツ。
肩口が肌色に透き通っている。
ギョロ。
そんな音がしそうな四つの目玉。
「ホーッホホホホホ」
勝ち誇った声。
「ああ、ほんと、情けないし醜い」
サーシャは男子二人を見下ろすようにして仁王立ちになっている。
「残念、スポーツ用でしたー」
そう言うと彼女はジャージを颯爽と脱ぎ捨て、勝ち誇った笑い声をまた上げた。
白色のストレッチ素材を使った速乾Tシャツ。
サーシャの体のラインにぴったりとくっついたシャツが濡れて、彼女の宣言どおり水色と白のストライプのスポーツブラが透けて見えていた。
「ん?」
二人がもじもじして、視線を逸らしているのに気付いたのだ。
「前は、風子みたいな失敗したけど、今度はエロ男子に見られても恥ずかしくないように……」
えっへん。
胸を張り、演説をするかのように力説するサーシャ。
「人は成長するもんなんだよ、男子諸君」
春先に、軽歩で同じように汗をかいた後、黒いブラが透けたTシャツを次郎に見せてしまった。そのことを今でも根に持っていた。
「……」
無言の男子二人。
見上げるとサーシャのたわわなものが強調されて嫌でも視線に入る。
注いだ太陽の光が陰影を強調する。
もじもじ。
「な、なに」
いつもだったら、次郎や大吉は「やられたー」とか「くっそーひでえ金髪がああ」とか叫ぶのに、何も言わない。
「だ、大吉……そりゃ、なあ」
「お、おう目のやり場に、なあ」
「へ?」
あまりにも男子達の反応が違うので、金髪頭の上に『?』マークが点滅している。
「サーシャ……」
ばさっとジャージを肩から掛ける風子。
耳元に口を寄せる。
「そ、それでも、ダメだから、サーシャ、全然だめだから」
「はへ?」
ダメなものはダメである。
「だって、サーシャ……先っちょ」
風子が慌てて覆い隠した場所をサーシャは見下ろした。
お椀の先に、普通のブラではありえない陰影。
「はへええええええええ!」
サーシャの驚きの叫び。
また、大人の階段を一段上った。
素材には気を付けよう。
分厚いものを付ける必要がないサーシャだけに、こういうことが起こる。
女子力。
まだまだであった。
「なんだろう、あれ」
やっぱり体を冷やして、唇を真っ青にしている次郎は大吉に話かけた。
「ん?」
振り向く大吉も唇が青い。
まるでプール嫌いの小学生のような顔。
スキー板を担いで自分たちの教室に戻ろうとしている矢先。
忙しそうに何かを準備している一団に次郎の目は向けられていた。
フル装備の兵士たち。
グランドの雪は残っているが、アスファルトの道路はしっかりと雪かきがされて、黒い地面がむき出しになっている。
そこに綺麗に一列に並ぶ、装甲車両とトラック。そして、そのトラックの荷台にこれもまた規則的に並べられた軽装甲歩兵補助服。
その周りで、動いているのは独立歩兵大隊に所属する現役の兵士達。
次郎も見知っている黒石上等兵――春先に次郎と殴り合いをして、綾部軍曹と小山先生が乱入した時に知り合った――が機関銃を担いで車に乗ろうとしている。
「明日の朝礼で大隊長が話す予定だったんだけど」
ストックを突き刺していた時とは違う、鈴の穏やかな笑顔。
――今日の真田中尉、あの日だから、まあ、運が悪かったな。
コソコソっと仕事を置いて遊びに来ていた綾部軍曹からそう耳打ちをされた。
――つうか、あの日ってよりも、あの週と言った方が正しいか。
そんなどうでもいいことを言っていた。
なぜあなたが知っているのかということは聞かない二人。
興味がないだけかもしれない。
「何か……あったんですか?」
「ううん、なんにもないんだけど」
「演習に行くというよりも……なんだろう」
「戦争に行きそう?」
次郎が声に出す前に、鈴はそう言った。
「……なんか、うまく言えませんが」
ははは。
鈴はそう笑った。
「最近のテレビ見て、影響受けているんじゃない?」
ソ連とロシアの緊張が高まる中。
この帝国が二〇年ぶりに戦火を交えるかもしれないという現実。
東の共和国が西進してきて以来、軍人が血を流すことがなかった二〇年間の重み。
それを打ち破るかのように、帝国軍遠征旅団のモスクワ派遣。
その政治判断を批判するように加熱していっている反戦運動。
放映されるどの局のドキュメンタリー番組やニュース番組は、反戦一色であった。
「まあ、演習みたいなものだって言ってたけど」
「演習みたいなもの?」
「テロ対策のために軍が動員されたの知っているでしょう?」
一月一一日。
帝国陸軍が、治安維持のため国会議事堂といった重要施設の警備に派遣されているということは次郎も知っていた。
「現役の兵士、教官の私たちも含めて交代で、能登半島のパトロール……といってもメインは三中隊だから、私とかはお声がかからないと思うけど」
「……そうなんですか」
「大隊長は『そもそも、テロなんてしたら反戦ムードは吹き飛ぶし、敵にとっていいことなんかない』なんて言ってたけど」
声を低くして大隊長のモノマネを鈴はしているつもりだが、まったく似てないと次郎は思う。
そして、笑う気にもらなかった。
「まあ、でも能登半島はゲリラが潜むには格好の場所だって言うから、独立歩兵大隊も交代で増援」
次郎はどうして、こんなに緊張感がなく鈴がしゃべるのか不思議に思ったが、声には出さない。
なんとなく不謹慎に思えたので、曖昧な返事をして会話は終わった。
真面目じゃない大人。
次郎はそう感じていた。
そして一方、真面目じゃない大人の代表である鈴にも考えがあった。
