第39話「人の話を聞くときに腕や足を組むのはいかがなものでしょうか」
足や腕を組むポーズは拒絶を意味すると言われている。
少年学校の女子制服を着た小牧楓は、まさにそういう状態だった。
彼女の少し赤みかかった肩まである髪が揺れる。
前髪の間から覗くつり上がった目が次郎をするどく睨んでいた。
「あんた、かん違いしていない?」
「かん違い?」
彼女はイライラした態度のまま、細く白い足を組み替える。
立った状態の次郎は組み替える足が気になりつい視線を外してしまった。
彼は今までの件を楓に謝りにきているのだ。
京に言われるがままに。
――今までみんなの話も聞かず勝手に物事をすすめてすみませんでした。これからはみんなの意見を聞いてすすめていくので、みんなでがんばろう。
そんなことを言った。
「やり方を変えるっていうけど、どういう風に?」
立っている次郎に対し、楓は挑発的な目で睨みあげる。
「勝つために、もっとみんなの意見を聞いて……」
「勝つために」
彼女は組んだ腕をほどいた後左手で頭を抱え視線を外した。
「ねえ、その『勝つ』ってことになんの意味があるの?」
「意味って、そりゃ、同期の団結……」
大きなため息が彼女の口からもれる。
少人数しかいない教室、次郎はそれがひどく響いて聞こえた。
「また、そんな話?」
「それに、山中のために」
「……山中幸子さんのためだったら、もっと別にやることがあるんじゃない?」
彼女は腕をもう一度組みなおし、次郎を睨みあげた。
「別にって……俺だっていろいろ考えて、自分でできることでこれが一番いいことだと思ったから……」
「あんたが一生懸命いろいろ考えたこと」
「ああ一生懸命」
「それがどうした」
彼女は立ち上がり、くるりと踵を返す。
「行こう、俊介」
少し離れていたところで聞いていた俊介がビクリと立ち上がった。彼の座っている椅子が机に触れ、ガチャンと音を立てて倒れる。
「か、楓ちゃん」
「こんな奴らのために、俊介がぼろぼろにさせられているとか、意味がわかんない」
「ちょ、ちょっと」
「宗教じゃないんだから、意味の分からない集まりに強制参加とかやめて欲しいっていってんの!」
彼女は語気を強めた後、速足で教室を出て行く。それを見た俊介はペコリと次郎に頭を下げる。そして何度か次郎の方を振り返りながら楓の後を追うようにして教室を出て行った。
次郎はギュッと拳を握る。
振りかざすことなく、伸ばした状態で机を打ち付けた。
鈍い音が誰もいない教室で一瞬だけ聞こえ、響くことなく消えた。
「上田君、小牧さんを孤立させて、楽しい?」
朝食の食堂。
その帰りがけにばったり会った二人の会話だった。
風子が次郎に話しかけたのだ。
――ちょっと話があるんだけど。
そう言った彼女。
「小牧が勝手に」
ムスッとした顔の次郎。
彼は風子だけにはそんなことを言われたくなかった。だから思っている以上に不機嫌な声が出てしまった。
「自分の言うことを聞かないから外す、それっていじめ?」
じゃないのか。
風子はじっと次郎を見つめる。
彼女は彼と人間関係ができていると思っている。
助けてもらった仲だし、彼の人間性も知っているつもりだった。
今回のことは彼らしくないという思っている。だからこそ憤りを感じていた。
「俺だって、謝りにいったけど、あっちこそ話を聞いてくれないし」
「それが?」
「それがって」
「それで寄ってたかって」
次郎が視線を外した。
風子は言葉を続ける。
「腫物を触るみたいな空気の中に、小牧さんを置いている」
「……中村だって」
「違う」
彼女はきっぱり言った。
「今、空気を動かしていたのは上田君」
責任はあなたにある。
そういう目だった。
「……それは、あいつが」
「上田君を受け入れないから」
「そういうことじゃなくて」
「そういうことでしょう」
「……」
