第33話「長崎ぶらぶら、野良猫にゃあにゃあ」
「信じられない」
くるりと回転するサーシャ。
ふわっと、チェックのキュロットスカートが浮き、白い半そでシャツの首の元のリボンが揺れる。そして、彼女は驚きの顔で同意を求めた。
「信じるも何も」
ポリポリと頭を掻く次郎。
「こういうもんだし」
困った顔しかできない。
茶色の七分丈のハーフパンツ、白と紺色のボーダーのポロシャツは少し汗ばんでいた。
車が通れない階段だらけの路地。
住宅地がところせましと密集している街並み。
今日はそんな長崎の下町を男子二人、女子三人でしている。
長崎さるく、である。
異国情緒、唐寺や教会をめぐり。
「サーシャが言うのもわかる」
大吉は大げさに頷いた。
頷きながらチラッと風子の足に目が行く。
彼はそんなことよりも彼女の太ももの方が気になっているが、それを隠すためにサーシャの驚きにのっていた。
その視線の先にいる風子は薄水色のTシャツに、デニム素材のホットパンツを履いている。短めのホットパンツは彼女のすらっとした長い足がむき出しにしていた。
とは言うものの、彼女は自分の魅力にまったく気付いていない。だから、大吉の視線に気づくことはなかった。
彼女にとってはあくまで『ズボン』だからだ。
「あっちが、神社でしょ、それからこれがお寺、でこっちが中国のお寺」
風子が指をさして確認する。
「カトリックの教会……かしら」
幸子が不思議そうな目で見ている。
「それがどーしたって」
「「「変っ」」」
次郎の言葉に対して、口をそろえた四人の男女が言葉を発する。
「変って……」
「変、教会の隣にお寺と神社があるのは変」
サーシャは断言する。
次郎は心の中で学校の制服みたいな服を着てるロシア人こそ変だと思うが……なんて返しそうになったが、面倒くさいことになるので一応こらえてから別の事を言った。
「狭いから、この町は」
「そういう問題じゃなくて」
幸子がぼそっと言う。
その時、生暖かい風が彼女のベージュ系で細かい花柄がちりばめられたワンピースをひらひらと動かした。
――なーんかいつもと違うんだよな。
次郎はいつも極東共和国の男子っぽい制服を着ている幸子しか知らない。だから、少女っぽいその服装にドキッとしていた。
彼女の黒いストレートの髪はいつもはお団子にして結ばれているが、今日はその髪が解かれている。
昨日のエコなエロの現場も生々しく脳内に残っているため、この女子が少し変わって見えていた。
「あそこの寺とか中学の同級生で、神主の息子と坊さんの息子、それから神父の娘が幼馴染で三角関係とかはあったけど」
「それ、おかしくない?」
風子がそう言うと、大吉も同意とばかりにうなずく。
「おかしいというか、おいしいというか」
幸子が神妙な顔でそんなことを呟く。
「……おいしいって、幸子ちゃん」
趣向がだんだん緑に似てるなっと思う風子である。そこに、サーシャが追いかぶせるようにして言葉を発する。
「それは変だよジロウ」
「そんな人の町を変だ変だ言うなって」
彼女の言葉に対して、少しイライラしたような返事をしてしまう次郎。
「唐寺の息子が入っていない」
「いや、あそこの家は子供いないから」
妙なところにこだわるサーシャである。
「で、ジロウ、その三角関係はどうなったの?」
「……神父の娘と神社の息子が私立の聖マルコ高校に行って、寺の息子は公立の進学校に行ったって聞いたけど、後はどーなったんだろう」
「待って」
幸子が口を挟む。
「へ?」
「なんで、神社の息子がいかにもカトリックの高校っぽいところに行くのよ」
聖マルコ高校は、校舎が教会の形をした学校である。
ちなみに、毎朝お祈りと聖書の朗読の時間がある。
「え、悪い?」
「……これが西の軽薄さか……」
頭を抱える幸子。
「待って、そんなこと普通だって思うの上田君だけだから誤解しないで幸子ちゃん」
風子が割って入る。
「あー、だから次郎は女子に対しても軽薄なんだな」
大吉が余計な事を言った。
カーキ色のハーフパンツに白いタンクトップ、首からは金色のジャラジャラした何かをぶら下げている大吉だ。こんな格好をする男に軽薄なんて言われたくないと次郎は心から思った。
