第58話「大人達の戦い」
「あら、珍しい、カウンターから離れて座るの? それで逃げてるつもり?」
テーブル席に珍しく座っている佐古に対し、桃子が意地悪そうな顔を向ける。
「この人数じゃ座れないだろう」
律儀に答えてしまう彼に対し、彼女はため息をついた。
相変わらず面白くない人だと思う。
あの頃はそういう真面目さに魅かれていたことは認めるが。
「逃げるどころか、今日は桃子さんに味方になって欲しいぐらいなんだけど」
小山がぐいっと二人の間に割り込むようにしてあらわれた。
筋肉が発熱しているのだろうか、妙に暑苦しい。
コートを脱いで座ろうとする小山を見て、生地が分厚さが目を引いた。
――筋肉は寒い。
そんなことを言う小山。
そんな小山を桃子は可愛いいと思う。
体脂肪が少ないぶん、寒さに弱い筋肉質のおっさん。
ふと笑えてしまう。
「なに?」
「いいえ、別に、ねえなーに? 味方になって欲しいって」
「クリスマスパーティーを開こうと思っているんだが、こいつが難色を示しやがる」
「なに? それ面白い、味方になっちゃう」
桃子はそう言うと、スッと佐古に向き合った。
旗色を明確にしたようだ。
「どーせ俺が内部恋愛禁止だとか、頭が固いとかそういう文句を言うんだろう」
口を尖らせて佐古が抗議する。
しかし、すぐにいつもの厳格な表情に戻った。
今日は同級生の三人だけではないのだ。
「お久しぶりです、桃子さん」
そういう感じで、若手将校三人が挨拶をする。
晶と鈴、そして林が来ていた。
「たまにゃ、部下を連れて飲んでもいいだろう」
静かな口調で佐古は言う。
つい桃子と小山がいるとしゃべり方が戻ってしまうのを、無理して我慢しているような感じだ。
そういうやりとりをしている間に、赤い縁の眼鏡をかけた女性がおしぼりを持ってきた。
桃子は小さな声で「ごめんなさい」といった。
彼女は笑顔で会釈してスタスタとカウンターの中へ戻って仕事を続けている。彼女は店長とこの客が親しい顔見知りというのをわかっているようだ。
「今の人」
桃子が赤い縁の眼鏡をかけた店員に視線を向ける。
「何が?」
おしぼりで手を拭きながら佐古が問い返した。
「美人でしょ、前に言ってた」
「えっと」
「お昼だけうちで働いていた」
「ああ、そんなこと言っていたな、なんでまた君なんかの店に」
「君なんかは、余計だけど……彼女、思うところがあって仕事を増やしたって」
「思うところ?」
「うん、聞いてはいないけど、無口だけどテキパキお仕事してくれるから、助かるのよね」
「確かに、お近づきになりたい雰囲気はあるな」
「あら、浮気」
「妻に、それとも」
佐古が笑う。
「ばーか」
そう言うと桃子は一度カウンターに下がった。
「なんか不潔」
ボソッと言ったのは晶だ。
「ほんと、晶って潔癖症の生娘ちゃんだよねえ」
鈴が意地悪い声を出す。
「生娘はやめてよ」
「そうね、そういう歳じゃないもんね、わたしたち」
「そういう問題じゃなくて」
プンスカ。
不機嫌な顔で晶は口を尖らせる。
鈴はそういう彼女が心からかわいいと思っている。そして、うらやましいとも。
「なんだ、飲み会が始まる前から盛り上がって」
佐古が女性ふたりの絡みを見て、そう言っているのだ。
「あらもうノミハラ?」
戻ってきた桃子がさっそく攻撃を再開する。
「ノミハラなんかしない」
佐古がうんざりした顔をすると、筋肉の塊が彼女の視線に入ってきた。
「そのために、俺も来た」
大胸筋をピクピク動かす小山、彼の部下たちを俺が守ると筋肉が伝えている。
「桃子さんのお店ならいいと言って来ました」
そう言ったのは晶だ。
「ここだったら、中隊長が説教モード入っても桃子さんが止めてくれるから、ねえ林少尉」
鈴は笑いながらそう言うと、林に目配せをした。
「……」
困った顔のまま林は黙っている。
気の利いたことを一言いえばいいものだが、彼はなかなかそういうことができないタイプの人間なのだ。