次郎は黙る。
「……サーシャの事が大事なのはわかるけど」
風子は視線を次郎からはずす。
「サーシャは関係ない……」
らしくない。
声はでなかったが彼女の口はそういう形に動いていた。そして、次郎を見上げる。
「仲間はずれとか子供みたいなことしないで」
「そんなつもりは」
「気付いていないからたちが悪い」
「……」
「気付いて」
風子は、じっと次郎の目を見ていた。
次郎はその目に耐え切れず視線を外し「いかなきゃ……」と短く言い訳のようなことを言ってその場を立ち退った。
風子は悔しそうな悲しそうな、そして怒っているような、そんな複雑な表情で彼の後姿を見送った。
昼休み。
人通りの少ない廊下の角。
「こいつ、女の方が俺たちよりも大切だって」
彼らは廊下のはじに俊介を追い込んでいた。
大吉を含めた体育委員三人だ。
「か、楓ちゃんが、やめろっていうから」
「女に左右されるなんて」
体育委員の一人が俊介を見下した言い方をしている。
次郎はバカみたいなことはやめさせようとして、その固まりのところに走ってきたところだった。
「次郎、こいつ許せねえんだけど」
「小牧にいちいちチクリやがった」
そんなことを言う仲間たち。
訝し気な目をする次郎。
チクリ。
次郎が嫌う言葉だ。
裏切りとか、卑怯とかそういうものは反射的に嫌う。
「俊介にいっしょにやろーぜって言ったことをわざわざ女に」
と大吉。
「そしたら、小牧がすっとんできて、余計なことをやめろっていいやがる」
大吉は俊介をバカにした顔をした。
男同士の会話をいちいち楓に言っている女々しいところが許せないようだ。
それに彼は楓のことが嫌いだった。
春先の入学当初から、無視され続けていると感じていたからだ。
「か、楓ちゃんは大事な友達だから」
しどろもどろになりながら俊介が言った。
「あんなのが彼女なのか?」
そんなことを大吉が言ってしまった。
「大吉」
次郎がしまったという顔をして、大吉の肩を叩く。
「あ……」
大吉は一瞬にして自分の言った言葉の意味――どう俊介に聞こえてしまった――を理解した。そして彼は罪悪感のある顔に一瞬変わったが、敵意をむき出しに睨みつける俊介を見て表情は元に戻ってしまう。
「……うるさい」
俊介は苦しそうに絞り出すような声を出した。
「はあ?」
喧嘩腰には喧嘩腰。
大吉は反射的に動く。
「楓ちゃんの文句を言うな」
「楓ちゃん、楓ちゃんって言葉の方が耳障りなんだけど」
俊介の言葉に大吉も言い返す。
「やめろって」
次郎がその会話を割ろうとしたが、それを無下にしたのは俊介だった。
「次郎君のやってることはヒトリヨガリでオナニーといっしょだって」
「おい、喧嘩売ってんのか」
大吉が入学当初見せていた凄みを戻したような顔になる。
「楓ちゃんが言ってたけど、僕もそう思う」
「俊介、もういいだろ……」
次郎はこの場をなんとか収集しようと努力しているのだ。
「つるまないと人を動かせない小物」
俊介がそう言った後、大吉が目を細めて言い返そうとする。だが、声を出たのは次郎だった。
彼の目が怒りの色を発していた。
「……じゃあ、あいつは人がやることにいちいち文句しか言ってない、批判しかできないような女だろう」
「そんなんじゃない、ただ間違いには間違いだって言ってるだけ」
「それじゃ、嫌われてもしょうがない」
次郎はそんなことを言ってしまった。
全員が押し黙る。
その沈黙を破ったのは俊介だった。
さっきよりも鋭く血走った目。
「……そんなに、彼女さんに対していい格好したい?」
俊介の言葉を次郎や大吉、そして体育委員たちも理解できなかった。
「僕は知っている、ゲイデンさんも一年で国に帰るって、それに付き合ってるんでしょ……そんな恋人のために僕たちを巻き込んで」
「はあ? バカ、次郎がそんなことで……だいたいな、サーシャと次郎がそんなわけ」
