第53話「すべては学生のため」
「許さない……」
小牧楓は、次郎と大吉に掴みかかるような勢いで詰め寄っている。
「あんたたちが俊介を……」
勢いはあるが迫力はない。
いつもだったらその迫力ある三白眼で睨みあげるところだが、今日はいつになく力が込められていなかった。
「よってたかって、いじめて……」
次郎は頭の中で「違う」という言葉を反芻させるばかりで、震えた唇からは声が出なかった。
出そうとしたが、出せなかった。
いじめじゃないのに、でも結果として同じようなことをしていたかもしれないというもうひとりの自分が、口を閉ざさせた。
「違う……」
静かな、でも断言するような声。
それは次郎の声ではない。
三島緑だった。
「いじめじゃない」
彼女は楓の目から視線を外さずそう言った。
「いじめじゃないけど、徳山くんは辛かったと思う」
緑は一生懸命な徳山俊介を思い出していた。
「……いじめじゃないけど……って」
「……うん」
「じゃあ、なんで俊介がいなくならないといけないの」
「私はわかる気がする」
緑はそう言って目を伏せた。
いつもできる人間といっしょにいることは、辛い。
それが、大切なともだちであればあるほど、そして足手まといになっていることに気付いた時、大きなストレスを感じることを緑は実体験を含め、知っていた。
「すごく残酷なことだけど」
楓は何か言い返そうとしたが、緑のその表情を見てぐっと飲み込むことしかできなかった。
結局、俊介は昼前までに見つかった。
捕虜。
演習をしていた別の連隊に発見された俊介。
彼は学生用ダサジャージを着て演習場内をふらふら歩いていたところを『敵』と認識され捕獲されていた。
捕獲といっても、乱暴な方法ではなく、不意をついて数人で取り囲むだけなのだが。
斥候狩をしていた演習部隊から捕虜にされていた。
それでも俊介は何もかも初体験のことで、驚いていた。
彼はフル装備の兵士に銃を突き付けられつつ取り囲まれるという経験をしたからだ。
もちろん、驚きを飛び越えて相当怖かったのだろう、捕まった当初は細かく震えるぐらいだった。
そのため、大人達が何を聞いてもうなずくことしかできなかった。
そんな状態でも民間人が普段入らないような場所にジャージを着た少年。
そんな違和感ありすぎる事象に対し、部隊の方はすぐに学生と気付いた。
そういうわけで、この短時間で俊介の無事が確認された。
大人達は俊介がびっくりするぐらいに優しく、演習中にどこから取り出して作ったのか不思議なぐらいだが、甘いチョコレートを溶かした温かいコーヒーを飲ませてくれた。
俊介ぐらいの年ごろの子供を持った下士官も混ざっていたからかもしれない。
そんな兵士たちの心遣いに対し、俊介は深々と頭を下げることしかできなかった。
そのうち、大尉の階級章をつけた三〇手前の若い将校が近寄ってきて「お前はわかんねーかもしれないが」強い口調で言い放った。
上から見下ろす様にして威圧している。
「どんだけうちの部隊や、お前のところの学校に迷惑かけたって思ってるんだ! こっちは訓練一時中止になるわ、あっちも教育中止で大捜索してんじゃねえか」
厳しい表情の大尉。
すっと甘いコーヒーを俊介に作ってくれた軍曹が「中隊長、中隊長」と割って入る。
「若いもんなんで、そんなこと言ってもわからんでしょう、それに帰ったら教官達にクソみたいに怒られるんですから、そこまで言わなくても」
大尉はバツの悪そうな顔をして、軍曹を見返す。
そして、ため息をついた。
「甘ちゃんにはビシッと言った方がいい、甘やかせば甘やかすほど図に乗る」
そう言ってその場を離れた。
軍曹はやれやれと言う表情で見送った後、ポンッと俊介の頭の上に手を置いた。
「人ってのは追い込まれると、どうしてこんなことしたのかなんて、やっちまった後でも理解できないもんだ」
そう言って頭を撫でていた。
緊張が少しほぐれる。
俊介は辞めるつもりでいた。
もうみんなに迷惑をかけたくない。
もう教官達に迷惑をかけたくない。
楓にかっこわるい自分を見せて迷惑をかけたくない。
そう考えた時、彼はあの場所を抜け出すことが最善の方法だと思っていた。