「うるせえ大吉、お前だって、さっきから中村の足をチラチラ見てるじゃないか、エロ吉」
びっくりした顔で、自分の太ももを触る風子。
「ち、違うっ! なんで俺が中村なんかの太ももを!」
げし。
跳び蹴り。
チェックのスカートが宙を舞い、そして着地した。
「ぎゃふん」
大吉の肩にサーシャの一撃が入りよろよろとバランスを崩し幸子の方へ転がりそうになる。
げし。
幸子のスカートが舞う。
白い足が一瞬だけ振り上げられ、大吉の腹に足が食い込んだ。
「あ、ご、ごめんなさい」
謝るぐらいなら蹴るなよ。
そんな目で悶絶しながら見上げる大吉。
幸子はワンピースの裾を押さえながらオロオロしていた。
無意識の前蹴りだった。
「せっかく綺麗な生足を楽しんでいるのにっ、風子が恥ずかしがって隠したら……責任取れ」
目を吊り上げて怒るサーシャに対し、男子二人は完全に制圧されていた。
「え、え、そんなにエッチなの、え、この格好」
普段制服以外でスカートをはかない風子にしては、太ももの露出が激しかった。
繰り返すが、彼女的にはスカートでなく、ホットパンツはあくまでズボンであるからそういう意識はない。
「そんなことはない、そんなことはない」
嘘を付いている目をしているサーシャの言葉は白々しい。
「きょ、共和国の常識からいくと、破廉恥な格好かも……」
「サチコ! 余計な事言わない」
「……もしかして、私の服装も」
幸子が自分が来ている生地をつまんでみる。
夏用の薄手、通気性もいいし、肌触りもいい実用性の高い服だと思っている。そして、スカートは膝下まであるし、柄も落ち着いた感じがするから大丈夫だと自分に言い聞かせていた。
だが、サーシャの態度は怪しい。
「う、うん、まさかー」
また白々しい声を出すサーシャ。
女子四人――あとで合流する緑も含めて――は、この夏のホームステイ前に私服をみんなで買いに行っていた。
あまり、服にこだわりがない風子と幸子の着ているものは、サーシャと緑チョイスである。
風子は今更ながら、試着した時に褒めちぎる緑の瞳の奥に怪しい光が灯されていたことを思い出す。
――ま、まあ、お店に売っている服だから、破廉恥とかそんなんじゃないと思うけど……夏だし。
いつもより、足下が涼しいことは間違いない。
「ふーこ、サチコ、下等生物が言っているだけだから、気にしない」
ずんずんと先に進もうとサーシャは歩き出す。
そんな感じに、どうでもいいことに盛り上がることを繰り返しながら、騒がしく観光地を巡る五人であった。
「ショボイっ」
中華街と言われる場所を端から端へ一瞬で移動してしまった大吉がつぶやく。
「ショボイ言うなっ」
不機嫌そうに次郎が反応した。
図星であった。
大吉は横浜の中華街に家族旅行に行ったことがあるのだ、だからなおさら気付いた。
だが、ヨリヨリしたお菓子とか、チマキとかそういうのは美味しかったから、それはそれで満足していた。
確かに美味しい。
食べ歩きをわいわい楽しんでいる。
「中華街もいいけど、長崎っていったら、やっぱこれが美味しいから」
小さなカステラ屋さんの前で次郎が買ってきたのは、カステラの切れ端がパックの中にに無造作に重なったものだった。
「これもショボくない?」
大吉が意地悪そうに言う。
「ショボくて何が悪い、一〇〇円だもん」
そう言うと暑さ五ミリ、長さは十五センチぐらいの切れ端を大吉や女子達に配る。
「うまいから、これ」
パクッと食べる風子。
「あ、美味しい」
「うん、悪くない」
と幸子もうなずく。
「ジロウ、おかわり」
ぐいっと手を突き出すサーシャ。
「大吉、感想」
ぐいぐいっと押しながら次郎は大吉の絶賛の声を期待する。
「あ、うん」
「正直になれって」
「喉が渇いた」
「……かわいくねー」
次郎はそういうと大吉の太ももに膝蹴りを入れる。
「かわいくてどーすんだ、男が」
ケンケンで受け流しながら大吉が言い返していると、女子達がひそひそと話しだした。
――かわいいって気付いてないんだ。
――かわいいって思っていないんだ。
――痛かわいいと思うけど。
「な、なんだ、ち、ちくしょ」
顔を赤くして恥ずかしがる大吉。
背の低さと、かわいらしい童顔がコンプレックスな男の子だった。
