第38話「ヒトリヨガリ」
――戦争に行くかもしれない。
――あの人は。
――……。
次郎はその風景を見て漠然とそう感じた。
今のご時世、国家間で本格的な陸上戦闘が起きる確率は極めて低いと言われている。
世間はそういう空気。
そんなことは知っていた。
でも、何か違った感じがした。
軍隊という組織に入った今。
二十年前の戦争。
彼はあの戦争のことは学校の授業やテレビ番組で散々見聞きしていた。
でも、漠然としか戦争を捉えきれていない。
結局、映像や写真ではその時代の空気に触れることができないからかもしれない。
物事がしっくりくるような知識になっていないのだ。
彼だけでなく、この現場にいる少年少女は戦争を知らない。
そんな彼がじっと見つめている『あの人』はいつもと違った。
いつものゆらりと歩く姿はない。
背筋をピンっと伸ばし、軍人らしいきびきびした歩き方をしている。
無精ひげをしっかり剃り、礼装にした制服をビシッと着こなし。
その精悍な雰囲気はいつもとのギャップもあって際立っていた。
左右に別れた人の列が花道を作っている。
拍手で見送られながら出口に向かって歩くあの人が、だんだんと次郎に近づいてきた。
あの人――第二中隊副中隊長である野中大尉――は敬礼をしたままいつも通りの気さくな笑顔を彼に向けた。
「一中の……」
野中の口が動いた。
ポンッと頭に手を置く。
「悩める少年、また悩んでる顔をしているな」
ニヤッと笑うと、彼は次郎の頭から手を離した。
次郎は何か答えようと口を開くが、とっさの言葉が出ない。
だから、コクリとうなずいて、過ぎ去った背中を見送ることしかできなかった。
■□■□■
少年学校体育祭。
三個中隊――クラス――での競技である。
学生のみの参加。
各中隊の現役組はもっぱら応援に徹するため、体育祭の運営自体は学生が主体である。
十月中旬にこのお祭りが開催されるため、休暇明けに組織された実行委員会が音頭をとって、準備がはじまっていた。
そんな中、上田次郎は苦悩の中にいる。
「言い方がきつすぎる」
そう彼に苦言したのは宮城京。
悩める次郎は一中隊一年の体育委員長をしていた。
もともと委員長とか、そういう目立つものをしたくない性格の次郎。だが思い出に残る体育祭にしなければならないという思いから、体育委員長に手を挙げていた。
いっぽう京はもともと学校側から指定されている中隊の一学年学生長であり、日常的に中隊の一年生をまとめる役である。
その二人が意見を対立していた。
「ダメな奴にダメだと言って何が悪い」
「次郎、同期に対してそんな言い方をするな」
少しムスッとした次郎に対し、冷静な声のままで京は言葉を返す。
――体力がないと優勝できない。やる気ない奴はお荷物だ『囮』にも使えない。
――やる気のない奴は邪魔、悪い空気作る前にどっか行ってくれ。
次郎が一部の同期に言った言葉がそれだった。
一中隊一学年の対抗競技優勝。
次郎が掲げた目標がそれだ。
優勝することが、最高の思い出になる。
みんなのためになる。
そう彼は思い込んでいた。
彼が優勝を目指す対抗競技は『FWB』と言われるものだ。
F=風船
W=割り
B=バトル
ちなみに、他の学年の対抗競技として三年生は団体銃剣道『JKD』、二年生は借り物競争『KMK』である。
なので風船割りバトルがなぜ『BPB(Balloon Popping Battle)』ではないのかという説明は割愛する。
とにかくこのFWBでトラブルが起きていた。
体育委員と一部の学生の間で。
FWBは四〇〇メートルトラックのある学校グランドで行われる。
各中隊の一年生が四十対四十で争う競技。
射程十メートルぐらいの水鉄砲とスポンジ製の棒等で頭、胸そして背中につけた紙風船を割り合って全滅させた方が勝ちである。
三個中隊のリーグ戦形式で競技が行われ、優勝を決定する。
勝てば中隊に優勝旗とトロフィー、そして優勝と書かれた看板が掲げられる。
たったそれだけのことだが、学生達にとっては名誉なことである。
それは団結の結晶のようなものだった。
そういう思いから、次郎は戦法を考え、勝つための戦い方を考えていた。
相手の側面や背後の弱点をつくように機動して攻撃する。
あの学校祭の出し物を決定した戦い――ジャンケン相撲――で女子がやった戦法。
必要最小限の勢力で相手を正面に拘束して、主力で敵の後背を突く、すなわち『包囲』。
その戦い方をするためには機動力が重要だ。
