第37話「命短し思考せよ乙女」
スマフォの画面をススッと操作した幸子は、窓の外の流れる風景を見てため息をついた。
新幹線は最高速度に達しており、窓の外の風景は流れるというよりも飛んでいっているような感覚だった。
幸子、風子そしてサーシャ達三人が向う先は次の目的地、静岡にある三島緑の実家である。
長崎旅行の次は富士山ツアーだった。
「幸子ちゃん、どうしたの?」
風子がそう言って心配そうな顔で尋ねるが、幸子は目を閉じ顔を横に振った。
「なんでもない」
なんでもないわけではない。
彼女はニヤケる表情を必死に隠すためにそういうそぶりをしたのだ。普段、表情を見せない幸子である。そんな自分が急にニヤニヤしたらさすがに気持ち悪いだろうと、彼女は自覚していた。
彼女は必死に表情を偽りながら、再度差出人が『三島緑』と書かれたメールを開く。
『幸子ちゃんが来たら、ご希望の修羅本がいろいろあるから、楽しみにしておいてね』
共和国で密かに出回っている帝国のアニメ――二〇年ほど前に放映されていた『天空戦記修羅といっしょ』――である。
それはとあるギリシャ神話をモチーフにした大人気少年漫画をおもいっきりパクったと言われる少年向けのアニメであるが、一部の女子にも人気があることで知られていた。
美青年だらけのアニメだったからだ。
もちろん帝国だけでなく、極東共和国も同様であった。
幸子がコソコソ読んでいたのは、共和国のそういう愛好家――男同士の女子的な友情が過激に描かれたもの――達が作っていた二次創作ものである。
緑の家にはその元祖本ともいえるものがあると言うのだから興奮しないわけがない。
二〇年のタイムラグ。
ちなみに緑の趣味は母親譲りである。だから、彼女の実家はそういうたぐいのお宝ともいえる数々の薄い本がストックされていた。
垂涎。
幸子にとっては富士山なんてどうでもいい。
「幸子、ニヤケてる、なんかいいことあった?」
サーシャの声にハッとする幸子。
ついつい宝の事を想うという至福の妄想を前に、表情が緩んでしまった。
「ち、違う」
じーっと幸子を見つめる青い瞳。
これでもかというぐらいにいやらしい表情をする金髪娘。
「大吉と、なんかいいことあった?」
サーシャの言葉に不意を食らうかたちの幸子。
彼女は口をパクパクしてしまう。それと同時に隣で激しく咳き込む女子がいた。
風子だ。
「だ、大丈夫、風子?」
話題を変えようと、大げさに心配する幸子。
「う、うん」
左腕の肘で顔を挟むようにして咳をしている風子はコクンコクンとうなずく。
食べていたスナック菓子のカスが、気管に入ってしまった。
「幸子、あやしい、とってもあやしい、すごくあやしい、その反応があやしい」
たたみかけるように言及するサーシャに怯む幸子。
「な、なんでも」
仰け反る幸子にグイッと迫るサーシャ。
ジト目である。
「大吉」
もう一度話題を戻す。
「な、なんであいつが」
そういう二人を見ている風子は、妙にそわそわした気分になってしまった。
仕方がない。
告白されたのは幸子ではなく、自分だからだ。
もちろん、そんなことを二人とも知るわけはないし、彼女も言うつもりはなかった。
「ずっと気になってた」
「な、何が……」
「ふふふ」
サーシャの表情は変わらない。
「思い出作りできた?」
「な、なんの思い出よっ」
「そりゃー、アレとかコレとかソレとか」
「このえろろろロシア人」
微妙に『ろ』がうまく言えず、多めに言ってしまった幸子。ひどく動揺していた。
そんな姿を見てハッとするサーシャ。
「……ほ、本当に何もなかったとか」
口の前に手の甲を当てて、背中をびっちりシートに付けるぐらい引いた。
「だから、なんであいつとっ」
「だって、だって、あんなに距離が近くなったし、パンツ見せたし、すぐ隣にいたし、チャンスだったのに、チャンス」
「この毛唐、そ、そんな目的で旅行をっ」
普段感情を表に出さない幸子だが、顔を赤くして反応している。
二人の顔がどんどん近づいた。
「え、他にどんな目的が」
「エロ、えっち、へんたい」
「それ以外で、思い出作りしようという方がどうかしてるっ」
「破廉恥なっ」
「こんな歳で恋をしないなんて信じられないっ」
「文化が違うの、文化が」
向き合う二人の間にぐいっと体を入れたのは風子だ。
