第55話「バカ」
「突撃準備!」
地べたに這いつくばって、なぜか横一列に並んでいる学生達。
子供たちは身体で空包が込められた小銃を抱え込むようにして地面に這いつくばっていた。
「こんな古代ローマみたいな突撃方法、ばっかみたい」
サーシャがぶつくさいいながら銃剣を銃口付近に取り付けた。
古代ローマは千年単位で違うし、こんな突撃方法はしない。だが、確かに彼女が言う通り二十世紀前半の古い作法である。
ここまで地面を這いつくばって進んできた学生達。
多くの者は泥にまみれている。
サーシャも例外ではなく、鼻の頭には泥がついていた。
そんな彼女を見てなんとなく微笑ましいと次郎は思った。
――余裕、余裕。
そういう自分に言い聞かせる様にして自分自身を鼓舞する次郎は、分隊で一番重い武器を持っていた。
きつくても心に余裕を持たせないとやってられない。
無反動砲とその弾薬。
他の学生に比べれば十数キログラムは重さが違う。
十一月の涼しい山の空気の中でも、すでに次郎はシャツがべちゃべちゃになるぐらい、大汗をかいていた。
こんなに重たいものを持って匍匐前進すれば仕方がないことだった。
それでも次郎は一番きつい役を引き受けることにしていた。
理由はわからない。
ただ、人が嫌がることを進んでやろう。
やせ我慢。
それが彼なりの仮面だった。
「上田……君……大丈夫?」
次郎の真横にいる風子が、息も絶え絶えに声を出している。
――人の心配してる場合じゃないだろう。
そう思う。
でも、こういう時に人に気をつかう風子に対して不思議な気分にもなった。
「うん」
次郎は顔を向けることなくそう言った。
「……そう」
体育祭の準備。
あの時ぐらいからか、風子と次郎は距離を置くようになっていた。
距離。
ふたりに聞いても、その距離がつまっていたなんて絶対に言わないが。
ただ、はじめて出会って喧嘩をした頃、二人で軽歩兵補助服の特訓、そして学園祭の夜に比べると、明らかに開いていた。
ふたりがこんな感じに声を交わすのも数週間ぶり。
明らかに違う空気。
風子はそう思ったが、地面に響くような大声がそれを吹き飛ばした。
「突撃にー! 進めっ!」
林少尉の号令がかかると同時に、全員がその場に立ち目標の丘を見上げる。
地面に伏せているときはその奥が見えなかったが、思ったよりも急こう配の斜面が目の前にあって、次郎は気分がクラッとした。
「Ураааааа!」
雄叫びを上げながら先頭を走るサーシャ。
文句を言う割にはノリノリな子である。
次郎は立ち上がると同時に、太ももからふくらはぎにかけて筋肉がガクンと揺れる感覚に襲われた。
ここまで来るまでの運動で乳酸が溜まりすぎているのかもしれない。
「おっしゃ!」
次郎が声を出して気合を入れる。
無反動砲を右手に、弾薬という名のただの砂袋が入った強化プラスチックのケースを左手に持って走り出した。
最初の二、三歩目はぎこちなかったが、それでもスピードに乗っていく。
その時だった。
次郎が窪みに足をとられ、前のめりに倒れそうになったのは。
彼は瞬間的にファイバーケース離し、左手で顔面を守るようにして受け身をとろうとする。
その瞬間、グッとサスペンダーが後ろに引っ張られるような感覚を味わう。
誰かが倒れないように後ろに引っ張っていた。
もちろん腕の力ぐらいで次郎の体重と無反動砲の重みを支えることはできないが、打撲は回避できるぐらいの加減で地面に腕をつくことができた。
「次郎くん」
俊介の声だった。
「いこう」
俊介がファイバーケースを持つ。
次郎が何か言おうとする前に、俊介は前に進む。
「俊介! 無理しちゃ」
ゼーゼー息をしながら、楓が叫ぶ。
俊介は無視をして走っていく。
「ああ、もう」
走るのをやめると、キッと次郎を睨む。
次郎は何も言わずに、無反動砲を抱えなおして俊介を追うよにして走る。
「なによ、仲悪くなったんじゃないの! あんたたち!」
そう言うと楓はぼちぼち走り出した。
そんな次郎は楓のことは気にすることなく、悶々と俊介のさっきの態度を思い出してた。
――なんだよ、あいつ。
弱みを見られた。
助けてくれた俊介に当たりたくなった。
理不尽だってわかっている。
そして、次の瞬間次郎は罪悪感に捕らわれた。
次郎がハッとして笠原先生の言葉を思い出したのはその時だった。
――きっちりしようとしすぎてない?