しかも、今は金髪無造作ヘアーから、クリクリ坊主頭になってしまっているのだ。
そりゃ、男の子だ、気にはする。
「じゃ、狭い路地を歩こう」
次郎おすすめの散策コース。
ただの密集した昭和の街並みを歩くだけである。
そのため、山に向かって坂道と階段をゆっくり登っていった。
バスやタクシーという選択肢もあったが、車が通れない道こそが長崎だと次郎は譲らないのだ。
「それにしても暑い」
幸子がパタパタと団扇を動かしている。この夏の日差しと蒸し暑さにやられ、汗だくなのだ。
女子三人が歩くなか、男子二人は後ろから付いてきている。
「……」
「……」
顔を合わせる男子二人。
「(バッカ、次郎、ギャップだ、ギャップにやられてるんだ)」
「(エロ吉、どこ見てんだ、俺はそんなこと考えてねえって)」
ぴったりと肌にくっついているベージュ系の質素なワンピース。
薄手である。
昨日の夜を嫌でも思い出させていた。
うっすらと見えるのは、昨日夜みたあの下着と同じものであろう。
嫌ではないが、道を歩きながら考えたら、男の子的にはいろいろ生理的にまずいものがある。
視線を感じたのだろうか幸子が振り向いた。
それに合わせ次郎と大吉もクルリと振り向いて、道端の野良猫の親子に目をやった。
ごまかす男子二人。
情けない風景ではある。
「チチチチっ」
大吉がエロをごまかすために、親子猫に手招きをしてみる。
「ふしゃああああ」
思わぬ反応に、大吉が後ずさりした。
「この町のノラはたくましいからなあ」
路地のどこかに必ず野良猫がいる風景だ。
すごく不思議であった。
――半径一〇〇メートルに百匹はいるんじゃないかな。
次郎が彼らにそう説明していたのを聞いて、全員何かの冗談かと思っていたが、どうも大げさではないことがわかってきていた。
「うにゃああ」
サーシャにすり寄る茶トラの野良。お団子みたいに短いしっぽがぴょこぴょこ動いている。
「ネズミはだめなのに、猫は大丈夫なんだ」
次郎がそう言うと、なぜか胸を張り威張るようにしてサーシャがしゃべった。
「敵の敵は味方」
えっへん。
なんともわかりやすい性格である。
そんなことをして歩いているうちに、階段と階段の間にちょっとした広場とベンチ、そして駄菓子屋があるのでそこで休憩することにした。
お店には正座したまま動きそうにないおばあちゃんと、駄菓子が並べられている。
原色系の体に悪そうな菓子をそれぞれ買っていた。
風子はジュースだけを自販機で買ったため、先にベンチに腰掛けていた。
いっぽう大吉は長方形のビニール袋に入ったいちご味のかき氷を買って店を出る。そして、すらっと伸びた風子の足に目を奪われる。
が、すぐに頭を振って視線をずらした。
ああいう風に次郎に言われた後で目のやり場に困ってるだけだ、と大吉は自分自身に言い聞かせた。
そんな空間に響くだみ声。
「にゃあご」
猫にしては低い声だった。
毛並みは悪く、元々白と思われる毛は灰色に汚れている。また、耳を半分ぐらい無くしカサブタが盛り上がってますます風体を醜悪に見せていた。そして、何より目つきが極悪な感じである。
大吉はその極悪猫が風子を襲うのではないかと警戒した。
のそり、のそり。
猫は威嚇するようにして一瞬止まった。
風子はスッと手を出す。
スルスル。
汚れた毛を手に触れることを嫌がらず彼女は頭に触れた。
極悪猫は体を寄せ、彼女のすねに体をぶつける様にして甘えだした。
「しっぽ、曲がってるんだ」
風子が頭を撫でるとしっぽが曲がったまま、ぴょこんぴょこんと動く。
「中村……大丈夫?」
大吉がたまらず声をかけた。
「何が?」
「いや、その猫汚いし」
「うん、でも可愛いよ」
「ひっかかれたら、ばい菌」
「大丈夫、この子はそういことしないと思う」
よしよし、といいながらごつごつしたその猫の背中を風子は撫でている。
「綺麗な子より、こういう感じの子の方が好きなんだよね」
「あ、そう」
複雑な表情で大吉が曖昧な返事をする。
「野良の世界も生きていくのは大変なんだね、よしよし」
風子は猫に話しかけながら、喉を撫でている。
大吉もぼけっと立っとくのも変だと思い、風子の近くに行こうと歩き出す。するとその足音を聞いて、極悪猫が一瞬にして逃げ出してしまった。
