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陸軍少年学校物語  作者: 崎ちよ
第4章  文月「夏だ!海だ!訓練だ!」
28/81

第28話「海、特訓そして、お約束」

「で、なんであんなのがいるんですか?」

 ジト目の中村風子に対し、真田鈴は大人の笑顔で対応しようとしたが、失敗していた。

「海だ! サマーだ! 恋せよ若人(ワコウド)!」

 大音響で叫ぶ筋肉。

 鈴の顔は笑顔だが、どこか虚無感があった。

「女子達よ、なかなかキューティーだぞ! 素晴らしい! はっはっはっ! サマーはいいなあ! サマーは!」

 黒ブーメランパンツの小山は、筋肉を響かせ豪快に笑っている。

 一応ではあるが、彼は日本史の先生である。

 風子は何がそんなに楽しいのかわからないけど、とりあえずどうでもいいから夏って言え、夏って、と思うが、面倒くさいので口には出さない。

「小山先生がどうしても来たいって言うから」

 てへっ、ごめんね。

 という仕草を鈴はしてごまかそうとする。

 ――くっそー。

 いい歳――二十八歳――なんだから、そういうごまかし方はないだろうと風子は毒づいた。

「これ、水泳の特訓でしたよね」

「うん、ついでに海水浴を楽しもうって企画」

 オレンジのブラに白のショートパンツタイプを身に着けている鈴。そんな彼女に風子は疑わしい目を向けた。

 特訓とは違うところで気合が入っているんじゃないのかと。

「さーいしょは、ぐ! じゃんけん、ぽん!」

「くっそお!」

「うっしゃああ!」

 少し離れたところで、ゴツイ体の男たちが水着姿でじゃんけんをしている。

 いい大人達が、バカみたいにはしゃいでいる姿。

 勝負が決まるために、オーバーアクションで喜んだり、悲しんだり、悶絶したりしている。

 これも風子のテンションを下げていた。

 勝負が決まりピョンピョン跳ねながら最もオーバーに喜んでいるのは、無精ひげのおっさん――綾部軍曹――だ。

「じゃ、運転よろしくー」

 パーで勝ったのだろう。その形の手をヒラヒラ振りながら缶ビールをグビグビと一気に飲み干していた。

 じゃんけん負けたら帰りの車の運転手。

 そんな勝負だったようだ。

「教官、本当に特訓ですよね」

「うん」

 笑顔の鈴。そして、口の端がひきつった。

「はあああ、この一杯の為に生きてるわー」

 綾部は泳ぐ気配もなく、どっかり椅子に腰を下ろし、クーラーボックスの上にツマミを並べている。

 完全に呑む態勢だ。

「真田中尉ー、どーですかー、もう飲んじゃいましょうよー」

 そう言いながら鈴に向けぶんぶんと缶ビールを握った手を振る綾部。

 ぴくぴくっと彼女の顔全体がひきつった。

「……水泳の、特訓……ですよね」

 眉間に皺をよせる風子。

 鈴はこくんこくんと笑顔を凍らせたままうなずいた。

 その時だった、風子が綾部の後ろに、恐ろしい空気をまとった影が立っていることに気付いたのは。

 ごんっ。

「ぶひゃひい」

 ビールを勢いよく吐き出す綾部。

「バカっ!」

 実力を行使しながら叱責し、仁王立ちで彼を見下ろしているのは晶だ。

 ベージュとブラウンの柄が入ったワンピースタイプのパレオ着ている。

「あああ、何てことするんですか、ビール様がもったいないもったい……」

 ごぶっ。

 二発目。

「ちゃんと準備運動してから飲め」

 ――問題はそこかよ……。

 風子はツッコミを入れながらパレオの上からでもぼよんと揺れる胸に圧倒された。

 ああ、あの裏切り者のおっぱいと彼女は思う。お風呂での一件、その逆恨みである。

 すうっと風子は視線を鈴に戻した。

「副官も……ですか」

 気合が入っている。

 特訓以外で。

「特訓のついでだから、海水浴満喫するのはついで」

 満喫って単語がある時点で、いろいろずれている気がしないでもない。

 そんな彼女はもうひとつ気になることがあった。

 隣に立っている、妙齢の女性のことだ。

「あら、おばさんをじっと見ちゃって、何か変?」

 学校の関係者でもない女性が、当たり前の様にこのコミュニティー内に存在していた。

 目をパチパチさせながら驚いた顔をする彼女は一度サーシャを狙ったが、心変わりして今は護衛役になっている女性――瓜生絵里――だ。

 挑発的なビキニを着ているくせに、なぜかとぼけた顔をしている。 

「娘は別の用事があるって来てないけど、ちょっと浮いちゃったかなあ」

 浮いてる浮いてる。

 現役兵隊達が遠慮なくキラキラした視線を向けるぐらいに。

「いえ、お仕事……ご苦労様です」

 風子はため息をつく。そして、海辺の方に目を向けた。

「あれも……ですか?」

 鈴は笑顔を崩さない。

「呼んでないけど、来たみたい」

 着かず離れず。

 黒い軍用ゴムボート。

 その中にひときわ目立つ金髪の男性。