「声が大きい、ほら、周りの人が、ね」
ドスン。
二人は同時にシートに体を預ける。
「幸子は一年生で帰るんだよね」
サーシャは目をそらしたままそう言った。
「……そうだけど」
幸子は下を向いたままだ。
「急がないと」
風子はサーシャのその言葉で、二人が何を言っているのか悟った。
幸子は一年しか同級生としてすごせない。
時間がない。
サーシャが言いたいことがわかってしまった風子は顔を伏せた。
「幸子ちゃんは、あの、大吉君のこと好き?」
風子には珍しく控えめで、慎重な感じの口調。
「ふ、風子まで」
「あ、あのね。私も、サーシャと同じで」
「えっちなのね」
「えっちじゃないっ、サーシャはえっちだけど」
そこはフォローしない風子である。
「……なに?」
「一年を一日で考えたらもう、お昼前なんだよ」
「へっ?」
いきなり何を言っているんだ、という表情の幸子とサーシャ。
「お、お母さんが言ってたけど、時間の大切さをよくわかる例えとかで」
赤面する風子。
「四月を夜中の〇時にして、十二ヶ月を二十四時間に当てはめる」
突拍子もないことだが、幸子もサーシャも頭の中で時計の針とカレンダーを浮かべた。
「今八月よね、それで四月から五カ月がたったところだから。一日にすると、ちょうど十時から十二時ぐらいになる」
「だから?」
と、サーシャ。
「で?」
と、幸子。
「だから、ほら、ちょうどお昼前ぐらいだから、もう午後の授業受けて、ご飯食べて、消灯時間きたら……そう考えるとあと半年なんてあっという間」
自分で説明してて、何を言っているんだとうかと、風子自身汗が噴き出していた。
「だから……」
天井を見上げる幸子。
眉をひそめて考えるサーシャ。
「あ」
「あ」
二人とも同じ言葉で風子を見る。
「ほんと、時間がない」
サーシャがうなずく。
「やばい」
幸子が顔を引きつらせる。
「一年、短いかも」
彼女はそう言って、がくんとシートに体を預けた。
「だからといって、こっちで何を残すとか……そういうのないんだけど」
ため息とともに、つぶやく。
そんな幸子とは違う反応をしたのはサーシャだ。
「よかった」
「え?」
風子は、サーシャの顔を見た。
満足した表情。
「したいことしてよかった」
「し、したいことって!?」
サーシャらしからぬ少し恥じらいを持った表情でコクリと頷く。
「ジロウと」
「なっ!?」
今日は『なっ』が多い風子と幸子である。
「……」
いつもは『破廉恥っ』と叫びそうな幸子だが、絶句していた。
「サーシャ、そんな……行為を」
風子は顔を赤くするとともに、目がグルグル回っている。
「した、けど」
「した」
と言った風子はぐいっとサーシャに顔を近づける。
「けど」
と言った幸子もぐいっとサーシャに近づき、言葉を続ける。
「痛……かった?」
少々幸子の鼻息が荒い。
「痛……くはないけど、あれ、なんか幸子、かん違い」
ぐいっと近づく幸子に対し、少し引いた感じのサーシャ。
「や、やっぱり、サーシャかわいいし、そういうの慣れてそうだし……だから」
「ま、まって幸子、微妙にかん違いしてるし、微妙に引っかかること言ってるんだけど」
「で、でも高校一年生でしちゃうとか早すぎるし……」
ぐいっと、幸子の肩を両手でおさえ、サーシャは押し返す。
「違う、えっちじゃない、ただのキス」
「……」
あ、と半開きに口を半開きにして、何か考えるような顔をする幸子。
「あ、なんだ、違うんだ」
「そうそう、ただのキスだから、ただの」
「そうかそうか」
幸子は安心したような表情でうなずく。
「そうか、たいしたことないよね」
風子も、二人の際どい話題の応酬を神妙な顔つきで見守っていたが、ここにきて一息ついたような雰囲気だ。
「ただのキスだもんね、ただの」
繰り返す風子。
「そうそう、チュッてしただけ」
安堵の表情とともに、はははと笑いながらサーシャはそう言った。
さっきまでは幸子の剣幕に押されていたから、やっと力が抜けた感じである。
「ちゅうだもんねちゅう」
と、幸子。
「そうそう挨拶みたいなもん」
と、言いながらサーシャはその言葉を繰り返す。
「挨拶ね、挨拶」
「な、わけねええ!」
迫力を込めた声をだす風子。
一応、周りのお客もいるから、叫び声にならないように声は抑えめにしている。
