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陸軍少年学校物語  作者: 崎ちよ
第5章  葉月「実家に帰らせて頂きます!」
32/81

第32話「高校生だもの、家庭の事情もお多感ですよね」

「じーろちゃんっ」

 洗面所に向かう途中、次郎に飛びついてくる黒い影。

「な……」

 突然かつ驚愕の光景を目の当たりにし、風子は硬直してしまった。

「パ、パンツ!」

 影の勢いを受けて仰け反ったサーシャは叫ぶ。

 破廉恥きわまりない光景が彼女の目に入ったからだ。

 次郎は逃れようと必死にもがいている。

 そんな男子の抵抗を軽々と抑え、ほっぺたにキスを連発していた。

 恐ろしいほど正確に次郎は関節をきめられているため身動きができない。

 情けない悲鳴が唯一の抵抗だ。

 抱き着いている女性はしばらくして硬直している女子達に顔を向けるた。

 女性の表情はすーっと変わる。

「……何、この女達」

 急に声のトーンが落ちた。

 さっきとはうって変わった大人の声。

 パンイチの女性はキッと睨みつけ、女子達を圧倒していた。




 ■□■□■



「と、いうことでゲイデンと山中のホームステイ先は決定したので」

 ホワイトボードを指差しながら真田中尉はそんなことを言った。

 ガタンと大げさな音を立てて次郎が立ち上がる。

「ちょっと待ってください、そんな話……」

「聞いてない」 

 真田中尉が次郎の代わりにそう言った。そして、ニコッと笑顔を向けた。

「ごめんね、言うの忘れてた」

 てへ、と言ってごまかそうとする二十七歳。

「『てへ』じゃないですよっ、そんな大切なこと! だいたい、真田中尉も『てへ』って歳ではないでしょっ」

「あー、そーゆーこと言うんだ、上田は、あー、女子に対してそーゆーこと」

 女子を強調。

 確かに高校一年生相手に、若ぶる真田は見苦しいとしか言えないがしょうがない。これはお約束である。

 そもそも真田は童顔だから、若ぶる必要はないのだが。

 次郎はホワイトボードを見て、改めて自分の名前が書かれていることを確認した。

『夏季休暇、第一中隊留学生ホームステイ実施計画』

『八月八日から十五日、上田次郎宅(長崎県長崎市)』

『十五日から二十一日、三島緑宅(静岡県沼津市)』

 と書かれていた。

「みんなが入校した時にお手紙だしていたんだよねー、学生のご家庭で受け入れてくれるって言ったのが上田と三島の家だったから、ね」

「ねって……俺はそんなこと」

 三島はぼそっと「お母さんから聞いていました」と言う。

「もしかして仲が悪いとか……?」

 少し残念そうな顔で真田が察する。

「いいえ」

 顔を横に振って否定する次郎。

「もしかしてえっちな本がいっぱいあるとかー?」

「いいえ!」

 ぶんぶん音が聞こえるんじゃないかという勢いで顔を横に振る次郎。

「もう、お姉さんには正直になっていいのにー」

「なりませんっ!」

 そう言って次郎は振り向くと、ジト目のサーシャと目があった。

 ――あるんだ。

 そういう目で見てる。

 次郎はピクピクと口の端を震わせ何か言おうとしたがやめた。

 サーシャや幸子のような留学生が、夏休みの間に同期の家庭でホームステイしながら観光をするということがこの学校の恒例行事となっていた。

 ちょうど異国情緒豊かな観光地である長崎出身の次郎や、富士山観光ができる静岡出身の緑、そのふたりの両親が快く引き受けたらしい。。

 もちろん、マンツーではいろいろと問題があるため、半ば強制的に留学生と仲のいい学生――風子――がいっしょに団体行動をとることになっていた。

 あと大吉。

 彼はもともと次郎の家に遊びに行く予定だった。

 そういう訳で留学生の二人と風子、そして大吉が次郎の家にホームステイすることになっていた。