「ここを選んだのは副官が乱れても処置ができるからなんだけどな」
意地悪なおっさん発言。
「乱れません」
ピシャリ、晶は切り捨てる。
「あとうちの若いのが来ないから、特にアレとかな、アレ」
兵や下士官連中、そしてアレとは例の綾部軍曹を指している。
鈴に対する当てつけだが、当人は冷たい笑顔のまま無視していた。
「ねえ、そんなこと思っているから、うちにあなたのところの若いひとたちが来ないの、わかってる? 営業妨害よ、営業妨害」
「そりゃ、桃子さんの若い者向けの宣伝とか、そういうとこ、営業努力不足じゃない?」
佐古は会心の一撃を言い返したつもりだったが、当然のように桃子は無視して注文を取り出していた。
「おう、ビール以外いるか?」
小山メニューを指差す。
「ねえ、なんか居酒屋みたいな注文のしかたされると、うちにも雰囲気ってものが」
桃子がそう抗議をするが無視をして、小山が注文を取りまとめている。
「ま、そんなんだから、若いのも来にくいかもしれんな……雰囲気というのが好きでくる今の客を大切にした方がいいと思うが、じゃ、ナマ四つといつもの」
「はいはい」
じゃあ、雰囲気壊さないようにあなたも努力しなさいよ。
と、桃子は目だけで小山に伝えた。
そんなやり取りのなか、最も無視をされた格好になった佐古がムスッとしていた。
桃子が勝ち誇った顔で笑う。
「みんな私の味方だから」
ほほほほ、と高笑いしそうな勢いである。
「中隊長、しょうがないですよ、だれも中隊長がいる場所へわざわざ飲みに行こうとは思いません」
晶が冷たい声でそう言った。
「堅苦しいなかお酒なんて飲みたくないですから」
その言葉のせいだろうか、数センチほど佐古の坊主頭が下がった。
「晶……ほら、少しは気を使わないと、嘘でもいいから中隊長じゃなくて一般的な上司とか言ってぼかさないと」
「うーん、でも副官としては正しい情報を報告しないと」
更に二センチ佐古の頭が落ちる。
ショックを受けているようだ。
面と向かって言われるとさすがに凹むのかもしれない。
ポン。
佐古が叩かれた肩の方向を向くと、自愛に満ちた顔の小山がいた。
仁王様の笑顔である。
その光景を見た林少尉は慌てて目をそらした。
怖すぎるのだ。
「巧言令色、鮮なし仁」
日本史の教師である小山。
たまに、唐突な論語のフレーズを出すことがある。
「は?」
そして、佐古はいつもの反応をする。
なに小難しい事を言っているんだ、筋肉のくせにという表情をする。
「よかったな、そういう事を言う部下がいなくて、お前の中隊の下士官達は幸せだ」
「意味を教えろ意味を」
はあとため息をつく佐古。
「日之出中尉、わかるか」
小山の前では晶も生徒扱いである。
「上司におべっか使うような者は、思いやりがないとか信用がないとか……そういう意味ですか?」
晶はこの人、国語教師だったけという顔をしている。
「だいたいそういう意味だ」
飲み屋で教師モードにはいるこの筋肉も面倒臭いと思うが顔には出さない。
晶もいい大人である。
「筋肉のくせに論語とか生意気な」
子供みたいな悪態をつく佐古。
「孔子の先生がいう事はもっともだけど、私としては、君達がもう少しおべっかを」
言い切る前に、鈴の棒読みの声が割り込んできた。
「おべっかなんて使わなくたって、尊敬してますよ、中隊長」
彼女はアレを言われて以来崩さない冷たい笑顔のままである。
「とりあえずだ」
小山がごつごつした拳で握ったビールジョッキに入ったウーロン茶を掲げる。
「クリスマスパーティー団結会に乾杯!」
カンパーイ。
佐古を除き、みんなで乾杯。
桃子も水の入ったグラスでいつのまにか参加していた。
「まて、なんでクリスマスパーティーが決定なんだ、ええ?」
けっきょく飲みながら議論に発展していた。
面倒くさい大人たちである。
「まあ、決定みたいなもんだが、ああ、そうだな、では佐古少佐から反対の論旨を」
コホン。
わざとらしい咳ばらいの筋肉。
