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陸軍少年学校物語  作者: 崎ちよ
第7章  神無月「体育祭」
49/81

第49話「探さないでください」

『ロシアに帰ります。

 みんなとの生活は忘れません。

 探さないでください。


 Большое спасибо


 Александра  Гейден 』


 風子は書かれているロシア語を検索したら『ほんとうにありがとう アレクサンドラ ゲイデン』という意味だと知った。

 サーシャはアレクサンドラの愛称だということは聞いていた。

 そして、ありがとう。

 そんな言葉を残したサーシャ。

 風子はその言葉が表示されているスマフォをぐっと掴んだ。

 もう何回も返信している。

 でも、反応はない。

 彼女は腕時計を見た。

 針は九時を指している。

 時間なんて見ても意味はないことはわかっていた。だが、見ないわけにはいかない。

「風子ちゃん……」

 緑の声。

 今から追いかけても見つからないというのはわかっていた。

 彼女が外出したのは昨日。

 もうすでに、成田行きの電車に乗っていっているに違いない。

「……探す」

「……え?」

「ぜったい探すから」

 サーシャの様子があの体育祭の日から不自然になっていたことには気づいていた。

 怪しくなるロシア情勢。

 食堂でそのニュースを見る度に、箸を止めていた彼女。

 ――わたしの命はロシアのために使う。

 そんなことを言っていた。

 ――率先してロシア貴族が前線に行くから一般市民から尊敬の念を受けているんだ。それができない貴族は貴族なんかではない。

 出会った当初、そんな話はあまりしていなかった。

 どちらかというと『ロシア貴族の誇り』なんて高飛車な態度をとるぐらい。

 ただ、風子は最近自慢より『義務』の話が多くなっていたことに気付いていた。

『ゲイデンは横浜にいる兄に会いに行った、日曜の夜には帰る』

 昨日、土曜日に中隊副官の日之出中尉がそう言ったことを風子達は鵜呑みにしていた。そして、あのメール。

 日曜の朝に届いたメール。

 サーシャは兄に会いに行っていない。

 きっとロシアに戻るために空港かどこかに行っているんだろうと彼女たちは思った。

 メールがそう言っているのだ。

 もちろん、手続きもなくどうやってロシアに帰るとか、そういうことは知らない。ただ、漠然と彼女が遠くへ行ってしまうということだけはわかった。

 どんな手段でロシアに帰るのかはわからない。

 金沢や富山港からは極東ソ連への便しかないのも知っているので、空路だろうというのは予想がついた。

 でも彼女を追って成田空港にいくお金もない。

 誰もがすでに彼女は駅にはいないということはわかっている。

 彼女たちは金沢の町をやみくもに探すことしか選択肢はなかった。

 それしか方法を思いつかなかった。

「俺は残る」

 そう言ったのは京。

「門限破る気まんまんだろう、その時説明する人間が……いるだろう?」

 彼は同期を見渡してそう言った。

 怒り狂うであろう教官たちを相手にする方がきつい役目だということはみんな承知している。

「みんな行く必要はない」

 風子はそう言ったが、同期の男女はみんな立ち上がった。

「できることはやりたい」

 そう言ったのは緑。

 できること。

 学生達は子供ができることなんて、たかが知れているというのは重々承知している。

「だって、まだまだサーシャにはあんな格好やこんな格好させるんだから……」

 緑はそう言うとぐっと拳を掴んだ。

 俊介が地図を机の上に広げる。

 何もできない、彼もそんなことはわかっていた。

「もし、いろいろ手続きをするためにこっちに残っている場合は……」

 風子が指をさす。

 もちろん、あんなメールを送ってきた後だ、もう日本から離れている方が確率は高いことはわかっている。

「ビジネスホテルが多い駅周辺」

 風子に視線を送ったのは次郎。