「あーあ、松岡くんの事嫌いだって」
そう言って風子が笑いだす。
「……あ、いや、ごめん」
「謝ることじゃないよ」
「いや、だってかわいがってたし」
「ここは野良猫王国でしょ、ほら、時間はあるし、いくらでも遊べるみたいだから」
風子は昔から野良猫に好かれる体質なのだ。
野良猫に触れることは慣れているが、さすがにここの多さにはびっくりする反面、心躍る気分もあった。
金沢は冬がきついせいもあるのだろうか、野良猫がいないのだ。
「ああいう子、ほっとけないんだ」
「さっきの、汚いやつ?」
「うん、中学でも、ああやって悪ぶってるっていうか、家庭の事情で拗ねてる女子とか、男子とか」
舞鶴にいたころ、風子はいじめに対して断固たる態度で対応したため孤立していた。その反面、そういうひねくれた後輩女子男子に慕われ『姐さん』扱いを受けていた。
旅のせいもあるのだろうか、そういうことをぽつりぽつりと大吉に話していた。
「あー、その意外だった、もっと中村って社交性あるから、友達いっぱいいるような女子だって思っていた」
「なんか、後輩の男子でも、不良っぽい子が寄ってくるから、同級生の女子も男子も敬遠されちゃって」
トホホと言った顔をする風子。
大吉は急にぐいっと顔を背ける。
「お、次郎、俺と同じかき氷買ってきたんだ」
急に話題を変えた大吉の表情はムズムズと動いていた。
――やべえ、めちゃかわいい。
あの極悪猫を撫でている慈悲深い顔。
初めて会ってキツイ表情で睨んできた顔、そしてトホホと力が抜けた感じの顔。
自分にあんなに穏やかな顔を向けてくれたということが、大吉はうれしかった。
「大吉、早く食べないと半分ぐらい水になっちゃってるって」
次郎は大吉が手に持っている袋入りかき氷がタプンタプンとただの赤い液体になっているのを見て笑っている。
「もしかして、俺が帰ってくるの待ってた?」
そんなんじゃないって、と大吉は言おうと思ったが、まさか風子に見とれていたから食べるのを忘れていたなんて言えるはずもなく、曖昧に相槌を打つだけだった。
「夕日すごいの見れるから」
午後七時になる時間になっても、まだまだ蒸し暑い。
蝉も暑さに負けるかと言わんばかりにわんさか鳴いている。
山の上の見晴らしの良い公園で、北向きに長崎湾を見下ろすような形で立っていた。
次郎の言葉通り、長崎市を一望できるそこは夕日が港の水面や、船、ビルに反射してキラキラ美しく光っている。
「もうすぐ、空が真っ赤になるから」
太陽を背にして立つ、稲佐山の緑が赤く染まっていた。
「ジロウ、あの山のてっぺんに鉄塔がいっぱいあるけど、何?」
サーシャが指を差して次郎に質問した。
「ロケット」
「真面目に答えなさい」
サーシャが訝し気な目で次郎を睨む。
「ごめん、小学生のころは本当にあれがロケットだと思ってたんだ」
「……頭悪い小学生」
少しバカにした感じで風子が笑う。
「悪かったね、馬鹿で……あれはただのアンテナ、こんな山に囲まれているから、あそこにいろんな電波塔が立ってるらしいよ」
次郎が口を尖らしてしゃべった。
「あ……」
幸子が、感嘆の声を上げた。
「なんか、すごい……」
彼女は北海道の内陸部の牧場地帯に住んでいた。そのため、こんな狭い土地の夕日なんか、あの広大な大地の風景に比べれば大したことがないと思い込んでいたのだ。
紫色とオレンジの空、見下ろす地面には長崎特有の密集した建物から人工の光が輝き、昼と夜の境目がない時間が一瞬だけ演出されている。
稲佐山に沈む夕日は大きく、港の水面を真っ赤にしていた。
次郎は次郎で毎日見ていたこの光景を久々に目にして、やっぱりすごいものだということを確認していた。
離れてわかる、生まれ育った町の毎日見ていた、何気ないなんともいえない風景。
五人とも時が止まったかのように、じっと夕日を見ている。
陸軍少年学校に来て五ヵ月。
金沢という、遠く知らない土地に行き、そして今は長崎という、また知らない場所に立っている。
旅行とかでもそんなに遠くへ行った経験のない少年少女達は、そのなんともいえない不思議な感覚で心が震えていた。
しばらく、誰もしゃべることもなくじっと夕日が沈む光景に魅入り、そして紺色の空になったころ、ぽつりぽつりと歩きだした。