 空路で石川から福岡まで飛び、そして電車で二時間。それからタクシーに分乗して、離合するのがやっとというようなクネクネした坂道を登って行くと次郎の家がある。

 その光景は風子達にとって、なんとも不思議な世界に思えた。

 山の上にまで所狭しと住宅が立ち並んでいる光景。

 九州の日差しは強く、北陸に比べ蝉の鳴き声が倍以上聞こえるような感覚。

 別世界に来たような気分になった。

 そんな坂道の頂上付近にどーんと建っているマンションが次郎の家だった。

 ――お金持ちなんだ。

 それが風子の第一印象。

 十階建てのマンションのとなりに建てられた古めかしい平屋の家。

 玄関の前にはマンションと古武術道場を経営している両親が待っていた。

 笑顔の母親と仏頂面な父親が対象的である。 

「いらっしゃい」

 母親がにっこり笑う。

 学生達は日差しのまぶしさに目を細めながら、挨拶を返した。

「よろしくお願いします、ロシアからの留学生、サーシャ=ゲイデンと言います」

「極東共和国の山中幸子です」

「同期の中村風子です」

「友達の松岡大吉です」

 学生達を改めて見て、目をまんまる見開いて驚いた顔をする次郎母。

「サーシャちゃん、かわいかねー、しかも日本語ペラペラ」

「ありがとうございます」

 サーシャがぺこりと頭を下げる。

「幸子ちゃんは、共和国のどこ?」

「北海道です」

「あーよかねえー、一度行ってみたいと思ってたとよ」

 幸子もぺこりと頭を下げた。

 すると母親は次郎を後ろから羽交い絞めにして首を絞めだした。

「かわいか女の子ばこんなに連れてきて、いつの間にか男前になっとるし」

 にししと笑う母親。そして、身体を離すと同時にバシっと音がなるぐらい思いっきり背中を叩いた。

「パソコンの履歴はお姉さんの写真ばっかり残ってたけん心配しとったけど、ちゃんと同年代に手を出しとるなら安心」

 ――やっぱり。

 心の声が聞こえそうなジト目の風子と彼は目が合ってパクパクと口を動かすことしかできなかった。

 シスコン。

 そういう育ちだからしょうがない。



 冷房が効いた部屋。

 そんな畳の部屋に大きな長方形のテーブル。

 座布団の上にちょこんと座る男子と女子。

 学生達五人に加え、次郎父と母に祖母、そして小学三年生の妹――(はな)――がいた。

 仏壇があり、彼らを年老いた人物の白黒写真が見下ろしている。

 テーブルの上には大きな皿に盛られた細いパリパリ麺の上にあんかけが乗った食べ物――皿うどん――がどーんと真ん中にある。そしてその周りには豚の角煮とか、豚まんが置いてあった。

「ほら次郎、ソースかけ過ぎ」

 母親に言われぶうくれる次郎の手には、ソースのビン――栄養ドリンクのビンを再利用――が握られている。

 皿うどんにソースをかけていた。

「みんなの分もとっとかないと」

「はーい」

 次郎がそう返事しながら、大吉にビンを渡す。

「ソ、ソース?」

 大吉は戸惑っていた。

 ソースが栄養ドリンクのビンに入っていることも、皿うどんにそれをかけることも。

「あ、俺はいいっす」

「美味しいのに」

 とても残念そうな声を次郎が出す。

 大吉をとびこして幸子に渡そうとした。

「わ、私も、ソースは、ちょっと」

 遠慮する幸子。

 中華的なアンの上にウスターソースはちょっと違和感がある。

「かけるの? これ」

 すっと手を伸ばし栄養ドリンクのビンを受け取ったのはサーシャだ。

 ドボドボ。

 白いアンに、黒い液体がかかる。

 ビンを伝わって黒い液体が垂れそうになるのを見た次郎母が、横から布巾をサッと差し出し手際よく拭く。

「さあ、気にしないで食べて」

 サーシャがコクリと頷く。

 パリパリ麺がふにゃっとなった場所を器用に箸で摘み上げ、パクッと食べた。

 その姿を風子達がじっと見守る。

 例えば、プリンに醤油をかけて食べるような、そんなゲテモノ食いを見るような眼である。

美味しい(フクースナ)

