第59話「想い」
「聞け! クソ野郎共! 外から女子を呼ぶぞ!」
クリスマスパーティのことである。
「うをおおおおおお!」
「うらああああああ!」
「っしゃあああああ!」
教室が沸きまくる。
暑苦しい叫び声。
汗臭い空間。
もちろん、冬であってもこの教室にストーブなどはない。
存在してはならないものなのだ。
男クラの掟、その八。
『漢気があれば暖房なんぞいらぬ』
である。
このため臭い。
もとい、熱気だけで暑苦しい。
そんな教室に暖房なんかつければ熱中症にかかるかもしれない、と言っても過言ではない。
だが、やっぱり北陸の冬である。
寒い。
だから、教室の窓を閉め切り、熱を逃さないようにしていた。
その結果というか、男子の匂いがこもってしまい。
臭い。
しょうがない。
そんな男達が、臭い教室で、教壇に立つこれまたむさ苦しい筋肉教師の授業を受けていた。
日本史の先生のくせして、いつものラガーシャツ。
「民間の女子高から遊びに来ることになった!」
パチパチパチ。
拍手喝さい。
口笛も忘れない。
まるであの独裁者の様に、彼らが落ち着くのを待つ筋肉小山。
だんだんと静まる教室。
「金澤中央女子高校」
淡々と語る小山。
ゴクリと生唾を飲む男子達が奏でる音が響いて行く。
「兼六女子学園」
無駄に座ったまま少し腰を浮かしてスクワットを始める男達。
黙っていられないらしい。
「犀川大学付属女子高!」
「まじっすか!」
「やっべ!」
「トッタゾー!」
あまりに興奮して机の上に立ち上がったのは、米国からの留学生、ボブ・アームストロング。
彼はそのままクルリとバク宙をして見事机の上に着地。
その瞬間、男達の興奮が絶頂に達する。
「粗相なりっ!」
間髪を入れず小山が放つ投げチョーク。
ボブの脳天に容赦なく突き刺さった。
「我ガ、夢、ココデ、果テ……ヌ」
ゆっくりと前のめりに倒れるボブ。
ガタガタンッ。
派手な音とともに、落下した。
ドオオオンン。
教壇を叩く音。
静まり返った男クラ。
顔の前で、血管が破れるんじゃないかというぐらいに浮き出た拳をギュッと握る小山。
「後ろに倒れぬその心意義やよし! 男は黙って前のめり!」
拳を前に突き出す。
「ここにいる紳士達よ! チャンスを活かせ! 漢気の華を咲かせよ! 存分にクリスマスの夜を堪能せよ!」
「うをおおおおおおお!」
「うらあああああああ!」
「しゃあああああああ!」
「かかってこいやああ!」
意味不明な小山の語りに、なぜか共感する男クラの志士達。
満足そうな笑顔をする小山。
――あの煩い佐古の野郎も静かになった、大いにクリスマスの夜を盛り上げて、学生達の想い出にしてやろう。
各女子高も下手に野放しにするぐらいなら、陸軍の御膝下であこの学校に出していた方が、夜の危険は少ないと言う算段もあって、大いに宣伝しているということだ。
陸軍少年学校の学生は金沢の女子生徒に人気があったりする。
だが、平日の外出がないため彼らと彼女らの出会いが少ない。
彼女達にとっても少ないチャンスのひとるなのだ。
そんな訳で、教師も生徒もいろいろと合致しているパーティーであった。
ゲシっ。
三和は居間でぬいぐるみを殴った。
父親である野中大尉のアパートで同居していたが、数カ月前に横浜に異動している。
そんなアパートにいる彼女。
――これを俺だと思って。
そう言って、野中は三和にずんぐりむっくりした緑色の謎の生物であり、帝国陸軍公式ゆるキャラであるリクチャンを渡していた。
野中の想いは通じたか、通じていないかわからないが、三和はそんな父親の言葉をしっかり信じて、リクチャンを扱っていた。
だから、殴っている。
ゲシっ。
一日二回は殴らないと気がすまない。
たまに父親から電話もかかってくるがもちろん無視している。
自分よりも戦争を選んだ父親だ。
出て行く前にもっと蹴っておけばよかったと後悔していた。
それを思い出したため、今日は多めにリクチャンを殴る。
ガチャ。
風呂場の扉が開いた。
「あったまったー」
まったりした声。
本人のがっしりした体格とギャップのあるアニメ声。
