第51話「カレー戦争」
次郎はコンパスと地図を見比べている。そして、腰上まである雑草の中で立ち止ったあと、ため息をついた。
「ここらへんなんだけどなあ」
目当ての場所はこのあたりなのだが、まわりには目印になりそうなものがまったくない錯雑地だ。
ちゃんと目的地に着いたという保証もない。
教官から渡されたコンパスと地図。
三六〇分割の『度』ではなく、六四〇〇分割の『ミル』という単位がひかれているコンパス。
同様に地図も、等高線やUTM――ユニバーサル横メルカトル図法――座標がひかれている軍用のもの。
『米』『鶏肉』『じゃがいも』『人参』『たまねぎ』などのシンボルマークをじっと見る次郎。
昨日の課目と同じ絵だ。
無口な青年将校……こんなかわいい絵を描くとは思えない、隠れオタクのレンジャー林少尉が描いたシンボルマークである。
次郎達学生の任務は、夕食にカレーをつくることだった。
各中隊の学生達は十人一組のグループにわかれて、それぞれ役割を与えることになった。
美味しいカレーを作るには、すべての具が必要だった。このため、次郎のグループは炊き出しする学生と具材を探す学生に分かれて、任務を分担していた。
任務であるカレー作り。
その夕食のカレーの食材を手に入れるため、次郎達一行は演習場の中を探索していた。
ルールは単純だ。
示された地点に『食材』チケットを持った教官達が隠れている。
それを探しだしてチケットを貰う。
宿営地に戻って貰ったチケットと食材を交換する。
それだけだ。
コンパスと地図を見て目的地にいけばいいのだ。
これは実際やってみると難しい。
一万分の一スケールの地図。
食材のありかを示すポイント、宿営地からそのポイントまでは直線にすれば一キロメートルもない距離だが、その間に谷や山がある。
それだけならいいが、地図上では平面に見える森林内も平らではなく、ところどころデコボコした地形がある。
学生達は地図に分度器――もちろん六四〇〇分割のもの――を当て地図上の方向を計り、コンパスで現地で進む方向を決める。そして、歩数で距離を測り自分の位置を把握する。
越えることができない地形障害――溝とかやぶこぎできないほどの植生など――があれば、迂回するしかない。
六四〇〇分の一。
一ミル間違えば、一キロメートル先で一メートルの誤差だが、一〇ミル間違えば一〇メートル、一〇〇ミル間違えば一〇〇メートルなのだ。
円を六四分割したものが一〇〇単位、アナログ時計でも六〇分割であることを想像すれば、如何に繊細な作業かわかるだろう。
「スマフォがあればいっぱつなのに」
そうぼやく大吉は登山用のアプリで、ナビができることを知っていた。
もちろん、そんなことは教官も承知しているため、とっくの昔にスマフォ類は取り上げられている。
大吉に次郎それに京と俊介。
このチームで『食材』探索をしていた。
料理チームは自称腕に覚えがあるサーシャなど、料理経験者を基準に残していた。
「ま、時間もあるしぼちぼちと」
大吉があくびをしながらそう言う。
次郎が必死に地図とコンパスを見ているのに、大吉は俊介を質問攻めにしてずっとしゃべっていた。
「で、どうなんだよ」
「え?」
大吉がエロ話をする時のあの男子特有のキラキラしていた。
質問の内容は俊介の彼女である小牧楓。
「これくらいかな」
手のひらを広げ、お椀のような形にする俊介。
ずっと嫌がっていたがしつこい大吉に根負けしてしまった。
「え、そんなに」
「すごいのかな、着やせするタイプかも」
「がっでーーーーむ!」
大吉が草むらに膝をつく。
「……おい、次郎……こいつ、神だ、神」
「な、なに」
「着やせって、あれだろ、見たんだろ、中身、触れたんだろ、中身、え、なあ」
「……」
「え、まじ、なんで黙るの? その先もいったの? 触ったの? 揉んだ! つまんだあっ!」
大吉は興奮のあまり絶叫していた。
立派な男の子である。
げしっと言う音とともに前につんのめる大吉。
その後ろには冷たい目をした京がいた。
後ろからその背中を蹴り倒したらしい。
「エロ吉、お前歩数測っているのか?」
顔面を地面にこすりつけたせいで顔に枯れ葉がくっついている。葉っぱについていたのだろう、ダンゴムシが大吉の坊主頭の上を走っていた。
「お、おう」
目を背ける大吉。