大尉が言った通り、目の前の部隊は訓練をやめている。
きっと、もしかして、教育をやめて自分を探しているのかもしれない。
俊介は少し冷静になって考えると、自分がやったことに対する影響を認識するようになってきた。
――迷惑。
迷惑をかけてしまっていることに。
軍曹が言う、やっちまった後に事の重大さに気付いていた。
「申し訳ありません」
中隊付副官の日之出晶が深々と中隊長である佐古少佐に頭を下げた。
「何が?」
何か含みのある笑顔で佐古が答えた。
「……中隊長にあんな」
ハハッ。
佐古は気持ちよく笑った。
「頭を下げるのはただ」
おどけた口調の佐古。
「ですが……」
相手の連隊長ならまだしも、あの年若い陸大出の大尉にまで苦言というか嫌味を言われるがままだった。
少佐である佐古が深々と頭を下げ、俊介を保護してもらったことに対し礼を言っていた。
そんな姿を真横で見た晶は、さすがにいたたまれない気持ちになる。
実務は自分達がやっている。
頭を下げるのは、直接責任がある林少尉や鈴といった教官の取りまとめをしている自分だと晶は思っていた。
「すべては学生のため」
佐古がふと、そういうことを呟いた。
「すべては……」
「我々の仕事は、そのひとことに尽きる」
すべては学生のため。
同じことを二十年前に言った人間がいるが、佐古はそのことを知らない。
彼の恩師である晶の父親が生前、よく言っていた言葉だった。
「そんなことよりも」
佐古がニヤニヤした表情に変わる。
晶は反射的に身構える。
この表情の後はロクな事を言われたことがないからだ。
「いきなりむぎゅうは」
口をわなわな震わせながら赤面する晶。
「あ、あれは、その」
おどおどしている俊介を出迎えた瞬間に晶が抱きしめたことを言っているのだ。
――よかった、無事でよかった。
そう何度か言いながら、思いっきり抱きしめていたのだ。
「そうか、そうか副官は、ああいうのが趣味だったのか」
「そういう感情では」
言葉の歯切れは悪い。
彼女は自分がファザコン気味であることはわかっていたが、ここ最近、チョイ悪の男が気になったり、友人の弱気な弟が気になったりよく趣味の傾向がわからなくなっているからかもしれない。
「ショタコン」
鉄人八十二号という漫画の少年を語源なんて知らないが、ふたりの間で意味は通じている。
もちろん晶は俊介に対して万にひとつもそういう感情を持ってはいないが。
「セクハラです」
赤い顔のまま睨みあげる晶。
少し涙目である。
「……いや、そんなに間にうけなくても、冗談だし」
「セクハラ」
「悪かった」
「……その、ただ、安心して、よかったと思って」
ぼそり視線を落とした晶はそう言った。
「叱り役の私が……すみません、ほんと安心してしまって」
彼女は俊介を叱り飛ばす役と自認していた。それがこの中隊でのポジションだから。
だが、できなかった。
やるべきだったことができなかったため、負い目を感じている。そういう申し訳なさも重なって彼女は視線を下げたままだった。
そんな様子に気付いた佐古は冗談っぽい顔を真顔に戻す。そして、ため息をついた。
彼女の親友とも言える女性が数年前に自殺したことを佐古は思い出したからだ。
きっと、それと重ねてしまったんじゃないかと察したのだ。
「まあ、よかった」
「……ご迷惑をおかけしました」
「迷惑? 日之出中尉もそのうち中隊長をやるかもしれないが、指揮官なってものは責任を取るのが仕事なんだ……と、いうかそれぐらいしか仕事がない」
おどける佐古。
「原因を究明して、再発防止をします」
「それなんだが、形だけの処置とかそういうのはいらないからな」
「……はい」
「逃げた人間に、弱いから逃げたんだ強くなれ……それじゃなんの解決にもならないからな」
「……」
「いいか、自殺があった部隊に対して『自殺なんか人として最低である、親に感謝するなら親より先に死ぬな』なんて書いた張り紙をぺたぺた貼ったことがあるが、意味がないというのはわかるな?」
「……でも、自殺を考えている人が見れば、親への感謝を考えて行為を思い留まるかもしれません」
佐古が笑った。