ああいいんだと思う。
別にイラッとしても。
「ちくしょおおおおおお!」
次郎は腹に溜まったいろんなものを空に吐き出すように叫んだ。
くやしい。
俊介に負けてたまるか。
俊介を助けるのは誰がなんといおうと俺だ。
立場が逆なんて、許せない。
顎を突き出し、顔を真上に向けて。
次郎は丘を駆け上っていった。
「じゃ、突撃成功」
丘の上の切株に、短めの軍刀を両膝の間に立て掛けた男がそう言った。
顔がニヤけている。
「やけくそな顔をみんなしてるから、合格」
中隊長の佐古少佐はそう言って手を挙げた。
軽い。
学生はみなそう思う。
「副官」
傍らの日之出中尉が頷く。
彼女は偽装網に覆われた四角いケースに視線を向けた。
その横に立っている綾部軍曹が目を合わせ頷く。
スッと取り除かれる偽装網。
中からでてくるクーラーボックス。
「よく、ここまで頑張った! ご褒美だ!」
中隊長が満面の笑みでそう宣言すると、学生達がわらわらと集まる。
十一月の山は涼しい。
それでも、彼らは冷たくて甘い飲み物が欲しかった。
クラ―ボックスの中にはジュースが入ったペットボトルがあるはずだと思った。
大吉が飛び掛かるようにしてクーラーボックスの前に行き、蓋を開ける。
彼はニヤニヤしている綾部に気づいたが考えないことにした。
どうでもいいからジュースが飲みたかった。できれば炭酸の入ったスカッとするような……。
「おう、じゃあ今からついでやるから」
お玉と紙コップ。
中身を見た大吉が、がっくし膝を折る。
「どーだ、美味しそうだろう、ぜんざい」
えっへんという感じに佐古は宣言するが、その隣の晶は微妙な顔だ。
ジュースにしましょう……という日之出中尉や他の教官の言葉を押し切って熱々のぜんざいをご褒美に準備させたのは佐古だった。
「えええー! ぜんざいとかないわー!」
そう口に出したのは次郎だ。
言葉とは裏腹に笑っていた。
「今は水分欲しいっす!」
日之出中尉に哀願する大吉。
「ぜんざいは水分だ」
佐古がニヤニヤしながら断言した。
いつになく強気で、そして強引なこだわりを持つ佐古。
「どうみても、このドロドロは水分じゃないし」
げっそりする風子。
「……洗剤なんか飲ませるなんて、なんて恐ろしい」
戦慄するサーシャ。
「洗剤じゃないから」
佐古が無視したため、代わりにツッコミを一応入れる日之出中尉。
「君達に足りないものは水分だけじゃない、糖分だ、それと腹に溜まる感覚、飲み物として飲み込むだけでなく、しっかり噛んで腹の中に入れなきゃならん」
さっき水分と言った佐古。
舌の根の乾かぬ内とはこういうことを言うのだろう。
「水分!」
「水分!」
「水分!」
学生から水分コールである。
晶がパンパンと大げさに手拍子を打った。
「大丈夫! 麦茶があるから」
「麦茶!」
「甘くない!」
「炭酸欲しい!」
「もっとエナジー入ったドリンクを!」
ブーイングの学生。
「ばかもんっ! ぜんざいには麦茶が一番だと決まっているんだ!」
大声で学生の不満を威圧する佐古。
だめな大人である。
実は喜んでもらえると思い込んでいたため、内面はぼろぼろに傷ついていた。
彼としては、まだこの課目の『オチ』が終わってないので彼らにスタミナが付くものを食べて欲しかった。
二十年前、山に籠って、腹が減って、ボロボロになって老人夫婦の民家に押し入った時に恵んでもらった食べ物。
まあ、勝手な佐古の思い出なんだが。
まだまだ彼らには体力が必要なのだ。
『オチ』のために。
「いいから食えっ!」
彼はそう言って、無理やりぜんざいを食わせる。
「食わないと、訓練を終わらせん!」
学生の不満など無視をしてぞんざいに中隊長は宣言した。
「意外」
次郎はそう言いながら麦茶をすすっている。
「美味しい!」
サーシャは白玉を口に含んだままそう言った。
ロシア帝国貴族のくせに、こういうところはお行儀が悪い。
あれだけ文句を言っていた学生達だったが、高台の風に吹かれあっという間に身体が冷えたため、暖かいぜんざいは絶妙な食べ物になっていた。
彼らも落ち着くとお腹が減ってきたというのもある。
むさぼるようにぜんざいを口に入れる学生達の姿を見て、佐古は満足そうにうなずいていた。