「え? え?」

 突然のロシア語に風子が目をぱちぱちさせた。

「美味しいって」

 幸子がぼそっと言う。

「美味しいんだ……」

 黒い液体をもう一度見た大吉は、まだ信じられないような顔をしている。

「だって、中華だよな、中華」

「そんなに珍しかと?」

 次郎母が不思議そうな目で大吉を見る。

「いや、ちょっと馴染みなくて」

「ふーん」

 母親が相槌をうつと、父親が口を開いた。

「気持ちはわかる」

 関東から長崎に婿入りした次郎父である。

「でも、うまいものはうまい」

 そう言って、豚まんにタレをつける。

 ぱくりと頬張ると焼酎の水割りで流し込んだ。

「た、タレ?」

 風子がびっくりした顔をする。

 豚まんってそのまま食べるものだと彼女は思い込んでいるから、不思議な光景だったのだ。

「これも美味しい」

 もぐもぐと今度は豚まんを頬張るサーシャ。

「おばちゃんうれしか、サーシャちゃんの食べっぷりがよかけん」

 笑顔の次郎母。

「あんたも負けずに食べて、大きくならんと」

 そう言うと、次郎の皿に大量の豚まんをポイポイと投げ入れる。

「子供扱いするなよっ」

 学校にいる時とは口調が違う次郎。親の前では子供っぽくなってしまうのは仕方がない。

 本当に子供なのだから。

 ――楽しそう。

 サーシャは豚まんにタレを付けながら思った。

「お肉、嫌!」

「三年生にもなって好き嫌いかよっ」

 彼の妹である花は肉が嫌いなのだ。だが、彼女の皿にぽいぽいっと彼が豚の角煮を盛ったものだから、喧嘩腰になっている。

 ――賑やか……。

 誰もいない食卓。

 たまに、父や兄と同じ食卓についても無言。

 『行儀が悪い』とひどく怒られた記憶しかない。

 ――同じ兄妹でもこんなに違うんだ。

 次郎と花、そして、彼女の兄であるミハイルと自分の年齢差が近似していたので、なおさら比較してしまうのだ。

 厳しい兄。

 年月が過ぎていく毎に自分に冷たくなった兄。

 ――どうして……。

「豚まんの中身だけ残すなよっ」

 豚まんの皮だけを食べたのだろう、皿の上には中のひき肉の塊が転がっている。

 次郎はその肉を箸で摘み、妹の口元にぐいっと押し込もうとする。

「口を開け」

「むぐぐ、お兄ちゃんのバカっ、アホっ」

 スパコン。

 スパコン。

「静かにせんね!」

 お母さん両手チョップがふたりに入った。

「お友達の前でみっともない」

「……」

「……」

 ぷぷっ。

 幸子が笑った。

 その意外な声に驚きの表情をした風子が振り返る。

「幸子、ちゃん?」

「……だって、いつもクールそうにしてる上田君が、すごくお子様だから」

「う、うん……なんかいつもと違う」

「それに、なんだか自分の家と同じなんだなって」

 幸子の家は四人姉妹なのだ。

 西の家庭がこんなにも自分達に似ているだということに、彼女は驚いていた。

 すごく意外だった。

 西の人間というのは、もっと荒廃した家庭だという印象を植え付けられていたからだ。

 いっぽう、ひとりっ子の大吉には馴染みのない光景であった。

 自営業の家だから、親子三人で食卓を囲むことはあってもこんなに賑やかではない。

 中学二年生以降は、悪ぶっていたのも手伝ってほとんど家族でご飯を食べることはなかった。

 風子もじんわりとした思いがあった。

 ――当たり前の家族か……。

 片親の彼女。

 母は夜の仕事が忙しく、いっしょに食事をとったことが数えるぐらいしかない。

 父親がいて母親、おばあちゃんや兄弟がいる家庭。

 ホームドラマや漫画にありそうな、当たり前の家族。

 そんな風景を目の当たりにして、風子は戸惑っていた。

 まず、そんな『当たり前』とかいう、わけのわからない概念に対して。そして、そんなことに戸惑っている自分に対しても……。

 風子はただただ戸惑った。

 大吉は両親に対して過去の自分の態度を反省した。

 幸子は懐かしさに心を揺さぶられた。そして、サーシャはこんな次郎の家庭が羨ましくなると同時に、なんだかたまらない寂しさを感じていた。

 


