第57話「男子の夜話でそれ以外のネタを話す方が存在すればぜひご教授願いたいと思う次第です」
「で、どっちなの?」
次郎のひとつ上の先輩である渡辺潤が唐突に声をあげた。
消灯後の部屋。
男子学生の間では夜語りと言って、暗くなった部屋でエロ話をするのが恒例である。
二段ベットの場合、先輩と後輩の関係は上下逆である。そのため、次郎は枕の下から声が聞こえる状態であった。
いつも自宅では畳に布団を引いて寝ていた次郎。
床から声が聞こえる感覚に、なかなか慣れることができず、毎回びっくりしていた。
「なんですか、いきなり」
「えーっと、金髪ちゃんなのか風子ちゃんなのか」
海軍金沢基地での一件以来、潤は何かと二人を可愛がっていた。そのため、可愛い後輩達とフレンドリーな先輩という間柄になっている。
二人とも、この女たらしで有名な先輩に対して最初は距離を置いていた。
いろんな噂がながれている潤である。
風子は母親の影響もあり、瞬時に警戒したし、サーシャはちゃらちゃらした感じの男は昔から嫌いであった。
だが、会うたびに声をかけられた。
それが、無視しようとしても、自然と会話をしてしまうようなタイミングで声をかけてくるのだ。
しかも、笑顔が素敵な先輩である。
そのうち、挨拶や雑談をするぐらいにはなっていた。
潤の特技といってもいい。
後輩女子をいじっているが、嫌味がない。
笑いをとるし、話してて安心させるような雰囲気を持っていた。
「ですから、サーシャにはフラれました」
ムスッとした声を出してしまう次郎。
「リベンジ」
「しません」
「つまんない」
「つまんなくていいです」
次郎が寝返りをうって布団を頭から被った。
ギシギシと鉄製の武骨なベットが軋む。
もう寝ますよ、というアピールであった。
こういう話に付き合っていると、ロクな方向に行かないことを次郎は数カ月の経験でよくわかっていた。
「がっつきすぎなんだよなあ」
潤がため息まじりに言う。
もちろん次郎は無視。
「やりたい、やりたい、やりたいって感じだったし」
「……」
「だいたい、あの告白の時なんて、金髪ちゃんのおっぱい見すぎ」
「見てませんっ!」
つい大きな声が出てハッとする。
この部屋にはもう一人の住人がいることを思い出したのだ。
ふたつ上の先輩である落合。
恐る恐る次郎はベットから隣にある、落合のシングルベットを見下ろす。
すっと上がった手がひらひらとふられた。
気にするなという合図だ。
次郎は安堵のため息をつく。
一度、大きな笑い声を夜中に出して一喝くらったことがある。次郎ではなく潤が怒られていたが、トラウマである。
「おっぱい好きだもんねジローくん」
「あーもう、好きですよ、好きです……でもがっついてはいません」
「がっついていた」
「そんな、現場も見てないのに」
「ふふふふー」
不敵な笑みの潤。
「可愛い後輩の一大イベントを先輩達として見過ごすわけには」
「今、達って」
「そりゃ落合さんも行ったに決まってるでしょ、部屋長だよ、見守らないと」
すると、シングルベットがギシっとなった。
ここの学校のベットは古いものばかりなので、動くたびにギシギシなるのだ。
「……がっついていたな」
ボソッと落合が言う。
「……がっついてました?」
かすれた声がでる次郎。
さすがに、ショックを受けたようだ。
彼にしてみれば、クールに告白したつもりだったのだ。
「だからね、ジロー君」
「はい」
「下心ありあり」
「……はい」
「キスまでしたんでしょ」
「……はい」
「次はおっぱい触りたかった」
「……はい」
「んで、やりたかった」
「……はい」
盛大にため息をつく潤。
「余裕がないもんなあ」
ハハハと笑う潤。
そしていつものように素直に誘導尋問に答えてしまう次郎。
「あのね、やろうがやるまいが何も変わらないから」
「いや、でも」
「えっちがゴールじゃないの、やることがゴールじゃ」
ギシ。
次郎が上半身を起こす。
「だって、付き合うんですよ、キスまでしたんですよ、次のステップ踏みたいじゃないですか」
「相手がそう思っていないんだからダメだよ」
「ダメって」
「身持ち固いよーあの子、見た目で判断しちゃったらダメだからね」
「じゃあどーすればいいんですか」
「身持ちが固くない子を選ぶ」