「で、今は、さっきの地点からここは何メートルだよ」
「俊介が測っている」
「え?」
ビクッとする俊介。
「ぼ、僕は大吉くんが数えるって」
「いったけ? あれ?」
白々しい大吉に対し、ジト目で京が睨む。
そんな会話を聞きながら次郎は大きなため息をついた。
「……俊介、大吉」
地図とコンパスで方向を測りながら「三七〇〇ミル方向へ三〇メートル」とか指示するのが次郎。先頭を歩いて、まっすぐいける場所かどうかを確認するのが京。距離を歩測で確認するのが大吉と俊介という役割分担だった。
歩測を大吉と俊介にしたのは、一歩一歩の間隔で正確に測れるものではないので二人の平均を出して誤差を補正する目的があったのだが。
「ご、ごめんなさい宮城くん」
そう言って京に謝る俊介。
「俊介は悪くない、大吉、お前が小牧の胸がどうとか」
大吉を見下ろす京の目は冷たい。
クイッと細い眼鏡を上げて「どうせあてにならないだろうと思ってたから、歩数は俺が測っている」と言った。
京は大吉に向けて言ったつもりだったが、俊介の肩がガックリと垂れている。
自分が責められているような気になってしまったのだ。
いっぽう大吉はまったく気にしていない。
会話を元に戻している。
「気になるじゃねーか、で、も、もうやったのか、ねえ、おいい」
京の嫌味など意にかえさず、ただひたすら男の子の本能に走る大吉。
だってそういうお年頃だもの。
「……」
大吉のしつこさに無言のまま一歩後ろにさがる俊介。
「か、彼氏と彼女だから」
「ど、どこでやったんだ! え、学校のなか」
「そ、そんなところではしてないし」
「し、したのか」
「……体育祭の後、秋の連休で」
「がっでーーーーむ!」
坊主頭を掻きむしる大吉。
「お師匠!」
男子たるもの、すぐれた師を持つことは大切である。
「す、すごいの?」
次郎もくいついてきた。
彼もやっぱり男の子。いや、むしろムッツリスケベである。
「柔らかい」
「「柔らかいっ!」」
大声で復唱してしまう大吉と次郎。
しょうがない。
そんなふたりにため息をついてしまう京。
「きょ、京は興味ないのかよっ」
「……興味があっても、そうやっていちいちバカみたいに騒ぐのが嫌なだけだ」
「うわ、ひとりだけ大人ぶりやがって」
口を尖らせて抗議する大吉。
「ガキには興味が、ない」
次郎が京の口真似をする。
「俺だって、晶みたいな大人って感じが」
なぜか張り合う大吉。
日之出中尉を晶よばわりする少年。
本人に聞かれたらあの冷たい目で蔑まれ、コンクリート詰めにされ海没処分になるのは間違いない。
「お前、この前は真田中尉って」
バカにした目のままの京。
お姉さん的な日之出中尉ではなく、おねえちゃん的な真田中尉も人気がある。
「す、鈴ちゃんもいいけど、なんつうか、子供っぽいというか」
真田中尉は『鈴ちゃん』という感じに親しみを込めてよばれ、若干なめられていた。
「けっこう、年上が好きなんだな」
「「「けっこう?」」」
はてなマークを頭の上に浮かべる、京以外の三人。
「ああ見えてふたりとも三十路手前だぞ」
「まじでっ!」
大きな声を出したのは次郎だ。
「だって、鈴ちゃんなんて、どうみたって二〇手前の童顔」
「考えてみろ、あのひとたちの階級……一番早くても二十四で少尉、その二年後に中尉だろう、役職的に中尉でも上の方だから年数もあるだろうし」
「そうだったのか……俺の倍は生きてるんだ」
大吉がなぜか愕然としている。
「かあちゃんが三十四だから……えっと」
大吉母は十八で彼を出産している。
「日之出中尉も鈴ちゃんもかあちゃんといっしょ……」
立ち上がった大吉は悟り顔でそう呟いた。
「なんてこった」
次郎がショックのあまり地図を落とす。
「……そこがいいのに」
京がふっと目を細め空を見た。
「上級者だ」
まぶしそうに見つめる大吉。
「すげえ」
男の中の男を見る様に感動した次郎。
「年増、熟女こそ男子の本懐」
京の眼鏡がキラリ輝いた瞬間だった。
「誰が年増? 熟女?」
ガサリ草むらの中から動く草の塊。
頭から体に生い茂る草を体につけ、顔にドウラン――迷彩の化粧――を塗った人間だった。
よくみると、迷彩服に女性の輪郭が浮き出ている。
笑顔のドウラン。
「三〇過ぎてませんが、何か」
真田中尉本人だ。
「ひいいっ」