次郎がこの競技でそれぞれの中隊の大きな差になると考えているのがその『機動力』だった。
戦闘力は、火力、機動力、防護力、それから情報力、通信力、後方支援力に分けられる。
防御手段も手で遮るぐらいしかないから防護力は変わらない。
それから目と声しか使えないから情報力、通信力も変わらないし、短期決戦だから後方支援力も関係ない。
武器は同系統の水鉄砲――チャージに一〇秒ぐらいかかるもの――やスポンジ棒は剣タイプから薙刀タイプまで自由だが一人一種類に限定されるのだ。
そういう訳で火力はあまり関係がないと考えた。
だから、機動力……走力、つまり『体力勝負』だった。
納得しないと人は動かないという次郎の思いから、勝つための戦法について丁寧に説明した。
まずは『包囲』の意味。それから『機動力で勝つ』という理屈まで話した。
じゃんけん相撲の件があったから、体験をしている学生にとってはわかりやすいといのもある。
相手に有利な態勢、相手の弱点に対し……つまり側背に機動力でまわりこんで叩く。
水鉄砲の撃ち方を工夫するよりも、強い人間一人がどれだけがんばるよりも、組織的に動いて、相手の弱点を突くことがどれだけ有利になるかということの大切さを。
次郎はわかりやすく説明していた。
これで納得していると思っていた。
実際、同期全員が次郎の言うことを聞いて体力練成に励んでいたからだ。
練習。
夕方の自由時間を使った自主練習。
足腰を強くするメニュー。
スパルタ方式。
走って、走って、走って。
フラフラになるまで追い込むようなインターバルトレーニング。
筋肉と心臓が悲鳴をあげるサーキットトレーニング。
体育委員達の容赦ない激励。
一生懸命のレベルがそもそも違う学生にはただの罵声にしか聞こえない励まし。
時間が経過し、きつくなればなるほど次郎達に対する陰口が増えていくのは自然なことだった。そして、直接不満の声が上がるのも。
三日前のことだ。
「自己満足に付き合うのはたくさんだ」
次郎を睨みつけながらそんなことを言ったのは小牧楓という女子だった。
「もう、無理」
泣きそうな顔で哀願するように言ったのは徳山俊介という男子。
次郎にしてみれば、事前に説明して理屈が通ったことであり、みんなは納得した上でやっていることだから、我慢できるものだと思っていた。
だからそれは予想外の反発だった。
「他の人は弱音も吐かずしっかりやっている」
反発した楓にはそう言った。
「根性なし」
地べたに座り込んでしまっている俊介には指導するような声で言葉を叩きつけた。
次郎はそう言って激励しているつもりだ。
俊介は同期の中で一番体力がない男子だった。それでもやればやるほど、目に見えて体力は上がっていく。
もともと気弱で頑張ることができない性分だったせいもあり、叩けば伸びるタイプだと認定され、どんどん罵声はひどくなっていった。
限界突破。
俊介にとって日々のトレーニングは、彼なりの限界を毎日突破させられるような状態だった。
それはモチベーションが元々高くない俊介にとっては地獄のような日々である。
一方、小牧楓の場合は違う。
彼女は体力もある方だった。
とにかく体育委員の『優勝』の為に頑張ることについて否定的だった。
どうして同期が団結するために優勝を目指さなければいけないのか理解できないのだ。
こんな競技でむきになる理由さえも。
だから、時間が経つにつれヒステリックに声を上げる時が多くなってきた。
そんな訳で、京が次郎に苦言をいうぐらいの衝突に発展してしまったのだ。
大きな反発があったのが今日の練習時間。
それが始まろうとする直前に楓が。
「つきあってられない」
といった後、十人ほどの女子と男子を引き連れてサボろうとしたのだ。
その中に俊介も入っていた。
次郎は彼女たちの前に立ちはだかり、説得をしようとするがなかなか聞き入れてもらえない。
「体育祭を盛り上げて、最高の思い出にするためには、団結して勝たないと……だから……」
あと半年しかいない山中幸子のためにも体育祭を盛り上げよう。
事前にみんなに次郎はそう伝えていた。
同期の中で一年で離れてしまうのは極東共和国からの留学生である彼女だけだった。そして、周知されていないがサーシャもきっと。
なんとかいい思い出を作りたい。
その一心だけで、体育祭の優勝を目指していた。
あの夏休み。
キスをされた日。
次郎はサーシャ個人とつながるとかよりも、何かできることはないのか考えていた答えの一つだ。
学校生活の思い出。
彼なりにできそうなことはこれだと思い込んでいた。