身もふたもない。
次郎は絶句した。
「金髪ちゃんは諦めた方がいいなー、ジロー君、性欲むき出しだったらあの子はだめ」
「むき出しにしてません」
「基準はあの子」
相手がどう感じるかである。
「……ちょっと思っただけです」
「敏感なお嬢様だからね……ロシア帝国貴族ってお堅いお家柄なのかもね、ちょっとが命取りよ、命取り」
なぜかうれしそうな潤。
後輩の悩みは最大の甘味である。
「ジュンさん……なんで嬉しそうなんですか」
「嬉しいなんてこれっぽっちも思ってないよー、もう心配でジロー君の悩める姿を見るだけで、胃が痛くなってるんだからね」
「……ほんと嘘つくの下手ですよね」
コホン。
潤が咳払いをひとつ。
コンコン。
潤が次郎の背中の部分の板をノックした。
「とりあえず『やりたい』と『恋』は別物で考えたほうがいいよ」
「えっ?」
「別物で考える」
次郎は意味がわからないのでしばらく考え込む。
「それって……やりたいだけで女の子と付き合うなってことですか?」
「ははっ、やっぱりそうきた、まだまだ若いねえ、ジロー君は」
そう言った潤も次郎とはひとつだけしか変わらない。
「やりたいだけだと思うなら付き合うな、会ってやってその日でグッバイ、それが嫌ならやりたい気持ちにならない子と付き合う」
「それってどんな聖人君子って、ありえないでしょう……そういうジュンさんは今の彼女さんとはどういう状況なんですか」
「俺?」
ははっという笑い声。
潤は今、金沢の女子大学生と付き合っていた。
「やれるかなーと思った子に声かけてできたから、それで終わりだと思っていたら、いつの間にか恋になった」
「……もう、意味がわかりません」
ため息交じりに次郎が言葉を吐いた。
あんただってやりたいと思ってから、女性と付き合いしてるじゃないかと思う。
それに対して潤は相変わらず楽しそうにしゃべり続けていた。
「ま、俺も一年生の時に、ある二年生の先輩がいてさ、本気で恋をしちゃったから、未だに手出しもできないんだけどね」
「それって」
「つまり、恋もしてたんだけど、同時にやりたいって思いまくってたから、ずっと手を出していないんだ」
「でも今付き合っているがいるわけですよね」
「今は彼女のことが好きだし、さっきのは過去形ね」
「で、その彼女さんとはやりたいだけだった」
「そうだよ、お互いにね」
「だから、僕に言ったことと逆じゃないですか」
クククと声を殺して潤が笑う。
次郎はそんな笑い方に対し、少しムッとしてしまった。
「まー相手も二〇過ぎの大人だからね」
「大人は関係ないじゃないですか」
「つまり、お互いに割り切って、やりたかっただけだったんだけど」
「だけど」
「その後なんだよね、その後それをきっかけになんか情がついちゃって」
相手が大人なら、体の関係からということもあるかもしれない。
だけど、子供どうし。
まだ、恋とか付き合うとかいうことに幻想や憧れがある年頃の女子が相手なのだ。
もちろん、女子だって『やりたい』と思うことがあるかもしれないが。
あの二人に関して言えばしっかり順番を守らないといけない。
潤はそういうことを示唆していた。
「参考になりません」
「ええー、すごいヒントだと思うんだけど」
「何も得たものがないんですけど」
「あー、じゃあこれどお? 同級生のおっぱいが大きい委員長タイプのある女子、なんか怪しいオーラ出てたし、清楚で淫乱な女子なんじゃないかなーっと思ってピーンときてね、少し押せばやりたい関係になれるかなっと思って声をかけたけど……こっちのかん違い、たぶんそうとうドロドロエッチな子というのは当たってると思うけど、俺のことが好みじゃなかったみたい……いやーまいったね、それがさっき言った本当に恋した女子の先輩の後輩で、めっちゃ怒られて」
「なんか……軽すぎますね、ジュンさん」
「……そういうこと先輩に言わない」
次郎は潤にわざと聞こえるようにため息をついた。
「つまり……初心な女子には手を出すな、やらせてくれそうな女子に手を出せ……ってことですか」
「そうまとめられると、すっごい低俗な先輩なような気がするけど」
「次郎、ジュンさんの貴重なご教授承りました、しっかり覚えました」
棒読みの次郎。
「なんかひっかかる言い方するねっ、かわいくないよジロー君」