大吉がちらっと次郎を見る。
長崎ではそんな雰囲気はなかったはずだと、自分に言い聞かせながら。
次郎はしゃべらない。
「ばっか、女に惚けてんのは俊介だろ」
俊介は口の端を曲げて鼻で笑う。
「バカは松岡くんでしょ……上田君、なんか言い訳ある?」
「だからバカなことを言うなって」
声を荒げる大吉。
「不良ぶって」
「なにっ?!」
「嫌われてたのに、上田君と仲良くなって、今度はそうやって友情ごっこして、馬鹿だよ、馬鹿」
「やかましい!」
「人のためとか同期のためとか言って、ただ単に身内と仲良くしたいだけのオナニーだよ!」
俊介も珍しく声を荒げた。
大吉は次郎、そして俊介は楓。
お互いに傷つけられたくないものを傷つけた相手だ。
だが、それは次郎も同じだった。
「おい」
低い声だった。
「てめえ、俺のことをバカにするのはどーでもいいが、同期の文句を言うのは!」
次郎は普段から馬鹿にしていることがある。
よく喧嘩をする前に相手の首根っこを掴み威嚇するアレだ。
武術をたしなむ人間として決してしてはならないことだった。
わざわざ武器になる腕を一本使えなくして、わざわざ人に差し出して自分の隙を見せる馬鹿な行動。
大吉をバカにされ、サーシャとの関係を言われ、そして楓の話をされた。
動いていた。
彼は俊介の首根っこを掴み壁に押しやっていた。
一気に頭に血が上ってしまった。
動物的な行動だった。
「そんなことをしても、きょ、教官に言いつけるから……」
「言えばいい、俺は男として」
「っ……」
目をぎゅっとつぶり首をすくめる俊介、次郎の中にあるどす黒い何かが蠢きだした。
目の前で情けなくびびる、口だけの男。
潰したい。
そういう思い。
「殴られる覚悟もないくせ!」
次郎は殴ろうとした。
が、肩を叩かれた。
とんとん。
とんとん。
そして、間延びしてとぼけた声。
「あー、そうそう」
次郎は一瞬にしてしびれるような痛みを右手に感じた。それと同時に蒸しタオルを急に巻かれたような熱さも。
「なーにがあっても、同期をなぐっちゃーいけないね、トンカチ少年」
耳元で囁くのは無精ひげ。
次郎の目の前にはたばこのような白い筒がくいくいっと上下していた。
「あのなー、電子たばこってのは、煙もなーんもでねえのに、事務所は禁煙だっていってさ、あのやかましい副官のねーちゃんな……知ってる? 美人だけどキツイあのねーちゃん、それが喫煙所で吸えなんてほざくからさ……あー、で機嫌が悪いのよ」
「っく……」
綾部軍曹が話を続ける。
「何があったかは知らねえし、知る必要もねえけど、複数で一人を囲んで殴るとか、しかも同期だろ……ありえねえ、ありえねえっていってんだ」
まったく動けない次郎達。
殺気立った雰囲気の綾部に心底震えあがっていたのかもしれない。
空気が凍りつくような緊張感。
「早く、その手を離せって言ってるんだ」
「……っ……」
次郎は腕を動かそうとしても体が動かない。
息が苦しくなる様な恐怖。
「早く離せ!」
一喝を入れる綾部。
取り巻きの大吉達は一歩、そして二歩下がってしまった。
解放された俊介はふにゃふにゃっと壁に寄りかかりながら地面に滑り落ちる。そして、尻もちをついた状態になった。
綾部は鬼の形相のままだった。
「俺は機嫌が悪い」
彼らはうなずこうとするがうまく動かない。
「機嫌が悪いってんだ!」
「は、はいっ」
返事をする男子達。
なぜか俊介まで返事をしていた。
「デコピン」
「へ?」
「デコピンで許してやる」
「へ?」
二回も同じ反応を彼らはしてしまう。
もちろん俊介も。
「同期を囲んで、しかも寄ってたかって手を挙げる、そんなクソ野郎どもはシチュウヒキマワシでハリツケゴクモンの刑だが、ありがたーくデコピンで済ましてやるってんだ」
「は、はいっ」
「気を付けっ!」
怒鳴るように号令をかける綾部。