「……副官、じゃあ『オチ』の準備はできているな」
「……はい」
日之出晶は思いつめたように目を閉じた。
ぱっと開いて佐古を見る。
「中隊長、やはり『オチ』はやめませんか」
「何を言っているんだ、『オチ』がないとこの野営訓練のシメが」
「あの、どうせやるなら、もっと品性のあるシメを」
「品性、あるじゃないか」
「あ、どこらへんが」
「……品性はないかもしれないが、笑いはある」
――わーこの人、めっちゃ早く品性諦めたー。
と晶は思ったが、顔には出さない。
「やはり」
「これは指示じゃない、命令だ」
厳格に言う佐古。
ちなみにそういうことをたやすく言うものではない。
ため息をつこうとしたが、さすがに上司の前でそんなことはできないので、晶は辛うじて飲み込んだ。
その時だ、草むらの奥の方でクラクションが鳴ったのは。
「うわー、たすけてくれえー」
綾部軍曹のわざとらしい叫び声が聞こえる。
学生達が、何事かと思い視線を向けた。
彼らが乗って帰るはずのトラック。
その前で大きなハサミを腕に付けた、銀色の生き物が踊っている。
両手両足を上下に動かす不思議な踊り。
「宇宙人だあー、このままではトラックが乗っ取られてしまう、ああどうしよう」
棒読み。
「ハハハハハ、戦利品はいただいた、ハハハハ」
黒子姿の真田中尉が拡声器を銀色ハサミ男の口元に寄せている。
よくもまああんな衣装を持っているもんだ。
遠目でよく見ればその黒子が真田鈴のシルエットだと辛うじてわかる距離。
「逃げるなー、ハハハハ」
そう言って空気を手繰るような仕草をする。
よく聞くと、その声は林少尉のものだ。
怪人役はあの寡黙な林だった。
晶はその姿を見て頭を抱えている。
「お助けをー」
時代劇のようなセリフを吐きながら、銀色ハサミ男に寄っていく綾部軍曹。
もちろん、無駄にクルクルまわりながら。
「洗脳! ビビビビビッ」
黒子スタイルの鈴が爆竹に火を付けて効果音を鳴らす。
爆竹を手に持ったまま鳴らしているので、何気に上級者である。
「ああー、ああー、ああああ」
綾部がそう言いながら顔を伏せる。
もちろん棒読み。
そして彼が顔を上げると顔面は銀色になり、今度は二人で不思議な踊りを踊った。
細かい芸だが、綾部は両手ともチョキを作ってハサミの代わりにしている。
佐古は始終爆笑。
うれしいらしい。
「ハハハハハ、トラックは頂い――」
「とおっ!」
ドロップキック。
サーシャである。
いつのまにか、忍び込み宇宙人退治に動いていたのだ。
これには大人達もびっくりした。
佐古は大笑いを止め、口をあんぐり開けて放心している。
「こんの宇宙人!」
馬乗りになろうとするのを綾部と鈴に抑えられる。
「離せっ!」
叫ぶサーシャの手と足を綾部がささっとロープで縛る。
劇場に乱入した暴徒はすんなり捕まった。
さすが、一応でも大人の演劇である。
段取りを慌てることなく続ける綾部は宇宙人とともにトラックに飛び乗った。
「ハハハハ、アンドロメダ星雲に向けしゅっぱーつ」
綾部がそう叫ぶ。
気分は宇宙人である。
もがくサーシャをズルズルと引きずるようにして鈴が草場に隠れた。
ブオンブオン。
トラックはぎくしゃくしながら走り去る。
呆気にとられる学生を残して。
「さて、困ったことになった」
気を取り直した佐古。
ハプニングものど元過ぎればどおってことはない。
「しょうがない、トラックは消えた、我々は走って宿営地に帰る」
予定通り。
そう言って彼は軍靴のひもを締めなおした。
「イチ! イチ! イチ、二!」
叫び声を上げながら走る学生達。
先頭は佐古だ。
「声を出さないと、おウチに帰れないぞー」
おウチとは寝泊りするテントのある宿営地である。
無駄に今日はテンションが高い佐古。
「「はいっ!!」」
叫ぶ学生。
四列の縦隊――横四列の長方形の隊形――で列も、足もそろえて走る学生達。
京はその隊列の横にひとりぽつんと走っている。
「イチ! イチ! イチ、二!」
学生長の意地だろう。
普段の雰囲気に似合わない怒声ともいえるような声を彼は出している。
「元気ー!」
「「元気ー!」」
京の声に反応して大声を出す学生達。
「元気ー!」
「「元気ー!」」
まだまだ全員の声が出ていない声量。