「もしかしたら港に行っているかもしれない」

 金沢からロシア帝国方面にいく船はないし、あってもソ連行きの貨物船というのはわかっている。

 だが、可能性はゼロではない。

 次郎は言葉を続ける。

「俺は港に行く、自転車で一時間ぐらいだからいける」

「小松空港は……」

 幸子の声。

「国際線はあるけど、ロシア直行はないな」

 京がそう答える。

「私は小松空港に行く」

「……お金、大丈夫?」

 幸子は胸を張る。

「留学生パワー」

 財布を取り出し、彼女はペシペシと叩く。

 国から一定の手当(おこづかい)をもらっているのだ。極東共和国としても送り出した留学生が貧乏となると、さすがに体裁が悪い。

「すげー、おごってよ」

 大吉が乗っかる。

「……な、なんで大吉くんに」 

「デート? デート?」

 京が大吉をからう。

「違うわっ」

 少し顔を赤くして大吉が否定するのを見て、幸子は少しムッとした顔をした。

 わいわい盛り上がる場。

 どことなく楽しそうな雰囲気だ。

「それじゃあ」

 風子がポンと手を叩く。

 楽しむことは不謹慎か。

 そうは思わない。

 こういう時だからこそ、不謹慎な雰囲気を作らないといけないような気がするのだ。

 お通夜みたいなことをしていたらサーシャが見つからない、そんな気がしていた。

 深刻な空気が漂ったらおしまい。

 そう思っていた。

「小松空港は幸子ちゃんと大吉くん……お願い幸子ちゃん、大吉くんにお金を貸してあげて」

「……う、うん」

「利子はお金じゃなくて、肉体的かつ精神的なお礼でいいから」

「まって、風子さん」

 慌てて制止しようとする大吉を無視した風子は親指を立て幸子に向ける。

「……わかった」

 そう言うと幸子はニヤリとして親指を立てて返事をした。

 奴隷君いっちょあがり、である。

「次に金沢港は上田君と……」

 風子は次郎を見た。

「俺以外に自転車持っている男子」

 俊介など数人が手を挙げる。

「雨……ふってるけど」

 風子がそう言ったが「関係ない」と次郎は笑って答えた。

「うん、それでお願い」

「まかせとけ」

「あとは」

 駅周辺の市街地地図の上に赤いマジックで枠を描いて、数個のブロックを作る。

「組に分かれて探そう」

 いつも中心から離れた場所にいる風子。

 その風子が中心で物事を決めていく。

 もちろん違和感を感じる者はいた。

 だが、その違和感もすぐに消える。

 サーシャの事に関しては、彼女が中心に動かなくてはいけない。

 そんな空気がここにあったからかもしれない。



 風子は大きな荷物を持った自分が数か月前に通った改札口を見つめていた。

 あの日、無精ひげの変な軍曹さんがキラキラモール付の看板を持って立っていた風景。

 あの日と違い今日は外が雨のため、屋内にある改札口付近も地面が濡れていた。

 緑と出会い。

 次郎と再会した。

 そして大吉と喧嘩をして。

 ……サーシャ。

 そうだ、サーシャはここにはいなかったと、ふと思う。

 すると彼女は不思議な気分に包まれた。

 彼女との出会いは彼らと出会ったタイミングとは違う。

 いつのまにか学校に居て、違う制服を着ていた。

 金色の髪に青い瞳。

 近寄り難い雰囲気だった。

 でも、いつの間にか混ざって。

 ランニングをして苦しかった時、何か声を掛けられたのが最初だっただろうか。

 通信訓練で巨大ネズミに恐怖した顔はかわいかった。

 学校祭で緑の魔の手に、そして変な集団に襲われたこと、水泳に事で頼られたこと。

 また奴らに襲われて恐怖したこと。

 サーシャが強かったこと。

 長崎でいろんな話をしたこと。

 今は同じ制服を着ることの方が多くなるほど溶け込んでいた。

 行き来する人混みの中で呆然と立ちすくむ風子の頭の中に、そんな記憶が溢れ出してくる。

 ジーンと熱くなる瞼の奥。

 気付いたら隣の緑の手を握っていた。

 風子は緑の顔を見ることができない。

 建物の外は暗くなっていた。

 すでに門限の十九時は過ぎている。