いつも冷静な顔を崩すことがない京だが、さすがに目をまるくして後ずさる。
地面の根っこに足を引っかけそのまま尻餅をついてしまった。
「おかあさん? だれが? ねえ」
優しい声で問いかけるが彼女の目だけは笑っていない。
「あわわわわ」
次郎は口をパクパクさせている。
「けっしてけっして」
なんていえばいいかわからない大吉は心臓をバクバクさせながら硬直した。
一方俊介は真田中尉に自分と楓の事を聞かれてしまったんじゃないかと、そのことばかり心配している。
中隊長は部内恋愛禁止と声高に言っていたからだ。
もし、自分達の事がばれたらどうなるのか、怖った。
慌ててひれ伏す男子達。
こうして、彼らはなぜか平謝りしながら『鶏肉』チケットを手に入れることができた。
そのカードを配る役だった真田中尉。
失言は多かったが、うまくできていたグループであった。
夕食のチキンカレーに一歩前進である。それでも、これが一個目の食材。
ひどく疲労してしまったが、彼らはさらなる食材を求めて歩き回らなければならなかった。
昼過ぎまでには食材チケットを手にいれることができた学生達は次々にぶつぶつ交換をしていた。
――コケッコケッ。
鶏の鳴き声。
「学生は今から鶏の解体のやり方を教えるのでよく覚えておくように」
林少尉がそう言いながら木から鶏を吊るした。
「これで生き物の命をいただいているとか、そういう高尚な事を教えるわけじゃない……戦場に行けば、現地であるもので食べなければならないときがある」
慣れた手つきで大型のナイフで首を落とした。
もう一羽は綾部軍曹が一瞬で首を落とす。
ぼたぼたと落ちる血。
その後、大きな釜に鶏を入れ毛を毟り、そして肉をそいでいった。
学生、ドン引きである。
こういうのは女子の方が平気な顔をしているから不思議なものだと、林は学生を見ながら思った。
まあ、喜んで見れるものではない。
林自身、この作業は苦手であるが、教官に指名されたため仕方なくやっていたというのもある。
「じゃあ、学生もやってみるか? 真田中尉から事前に希望者を聞いていたので」
そう言って胸のポケットからメモを取り出す。
「宮城、それから松岡」
ビクッとする京と大吉。
希望なんかしていない。
あの後、鈴が笑顔のまま『お肉の切り方の実技したい?』と言われ、勢いで二〇回ぐらい頷いただけである。
お肉イコール鶏とは思っていなかった。
ナイフを手にした京。
ケコ、ケコと鳴く鶏。
震える手。
「ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー」
なんとなくお経の様なものを唱え、暴れる鶏の首を必死に切り落としていった。
あんなに細い首であっても、生き物の首というのを切るのは大変なことであった。
「……お疲れ、京」
「……」
京の肩を叩く次郎。
大吉も別の鶏を切ったため、なんとなくげっそりしている。
そんなイベントも終わり、ひと息ついた後にあの時の鶏がどっさり入ったチキンカレーが目の前にあった。
作ったグループのリーダーはサーシャ。
それを思い出した四人は更にげっそりしていた。
ロシア貴族ですおほほほほ、なんて言っているあのお嬢様が料理できるはずがないと思っているからだ。
とんでもないものができるんじゃないかと予想していたからガクリときた。
今日の午前中、あの苦労が水の泡になるに違いない。
そもそも、最初はサーシャも一緒にコンパスもって歩く予定だった。だが、ロシア軍のミルは六四〇〇分割ではなくて六〇〇〇分割だから嫌だとか、次郎達にとってはどうでもいいことを言って残っていた。
だいたい、ロシア人がカレーなんて作ったことがあるのか、そもそも食べたことがあるのかというのも疑問だ。
ボルシチでも作るんじゃないだろうかと思う。
いや、もうボルシチでいいんじゃないかと思うのだ。
食べたことはないけれど。
サーシャの手料理。
ロシア帝国貴族のお嬢様の手料理だ。
きっと料理なんかしかたことはない、そんな女子がつくる料理なんぞ爆弾以外なにものでもないだろう。
ちなみに、他のおかずは鶏モツの煮込み
それは風子がリーダーで担当していた。
真っ赤に輝く秋空に浮かぶ夕日。
この夕食を食べるためでだけに、一日中この演習場を歩きまくったのだ。