「クリスマスパーティなんかしたら、不純な異性交友が……」
「異議ありー」
手を挙げたのは桃子だ。
「不純な異性交友ってどんな内容ですか」
「雰囲気だけの勢いで男女が交際をはじめて淫らな行為に至ること」
「範囲は?」
「まあ、キス以上はアウトだな」
ブボっとビールを噴き出す鈴。
慌てた林がおしぼりを鈴にまわす。
「いや、えっ、キスでアウト……」
あまりにも堅苦しいおっさんに、晶までもツッコミをいれてしまった。
「なんだ、副官は高校生の時に、そういうことをしていたのか」
お父さん的な口調である。
佐古には目に入れても、失明を恐れないぐらい可愛がっている娘がいる。
「そういうわけじゃなくて、今のご時世は」
はい、とは言えないのが晶である。
そして、こういうことには口を挟まないのが鈴。
「異議あり!」
ドーン。
わざわざテーブルを叩く小山。
スパコンッ。
そして間髪を置かず、桃子のデコパチがヒットした。
「テーブル壊さないでよ」
そんな桃子の言葉を無視して手を挙げている小山。
「おう、なんだよ筋肉バカ」
「お前と桃子さんがあの学校でしていたことはじゃあ、なんなんだ」
ぶぼっ。
佐古がビールを口にしたばかりだったので盛大に吐き出した。
スッとおしぼりを差し出す林。
面倒見がいい小隊長である。
「……ま、ちょ……副官とか小隊長が居る前で、おま、ちょっと」
「あら、わたしと付き合っていたことがそんなに恥ずかしことなの、うわーショックー」
桃子が両手で顔を覆う。
「そういう意味じゃなくて」
「ええ! 桃子さんがうちの学校の卒業生って聞いてましたけど、本当なんですか、中隊長と付き合ってたとか」
パクりと食いつく鈴。
「え、ええっ!」
佐古と桃子をちらっちらっと見て顔を赤くする晶。
「信じられません」
鈴がジョッキをドンっと置いた。
「自分は校内でエッチしといて、教え子たちには……」
「そんなことしてないっ!」
店全体に響くほどの大声をつい出してしまう佐古。
一斉に全員が人差し指を口元に当てて「しー」と注意する。
「え、いやそういう話の流れじゃ……いや、でもキスとかでも学生にはするなとかあんなこと言っておいて」
「それもしていない!」
少しトーンが落ちる。
「……え、あ……なんかすみません」
鈴の顔が引きつった。
信じられないという顔をしている。
「この人ね、むっつりスケベなの」
ため息交じりに桃子が言った。
憐みの雰囲気が場を包む。
「手をつなぐこともできない、でもね頭の中は欲望でいっぱいだったくせに」
「ちょ、ちょっとなんで俺がそんなことを」
「あのね、わかるの男のそーゆーの、電波飛んでくるから」
「電波って」
「手をつなぎたい、キスしたい、おっぱい触りたい、抱きたい、エッチしたい」
「そんなこと思ってなんか……」
「もう、佐古くんはわかりやすいから」
「……」
むっつりスケベと名指しされた中隊長は頭を抱えてテーブルに両肘をついてしまった。
「中隊長がむっつり」
と副官。
「あ、なんかわかる」
と鈴。
「気を付けろよ、こいつは頭の中で君たちを見て、何考えているかわからんぞ」
たきつける筋肉教師。
「水着の時、なんとなくそんな気が」
鈴が深刻な顔をして小山に訴えかける。
「まてっ! 誤解だ! そんなことあるわけ」
「冗談ですよ、中隊長、ほんと何ムキになっているんですか」
最近、彼氏のことで散々いじられていた鈴は、ここぞとばかりに仕返しをする。
「あ、でも夏制服で前かがみになったときに、胸元見るのはいかがなものかと」
「ちょっとまて、真田中尉、私がいつそんなことをした」
「夏に何度か注意をしようとしましたが、いや、まさか自分の厳格な上司がそんなことをするわけないって思っていましたので」
「ほんと、悪かった、私が悪かった、もう二度と君たちのことをからかったりはしない」
鈴と彼氏のことを言っているらしい。
「君たちのたちの意味がわかりませんが、まあいいです、冗談です」