電気が走ったように硬直する次郎や大吉たち。
もちろん俊介も座った状態で背筋を伸ばし折り曲げた膝を縮こませたような体育座りをする。
その瞬間だった。
スパコン。
白い大きな物体が綾部の脳天を直撃した。
「は、はりせん」
俊介がみたままのものを呟く。
「なんだごらああ!」
単なるチンピラがいちゃもんをつけるような顔で振り向く綾部。
「綾部ちゃん、ごくろうさーん」
加えた電子たばこが綾部の口元から落ちる。
びっくりした表情で口を開けたまま硬直したからだ。
ポンポンとハリセンで撫でる様に叩くのは、隣――第二中隊――の副中隊長である野中大尉だった。
「体罰はだめだって」
口の端をくいっと引きつらせ、意地悪そうな顔で綾部の首ねっこを掴む。
「中隊長に言いつけて処分しちゃうよー、あ、それよりも副官ちゃんの方が効くか」
意地悪な顔をした野中は綾部の鼻の穴にハリセンの先っぽをぐりぐり突っ込むようにして威嚇する。
廊下の角から、サササと動く複数の影。
野中や綾部が現れた方向とは逆。
顔が三つ縦に並んでいたのが消えた。
男子とおっさんたちをじっと見ていた顔だ。
すっと廊下の角から消え、裏に角の裏にへばりつくようにした男女がいた。
「やれやれだ」
そう言ったのは、中隊長の佐古少佐だった。
「やれやれじゃないですよ!」
副官の晶は佐古を責めるような口調である。
彼女は胸の前で腕を組んで不機嫌そのものだ。
「まあ、中隊長が行くよりも野中大尉にお任せした方がいいかもしれん」
そう言ったのは、絵に描いた山賊か海賊のような強面。
先任上級曹長の中川。その低い声は、それだけでなぜか説得感があるから不思議だ。
「なんか、情けなくないですか?」
呆れた顔を上司に向けるの晶。
「適材適所」
何言ってるんだという顔で返す佐古。
「確かに晶が出て行ったら、もっともめてるかも」
少し楽し気に、そして意地悪そうな声を出したのは真田中尉――鈴――だ。
その声は彼女の年齢に似合わないぐらいに可愛らしい。だから一層意地悪さを増していた。
三人は彼女の存在を認識していなかったため、ビクっとしていた。
いつのまにか背後に現れていたのだ。
少しびっくりしてしまった晶は、同期の鈴に反撃をする。
「鈴の彼氏さん……綾部軍曹の登場で、面倒くさいことになりそうだったから、飛び出ようとしてたんだけど……て、あなたが見てたなら、なーんであのダメ人間を止めない」
「だって、面白そうだったから」
純真無垢な笑顔で返す鈴。
「あと、職場で彼氏彼氏とか言わない」
ダメ人間には触れない鈴である。
次郎たちが所属する第一中隊の首脳陣がコソコソ見守り、危うくなったところでさあ止めに入るぞと動き始めようとしているところで野中大尉の登場。
不本意に出鼻はくじかれたもの、まあ野中さんならこれで一安心という感じの雰囲気である。
「ま、こういうものは依怙贔屓になってしまう可能性もあるから、私がでるよりも、一歩離れたお隣の副長さんにお任せした方がいい」
お隣の副長さんとは野中大尉のことである。
ちなみに、士官学校の期別的には佐古少佐の方が野中大尉よりも下、つまり後輩。
「まあ、衝突あっての青春ですから」
中川曹長がそう言うと佐古は口を開いた。
「あとは野中さんがやってくれる、一応、お礼じゃないが、お隣の中隊長には仁義きってくる」
そう言うと佐古は手を振って去っていった。
基本、自分の中隊の子は自分達で指導することが原則だった。
だから、一言お礼をいってくるのだ。
野中が彼らにどういう風に話をするか興味はあるが、ここで時間をつぶせるほど、中隊長も暇ではない。
――野中さん借りはまたいつか、飲み代で。
佐古は言葉に出すことなく、野中に背中でそう言っていた。
わざわざ邪魔をするのは粋ではない。
一歩引くことも中隊長の仕事であった。