「破廉恥っ!」
同意の幸子。
「隙があったからブチュっと」
悪びれずにサーシャがそう返すと「上田君は存在そのものが隙だらけだって」と間髪をいれずにツッコミを入れる風子。
「思い出作り」
幸子が両掌で自分の頬を挟むような仕草をする。
「なんて破廉恥な思い出作り」
「卒業までに行為をしないとね」
「大人の階段!」
「時間がないもん」
「そんなに簡単に捨ててどうする」
「だって、好き」
「あ、好きならしょうがない」
「でしょう」
パン。
音の方向を振り向く、サーシャと幸子。
両手で太ももを叩いた風子が見つめる二人の目を見て慌てる。
彼女自身、どうして自分の太ももを叩いたのかわからないのだ。
「風子、どうした?」
パチパチとまぶたを動かすサーシャ。
「いや、その」
――俺は中村が好きだから。
――ち、違う、本当にわかんないの、人を好きになるとか恋をするとか、そういうの。
頭の中に響く、あの夕暮れ時の出来事。
――本当にごめん、私、恋とか好きとかそういうの、ごめん、わかんないから……。
「なんでもない、しょうがないよね、うん」
風子は何か言おうとしたが、あの夕方の事を思い出すと、何もしゃべってはいけないような気になってしまった。
「風子も、ジロウのこと好き?」
「え?」
「だって、二人いい雰囲気だったし」
「……好きとか、恋とか、よく、わかんない」
風子は正直に言った。
きっと笑われる、そう思いながら。
だが、サーシャの反応は予想と違った。
「私もよくわかんない」
「え」
「わかんない」
「じゃあ、なんでキスなんか」
「すればわかるのかなって」
「そ、そういうことでキスってしていいの?」
「だめなのかな」
サーシャは考える素振りを見せた。
「でも、もう時間がないから、もう、一日でいうとお昼前だって、風子が言ってたけど」
「時間……って」
「私も幸子と同じ、一年でさようならなんだ」
「なんで……」
サーシャはにっこり笑顔を作ると、次郎に話した内容と同じことを話し出した。
ロシア帝国がソヴィエト連邦との間に紛争が起きそうだということ。
父親に帰国の許可をもらったこと。
帝国貴族として国に命を捧げるのは誇りだということ。
一通り話すと、サーシャはにっこりした顔のまま、シートに深く座りなおした。
一方風子は少しだけ眉間に皺をよせて、顎の下に両手のひらを置き、その肘を太ももについた状態で下を見ている。
何かを考えこんでいるのかもしれない。
頬をぎゅうっと両手で挟みほっぺたを吊り上げた。
「なんで、サーシャが戦争がはじまる場所にいく必要が……」
「……風子がそういう質問をすることに驚くけど」
眉をひそめるサーシャ。
「わからないから、理由を知りたい」
「理由なんて」
そんなのはないし、自然なことだ。
自然を説明するのはすごく難しいとサーシャは思う。
「わたしたちは子供なんだよ」
――子供が戻ってどうするんだよ。
風子と次郎の言葉が重なった。そして、まったくこの国の人間は……という風に、軽くため息をついた。
こんなにも責任感がないなんて。
いや……。
サーシャはふと、流れる感情を遮った。
国に対する責任が違うのだ。この二人と自分じゃ。
帝国貴族として、国から恩恵を受ける代わりに、国に自分を捧げることを誓っている自分達と、彼女らは違うのだ。
「私も、もし何かあれば、国のために命をかけて働きたい」
そう言ったのは幸子だ。
「子供とか、そういうのは関係ない」
風子が何かを言おうと口を開けるが、彼女はそれを遮るようにして言葉を続けた。
「国を守るのは国民の義務」
「……」
「こっちの人はそういう意識が低すぎると思う」
断罪するように幸子が言う。
「それって、悪いことなのかな?」
風子がそんな風に反発したことに対して、幸子は言葉を飲み込む。
悪いとか。
悪くないとか。
そういう価値観ではないのだ。
「声高に、義務とか覚悟とかそういうのを学校で刷り込むように教えて、本当の意味がわかってないのに、言葉を振りかざして」
――いいかな風子くん。
中学の時に、彼女を救ってくれた先生の言葉だ。
――教えるというのは刷り込みなんだ。国語とか数学とか、歴史とか意味の分からない言葉を繰り返して覚える方法。でも、気を付けないといけない、その本当の意味を自分のモノにした後じゃないと、自分の考えとか言葉にしちゃだめなんだ。