こほん。
筋肉教師が咳払い。
「では、クリスマスパーティーに異議はないな」
佐古は無言である。
「よし、決まりだ! 少年学校クリスマスパーティー! サブタイトルは『気になるあの人と思い出作り』だっ!」
ドーンとテーブルを叩きそうになったが、桃子がキッと睨んだので人差し指でポンと叩く。
「……サブタイトルはちょっと」
晶が異議申し立てをする、お酒もすすみ顔は赤くなっているが、まだ正気である。
「そういうことを、学生に」
一方、頬を少し赤く染めた鈴は晶に抱き着くようにして胸を揉みだした。
佐古に絡んだ分、ペースが早くなったようだ。
だいぶ酔いがまわってきている。
「晶、ほんとスケベだよねー、思い出作りだけで、そーんな想像するなんてー」
「な……っ」
思わぬ鈴からの攻撃に言葉が出ない。
「じゃ、じゃあどういう思い出作りを」
「そりゃ、手をつなぐとか、そんなもんでしょ」
「そんなわけ……あ」
「ほら、晶のスケベ」
「……」
普段はすごく大人で仕事もテキパキできるのに、変なところで初心なのだ。
だから、鈴はこういうところで顔を赤くして、うつむいてしまうような晶を愛おしく感じてしまう。
だからついつい、いじって遊んでしまう。
こほん。
静かに手を挙げる佐古。
ゴキブリ並みにしぶといが、異議ありである。
「クリスマスパーティーをするのはいいが、あれは元々家族で楽しむものであるし、だいたい恋人がいる人間などはそっちが優先だろう、俺たち職員の負担にならないか?」
ちらっ。
ちらっ。
遠慮なしで鈴に視線を送る佐古。
「大丈夫だ、家族にも相手されない、彼氏も彼女もいない暇なのはいっぱいいる」
小山先生の一言で解決。
一方、その言葉にギクッとしてしまったのは晶と林。
「綾部の野郎には二十四日は禁欲しとけって俺から言っておくから、それで真田中尉も参加可能だろう」
がはははは……。
と笑う小山の顔が凍り付いた。
鈴が思いっきり脛を蹴り上げていたからだ。
「綾部軍曹がどうかされました?」
ニコッ。
氷の笑顔を傾ける。
ピキッという音がしそうなぐらいその表情は凍っていた。
「……はは、なんでもない」
小山はそう言葉を出すのことで精いっぱいだった。
「なんにしても、決まりだな」
うなずく筋肉。
「桃子さんもよかったら」
彼女は首を横にふる。
「ごめんね、その日は今付き合っている彼とふたりで合コン主催するから」
「そりゃ残念だ」
「晶ちゃんも、もう誘っているんだけど、どっちでもいいから」
ビクッとする晶。
「あ、に、人数合わせですから、いつも桃子さんにはお世話になっていますから」
「あら、もっとがっついて欲しいんだけど、主催者としてはカップルができればできるほど自慢になるから」
「いや、私はそういうのは」
「何、晶ちゃん、気になる人でもいるの?」
「……」
晶何も言わずうつむく。
――図星だったかしら。
桃子は少しだけ言い過ぎたと反省する。
もちろん少しだけである。
そういうことでわいわい盛り上がる中、佐古は作戦を練っていた。
小山の思い出作り作戦に対抗する方法を。
――学生の健全性は俺が守る。
なんて無駄なことに情熱を燃やす佐古。
どうせやるなら楽しく。
どうせやるならみんなで楽しく。
そして、佐古は秘策を思いついた。
ククク。
佐古はまるで悪だくみをする子悪党のような笑みをこぼす。
グイッとビールを煽った。
「ビールでいいですか?」
「黒ビールにしてくれ」
相変わらず注文をテキパキこなす林少尉にいつになく即答で応えた。
――健全なクリスマスパーティーにしてやる。
さっそく届いたきめ細やかな泡がたったものを口に含んだ。
「レッツ、パーテーだ!」
唐突に叫んだ佐古を、憐みの目を小山が向ける。
やっと観念したかという目である。
だが、それとは真逆。
佐古は折れていなかった。
秘策。
彼はさっそく頭の中で明日からの段取りを組み立て始めていた。