さすがに腹も減ったし、どんな味だろうが肉と野菜を煮込めば食べれないものはないだろうと彼らは腹をくくった。
「い、色は問題ないな」
プラスチックのプレートに盛られたカレーを見て、次郎がつぶやく。
「ボルシチって赤いらしいけど、これは、カレーの色だね……」
俊介が頷いた。
「じゃ、じゃあ食べようか」
「……まて」
スプーンを口に運ぼうとした次郎を制する大吉。
「まずは、風子さんのモツ煮込みを食べよう」
こくりと頷く三人。
彼らは、中隊の一団よりも少し離れた場所で食べようとしている。
サーシャが見ているところで噴き出したりしたら、そりゃ恐ろしいことになるのは目に見えている。だから隠れていた。
一方彼らは風子が働いている母親の代わりに食事はよく作っていたということを知っていた。
たぶんサーシャよりは安全である。
もちろん、まだサーシャのが不味いとは決まっていないのだが。もうすでに彼らはそう思い込んでいた。
サーシャの怨念のせいだろうか、風子の作ったモツ煮込みまで禍々しい雰囲気を感じるのだ。
色は醤油のせいで茶色だし、モツの灰汁とその形がアレなのでしょうがないのだが……一言でいうと、この男子たちは失礼である。
男子達は恐る恐る口に入れた。
「うまい」
「美味しい」
「美味しかっ」
「んまい」
京、俊介、次郎、大吉はそれぞれ違う称賛の言葉を口にした。
のちに美味しかったと大吉が伝えると、彼女は恥ずかしそうに「レシピ通り作っているだけ」と答えている。
男子達のため息。
目の前にあるカレー。
時間が経ってしまったせいか、お米が少しかぴかぴになっている。
「……」
沈黙。
「覚悟、決めるか」
京が目を瞑ったまま言った。
瞼の裏には首を切ろうとした時に断末魔の叫びをあげる鶏――脳内で大げさになっているが――と『あはははははは』と壮絶な笑顔でカレー鍋をかき混ぜるサーシャ――もちろん想像――を思い浮かべてしまう。
躊躇しながらも、勇気を振り絞ってカレーにスプーンを突っ込んだ。
その時だ。
がさっと音彼らの周りから音がした。
彼らを囲んで一気に接近する黒い影が現れたかと思った時には、京の口と手を後ろから抑えられていた。
「……何モ、シャベルナ」
イントネーションがへんてこな日本語。
「黙ッテ、コノカレートオカズ渡セ」
気付けば屈強な男七、八人が彼らの手と足を抑えられていた。
「う……」
うわああと叫ぼうとした俊介はすぐに口をふさがれ、曇った悲鳴しか上がらない。
「ワレラ、男ノ中ノ男ヲ極メシ森ノ妖精」
「お前、ボ……」
ブと次郎が言おうとしたところで口を塞がれる。
緑色と茶色のバンダナを顔にグルグル巻いたボブ・アームストロングは胸を張って言い放った。
「森ノ妖精ダ」
いつから、森の妖精はこんなにむさくるしい筋肉男子になったのかと次郎は思ったが、声に出せない。
「黙ッテ、ソコニアル女人ガ作ッタカレーヲ渡セ」
三中男クラ軍団。
支給されている、野戦用の防寒下着。
緑色のスパッツと長袖Tシャツ姿のボブたち。
一応森の妖精に変装いたつもりのようだ。
女子の作った手料理が食べたくて食べたくてしょうがないという男子の思い。
それが彼らを森の妖精さんに化けさせ、このような凶行に走ってしまったのだ。
男の子ゆえの哀しみ。
哀しみの妖精伝説。
「大丈夫」
「何が、だいじょ……」
うぶだ、と一瞬のスキを見て大吉が声を出すが、二人がかりで押さえられてしまう。
「交換スルモノハ持ッテキタ」
武骨なジャガイモや人参がプカプカ浮いているカレーである。
ボブはそういうと、丁寧にカレーを置いていく。
代わりにひょいひょいっと取っていくカレーが盛られたプレートを見た彼らには、それが光を放ったように見えたのだろう。
衝動的に妖精たちは手を合わせていた。
「これが、女子のカレーかあ」
「ありがたやー」
「アリガタヤー」
男クラ達が目をキラキラさせながら、カレーを拝んでいる。
「デハ、サラバデゴザル」
ボブたちは大切そうにプレートを抱え、闇に紛れていく。
そして、あっという間に足音が聞こえなくなっていった。
「……あ、食器」
ちゃんと返してねと俊介が言おうとしていたが、もう遅い。
代わりに、三中と書かれたプレートが残っている。
まあ、明日取りに行けばいいだろう。
ぐう。
タイミングよくお腹がなった俊介。
よく動いたし、お腹が減っている。