「ああ、副官のような正常な人間はそう思って当たり前だ、でもな、その張り紙の対象ってのは『異常』なんだ、自殺を考えてしまった人間はそんなことは通り越して死にたいんだから……それに人が死のうとするんだ、原因はひとつじゃない、解決策が『親に感謝』ひとつで解決できるわけがない」
「……」
「だから、相手をよく見て、相手に合わせた処方箋が必要なんだ、逃げるのも一緒だ、一歩間違えれば死を選んだかもしれない、そう考えれば、逃げる理由も単純じゃない」
「わかりました、丁寧にこの件は対処します」
「あと、学生達の内面の処置なんて目に見えるものじゃない……俺が心配しているのは、逃げた徳山よりも、まわりの同期だ、今のところいじめとかそういうものじゃなくて、徳山自身の意思崩れが原因なんだろう」
「はい、今のところは、そうかと」
「しっかりと、いじめがあったかどうかは調査してくれ、可能性は低いが、もしいじめがあったとすれば、それは断固処置する」
「はい」
「で、彼が意思崩れだったら、まわりが心配だ」
「まわりが?」
「先生も来ていただいてるし、ちょっとお世話になってもいいかもな」
晶は佐古が言った言葉の意味が理解できないような表情をする。
「徳山は足を引っ張るタイプだったんだろう、それを助けようとしていた同期がいる、なんとか助けようとしていて、それが失敗した……少なからず、挫折や人間不信にはなっている者もいるかもしれない」
「……はい」
「ああ、それから」
また意地悪そうな表情になったので、晶は自動的に身構えた。
「副官が徳山を抱擁したとき」
「抱擁とか、そういう言い方はやめてください」
「抱きしめたとき」
「いや、それも」
「いいじゃないか、相手は子供だ」
「……はい」
「近くにいた、小牧が、あの三白眼の女子が凄い顔で睨んでいたぞ」
「……」
「ありゃ、徳山に気がある子だな」
「……なんで、そうやってからかうんですか?」
「副官、女子の恨みや嫉妬は怖いんだろう、私は男の子だから、よくわからんが」
すごく楽しそうな佐古である。
「……子供相手のことですから」
「いやー、夜道に気を付けた方がいいんじゃないか、すごい迫力だった、あの女子の顔」
小牧楓の顔を思い浮かべる。
あの三白眼が抜き身の敵意をそのまま晶の背中にぶつけていたのだ。
「こわいこわい」
楽しそうにそう呟きながら、佐古は晶の肩を叩こうとしたができなかった。
ちょうどその時、ギロっと睨まれ、その視線が「セクハラ」と言ってきたからだ。
佐古が消えたあと、ひとりになる晶。
頭を抱える。そして、独り言を呟いた。
「そんなんじゃないんだけどなあ」
彼氏いない歴年齢の晶は、異性――それが例え子供であっても――との距離感がなかなかつかめない困った女子である。
そして、考えるよりもまずは行動に出てしまうタイプでもあった。
俊介はまだ隔離された場所にいる。
その間、学生達は俊介のことについて広場で話し合いをしていた。
学生長である宮城京が音頭を取ってやっていた。
「心が弱い人間が逃げた、それだけ」
時間の無駄と言わんばかりにそう言う言葉を残し、サーシャは席を立ちあがって去る。
彼女の生まれ育った環境からすると、そもそもなぜそんな軍隊に適さない人間が入ったかが疑問である。
自然淘汰されるべき人間だと彼女は切り捨てていた。
もう一人の異文化である山中幸子は黙ってみんなの話を聞いていた。
彼女は口には出さないが、結論を出していた。
責任感と忠誠心の欠如。
祖国で教え込まれたことだった。
それがあれば俊介のようなことは起こらない、そう刷り込まれていたし、信じている。
それでも、彼女が席を立たない理由は、他の学生の意見が興味深いためだった。
彼女は大人しく体育座りをして話を聞いている。
「……なんで、あいつ、俺たちに言わなかったんだろう」
大吉がぼそりと呟く。
「信用あるとでも思った?」
辛辣な言葉を吐くのは楓だ。
「ねえ、あんたたち俊介に何したの、正直言いなさいよ、どうぜ裏で――」
「楓ちゃん」
そう言って楓を遮ったのは緑だ。
「……想像だけで言わないで」
緑は体操座りのままで話を続ける。
「斥候訓練はいっしょにいたけど、そういうのはなかった、それは事実」
