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陸軍少年学校物語  作者: 崎ちよ
第7章  神無月「体育祭」
44/81

第44話「男風呂」

 ――あんな感じに楽しい恋愛をしたい。

 風子はあの夏休みに聞いたサーシャの言葉を思い出す。

 ――していない。

 ――サーシャはまだしていないって、むこうじゃできないから、こっちでしたいって……。

 もうここにはいない。

 そんなことはわかっている。

 だが諦めることができなかった。

 片っ端から探す、それ以外に彼女の選択肢はなかった。



 ■□■□■


 

 男子学生用大浴場。

 年季の入ったその建物。

 浴場はところどころタイルが剥げているし、シャワーは目詰まりしていて、お世辞にも清潔感漂う場所とは言えなかった。

 次郎がここにきて半年。

 最初は抵抗があった。

 だが慣れというものは恐ろしいもので、むしろ学校の中でも数少ない癒しの場という位置づけになっている。

「最近、うまくいっている?」

 ごしごしごし。

 温泉施設にあるような、横一列に並んだ鏡とシャワーのホース、そして水道の蛇口。

 次郎の左には同部屋の先輩である潤が座っていた。そんな彼は白いアフロヘア―と見間違えるぐらいにシャンプーを泡立てている。

 同じく頭を洗っている次郎はそんな潤に一瞬ギョっとするが、ここで下手なリアクションをするとからかわれるだけだと考え、華麗にスルーして答えた。

 体育祭準備のことだろう。

「一時期よりは……無視する、なんてことはなくなりました、言いたいことは言える雰囲気というか」

 そう言いながら次郎は泡を流そうとして頭を下に向けた。そしてシャワーのお湯を出す。

 潤の振りを無視するのも限界なのだ、あの泡アフロはひどい。

 彼はツッコミたい気持ちを抑えるのが限界にきて、震えながら水栓のレバーを押した。

「冷たっ!」

 悲鳴をあげながらギロッと潤を睨みあげる次郎。

「ガ、ガキじゃないんですから、こういうことやめてくださいよ!」

 抗議されている潤はニコニコしながら頷いている。

「だって、ジロー君がかわいいから」 

 ここのシャワー水栓は左のレバーで温度調整、右のレバーでシャワーからお湯を出す構造。

 潤は次郎が下を向いた瞬間、左の温度調整レバーを『冷たい』方へぐいっと回したのだ。

「何回やったと思ってるんですか!」

「何回やってもひっかかるんだもん」

「むぐぐぐぐ」

 歯ぎしりする次郎。そんなことをしている間に、洗っている途中だった髪の毛からシュンプーの混ざった水滴が目に流れ込む。そして、彼はどこぞの大佐のような声――目があ――を出して悶絶した。