 風鈴の鳴る音。

 熱帯夜だが、山の上ということもあって、風通しはいい。

 扇風機がブーンと唸りながら首を振る音が部屋に響いている。

 この九畳ほどの板張りの部屋には次郎と大吉が布団を引いて寝ている。

 その部屋の襖を挟んだ向こう側に、女子三人と今日はお姉ちゃん達と寝ると宣言して布団に転がっている花が眠っていた。

「次郎……」

 もぞもぞっとタオルケットの中で動く大吉。

「どーした?」

「あの襖の向こうで、風子さんが寝間着がはだけて眠っていることを考えたら眠れねえ」

「変態」

「冗談……」

 大吉はしばらく黙った後、話を続けた。

「お前んち、仲良いなって」

「喧嘩ばかりだって」

「俺んちは、喧嘩したことない」

「じゃあ、良いってことじゃね?」

 大吉がため息をつく。

「中二で髪の毛の色染めてさ、親父(オヤジ)に殴られた」

「なんだよいきなり」

「全然痛くなくてさ」

「俺のところだったら、痛いじゃすまないけど」

「俺と同じで、親父は背が小さいし、力もない」

「よかったな、怪我しなくて」

「怪我した方がよかった」

「は? マゾ?」

「違うって、なんつうか、俺が平気な顔で睨んでから、親父が遠くなっちまったっていうか」

「……」

「俺、次郎の家に遊びに来るかって誘われた時、九州ってところに行ってみたかったのもあるけど、実家に帰りたくなかったからかもしれない……」

 ふたりはあおむけのまま薄暗い天井を見上げる。

 風鈴が風にあおられ、優しい音を立てた。

「なんつうか、親父やお袋に会うのが嫌というか、恥ずかしいというか、気持ち悪いというか、耐えれないというか」

「……両親(あっち)が、悪いわけじゃないんだろ」

「俺だよ、俺……俺の心がフラフラしてる」

「はは、『頭丸めて反省しました』ってその坊主頭見せりゃ、両親大喜びじゃね?」

「それ、すっごく恥ずかしくねえ? あの中学の二年間はなんだったんだよって、馬鹿にされそうで」

「くだらねー」

「なんだよ、こっちは真剣なんだよ」

「成長したって言えばいい」

「は? 何その上から目線」

「うるせえ、相談してきたのは大吉だろ」

「そりゃそうだけどムカつく」

「ガキ」

「うるせえ、お前もガキだろうが」

 大吉が少し大きな声を出した時だった。

 ガタン。

 不意に女子達が寝ている方の襖が開いた。

 ぬっと立っている女子の人影。

「おしっこ」

 明らかに寝ぼけている声の主は幸子だった。

 お団子お下げをしていない長髪は、縦横無尽に爆発し半袖シャツタイプの寝間着は着崩れして、白い下着がちらっと見えている。

 蛍光灯の赤い豆電球の明かりに照らされて、薄暗い中だったがそこだけ強調して見えた。

「は、反対側」

「あ、そう」

 がたん。

 襖が閉じられる。

 ばたん。

 襖の向こうで、柔らかいものに人が倒れこむような音が聞こえた。

「寝ぼけていたな」

 と大吉。

「うん、寝ぼけていた」

 天井を見上げたまま次郎がうなずく。

「あれ、山中だよな」

「山中だった」

「けっこう着やせするタイプかもしれないな」

「うん」

「俺、長崎来てよかった」

「うん」

 一生懸命、さっきの光景を心のフォルダにしまおうと努力する男子二人。

 そう見れる光景ではない。

 ちょっとしたことで喜び、ずっと思い出にしようとする男子という生き物は、けっこうエコなのかもしれない。

 再利用化である。

 そういう興奮は収まったころ、大吉は目を閉じていた。

 そして心に決めていた。

 ――うん、謝ろう。

 大吉は長崎旅行が終わった後、ちゃんと実家に帰ることを決めた。

 寝返りをうち、次郎とは反対側を向き、ぎゅっとタオルケットを抱きしめる。

 涼しげな風鈴の音が彼の眠気を誘う。

 規則正しい寝息が聞こえだした頃、外からの冷たい風がすうっと部屋の中を流れていった。



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