ソファに座っている三和が見上げる。
一七〇センチ後半の背丈がある女性だ、そういう感じになってしまう。
「お風呂の栓は抜いた、ついでに掃除もしておいたから」
伊原真はそういうと冷蔵庫に向かって牛乳を取り出す。
五〇〇ミリリットルのパックをおもむろに開けると、ゴクリゴクリと飲み干した。
「あああ、幸せー」
三和も見慣れているので、特に驚きはしない。
ただ、ああいう大きな体になるのと、牛乳を飲むことはあながち因果関係がないとも言えないと思うようになっていた。
そういう意味でも、彼女もコップ一杯ではるが、風呂上がりに牛乳を飲んでいた。
「三和ちゃんは、もうご飯食べたよね」
コクリと頷く。
そして、ジッと冷蔵庫の方を見る。
「あ、うそ! 三和ちゃん作ってくれたの! うわっ、美味しそう!」
伊原が冷蔵庫を開けると、芋の煮付けが入っていたのだ。
ごはんは二人分炊くことはいつものことだが、たまに三和が遅く帰ってくる伊原のためにおかずを作っていることがある。
「……作りすぎた」
ボソっと三和が言った。
「ありがとう」
にっこり笑顔で返す伊原。
野中が転勤して以来、金澤中央女子高校に通う必要がある三和はアパートにひとり残ろうとしていた。
だが、さすがにひとり暮らしは心配だということで、彼の部下でもあった二中隊の小隊長である伊原少尉が同居することになった。
伊原はぜひと受け入れた。
野中に対して抱いていた想いも手伝ったのかもしれない。そして、三和は三人で話し合った結果、しぶしぶ受け入れていた。
三和も伊原の父親に対する想いは感じ取っていたが、自分の父親に好意を寄せる人がどんな人か気になったということもある。
毎日顔を合わせるような暮らしをしていたため、人恋しくなってしまったのかもしれない。
父親と暮らす前は、母親と同居していたが、仕事が忙しく、仕事の時しか顔を合わせることがないような生活だったからだ。
「そうそう」
伊原の言葉に三和はチラッと視線を動かす。
「うちのクリスマスパーティには来る? 一年生限定みたいだけど、学校に話はいってない?」
コクリと頷く三和。
「じゃあ、三和ちゃんも来る?」
もう一度頷いた。
「そっか、そう言えば、気になる男の子がいるとか野中大尉に聞いていたけど」
――いいか、一中の上田次郎という学生がうちの娘に手を出しているらしいから、少しでも近づいたらバックドロップかパワーボム、あ、ドロップキックでもいいから、よろしく。
そんなことを野中は伊原に頼んでいた。
本当に失礼な人。
伊原はそう思う。
まず、自分を受け入れなかったくせいに、そんなプライベートなお願いまでしてくること。
そして、レスリングとプロレスを混同していること。
確かに彼女はレスリングをやっていたが、それとパワーボムとドロップキックは別だ。
まあ、でもその一中の子と三和がどういう関係かは気になる。
「付き合っている、とか」
顔をブンブンと横に振る。
彼女のツインテールもブンブンと泳いだ。
「えっと」
「……お試ししたけど、わかんない」
「お、おためしっ」
大げさに驚く伊原。
「……キスだけ……」
「キ、キスとか」
硬派な家に育った伊原は、高校生の時にキスとか、そういう感覚はなかった。
「……真さんは、どうするんですか?」
珍しく、三和からの質問。
「彼氏さんとか……」
「い、いないよっ、そういう素振りとかもないじゃない」
「……あの同僚の、少尉さん」
「あいつは、そんな関係じゃないし……友達だから」
「合コン」
「そういうお誘いはあったけど、あんまり行きたくないし」
桃子経由で海軍将校との合コンが企画されているが断ったようだ。
「……まだ、お父さんのこと」
チーン。
レンジの音が鳴る。
さっきの芋の煮付けを温めていたのだ。
伊原は立ち上がり、レンジに向かう。
ガチャ。
温め過ぎたのかもしれない。
勢いよくラップの端から蒸気が出ている。
「……クリスマスパーティーは手伝いに行くから」
伊原そう答えた。
「あんなののどこがいいんですか?」
三和は視線を落とす。