「ジュンさん、こいつ賢そうな顔をしてますが、中身は相当バカですから」

 次郎の右隣からそう答えたのは大吉だ。

 こちらもこれでもかというぐらいに泡立てて体を洗っている。

 坊主頭は泡立たないから、体だけでもそういう気分を味わっているのかもしれない。

「バカはどっちだよ、さっきからソコばっか洗いやがって」

 顔を背けて大吉のソコを指さす次郎。

「な、人がゴシゴシしているところ見てんじゃねえ、気持ち(わり)い」

「一生懸命洗っても使うことねえし」

「うるせえ、鍛えてるの! その日の為に」

「あーないね、ないね」

「おめーもいっしょじゃねえか」

 ガルルルル。

 顔と顔をすれすれになるまで近づけてガンを飛ばしあう二人。

「まあまあ、ゴシゴシしたって鍛えられないし、いつかはすることになるだろうし、それにソコだけじゃないからさ、アレは」

 そんなどうしようもない仲裁にはいる潤。

 グイッとジト目の二人が仲裁した先輩を見た。

「大吉、あのひと年上の彼女がいるからってすっごい上から目線すぎね?」

「次郎、あのひと経験者だからって、未経験者を見下すとかひどいよな」

 二人のジト目に対し余裕の笑顔で答える潤。そんな潤に対し、ちくしょーとかクソ―とか二人は唸るだけだった。

 そのうっぷんを晴らすためにも、彼らは手の速度を増して皮膚をそぎ落とすぐらいの勢いでゴシゴシ体を洗っている。

「あー、そうそうさっきの質問」

 そう言って、話を元に戻す潤。

「なんか質問してましたっけ」

「最近どおってやつ」

「あ、雰囲気は悪くないです」

「あーそーじゃなくて、体育委員の話じゃなくて女子との仲ね、風子ちゃんとか緑ちゃんとか幸ちゃんとかサーシャちゃんとか楓ちゃんとか」

 ぶほっと噴き出したのは次郎ではなく大吉である。

「じ、次郎、お前……」

「大吉、違う、ジュンさん、誤解されますから、そーゆー言い方やめてください」

「え、違うの」

「少なくとも緑とか幸子とか楓とかは」

「じ、次郎! 女子の名前を呼び捨てとかっ! お前、そんな仲……」

 食って掛かる大吉を右手で制止ながら次郎は話を続ける。

「ジュンさんにつられました、三島とか山中とか小牧とか」

「なんで、サーシャちゃんと風子ちゃんは入っていないの?」

 意地悪そうな笑顔の潤。

「やっぱり次郎、俺の風子さんをおおおっ」

 次郎は大吉の顔面に置いた手でそのほっぺたを挟むようにして言葉を遮る。

 大吉の唇がピエロのようにぷっくりした。

「ジュンさんにつられて間違えました! 女子との話はよくわかりませんっ」

「そーなんだ、かわいいと思うけどなあ、風子ちゃん、僕の好みだし」

 あ、でもサーシャちゃんは無理ー、なんておどける潤。

「……あの、ジュンさん」

「え、なに? ジロー君」

「冗談でもやめてください」

 低い声の次郎。

「……大吉が号泣しています」

「うわわーん!」

 涙をドボドボ流しながら、捨てられた子犬のような目で潤を見る大吉。

「うっ、うえ……ジュンさんのばかあ、うえっ、ぐすん、風子さんの純潔を奪ってしまうなんてひどい……あんな可憐な、純粋な体が、そんな薄汚れた手でまさぐられたなんて、うわあああああん」