「そんなどうでもいいことに、つきあってられない」
そう吐き捨てた楓は次郎を押しのけてその場から離れようとした。
――どうでもいいことに……。
どうでもいいことであるはずがない。
頭に血が上る次郎。
みんなにしっかり説明して、理解されていて、自分がやっていることは間違いなく正しい。
そう思い込んでいたから。
「山中のためにってことがどうでもいいとか!」
次郎はそう声を荒げて、更に言葉を続けた。
「どうでもいいとはなんだ! きついからって、逃げるような奴は同期なんかじゃない!」
恫喝してしまった。
「体力がないと優勝できない! 体力がない奴はお荷物だ『囮』にも使えない」
俊介は彼のその言葉に、ビクッと体を震わせる。
「やる気のない奴は邪魔、悪い空気作る前にどっか行ってくれ」
楓は踵を返し、大股でその場から離れていった。そして、他の彼の剣幕に気圧された九人は辛うじてその場に留まった。
その表情は様々だった。
反射的に恐れを抱いた表情。
反発をぐっとこらえた表情。
怒りを抑えきれない表情
悔しそうな表情。
尊厳を傷つけられた表情。
次郎は裏切られたことに憤りを感じ、怒りを隠すことなく言葉を吐きだす。
楓の方に俊介がいたことも、その怒りに火をつけていた。
あれだけ時間をかけて俊介を鍛えていたのだ。
どうやって、体力のない俊介を鍛えるか、体育委員で綿密にミーティングをして、一生懸命考えてやっていたのだ。
そんな彼にまで裏切られたという感情がひどく強まっていた。
だから、そんなことを口走ってしまった。
もちろん、次郎も冷静になれば言ってはいけない言葉ということはわかる。
恫喝されていない同期からも反発の表情が浮かんでいるぐらいだ。
そんなことがあって、京に呼び止められていた。
「一度謝った方がいい、あんな言い方は本当にまずい」
京の言葉に対し、ムッとした顔の次郎が沈黙する。
「次郎、やる気のある人間だけでやろう、馬鹿は相手するなって」
次郎に同意しているのは大吉だ。
京を一瞥した後、次郎の肩を叩いてここを立ち去るように急かした。
「京がそっち側の人間だって思わなかった」
大吉の捨て台詞に対し、京の表情が一瞬だけ引きつった。
彼は奥歯を噛みしめたあと、冷静な声で話を続ける。
「そっちとかそういう問題じゃない、ただ、僕は同期の団結を壊すお前たちを学生長として止めないといけない」
「団結を邪魔しているのは、小牧の方だ」
「次郎、お前が頭にくるのはわかるが、リーダーとしてああいう言い方をすれば反感を買ってしまう」
「反感? そんな奴らとの団結なんてどうでもいい、意識の高い奴だけで固まるから」
「次郎……」
「京、お前がそんなことを言うなんて思わなかった、なんでやる気のない奴をかばうんだ」
「かばうとかそんな次元の問題じゃないんだ……」
二人より頭一個背の低い大吉が、二人の間に肩を入れる様にして入って言葉を遮る。
「あーもう、京! てめーが言っていることが回りくどくて意味が分からねえんだ! 次郎がムカつくならムカつくでそれでいいじゃねえか!」
「……大吉そういうことじゃない」
「いくぞ、次郎……時間の無駄、明日の練習の段取り詰めようぜ」
大吉が次郎の腹を抱え込むようにして、二人を離していく。
京はそんな二人を見て、頭をうなだれ軽く自分の太ももを叩く。
「くそ……おこさまが……」
彼も彼で、なんとか二人に大切なことを伝えたかったのだが、うまくいかなかった。
だから少しだけ苛々が爆発していた。
「日本人はメンドクサイ」
次の日の昼休みに次郎にそう言ったのはサーシャだ。
「珍しく次郎がヘタレしないで引っ張っているのに……なんで練習は練習って割り切れないんだろう」
「……」
淡々と話すサーシャの言葉に次郎はうなずいた。
「次郎が言っているのもよくわからないけど」
「どういうところが?」
「優勝したら、なんでサチコの為になるとか、そういうのが」
「……思い出になるから」
「優勝することで名誉が与えられるし自分のためになる、だから頑張れると思うけど」
次郎はがっくり頭を下げる。
まさか、サーシャのために頑張っていることが理解されていないとは思わなかった。
それぞれの国民性からモチベーションの上げ方は様々である。
そう言っているところに幸子が口をはさんだ。
「別に、ここで思い出作る必要……ないんだけど」
次郎は口を開けて、何か言おうとするがパクパクするだけだった。
どいつもこいつも人の気持ちを!