「国を守るという意味はわかってる、馬鹿にしないで」
「……ごめん、幸子ちゃん、そういう意味じゃなくて」
「どういう意味?」
「まだ、私達はいろんな事を全然知らないし、経験してないし、考えてないし、答えを出しちゃうのって怖いことなんじゃないかなって思う」
――だから、慌てなくていい。
――じっくり考えなさい。考えて、考えて、答えはでないかもしれないけど。
「優柔不断?」
「そうかもしれない、今はそれでいいとも思ってる」
サーシャは風子をじっと見ていたが視線を外す。
「思考停止なんかしていない」
彼女はもう一度風子の目をしっかり見て口を開いた。
「たぶん、今までの生き方が違うから」
「……生き方が違う」
幸子がサーシャの言葉を繰り返す。
そして三人は黙ってしまった。
「あーあ」
いきなり変な声を上げたのはサーシャだ。
天井を見上げて、背伸びをしている。
「この話は三人ともわかりあえない、通じない……でも通じなくてもいいと思う」
「生き方が違うから?」
風子が繰り返す。
「そう」
即答するサーシャ。幸子も背伸びをした。
「そーかー仕方がない」
「しょうがない」
幸子の言葉にのせて風子が続ける。
「ニチヴォーニパヂェーライシ」
軽い口調で母国語を呟くロシア娘に対し、何を言っているのかわからない二人は目をまんまるにした。
「仕方がないってこと」
二人の表情を見たサーシャが解説を加える。
「ほんと?」
「なーんか、馬鹿にされたような」
幸子が目を細める。
「ほんと、ほんとだって」
サーシャがそう言いながら窓の外の風景を見た。
「仕方がないから、急がないといけない」
聞いている二人にとって、サーシャのそれは重い言葉だった。
三人はサーシャの視線につられるようにして、窓の外を見る。
それが一瞬にして暗闇に変わり。トンネル通過特有の耳の奥が圧迫を受けるような感覚を味わう。
しばらく三人の間では沈黙が続いていたが、それを破ったのは幸子だった。
「急ぐことじゃない」
少しムスッとした表情のままぼそりとした口調だ。
サーシャの笑顔が崩れ、真剣な表情に変わる。
「もう、お昼を過ぎてる」
「慌て過ぎだと思う」
「国に帰ったら、自由じゃなくなる」
「……」
幸子は何か言おうとしたが、口を閉じた。
同じなのだ。
サーシャは国に帰れば貴族の子女としての立ち振る舞いが強制され。
幸子は共和国の厳しく管理された軍隊生活が待っている。
帝国の人間にしてみれば、少年学校の制限された生活は不自由としか思えないが、共和国の幸子からすれば、こんなに自由な雰囲気は軍隊生活とは言えないぐらいに見えていた。
「だから、私は急いでる」
風子が顔を上げる。
「だからって好きでもない人とキスをするなんて、変だよサーシャ」
「好き」
「わかんないって、さっき」
「好きだというのはわかってる。情けないけど芯はしっかりしているところとか、隙だらけだけど、漢気があるところとか」
「……」
「それが恋愛だとか……結婚したいとか……子供が欲しいとか、そういうものかどうかがわからないんだ」
サーシャにしては珍しく、少し恥ずかしそうに口をもごもご動かしていた。
「結婚……」
風子が口を押える。
「子供……」
幸子が顔を赤くする。
「そ、そういう反応しない、言ったこっちが恥ずかしくなる」
一応ロシア娘もそういうことは恥ずかしいらしいようだ。
「わ、私はこの国に来る前に、この国がすごく恋愛が自由で、みんな活発に動いているって調べていたから」
「そ、そんなに乱れていないし、だいたい規則が厳しい軍隊の学校だし」
「書いてた」
「どこに?」
サーシャの情報源は怪しい。
彼女はスマフォを取り出し、スススっと操作するとその画面を風子に見せた。
『学園スクランブル』
不良っぽい男の子と可愛らしい女子達がキラキラまぶしい漫画の表紙。
風子は頭を抱えた。
「フィクションですから」
「……え、そうなの?」
この少年漫画は不器用な不良君やまじめ君が天然女子や妹系女子、それからツンデレ女子、姐御系女子と恋愛するドタバタ学園ラブコメの王道であった。
「そろそろそのネタは飽きたから!」
もうツッコンだ回数をかぞえるのもやめた。