 涎とと鼻水と涙が石鹸の泡に混ざってもう何がなんだかわからない状態の大吉。

「大吉君、なにもそこまで」

「だって、だってジュンさんの伝説……好みだと思った女子は片っ端から手を出してるって、口説いたその日に即体育館倉庫だって、うええええん」

「……いや、何、それ」

 笑顔が固まる潤。

「学生会副会長の長崎さんがそういう話を女子としていたらしいです、それを大吉が聞いたとか」

「……あのおっぱい眼鏡が……」

 ぐぐぐと拳を握る潤。

 胸を張り、眼鏡をクイッと人差し指で上げてキラーンと光る怪しいあの女を思い浮かべる。

 笑顔が少しひきつる。

「いーい、大吉くん、違うから……そんなことはぜったいにないから、僕は年下に手は出さないから、大丈夫」

 すると大吉は這いつくばるようにして潤にすり寄る。

 間にいた次郎を左手で押しのけながら。

「っひく……っひく……本当ですか? まだ風子さんに手を出してませんか? まだ風子さんのおっぱい触ってませんか? まだ風子さんを押倒し――」

 次郎の一発が大吉に入る。

「めええがあああああああ」

 今度は大吉が某大佐のような叫び声をあげた。

 説明しよう。

 次郎の必殺技――シャンプー目つぶし――は、風呂桶に溶かしたシャンプー水を手ではじいて敵の目に入れる荒業である。

「裸なのにべたべた近寄るな! 気持ち悪い」

 確かに気持ちがいいものではない。

 例え石鹸でぬるぬるしていたとしても。

「どこまでってのを確認することは大切だろう」

 スッと真顔の大吉。

「だから、そういうの想像するなって、ほら、風呂場じゃ、だめだろう」

 自分と大吉のソレを見る次郎。

「あー、触ったことがあるからそーゆーこと言うんだーあー、もー」

 どこまでもお子様な大吉である。

 そっとゴシゴシタオルを太ももの付け根に次郎は置いた。

 想像力が豊かな子なのだ。

「大吉だって、風子風子言ってるけど、山中のパンイチ見て、うひょーとか言ってたじゃねえかよ」

「そりゃーお前もいっしょじゃねえか、けっこうイイっとかよー」

 またむぐぐぐぐな二人。

「「このむっつりが」」

 二人で同じ言葉を吐いた後、プイッとそっぽを向いた。

 大吉がプイッ顔をやって方向にいる男子と目が合う。

「で、俊介はどうなんだ、小牧と結構いい感じじゃねえか」

 次郎もその質問の答えに集中しているのだろう。耳がピクピク動いている。

「あ、でも着やせするタイプかな」

 ぶばほ。

 鼻水と涎を同時に噴き出す音。

 ほぼ同時に音を出したのは次郎と大吉で、息の合ったリアクションと言える。

 二人は俊介と楓の間はどうなんだという質問のつもりだった。

「「見たんだ」」

 次郎と大吉が無表情で俊介を見る。

「え、だって二人聞いてきたし、あれ、違った……あ、雰囲気のこと? 普段はこわいけど、うん、けっこう、うん、かわいいよ」

「それは、なんのとき?」

「そ、そんなこと言えないよ」

 言っている。

 大吉がスッと悟った顔をしてゴシゴシタオルを膝の上に置いた。

「ごめん、俊介……いや俊介さんだ」

 その言葉にうなずく次郎。

「俊介大先輩……かな」

「え、なに? え、どうしたの?」

「ははは、次郎、これが大人の余裕だよ」

「はっはっはっ、僕たちには無理だね、大吉」

 そう言うと、俊介を無視してがっしり握手をする二人。

「え、なんで? どうして?」

 目をパチパチさせる俊介。

 勝者の自覚はない。

 ポンポン。

 二人の肩を叩く右手と左手。

 俊介がいつの間にか二人の上に立っていた。

 座ったまま振り向く二人。

「大丈夫、経験なんて早ければいいってもんじゃないよ」

 顔を横に振る潤。

 ポン、とふたりの肩を叩いてまた口を開く。

「男はハート」

 そう言い残すと彼は湯船に向かっていった。

「ごめん、先行くね」

 俊介もそう言うと立ち上がり湯船に向かう。

 その姿をくわっと見つめる二人。そして、しばらく沈黙した。

「そうか……」

 ため息交じりに言葉を吐きだす大吉。

「結局、ソコも大人なんだな」

 頭を抱える様にして自分のソコを見る次郎。

 潤のソコは、大人だった。

「……ハートだけじゃねえ」

「ああ、鍛えなきゃ」

「ああ」

 そう言って立ち上がった二人は湯船に向う。

 彼らは落ち着くのも早い。

 その後、脱衣所に戻り体をよく拭いていなかった大吉が文民(シビリアン)教師小山に愛のチョップを受け、ただでさえ低い背が一段と低くなってしまう些細な出来事があったが、彼らはぽかぽかした状態で外に出た。

 小山はたまに学生風呂に来ては、トレーニング後の汗を流している。

 体脂肪率ゼロではないかと噂されるぐらいにキレのいい筋肉とその般若の様な顔で風呂に入る姿を見た学生達は、きっと小山は自分の肉体を見せたがっているんだろうと噂をしていた。

 ある学生が「小山先生キレてますね」と言ったら愛のチョップをくらったという逸話も残っているが、真実かどうかはさだかではない。

 なにせ、確かめようという勇気を持った勇者はいない。

 いや、勇気を通り越して蛮勇と言ってもいい。

 そもそも、話しかけるのだって相当な覚悟を必要とする相手だ。

 ただ、浴場から脱衣場に出る時に体をしっかり拭かないと、愛のチョップをくらうというのはよく目撃されていた。

 頭のてっぺんにタンコブを作った大吉や連れの男子たちはそんな蛮勇があるはずもない。彼らは逃げるように浴場を後にした。

 そして今は男子寮に向け歩いている。

 建物と建物の間の路地に人影が見える。そして、立ち止まった。

「俊介」

 小牧の声だ。

 男たちが振り返ると、知っている顔がふたつ。

「「げ……」」

 女子達が先に口を開き、拒否感たっぷりの声をだした。

「お元気ー?」

 潤がニコニコしながら手を振る。

 小牧ではないもう一人の女子は黒ぶち眼鏡をクイッと上げて、今にも唾を吐き捨てるような表情をした。

「今、元気がなくなった」

 長崎ユキはそう言った後、顔を更にしかめる。

「あ、ども」

 ペコリと頭を下げる次郎。

「上田に松岡……」

 そんな楓の声に対し顔を背ける大吉。お互いのやり取りを見てオロオロする俊介。

 腕を組んだユキが楓を庇うようにして一歩前に出た。

「……一年生の男子でしょ、すぐにその男から離れた方がいい、それといっしょにいると軽薄がうつるから」

「人をばい菌みたいに」

「あら、ばい菌のつもりで言ったんだけど、通じてよかった」

 ユキはそう言った後、振り向いて楓を見る。

「楓ちゃん、気を付けた方がいい、あなたの彼氏くん、たぶんあいつに汚染されている、あなたたちが二人きりになったら彼氏くんがあなたを押し倒してくるから、ちゃんと守るものを携帯した方がいい」