なるべくオープンにして学生達を不安にさせるな。
そう大隊長や中隊長から言われていた。
教官達も大忙しである。
三中隊主力の派遣があるが、教育は続けなければならない。
大隊本部機能と学校機能が別に動くからと言っても人は増えない。
元々、有事に際しては学校教育を中止して、独立歩兵大隊として動くのがこの編制が作られたときの思想だ。
平時の中の有事。
中途半端が難しい。
もちろん派遣される三中隊にも男クラの学生三学年合わせて約一二〇人がいるのだ。
その教育は残る一中や二中で分担しなければならない。
やることはたくさんある。
そんな中、如何に学生達を動揺させないか。
教育を変えずにやるか。
自分たちが大変だという雰囲気を出さないようにしないといけなかった。
学生達を動揺させてはならない。
そう大人達は考えたのだ。
子供の目には『不謹慎』に見えたとしても、日常は続ける。
そういう選択をしていた。
そういう覚悟をもって、大人達も目の前の現実を受け取っていた。
珈琲の甘い香りが漂う店内。
少年学校の制服を着た二人。
店長の橘桃子は不在しているが、その代わりに赤い縁の眼鏡をかけた女性がひとり働いている。
クリームソーダを吸う大吉は、次郎の顔を見てため息をついた。
「なあ、なんで男二人で向き合って、カフェしないといけないんだ」
珈琲にたっぷりミルクを注いだ次郎が大吉の緑色の液体を見る。
「こんな真冬に、どうしてそんな冷たいものが飲めるのかという方が不思議だ」
意地悪な目つきで言い返してた。
「うるせえ、ここのクリームソーダはまじでうめえから、特に上に乗ってるアイスがさ、バニラって感じが濃くて」
この二人、常連である。
学園祭の時にお世話になって以来、休日の時間つぶしに学生達が使うようになっていた。
「……ナンパ、なあナンパしよーぜ」
「この格好で?」
次郎は面倒臭そうな表情で、自分が着ている少年学校の服を指さす。
「……いや、トイレかどっかで着替えてさ」
「教官に見つかったらどうする」
「最近は見回りしている姿とか見ないし」
「つうか、大吉さー、風子さん風子さんって、秋っころから言ってなかったっけ」
「ナンパは修行だよ修行」
「めんどくせえ」
次郎はそう言って顔を上げると、奥にいる赤縁眼鏡の女性と目があった。
二人の会話を聞いていたのだろうか、ちょっと困ったように笑っている。
「子供扱いされてる、めっちゃ恥ずかしい」
次郎が大吉に向き直ってそう言った。
「は? 何が」
「んにゃ、ガキだってことだよ、俺も大吉も」
「はあ? ナンパするのは女子だよ女子、お互い若いんだし……つうか次郎はシスコンだからああいう大人の女性が好きなんだろ、おい」
「もう勝手にしてくれ」
次郎はわかっている。
こんな馬鹿なことばかり言うが、実行なんてしないことを。
大吉はそういうやつだ。
度胸はあるがナンパとか、そういうことができるような軽さはない。
風子に対して誠実な想いを持っていることを知っていた。
「はあ」
次郎はため息をつく。
「彼女欲しい」
ぼそっと言っておしぼりを握った。
「俺も」
同意の言葉を言った後、テーブルに広げたおしぼりの上に額を乗せて脱力する大吉。
「……」
「……」
無言の二人。
時間が過ぎ去っていく。そして、沈黙に飽きた次郎がため息をついた時だった。
「キスしたのに」
真横から聞こえる声。
あまりに唐突な登場だったので、次郎はびっくりしてテーブルの端まではじけとぶようにして移動してしまった。
「お、あ、白いパンツの」
三和が殺気を帯びた視線を次郎に送る。
「い、いやなんでもない」
大吉は目をパチパチさせている。
「あーーー、あの変な女!」
「黙れ」
大吉がゾクッとするような低い声で脅しを入れる。
次に声を出した瞬間、殺されるような気がした。
「三和ちゃん、いらっしゃい」
赤縁眼鏡の女性が三和を見てにっこり笑う。
三和は無言で会釈した。
「知り合い?」
次郎の問いに対し、彼女はコクリと頷く。
「エニシさん、ただの知り合い」
ただの。
抑揚が少ない三和だが、そこだけは強く言った。
「で、なに」
次郎が仰け反ったまま三和を見る。
「彼女が欲しいとか言っていたから」
「言ってない、いや呟いたかもしれないけど、っつうか、言った時にはもう居たし、なに?」
この女子に関わるとロクなことがないことを次郎は知っている。
「忠告」
「忠告?」
「そう」
三和がため息をつく。
「誰も信じてくれない、誰も脅威に思わない、ありえないこと」
「……なんだよそれ」
「気を付けて」
「は?」
「あなたたちの学校は気を付けた方がいいって」
「……そんな話は君のお母さんとか、学校長とかと繋がっているから、わざわざ俺に」
「もう言った」
「誰に」
「信じてもらえない」
「何を?」
「誰も信じてくれない、誰も脅威に思わない、ありえないこと」
三和はもう一度ゆっくり同じ言葉を繰り返した。
「万が一かもしれない、何もわかっていない子供の戯言かもしれない」
ジッと次郎と大吉を見る。
次郎や大吉が息を飲むほど、彼女の目は真摯だった。
「お父さんの大切な学校を……」
チラッとエニシの方に視線を送る。
彼女が聞いていないことを確認したようだ。
グイッと次郎と大吉に顔を近づける。
そして彼女の唇が動いた。
「守らないと」
相変わらず抑揚の少ない声。
だが、どことなく力強い声で彼女はそう言った。