 ――サーシャ。

 風子はそんな声が聞こえた気がした。

「サーシャ」

 風子がハッとすると同時に、その声は緑の震えた声だったとわかる。

「風子ちゃん、あれ、そうだよね……」

 涙目のままぎゅっと風子の手を握り返す緑。

 改札口の前にいる金髪の女の子に視線を送る。

「サ……」

 風子は唇を動かしたが声にならなかった。

「いた……」

「うん、いる」

 自動ではない改札口。

 女性駅員に切符を手渡したサーシャが風子と緑に気付いたのだろう。

 少し照れくさそうに顔を伏せた。




 日曜の夜。

 学生達が誰も帰ってこないということで一中隊の大人は呼び出されていた。

 そんな彼らは事務室の前にたむろしている。

 当直の綾部が、ポリポリ頭を掻いて書類のチェックをしていた。

 他にも慌ただしく動いていたが、どうも見つかったらしいという話が入り、もう今はいつ帰れるかが気になる空気になっていた。

 日曜の夜である。

 呼ばれたものの、大人たちはけっきょく捜索に行くまでもなかった。

 学生達は全員帰隊したことを、中隊長が確認していたからだ。

 まもなく、はい解散と言う状況だった。

 一方学生達が集められた教場はシーンとしていた。

 教壇の中央にある時計は二十一時。

 目を瞑ったまま、教壇のすぐ横に座っている筋肉教師小山。

 窓の外を見ている女性は癒し系教官の真田中尉。

 ガラっと扉が開く。

 軍刀をひっさげた軍服。

 少佐の階級章。

 中隊長の佐古が威圧するような目をして学生を見渡した。

 教壇中央。

 あの襲撃の夜に近い表情だ。

貴様(キサマ)ら」

 小山が立ち上がる。

 佐古をギッと睨みつける。そして、そんな小山の肩に手を伸ばそうとする真田中尉。

 何かあったら届くはずもないが、その小山の剣幕に自然と手が出ていた。

「部屋に帰って寝ろ」

 クルリと横に方向変換した佐古は「以上」と言いつつ廊下に出て行った。

 すぐに小山がその後を追うようにして出ていく。

 しーんとした教場。

「帰隊時限遅延」

 真田中尉こと鈴が静かに話しを始めた。

「減給十分の一以下の懲戒処分」

 教壇に上ることなく彼女はそのまま話を続けた。

「規則違反、それも故意に」

 ガタ。

 京が立ち上がる。

「真田中尉、その理由は何度も話したように」

「理由にならない」

「……でも」

「他の中隊も知っている、学校全体に知れ渡ってしまったから、なかったことにしようとかできないの」

「……」

「だから、今は中隊長が言ったように……」

 風子が立ち上がった。

「みんなを無理矢理……私が」

 ため息をつく鈴。

「風子は私を心配して、探してくれた、だけ」

 サーシャが座ったまま声を出す。

「俺は自分の意思で」

 大吉が立ち上がる。

「俺も」

 次郎だ。

「静かに……」

 いつになく厳しい声の鈴。

「規則違反に、漢気(オトコギ)とかそういうものは」

 鈴はこの場に自分の綾部軍曹がいないことに安堵していた。

 彼がいるとややこしくなることは間違いない。

「はい」

 鈴が目線を下げる。

「あなたたちは、中隊長に命じられてサーシャを探しに行った」

 目をパチパチする風子。

 鈴が何を言っているのかわからなかったのだ。

「中隊長がみんなに行けと言った」

「……え、あの」

 緑が口を開きそうになったのを制するように鈴が言葉を発した。

「質問は受け付けないから、いい、そういうことだから、それだけ覚えなさい」

 呆然とする学生達。

 教官達に怒鳴りつけられると思っていた。

 静かな対応の大人達。

 そんな意外そうな学生の顔を見て鈴は、少し寂し気な表情をした。

「たまには、大人を頼りなさい、そのために私たちはいるんだから」

 最初からそうすればいいのに。

 彼女はそう思うが、きっと自分達が同じ立場なら、同じことをしていたかもしれないとも思った。

 組織、役割とかそういうものは経験しないとわからないものだと、鈴は知っていた。

 