 コソコソ話ではなく、遠慮のない比較的大きな声でユキは話している。

 そんなユキに対して、まさかすでに俊介は自分が押し倒しましたが……なんて言えない楓はあいまいにうなずいた。

「気楽でいいわねそっちは、学生会は明日の準備があるからまだやっているのに」

 淡々と話すユキの言葉の端々には棘が立っている。

「学生会のお手伝い、そういうわけで私もあんたたちを応援できないから」

 楓は次郎そして大吉を睨みながらそう言った。

 学生会に入った彼女は立場的にも中立なのだが、それ以上のモノを含めて言っている。

「か、楓ちゃ……さん」

「俊介も、最近体が締まってきたからうれしいなんて言ってたけど、いいように乗せられているだけだから……こいつらには気を付けて」

「……」

「きっと俊介が明日の試合でヘマしたら、ひどいこと言われるだけだし」

 大吉がキッと楓を睨む。

「そんなことはしねえ! 失敗しても仲間を責めるよう……」

 ぐいっと次郎が大吉を制した。

 今度は頭の上に手を置いて後ろに押している。

「……うん、信用できないのはわかってる、でもそういうことはしない、しちゃった人間が何言っているんだって自分でも思うけど」

「何それ、馬鹿じゃない」

 険悪な雰囲気の一年生を前に、最初に火ぶたを切った二人の二年生がオロオロする。

「ま、あの男子くんたちも嘘ついているように思えないし、うん彼氏くんもいっしょにお風呂いってるんでしょ、ほら、ダイジョブ」

 とユキ。

「小牧楓ちゃん? ほら、あの子あれだよ、ツンデレ、ツンデレ、今はツンツンしてるけど、きっとデレデレするからさ」

 と潤。

 すると、ギラッとした目つきで潤を睨んだのはユキだった。

 火に油を注ぎ引火させてしまったようだ。

「はあ?」

「あれ?」

 ニコニコ顔のまま汗がたらりと落ちる潤。

「あのね、ツンデレとか……女子はね、そんなにワンパターンじゃないの、わかる? おバカな男子がなんでもかんでもテンプレートにはめようとするほど単純じゃない、いい、女の子をね、そーゆー目でみるからいつまでたっても、バカはバカなのよ」

 プンプンしているユキはそう言うと、楓の肩に手を置く。そして、ドシンドシンと足音をたてながら、おびえる男子達の隣を通り過ぎていった。

「まったく、教官に単純はダメだって言われているくせに……まったくお子様なやつらは……」

 そんな言葉を背中越しに吐いて彼女たちはいなくなった。

 ――単純な答えが出た時は気を付けろ、それまでの過程が雑なことが多い。

 もうこの学校にはいない、そんなあの人の声が次郎の頭に響く。

 おや。

 あれ、という顔をする次郎。

 ――教官に単純はダメだって言われてているくせに……。

 なんで知っているのかな、と彼は思ったが考えれば考えるほど怖い話になりどうだったのでスルーすることにした。

 これは無視してもいい話だろう。

 そう結論付けた。そして、次郎が大吉と俊介に顔を向けた。

 次郎は口を開いてしゃべろうとしたが途中でやめた、大吉が先に声をだしたからだ。

「ごめん」

 頭を俊介と次郎の間に下げる。

「また、小牧にあんな態度とっちまった」

 彼は次郎にも、そして俊介に対しても謝っていた。

「うん、あ、でも楓さんもあんな感じだったから、しょうがない……」

 俊介がフォローしようとするが大吉が首を横に振る。

「俺、まだまだ大人(オトコ)になれねえ」

 風子さんに嫌われる……という言葉を飲み込む大吉。この前、みんなの前で同期にあんなことを言った時に見た彼女の背中を思い出す。そして、俊介に迫ったときのことも。

 初めて出会った時と同じ。

 つい、カーッとなってしまって彼女と喧嘩した。

 そういう思いから戒めようと思っていたのに。そんなことができる大人になりたかった。

 でも、また失敗。

 ――情けねえ。

 歯噛みをする大吉。

 明日は体育祭。

 楓と次郎の態度にハラハラする俊介。

 何かつきものが抜けて、思ったよりも無駄な力が入っていない次郎。

 様々な気持ちが交差する夜であった。




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