と叫びたいところだが、声もでない。
その言葉に対して大吉はニヤリとする。
「山中、素直になれって」
「す、素直とか」
「昨日、次郎が山中のためにっ! とか言ってた時の顔、写メ撮っておけばよかったな」
「な、な……」
幸子は、昨日のあの場所での次郎の言葉を恥ずかしく感じるとともに、じーんと来るものがあったのだ。
大吉はそういうところをしっかり見ていたのだ。
一筋縄ではない。
中隊の一学年は四十人。
それぞれの思いがあるのだ。
「私は上田君が謝った方がいいと思う」
そう意見を言ってきたのは風子だった。
「ああいう言い方はやっぱりよくない」
中学生のころにいじめられた子を庇っていじめられた経験がある彼女だ。
孤立していたあの頃の自分が楓の姿と重なったのかもしれない。
このグループからの視点で見ると、楓をハブにしているようにも見えるのだ。
「小牧さんに対するいじめと同じだよ、みんなの前であんなこと言ったら」
あの時、そういう声を出せなかった自分を風子は恥ずかしく感じていた。
――また、かばって、そしていじめられたら……。
あの時は、元々どうでもいい相手だったか倍返しをすることで難を逃れたし、自分のことを理解してくれた大好きな先生もいた。
だが、今は違う。
サーシャや幸子、緑という大切な友達ができていたのだ。
そこから離れるのは苦痛でしかない。
でも、逃げてしまった、躊躇してしまったそんな自分が許せなかった。
まだ間に合う。
上田君がやったことはいじめと変わらない。
風子はそう感じていた。
三十対十、そして分離して三十九対一に。
だから、そんなことを言ったのだ。
「謝らないなら、私も練習に行かない。私はどうしても納得できないから」
「……違う、俺はそんなつもりで言ったわけじゃなくて」
「そんなつもりじゃなくても、私にはそう思えた」
「中村がそう思っているだけだろ」
「私も、そう思っている、あの言葉に正直むかついた」
「……」
「もう一度……小牧さんに謝らないなら、私も練習に参加できない」
そう言うと彼女は踵を返し、次郎達の元を離れていった。
「……風子」
緑が心配そうな声をあげ、幸子とサーシャをチラッと見た後、彼女の後を追うように小走りで走って行く。
「やばいよ、中村、いっちゃったし、ああーやばい」
取り乱す大吉。
目をぱちぱちしているサーシャ。
いまいち風子が言っていたことが理解できていなかった。
そして、目を伏せる幸子。
次郎は眉間に皺を寄せる。
ポンポンと大吉の頭に手を置いて落ち着かせようとする次郎。
そうやって、焦る自分自身に冷静さを取り戻そうとしていた。
次の日。
あの時の楓以下十人と風子は練習に出てこなかった。
「京、小牧とかのこと……知っているんだろう?」
イライラを隠せず、詰問するような感じで京に詰め寄る次郎。
「ああ、あっちはあっちで別メニューをすると言っていた」
「中村は」
「別の用事があるからって」
彼女たちは京には伝えたようだ。
「なんで、知ってて放置してんだ」
「次郎、お前が言っただろう、やる気のない奴はどっかへ行けって」
「……」
「へたくそ」
京はそう言って次郎の首根っこに腕を回した。
「何をムキになってる」
「ムキになってなんか」
京はくいっと眼鏡を押し上げるとため息をついた。
次郎は京に抱え込まれ口を尖らせたまま、ムスッと押し黙る。
ムキになっているからこそ、認めたくなかった。
そんな自分を。