「きれいだった」
と風子。
「うん」
と幸子。
「モスクワの夕日も綺麗だから、みんなに見せたいな」
サーシャがぼそっと言う。
大吉は無言。
じっと、思いつめたような雰囲気だ。
「あ、さっきの野良ちゃん」
風子が、薄暗い路地で立ち止まり、極悪猫が塀の上に座っているのを見て立ち止まった。
次郎とサーシャ、そして幸子は風子が立ちどまった事に気付かず歩き続けている。
入り組んだ路地をすでに曲がった後だったからだ。
「中村……」
大吉はそれに気づいて、止まっていた。
「目つきが悪い子なんだよなー、食べ物買っておけばよかった」
そんなことを言っている。
塀の上に手を伸ばすと、極悪猫がその手にすり寄った。
大吉もさっきのこともあったからだろう、ゆっくりと風子に近づく。
「あ、あのさ」
「ん?」
風子はいつになく、モジモジしながら話しかける大吉のことを不思議に思った。
でも、とりあえず、その時は目の前の野良猫に集中していた。
「お、俺」
かりかりと喉を撫でる風子。
「中村と付き合いたい」
「ふーん、そーかー」
かりかりと喉を撫でる手が止まる。
「ええっ!?」
彼女が驚いて大声を出したため、極悪猫が塀を反対側に飛び降りて逃げ出してしまった。
「本気なんだ」
じっと目風子の目を見て大吉が言った。
「俺は中村が好きだから」
「ちょ、ちょっと」
風子は中学で告白されたことはある。
だが、それは親しい間でもなく、自分のことを憧れた後輩の男子とか、女子とかで、なんとなく今の大吉の真剣さとは違う空気があった。
大吉の声。
大吉の喋り方。
それはとても真剣だというのは、風子にも実感できるものだった。
だからこそ緊張した。そして驚いた。
心臓がバクバクいっている。
「あ、悪い……いきなりこういうこと言って、あ、でも言っておかないと、気持ちが落ち着かねえっていうか」
大吉もしどろもどろになっている。
「あ、ああ、うん、あの、なんていうか、付き合うとか、そういうのわかんなくて……ごめんなさい」
「あ、いや、いいんだ、わかってるから、中村は好きな男いるってのも」
「ち、違う……本当にわかんないの、人を好きになるとか恋をするとか、そういうの」
「いいって、気遣いしなくて……」
「……本当、本当にわかんないから」
――松岡くんのことは好きか嫌いかでいうと、好きだし。
「うん、ありがとう……ごめん、俺ばっかりスッキリして、その友達は続けて欲しい、あー、ごめん、こういうこと、この旅行が終わってから言えばよかったって、俺ばっかだなあ」
「あ、うん」
「ま、気遣いなんてしなくていいからさ」
そういうと、大吉は歩き出す。
緊張のせいだろうか、手足がしびれているから、なんとなく変な歩き方になってしまっていた。
「本当にごめん、私、恋とか好きとかそういうの、ごめん、わかんな」
――いから。
なんだか、とても悲しくて、風子は声にならなかった。
そういう感情がわからない自分が、人間として欠陥品じゃないかという気もするからだ。
誠実に真正面から告白した大吉に対しても逃げてしまった。
いや、正直彼女はその気持ちを伝えただけだが、そう捉えらえたかもしれない。
そんな風子はとぼとぼと歩くことしかできなかった。
「どうした、大吉」
もう暗くなった夜空の下、玄関の前の街灯の下でいつもと雰囲気が違う大吉に次郎が気付く。
「なんか、この町、猫のしょんべん臭いから、目にしみた」
彼はごしごしと右ひじで目をこすっていた。
「あー、そんなん明日には慣れる」
次郎はそう答えた。
「たまんねえ、ほんと」
大吉はそう言うと、空を見上げた。
一番星。
男の子はこのくらいじゃへこたれない。
「今日も山中寝ぼけてくるかな」
ぐいぐいっと次郎の脇腹を突く大吉。
「ばっか、聞こえるって」
「女子が隣で寝てるってのに、何もできないっての」
「覗きは犯罪だからな」
「覗かなきゃいい」
「アホ」
「あーあ、俺も次郎みたいにラッキースケベの星の下に生まれたかったなー」
はははと笑って、玄関をくぐる。
「ばっか」
後姿を見て、次郎はつぶやいた。
長崎二日目。
大吉にとって、長い一日だった。