「……ネタじゃないもん、本気だもん」
むすっとするサーシャ。
「あの話は、そんなにえっちじゃなかったし、サーシャみたいに過激じゃないし」
ススススっとスマフォを操作するサーシャ。
嫌な予感しかしない風子である。
『ミカンジャムボーイ』
「甘くて苦い! そっちかよっ」
「ツッコミ早い」
なんだか楽しそうなサーシャである。
「……もしかして、サーシャは野中大尉とか小山先生とかと恋愛したいとか」
少し頬を赤くしてそう言ったのは幸子だ。
繰り返すが、共和国は一〇から二〇年ぐらい遅れて帝国の漫画が浸透する。
この少女漫画も二〇年ほど前に出版されたものだから、ちょうど共和国で密かに流行っていたものだから、彼女はしっかりチェックしていた。
この少女漫画は主人公の友達が実は先生と恋仲だとか、同居して恋人になる男女が実は兄弟だったとかタブー満載であった。
「断じてない、そんなことより幸子……何気に読んでる」
そんなサーシャをジッと見つめる風子。
彼女はしばらくした後口を開いた。
「そうか、やっぱりあのお兄様と結ばれる運命にあるのか」
顔を横に振りながら優しい表情でサーシャの肩を叩く風子。
「だ、だれがあんな奴と!」
「サーシャかわいい、あんな素敵なお兄様をあんな奴とか、本当にブラコンなんだ」
「ブラザーコンプレックスとかそんな英語っぽい日本語わからない」
都合がいい時に日本語がわからなくなるロシア娘である。
そもそも日本語とも言えない言葉であるが。
「だから」
サーシャが力を入れる。
「あんな感じに楽しい恋愛をしたい」
風子が天井を見る。
「楽しい恋愛かあ」
あの夕暮れ時に告白をした大吉は、楽しい恋愛をしたかったんだろうか。
ふとそう考える風子。
あの思いつめた表情は楽しそうではなかった。
――あ、でも言っておかないと、気持ちが落ち着かねえっていうか。
――ごめん、俺ばっかりスッキリして。
あのいつもはへらへらしてそうな、でも、あの時表情や声は違った誠実な大吉。
「あ、外」
サーシャが声を上げた。
「富士山……」
幸子が目を細める。
完全に雪解けした富士はごつごつした岩肌が見えるぐらいに青空が澄み渡っていた。
「緑ちゃん元気にしてるかな」
風子がつぶやく。
「メールじゃ待ち遠しいような感じだったけど」
幸子がそう言ってうなずいた。
「緑の待ち遠しいがすごく意味深だと思うんだけど」
少し心配な顔をするサーシャだ。
思い出すのは学校祭。
そして、巨大ネズミ。
「自然いっぱい、富士山ツアーだから、緑ちゃんもふつうの緑ちゃんじゃないかな」
そうだよね。
と頷く三人。
希望的観測であった。
■□■□■
昼光色の薄暗い部屋に前髪をパッツン切っている少女が一人。
大きな鏡を前に、一人うきうきした気分で衣装を選んでいた。
一応自分に合わせるようにして鏡の前に立っているが、彼女が見ている先は別の女子達の姿だった。
「これもかわいいけど、やっぱりサーシャちゃんには猫耳が……幸子ちゃんにはこっちの羊もいいかも……」
独り言をぶつぶついいながら色とりどりの衣装を漁る緑。
きっと、女子三人がその姿を見ると恐怖を覚えるような雰囲気だった。
「夏だし、こっちの鎧とか……風子ちゃんにどうかな……」
鎧と言うにはお粗末なほとんど肌が露出しそうなしろものを出す。
「ああ、やっぱりサーシャちゃん! 金髪にコレとか、やばすぎっ!」
やばいのは君だ。
そんな天の声が聞こえそうなひと時。
携帯の着信音が鳴る。
「もしもし、あ、新富士駅通過した? あ、うん三島駅に予定通り迎えにいくから、すごく楽しみ、もう家についたらさっそくいろいろ面白い事考えているから、期待していてね」
電話を置いた緑は、見渡す衣装を見て恍惚とした表情をする。
「楽しみにしておいてね」
彼女は自分が夏用と言い張る非常にきわどい衣装をギュッと抱きしめ、口元が緩み垂れそうになる涎を慌てて飲み込む。
やはり希望的観測。
あながち、少女達の直観は外れていなかったのかもしれない。
富士山ツアープラスアルファの世界が待っているのだから。
※ これで第5章終了いたしました。ここまで読んでいただき感謝感激です。
次は第6章 長月「体育祭の準備はたいへんですが何か」 を引き続き読んでいただければ幸いです。