風子のモツ煮込みを食べても足りない、育ち盛りの男の子たちであった。
「……食べるか、とりあえず」
大吉がそう言った。
この男クラカレー、何気にいい匂いがするのだ。
きっと不味いし汗臭いかもしれない男クラごはん。
それでもいい。
お腹がすいたから、もうどうでもいい。
スプーンですくいとるゴツゴツした具が入ったカレーとお米。
彼らは死なばもろともという心意義があったのかもしれない。
同時に口にそのカレーを放りこんでいた。
もぐ。
もぐ。
「うまい」
「なにこれ美味しい」
「あ、美味しい」
「うまいぞおおおお!」
最後は大吉の雄たけびが響いていた。
男クラカレー。
ほどよく効いたスパイス。そして、ぐつぐつ煮込んだのだろう、大きな具の表面が程よく溶け込んでうまみを広げ、コクのある味になっていた。
そして、とどめが良く煮込まれた柔らかい鶏肉。
隠し味はインスタントコーヒー。
美味であった。
「大丈夫かな、あいつら」
次郎がつぶやく。
「いいんじゃないか、好きでやってたことだし」
京がため息をつきながら答える。
「んめ」
ガツガツ大吉は食べる。
「ま、罪悪感はあるけどな」
「大吉、口の中にモノをいれたまましゃべるな」
お父さんのようなしかり方をする京。
彼らは知らない。
男クラの宿営地でサーシャカレーの取り合いがあった挙句、勝者が栄光を掴んだまま空を見上げて口から火を噴いたことを。
そして後味にシロップの様な甘さを感じ、悶えていたことを。
カレーに砂糖をどっさり入れてはいけないのだ。
「最低、ヒルとかくっつくし」
はあ、とテントの中でため息をつく鈴。
あの森の中に潜んでいるときに、背中にヒルがくっついていたのだ。
今はもう衛生兵にとってもらったから問題はない。
だが、彼女は実際吸われていた時にまったく感触がなかったが、気になると、とった後とはいえ背中がもぞもぞしているような感覚に襲われていた。
「気持ちわるいー」
そう言って、飲んだビールモドキ空き缶を足下に置いた。もう三、四本の空き缶が地面に広がっていた。
「お疲れ様」
同じくビールモドキをグビグビ飲んでいる晶。
確かに、あの森はヒルがでることで有名だが、実際にかまれたのを見たのは、彼女も初めてだった。
「めちゃグロかったし」
ため息をつく鈴。
「……でも、鶏の解体は平気な顔をしていたじゃない」
しばらくは鶏肉を食べる気にならない気分の晶である。
ああいうのは苦手だった。
「晶はお姉さんぶってるけど、ああいうのには弱いんだ、かっわいい」
そう言ってへらへら笑う鈴。
「お姉さんって、あんた何歳よ」
「まだ二十七歳」
二人は同学年だが、春生まれの二十八歳の晶と冬に生まれた鈴では差ができていた。
「……強調するな、そこ」
晶がジト目で鈴を睨む。
すると彼女は目を伏せてため息をついた。
「……おばちゃんなのかなあ」
「どーしたの急に」
「……あの子達がさー、自分の母親と同じだって」
ぶほっとビールもどきを吹き出す晶。
「な、なんで」
「あの、松岡くんのお母さんは三十四歳だって」
「な、なによ、全然上じゃない」
「……あの子達との差はひとまわり、お母さんとの差はその半分だからじゃないかな」
唖然とした顔をする晶、そして怒りの顔に代わり。
「……松岡ね、うん覚えた」
と言って笑顔になった晶。
怖い笑顔である。
「それに」
「それに?」
「あの子達からすれば年増で熟女らしいわ」
「……誰が言った」
「宮城、一年生の学生長」
「よし、コロす」
そう言って、彼女はビーフジャーキーをかじった。
「お姉さんをバカにするとは、良い度胸ね」
やっぱり笑顔が怖い晶。
「そーよねー、ほんと」
笑顔で返す鈴。
これもまた怖い。
「あのクソガキどもめー」
「くそー、お姉さんをバカにすると恐ろしいことになるってことを思い知らせてやるー」
「ちくせうー」
「好きで歳とってるわけじゃねえっての!」
「女は三十からが魅力だってのにっ!」
京も「魅力的」だと、そう言ったつもりだったが、あの言い方が悪かった。
年上好きの宮城京。
同級生の女子には一切興味がない。
クールで、テキパキと何事もこなす中隊学生長。
体力優秀、学業優秀。
だが、唯一の弱点というか、性癖と言うか。
もちろん表には出さないが。
彼は残念なマザコンであった。