いつの間にかソファーからズリ落ちたリクチャンが足下に転がっている。
ゲシ。
つま先でリクちゃんの頬をぐりぐりと圧する。
「……真っすぐこっちを見てくれるとこかな」
伊原はそう言うとレンジの中の器を取ろうとした。
「意味がわかりません」
――アチッ。
彼女は小さい声でそう言うと器に触れた指先で耳たぶをつまむ。
「わたしもよくわからないんだよね」
伊原がくるりと回り、少し困ったような笑顔を向ける。
三和は一瞬だけ目を合わせたが、そのあまりに屈託のない笑顔だったので、すぐに目をそらしてしまった。
――バーカ。
ぐいぐいっとつま先に力を入れる。
リクちゃんは、ローテーブルの脚と彼女のソレに挟まれていたが、元々無表情キャラのくせに、変な角度で顔が曲がってしまったため、少し笑っているように見えた。
三和はその表情を見てムカッとしたのだろう。
足の裏全体で、リクちゃんの股間にあたる部分を踏んだ。
モノを言わぬぬいぐるみが、断末魔の叫びをあげたように聞こえる。
やりすぎたかな、と三和が思って足を止めるが、ふと笑ってしまった。
ぬいぐるみが声を上げるはずがない。
力を入れた時にローテーブルが動き、脚が床と擦れた音だったのだ。
三和は、少しだけもう一度笑ってしまった。
自分に、大きな声を出したかもしれない父親に。
ジャージ姿の女性ふたりが駐屯地のランニングコースを走っている。
珍しく晴れた夕方。
夕日でも見ながら走ろうと晶が誘った。
北陸の冬というのは、ほとんど晴れ間を見ることがない。
そんな夕日を走りながら見ようという発想が、なんとも陸軍軍人なんだろうと鈴は思う。
「クリスマスどーする?」
答えがわかりきっている質問。
「そりゃ、与助君と」
当たり前でしょうとい感じで鈴は答える。
その言葉を聞いて晶は思う。
数ヵ月前なら、少しショックを受けていたかもしれないと。
そして、今はちょっと、違うかもしれない、そんな余裕があった。
「そうだよね」
「うん」
悪くないペース。
寒空でも、少し汗をかけそうな、二人はそういうペースで走っていた。
「晶は?」
「わ、わたし?」
そりゃ、そういうことを聞くんだから。
自分の用事を話したいから質問したんじゃないかと鈴は思っていたが、晶が驚いたような声をだしたのを聞いて、見当が違っていたとわかった。
「最近、ニヤニヤしながら、メール見てる」
ツンツンと鈴は晶の脇腹をつついた。
「ちょ……あれは、あの子からで、ほんとダメだから、馬鹿にして笑ってるの」
ほんと正直なんだと鈴は思う。
あの子、というのは鈴も知っている子で、どちらかと言えば地獄に落としたいぐらい嫌っている。
だが、晶の幼なじみだったらしく、今は性根叩きなおしているところらしい。
一応、そういうことが鈴に対する償いとも思っているから性質が悪い、とため息をつく。
もう少し素直になればいいのに、と鈴は思っていた。
「ほら、桃子さんから誘われた合コン」
「あーあれ」
まったく気乗りしない感じである。
「桃子さんとの義理もあるから、人数足りなくなったら呼んでくださいって言ってる、飲むだけになると思いますが……って」
「思い切って彼氏作ったら?」
「ぶひ」
ぶひ。
なんて声を出しているんだと思った鈴が晶を見ると、晶の顔から魂が抜けていた。
「晶っ!」
「あ、ごめん飛んでいた」
「ちょっと、もう」
「だって、鈴が変なことを言うから」
「変なことって」
「か、彼氏なんて、簡単に作るとか、そんなこと」
「……はあ」
走りながらため息をつくのは難しいが、あえて鈴はついた。
「生娘ちゃん」
「はーい」
「はーいじゃない、はーいじゃ」
「生娘でいいじゃない、なんか若々しいし」
「もうすぐ三十だってのに、三十路、もうすぐ」
「……やめて、生きてることが辛くなるから、せっかく現実逃避しているのに」
「あ、ごめんなさい」
「ちゃ、ちゃんと結婚するって決めてから、ちゃんとするから」
こりゃだめだ。
このお姉さんだめだ。
鈴は頭を抱えそうになるが、とりあえず走ることに集中する。