「本当にあの子はロシアに行こうと……」

 大隊長室で頭を抱える佐古。

 目の前には軍隊の一室には似合わないスーツ姿の女性。

 サーシャのボディーガードをしている母娘。

 その母親の方である瓜生絵里(うりゅうえり)が口を開く。

「けっきょく、父と兄の説得で帰路についたから戻ってきたけど」

「あの兄が説得」

「妹ラブなのよ、あのツンデレお兄さん」

 ――ロシア語だったらマヤー、リュビーマヤな兄かしら。

 そんなのことを絵里はつぶやく。

「反抗期の娘だもの、そりゃ親は心配するでしょう」

 ――まあ、うちの娘も素直になれないまま父親とまた離れてしまったけれど。

 あの子はうまくいかないものだなと、身内の娘のことを思った。

 咳ばらい。

 大隊長が椅子をギギっと鳴らす。

 彼は深々と大きな黒い革張りの椅子に座っていた。

「それで、学生は全員異状はないのか」

「確認できました、異状ありません」

 大隊長は頷く。そして、自分の顎に指先を付け撫でた。

「君が、扇動した、それでいいんだな」

 その低い声はどことなくダンディーである。

「はい、ですがこんなに遅くなるとは思いませんでした、煽りすぎたのと、しっかりと帰隊時間を示していなかった私の責任です」

「どうして? 責任どうこうではなくて、扇動した理由」

「同期愛の醸成(じょうせい)を」

「ゲイデン捜索で?」

「まさか本当にロシアに帰るとは思っていませんでした……偶然でしたが、横浜の兄に会うというのを利用して、そういう噂を」

「苦しいな」

「何がですか?」

「言い訳が」

「言い訳ではありません、すべて私が責任を」

「そういう意味ではなく……嘘のセンスがないな、佐古」

 大隊長の言葉に、ニヤッとしたのは絵里だ。

「佐古くんはここの学生の頃から下手でした」

 同級生の声。

「昔のことは関係ないだろ瓜生さん」

 一瞬だが、二人はあのころに戻っていた。

「……」

「どうであれ、一学年のほとんどが帰隊遅延になったことは、君の指導力不足であることは間違いない」

「……はい」

 ふと、佐古の頭に『更迭』という二文字が浮かぶ。

「副官」

 大尉の階級章を付けた若い男性が一歩前にでた。

 人事系統の大隊副官が「はい」と答える。

「職権乱用、それでいいな」

「は、はい」

「程度は」

 重大な場合、軽微な場合、極めて軽微な場合に分けられる。

「極めて軽微な場合、かと」

「四十人を扇動してか?」

「……軽微な場合……になる可能性もあります」

 ギギ。

 大隊長が立ち上がり、窓の方へ歩く。

「処分は」

「停職の軽処分から戒告まで幅があります」

「うん、面倒くさいな」

「……は、はあ」

 副官が汗をぬぐった。

 上位者である中隊長を目の前に、そのひとの処分の話をするのはひどくプレッシャーがかかるものである。

「面倒くさい」

 佐古は直立不動のままだが、訝し気な表情に変わった。

「面倒くさい」

 つい、復唱してしまう。

「面倒くさいのは嫌いだ」

「……お言葉ですが、そういう問題ではないのかと」

「ぼくは知らない、そうだ知らなかった……うん、そうすれば楽だな」

 くるっと背を向ける。

「……ですが、私が責任を取らなければ、他の中隊に示しが」

「どうせ嘘をつくならもっと大きな嘘をつけ」

「もっと、大きな……」

「そもそも、こんなことはなかったことにすればいい」

「……ですが、噂は」

「しれっと作戦」

「しれっと作戦」

 大隊長が変なことばかり言うものだから佐古は、ついつい復唱するのが癖になってきた。

「人のうわさなんてたいしたことがない、それに規則規則だ杓子定規に言うよりも、何かオトコギが溢れる都市伝説になったほうがいいじゃないか、集団不正外出事件とか」

「……ですが」

「それに、君も思ったよりも人望があるかどうかわからんが、さっきからあっちの裏が気になってしょうがないんだ」

 そう言って扉の方を指さす大隊長。

「君ひとりに責任を負わせたら、俺も私もと来る人間が増えてたまったもんじゃない」

 扉の向うでガタっと音がする。

 ――早く帰れ、子供のお前ら出る幕じゃない。