「何、そっちの男子を味方するの」
緑はおかっぱ頭を横に振った。
そういう意味ではないという意思表示。
「もし、俺のことを嫌いなら嫌いと言って、欲しかった」
泣きそうな顔で大吉がぼそりぼそりと言う。
「あんたたちの暑苦しい付き合いに嫌気がさしてたし、でも人付き合いだかやるしかないって……そうに決まっている」
楓はそっぽを向いてそう言った。
「俊介が、そう言ったのか?」
京がじっと楓を見る。
「……言ってはいないけど、間違いなくそう思ってるはず」
そんな会話を聞きながら次郎はじっと膝を抱えたまま下を向いていた。
「俊介は体育祭のあと根性を鍛えたいと言っていた」
そう言った京は立ち上がって話を続ける。
「小牧にふさわしい男になりたいって、弱い自分じゃ嫌だって言っていた」
「ちょ……ちょっと」
楓の声を無視し言葉を続ける。
「大吉」
「……なんだよ京」
「大吉のことは最初は怖かったけど、ほんとはかわいいし、いいやつだって」
「ばっかやろう」
照れくさそうな顔をする大吉。
「次郎はなんでもできてすごいって、しかも気遣いが大人だって」
「……」
「俺は俊介がわざわざそんな嘘をつく人間には思えない、あいつは誠実だから」
京がそう言って楓を見る。
「それはあんたの勝手な」
「想像……だろう」
「な、なによ」
「……三島が想像だけで言うなっていったけど、人が考えていることなんて想像でしか言えないと思う、なんというか、だから、俊介が何考えてたなんて俺たちがわかるはずがない」
京はそういうと眼鏡のずれを人差し指でなおす。
「……なによ、それじゃあわたしが言ってたことも、ありえるってこと」
「かもしれない」
「……」
京ふわふわした考えに楓の気勢も逸れてしまった。
学生たちは考える。
俊介が何もかも嫌になって逃げてしまったのか。
どうして、嫌になったのか。
迷惑かけるのがつらくなっていなくなったのか。
何も考えられなくなるまで追い込まれていたのかもしれない。
逃げることで構って欲しかったんじゃないだろうか。
誰かいじめをしていたのかもしれない。
わからない。
わからない。
「でも、俺たちが追い込んだことは間違いない」
京はそう言って、次郎に視線を送る。
次郎は視線に気づいて京を見上げるが、すぐに顔を伏せる。
わからない。
そして、力が入らない。
いつもなら、こういうことがあれば、一生懸命アクションを起こそうとする。
でも、もうどうでもいい気分になった。
だるい。
学校。
こんなところいてもしょうがないような気がしてきた。
どっかにいきたい。
長崎に帰りたい。
ぐるぐるぐるぐる。
次郎は体の中心にねばねばして重たい何かが居座っているような、そんな感覚を覚えていた。
それからはあまり記憶がない。
夜の点呼が終わり、就寝前に次郎はフラフラとテントから出て歩いていた。
キャンプ場のような洗面所やトイレがある地域。
次郎は何も考えず、木製の苔の生えたようなベンチに腰掛ける。
秋の夜、鈴虫の鳴き声が異様に大きい。
次郎は耐え切れず、頭を抱えた。
耳鳴りのようにも思えたからだ。
そして、薄着のままだったためブルッと体が震えた。
秋の夜は既に冬と思えるような冷え込みだ。
それでも、テントに戻る気力はない。
何もしたくなかった。
「あら、どうしたの?」
教官ではない。
薄いピンク色のジャージに、もこもこしたベージュのダウンジャケットを羽織った女性。
懐中電灯を手に見回りをしているようだった。
彼女は立ったまま両手を膝に置き前かがみになって次郎に話しかけていた。そして、はらりと黒ぶち眼鏡にかかった長くウェーブのかかった髪の毛ではらった。
「ちょっとお話し、しようか」
「……」
「怪しいお姉さんじゃないから、ほら、カウンセリング室の先生」
彼女はそう言うと、首からかけた身分証を次郎に見せた。
笠原梅子。
カウンセラー。
そう書かれたカードを次郎に見せて、にっこりを微笑んだ。
「すべては学生のため」
拙作「戦火のウタ」内の「5.05」の主人公である晶のお父さん、日之出大尉が常日頃いっている言葉です。
三人の過去の関係はこちらに少しあります。