中には口パクをしている学生もいる。
もちろん俊介はしんどくて、やめたい気持ちに襲われた。
どうせ走れなくなれば、教官が回収してくれるし、車で送ってくれる。
そんなことはわかっていた。
だが、俊介の脳に響く声がその選択を邪魔した。
――バカになれ。
いつもと違う雰囲気の林少尉が謝りに来た夜。
俊介が発見され、怒られるとばかり思っていたが、鈴以外は怒らなかった。
晶が怒り役だったはずだが、むぎゅうと抱きしめたため、段取り外で鈴が怒り役をしたのだ。
そういう大人達の裏も知らない俊介は、そんな大人達の態度にただただびっくりしていた。
目の前にいる林がポツリポツリと話を始めたことも。
林はぼそぼそと、元々自分に自信がなくて奥手だったこと、軍隊には向かないような、アニメ好きで本当はイラストレーターになりたかったことを俊介に話した。
「あるかーい」
「「あるよ!」」
俊介も腹の底から声を出す。
不思議と苦しいはずの息が苦しいと感じなくなっている。
「ねえよ」
「「あるよ!」」
――俺みたいなオタクが下っ端で入って、下士官で軍隊に残り、気付いてみれば将校にもなった。
俊介はその言葉を聞いてどうしたら林少尉のようになれるか聞いた。
――俺は強くない、でも強くなろうとがむしゃらになることはできる。
「まじで」
「「あるよ!」」
「だったら」
「「だったら」」
――バカになれ。
「もっとー」
「「もっとー」」
俊介は何も考えず、ただみんなと一緒に叫んでる。
「大きな」
「「大きな!」」
――変なプライドなんて捨ててしまえばいい。
「声をー」
「「声を!」」
「出して」
「「出して!」」
「いくぞっ」
「「いくぞ!」」
一呼吸京が置く。
一瞬の静けさ。
「やーーーー!」
「「やーーーーー!」」
俊介が一番先に声を出していた。
他の学生。
風子も叫んだ。
よくわからないが、叫んだら楽になったから。
「やーーーー!」
「「やーーーーー!」」
楓は、俊介の変わりように戸惑いながら叫んだ。
すると、戸惑いは消えた。
「うらあああ」
「「うらあああ!」」
学生がみんなで叫ぶ。
「うらあああ」
「「うらあああ!」」
奇妙な感覚だった。
ただ、走りながら男子も女子も叫んでる。
変な一体感。
苦しい。
でもどこか笑えてきた。
宿営地に入る道路が見える。
「元気!」
「「元気!」」
「いいよ!」
「「いいよ!」」
気付けば、京に変わって大吉が、大吉に変わって次郎が。
次郎の次は俊介が音頭をとっていた。
今までに聞いたことがない大声。
声が高いから、響いて聞き取りやすい声。
「いいね!」
「「いいね!」」
「気合!」
「「気合!」」
「いくぞ!」
「「いくぞ!!」」
入口まであと五十メートル。
「やーーーー!」
「「やーーーーー!」」
終わりが見えて更に高揚する叫び声。
「やーーーー!」
「「やーーーーー!」」
大音量が演習場に響く。
ピピー。
警笛。
佐古が鳴らしたのだ。
軍刀を持った右手と左手でバッテン作る。
「だめー! 元気なーい!」
ずっこけそうになる学生達。
そんなものを無視して、ぐるっと回って反対側に走ろうと佐古は動く。
「やーーーー!」
「「やーーーーー!」」
気を取り直した学生が叫ぶが、声はさっきとかわらない。
「だめー」
バッテンのまま言う。
そして、入口から遠ざかる方向へ走りながらクルリ学生の方を向いて、バックステップで走り出した。
大きく息を吸う。
「根性入れて声を出せ!」
俺の声に負けるなというような怒声。
空気が波打つような大音量。
「「はいっ!」」
さっきよりも大きくなった声。
佐古はその声を聞いて少しだけニンマリした。
のってきた、のってきたと思う。
だが、まだ佐古の声量には程遠い。
こうして、納得できる声がでるまで、ただひたすら入口付近をいったりきたり、学生達は叫びながら走っていた。
ひとりも脱落者を出すことなく。
なぜ走るのか。
なぜ声をださなければならないのか。
そんな理由を考える必要もなく、ただ、バカになって。
バカになって彼らは走り抜けた。
お読みいただきありがとうございます。
これにて第8章は終わりになります。
次は第9章。
クリスマス回になる予定です。