 声を潜めていても明らかに小山の声とわかる。

 図太過ぎるから小声が小声にならないのだ。

 ――子供、子供って関係ないじゃないですか。

「佐古、家に帰って寝ろ、もういい」

 大隊長からしてみれば、俺も学生と同じか……などと佐古は思ってしまう。

 あの戦争の時には少尉で戦場にいた人だ。

 松本の連隊が敗走して、自分達と同じ飛騨で戦ったとは聞いている。

「日曜日の夜だ、ぼくもはやく家に帰りたいんだ」

 けっきょく責任を取れなかった。

 佐古は思う。

 責任を取ったのは、と。

 それは自分の腹にすべてを飲み込み、閉まってしまった大隊長なのかもしれない。

「まだまだだな」

 そう言って佐古は軍刀の柄をギュッと握った。

 


「すみません」

 サーシャはそう言ってペコリと頭を下げる。

「ま、お姉さんも今日は大目に見て、あ、げ、る」

 そう言いながら鏡に向かって化粧水を顔に塗ったくっているのは風子の部屋の三年生、田中純子である。

「ユキもたまには一人部屋で寝たいって言ってたし」

 二年の長崎ユキとサーシャは部屋を入れ替わったため、寝間着姿のユキはいない。

 今頃、留学生専用一人部屋を満喫しているんじゃないだろうか。

 消灯。

 その合図であるラッパ吹奏が、室内スピーカーを通して流れた。

「おやすみー、たっぷり夜話しなさい」

 そう言ってシングルタイプのベットに潜り込む純子。

 同様に二人も二段ベットの上と下の毛布に包まれる。

「……風子」

 下にサーシャ、上に風子。

「なあに?」

「……はやく大人になりたい」

「……うん」

「何もできない」

「……うん」

 それからサーシャは、ポツリポツリと話を始めた。

 結局手続きもできずロシアに帰ることができなかったこと。

 自分の行動が兄にはお見通しだったこと。

 ボディーガードの女性に連れられて帰ったこと。

 みんなが探していることを知ってびっくりしたこと。

 うれしかったこと。

 そして、辛かったこと。

 父親から心配するなと言われたこと。

 その声が聞いたこともない優しい声だったこと。

 兄が明日出港するにも関わらず、自分を探しに来たこと。

 けっきょく、兄に迷惑をかけ、父親が忙しいのに電話をさせ、大人に迷惑ばかりかけてしまったことに対し、とても恥ずかしいということを話した。

「サーシャは子供のままじゃ(イヤ)?」

「……大人になって、お父様の力になりたい」

 陸軍のお前が父の何を手伝えると思っているのか、と兄にバカにされたばかりだった。

「私はまだ、子供のままでいいと思う」

「どうして?」

「まだ、力がないから」

「ちから?」

「知恵も、経験も、それから意志も」

 風子は天井を見ながら話を続ける。

「この学校に来て、たった半年だけど、すっごく世界が見えてきたような気がするし、半年前の私からずっと成長した感じがする、だから、あと二年ちょっとするともっと大きくなれる気がする」

「だから大人にはやくなれば、それも手に入る」

「時間が必要なんじゃないかな」

「時間?」

「大人になるのにかかる時間」

「……わたしは、今すぐに、でも」

「私は自信ないな」

 風子は布団の中の体を横にする。

「弱いから」

「弱い……」

「今、大人扱いされても、きっと、ちゃんとできないと思う」

「ちゃんと、できない」

「うん」

「そうかな」

 サーシャは自分の無力さをこの二日間で思い知っていた。

 認めたくない弱さ。

 今、ロシアに戻ることさえない自分の力。

 そして、父親のあの声を聞いた瞬間、国に戻ることが萎えてしまった自分に。

「……それでも」

 ギシ。

 そう言って寝返りをうつサーシャ。

「わたしは、はやく、大人に……」

 なりたい。

 それは言葉にならず、嗚咽に変わっていた。

 小さな声。

 鼻をすする音の方が大きな、そんな泣き声が、響いた。

 カーテンの隙間から覗く青白い月の光。

 いつのまにか、雨は上がり、空の雲は消えていた。

 静かな夜。

 そして、静かな涙がこぼれていた。 




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