「小山先生に、クリスマスパーティ手伝えって言われてるんだよね」
晶がぼそっという。
「……手伝わない方向にしたほうがいいよ」
「え、なんで」
「学生達に、彼氏いない人だーあの人って思われるよ」
「え、別に」
「そういうの、沽券に関わるからね」
「そ、そういうもんかな」
「武士は食わねど高楊枝」
「……なんか、鈴にバカにされている気がする」
「そーゆーわけじゃないけど、ほら、あの日にいると、面倒よ、まわりもなんだかんだと言ってくるし」
「そーかな」
「そーだよ」
タンタンタン。
リズムよく走っていくふたり。
学校内では少ないふたりだけの空間。
「いいなあ、鈴は余裕があって」
「余裕もなにも、相手があれだから、なんか大変だし」
教官とか、そんなものは何もない会話。
自然でいられる、こういう時間を大切にしたいと鈴も晶も思っている。
そういうふたりにも、クリスマスは迫っていた。
「いいなあ、鈴は」
晶はぼそり、誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
ウイーン。
ウイーン。
「中隊長、はがきが足りませんって出てる」
「あ、先任上級曹長、ちょっとまって」
中隊長室で五十過ぎの鬼瓦のような顔をした中川曹長と、坊主頭の少佐がパソコンとプリンターに挟まれ、何かをしている。
「サプライズだ、サプライズだ」
ふふふふふ。
そう笑いながら、プリンターにはがきを置く佐古。
「少年学校の生徒たるもの、男女交際がどうだこうだでキャッキャしてはいけませんな」
「まったく先任の言う通りだ」
「いやはや、中隊長が学生の時も、下士官の間であの子とあの子が付き合っているとか噂になっていましたから、なんて破廉恥なと思いながら、私もあの戦があるまで、興味津々」
「……」
「いや、中隊長も自分の若気の至りをここまで反省して、男女交際をこうやって妨害しようとするとは、本当に素晴らしい」
「……先任、本当は……」
「何を言っているんですか、中隊の父親は中隊長、母親は先任たるこの私、父親と母親は一心同体」
「……あ、はい」
「いやー、あの時の橘桃子と中隊長は傍から見てもラブラブで」
「中川助教? わたしはそんなに人前でいちゃついたりしていない」
今とは違う、佐古が少年学校の学生で、中川が軍曹で、助教をしていた二十年前の話。
「人前じゃないところで手をつなごうとしたりしなかったり」
「……見てた?」
「あの時の色男が、ここに来て厳格な中隊長をされているんですから、あの時の下士官の生き残りを代表して、敬意を表し……」
「ああああ」
佐古が叫ぶ。
はがきを見るとかすれた文字。
「インク、インク」
「はいはい」
「これで、これで小山の野郎がしようとしている破廉恥極まりないクリスマスパーティを健全に盛り上げることができる……インク、インク」
何かにとり憑かれたようにテキパキと動く佐古。
先任は苦笑いを隠しきれない。
「おっと、留学生の兄にはこれで届くかな……金沢基地にいるよな、たぶん、まあ、メルアド押さえているからわざわざ手紙じゃなくてもいいか」
ぶつぶつ。
ぶつぶつ。
クリスマスカード。
あて先をひたすらチェックする佐古。
次郎や風子といった学生達だけでない。
様々な人々の想いを胸に、クリスマスにむけて、ものごとは進んでいく。
「小山ああ! 健全なクリスマスってやつおおおお!」
執念の男、佐古である。
やれやれという顔で見る中川。
クリスマス。
二〇〇〇年も前には、こんなイベントになるとは思ってもいなかっただろう。
月日はめぐり、ものごとはどんどん変化する。
二十年前のクリスマスを取り戻すかのように。
佐古も。
小山も。
想いを胸に、ものごとを進めていった。
こうして、十二月初旬のとある一日は過ぎていった。
蛇足ですが、野中大尉と三和、そして伊原少尉のお話は『39歳バツイチ子持ち……』の方に
晶と鈴は『缶コーヒーから……』
そして、佐古と小山の過去は『戦火のウタ』
をお読みいただければ、少々深いところを感じて頂けるかもしれません。