そう言うと潤はふわあと力が抜ける声を上げながらあくびをした。
初心な女子に手を出すなら、覚悟をもってやれという意味なんだけど、とは言わない。
覚悟をして、しっかり準備をして……中途半端にやってはいけない。
全部教えても、経験しないとわからない世界があると潤は思っている。
「風子ちゃん、かわいいよね、気が強そうなああいう子、好みなんだなあ」
唐突な潤の言葉にブッと次郎が噴き出した。
瞬間的に潤と中村風子がキスをするシーンを思い浮かべてしまったからだ。
「……潤さんが手を出したら、大吉が泣きます、それに中村は潤さんの言う、やれるかなーっと思うような女子じゃないです」
「ひどいなー手を出すなんてひとことも言ってないのに」
「もう、ジュンさんは人でなしのヤリ男にしか思えません」
「ひどい、言い過ぎ、それショックでかい」
シーンと静まる部屋。
「あの」
「……」
「その」
「……」
「すみません言い過ぎました」
すぴー。
「寝てるしっ!」
ついツッコミを入れてしまう次郎。
「かわいいなジロー君は、ほんと、いじりがいがありすぎて、美味しいなあ」
「……なんか謝った僕が損した気分です」
「で、なんの話だっけ」
「中村のことがかわいいって」
「ジロー君もそう思う?」
「ジュンさんが中村のことがかわいいっていったことから始まった会話だと言いたかったんです」
潤の問いには答えない次郎。
大吉に悪い。
「いい雰囲気だったのになあ、夏までは」
「だから、なにがですか」
「ジロー君と風子ちゃん」
「……」
ギシ。
次郎が上半身を倒して、また毛布を被る。
「友達……です」
「……ふーん」
「すっごいつっかかるふーんですね」
「大吉ちゃんに遠慮してるんだ」
「……」
「図星」
「……違います」
次郎は首元の毛布をキュッと締める。
「恋愛感情とかじゃなくて、なんか、こう、友達というか同志というか」
ガタガタガタ。
下段のベットが揺れる。
「……笑わないでくださいよ」
「同志、同志、同志」
「連呼しないでください!」
バッと毛布を次郎は蹴る、そして外気を毛布の中に入れた。
本当に恥ずかしいかったようだ、次郎の体温が上がるぐらいに。
「金髪ちゃんとはやりたい」
「そういう言い方はやめてください」
「風子ちゃんとは同志、そして大吉が予約」
「やめてください恥ずかしい! しかもなんですか予約って」
「あ、ごめん、もうフラれていたから、使用済み」
「もう、潤さんとはまともな話ができません」
ガタガタガタ。
次郎が貧乏ゆすりをして抗議する。
「俺先輩、ジロー君後輩、ひどいなーそんな言い方ないなー」
「ひどいのはどっちですか」
「でも、そういうことでしょ?」
「使用済みとか……」
「ジロー君は未だお試しもしていない」
「告白とかそういうもんじゃないんです」
「大吉ちゃん、あれはフラれたとかそういう訳じゃなくて、風子ちゃんの中では無意識の保留なんじゃないかな」
あの夏の出来事の後、潤は大吉から相談を受けていた。
玉砕しましたー、から始まる相談だが。
そんな訳で、聞き取ったことから潤はそう判断していた。
「初心すぎるだよ、ふたりとも」
ため息交じりの潤。
――だから、むっつり光線出しまくっているジロー君は警戒されるんだろうなあ。
それに対して大吉はどうだろう。
口では「あのペチャパイに挟まれたい」とか「風子さんはきっと上の方が好みなんじゃないでしょうかねっ」なんて潤に向かって言っているが、あれは恋に対する照れだと潤は思っている。
きっと、そういうものを一切出さずに純粋に告白したんだろう。
このむっつりスケベが。
普段吐き出さないから、むらむらしたものが嫌でも見えてしまうのだ。
この上のベットでグダグダしている後輩は。
もう一度潤はため息をついた。
「サーシャは……」
次郎が話題を戻す。
「やりたいとか……いや、もちろん付き合えば、できればエッチもしたいなとか思いますけど」
潤は上のベットの板を見つめて口をあんぐり開けた。
重症だ、こいつはという顔である。
「もうね、この、むっつりスケベ」
「な、なんですかいきなり」
「あーもう、ジロー君、いいから今からトイレいって三発ぐらいしてきてよ、君が賢者にならないといけない、話はそれから」
「ちょ、ちょっと下ネタはやめてください」
「下ネタじゃない、生理現象、そして欲望のはけ口の晴らし方を言ってるの、そうすれば少しは素直になると思うから」
「……なんか不潔です」
「フ、ケ、ツ」
裏声でそう言った潤は笑い出す。
「もうねジロー君、わかった、わかった」
「……」
「で、風子ちゃん、遠慮してるんじゃないの」
「大吉に遠慮とか、そういうのは」
「素直じゃないなあ」
「素直です、むしろ本心ぶちまけすぎちゃってどうしよう状態です」
やりたいとは言っている。
もっと違う意味で素直になれと潤は言っているのだが。
「じゃあ、クリスマスは金髪ちゃん一本だ」
「ずっとそうです」
「思い出作りかー」
大人的な意味で潤。
「思い出作ります」
青春的な意味で次郎。
「がっついちゃだめよ」
「だから、どーしてやるやらないに持っていくんですか」
「会う前に三回以上トイレに行った方がいいよ」
「だーかーらー」
「ムッツリスケベだよねー、ジロー君はこっちの話には乗ってこないからつまーんなーい」
「下ネタは嫌いです」
「ムッツリのくせに」
「ムッツリを押し通します」
「そうそう、年末はクリスマスパティ―やるらしいしね、小山先生が『恋をせよー!』って叫んでいたし」
「……リベンジするつもりでした」
「性夜にできたらいいね」
「絶対、聖夜じゃないですよね」
「ジロー君の、エッチー」
「ひどい、うわー、ひどい、だいたい、この学校の敷地内、どこでやるんですか」
「そりゃ、誰もいない教室とか体育館倉庫とか、屋上とか」
「エロ漫画みたいな」
「ほんとないよね、後片付け大変だっていうのに」
「……あ、やっぱりそうなんですか」
「でたゴミどうするって」
「ですよねえ」
「衛生的じゃないし、水場が近くにないとねえ、夜は当直の見回りもしっかりやってるし、監視カメラも所々あるし」
「え、そうなんですか?」
「……え、もしかしてそういう期待してた?」
「ま、まさか」
「図星ー」
「そんなんじゃありません」
「ふーん、じゃあ後は好きにしたらー」
ギシギシ。
潤が毛布に包まったため揺れる。
終わりの合図と次郎は思った。
「ま、割り切った方がいいよ、いろいろと」
いろいろと。
潤はそう言うと、数秒も経たないうちに寝息をたてだした。
はあ。
次郎はため息をつく。
さっき、一瞬だけ頭の中にイメージしてしまった風子と潤がキスをしている姿。
彼は心からその瞬間、ひどく焦った。
狼狽えるぐらいに焦ってしまったと思い返してから、罪悪感を覚える。
――じゃあ、大吉は。
次郎は目を閉じる。
風子。
大吉。
――だめだ。
浮かばなかった。
――だからなんなんだ……もう、寝よう。
そう頭の中で考えなければならないぐらいに、眠気はどっかに行ってしまっている状態である。
次郎はギュッと目を閉じてみる。
寝よう。
頭の中がもやもやしてどうしようもなくなっていた。
大吉。
風子。
……。
俺。
学校祭のダンスパーティ。
次郎の袖を握ったまま、オロオロした風子。
いつもの勝気な雰囲気はどこにもないあの表情。
次郎はそっと抱き寄せる。
そして、あの風子の困った顔が近づく。
近づく。
彼女が目を閉じ。
キスを……。
柔らかい感触。
唇に。
サーシャの時とは違う。
上気した表情。
熱くなる体。
荒くなる彼女の息づかい。
そして、腕に、胸に、足に触れ。
「ふああああ」
パッと目を開き次郎は変な声を自分が出したことに気付いた。
潤の寝息と、落合のいびき。
変わらない夜。
ふと時計を見る。
今のは夢。
いつのまにか、だったようだ。
時計は三時を指している。
ギシ。
次郎がギクッと動いたために、ベットも軋む。
罪悪感だった。
――これは朝立ち、朝立ち……朝立ち。
自分に言い聞かせるが、ますます元気になっていく股間。
――もー嫌だ。
情けなくなる。
まず大吉に心の中で詫びてしまった。
次に風子ごめんなさいと思った。
そして、なぜかサーシャにも謝っていた。
もう、何がなんだかわからない。
ただ悶々とする次郎。
――中村風子……そういう想いはないのに。
そう言い聞かせる様にして次郎は目を閉じる。
また、彼女とのエッチな夢を見てしまうことになるとはその時は知る由もない。