 手には望遠鏡。

 さっきからサーシャが海の方を見るたびに、低い姿勢をして隠れている。

「しかも、あれで隠れてるつもりなんですよ」

 不思議とサーシャは気付いていないことも気になる。

「シスコンなんじゃないかな……」

 鈴は笑顔のまま答え、言葉を続けた。

「賑やかでいいんじゃない?」

 ものすごく無責任に言い放った。

 泳げない学生を泳げるようにする特訓海水浴企画。

 早くも暗雲が立ち込めていると思ったのは風子だけではないのかもしれない。



「バディーはくじ引きで決める」

 どーん。

 わざわざこのために作ったのだろう。小山は棒くじが数本入ったカップを二セット突き出した。

 勢い余って砂浜に棒がこぼれる。

「男子はこっち、女子はこっち」

「いつも練習している子と組みたいんですが」

 風子が意見すると、ギロリと小山は睨む。

「サマーというのがわからんのかっ! もっとドキドキせねばならんのだ」

 そう宣言して、風子を封じる。

 もう一度確認するが、小山は日本史の先生である。

 体育教師ではない。

 風子は困った顔をして鈴に目を向けた。

「今日はどうしても小山先生が学生の面倒を見たいというから」

 だから、他の大人たちは学生は放っておいて、海水浴を満喫しているんだろう。

 彼らにとって、願ってもないことだった。それに小山がやることに下手に口を挟むと、面倒くさいというのもある。

 くじ引き、男女別。

 その意味するものは……。

 一瞬にして風子は『もっとドキドキせねばならん』の意味がわかってげっそりした。

 黄色帽子組(ヒヨコクラブ)が引いて、あらかじめ番号を振っている黒帽子組につく。

 女子の方が多いが基本的には女子と男子が一組になるように仕組まれていた。

 そういうことで、黄色のサーシャには次郎。

 同じく黄色の大吉に風子。

 女子同士は白色の緑と幸子が組んでいた。

「よおし、特訓せよ!」

 ぱあああん。

 両掌を思いっきり合わせた破裂音とともに、地面に響く大声は開始の合図だった。

 キラン。

 無駄に小山の白い歯が光っていた。



 特訓。

 それは文字通り特訓だった。

 泳げる黒帽子が、休む暇なく黄色や白い帽子の子を教えている。

 おしゃれな水着なのに、練習の時だけはその帽子と水泳ゴーグルをつけているため、なんともシュールな光景であった。

 そんな中、黄色い帽子の松岡大吉は目のやり場に困っていた。

 目の前にはビキニ姿の風子。花柄の胸の下まで布地があるタイプとはいえ、お腹とか太ももとか露わになっているからだ。

 そんな大吉の葛藤を知ることもなく、風子は彼の手を引いて下半身の挟み込みの練習をひたすらさせている。

「もっと力を抜いた方がいいかも」

 いろんな意味でカチコチになってしまっている大吉へのアドバイス。

 そんなことは百も承知の彼であったが、その柔らかい手を握っていると、ドギマギしてしまうのだ。

 だから、煩悩を払うためにも必死に泳ぎの練習をしていた。

 プールに比べたら体が浮く。

 何度も繰り返すうちに、水を掴むような感覚もわかる。

 彼が足で水を挟むようにすると体が前に推進するとともに、ふわぁと浮くことがわかった。

 足を漕ぐたびに、風子は彼の手に押されるようにして後ろに受け流す。

「あ」

 風子がそう言って立ち止まった。

 それは大吉にとって不意の出来事でもあった。その瞬間、彼の中でラッキースケベの警報が鳴り響く。

「(ぼがぼがごが……)」

 回避するために、自分を犠牲にした大吉は大量に水を飲み込みもがいていた。

 視界に風子の下半身がいきなり入ったため、衝突を回避しようとしたのだ。彼はその時、めちゃくちゃな泳ぎ方でブレーキをかけたため、大量に水を飲んでしまった。

 もちろん、水を飲んだ原因は彼女のお腹と、三角形の布が目の前でドアップになり慌てふためいたせいもある。

「ま、松岡くん、ごめん」

 風子も状況を飲み込んだのだろう、もがく大吉を慌てて抱える。彼女の首に抱き着くような形で彼はなんとか平静を取り戻した。

 いや、平静を取り戻したかのように見えた。

「あ、その、うわあ」

 直に彼女の肌に触れ、しっとりした感触に包まれる。

 大吉は湯気がでるぐらい顔を真っ赤にして硬直した。

 風子は彼がなぜそこまで慌てるのかわからず不思議そうな顔をする。なぜなら、彼女はただ単に溺れていた人を助けただけ、という感覚だったからだ。

 そんな中、大吉はふと幸子と目が合った。

 なにか視線を感じていたから見た方向に彼女はいた。そして、すぐに視線を逸らされてしまった。 

 ちなみに風子が立ち止まった原因は彼女がよそ見をしていたからだった。

 その視線の先には次郎とサーシャ。

 風子は彼女が顔をあげた状態で平泳ぎまでできるようになっている姿に見入ってしまった。

 ――泳げるようになったんだ……。

 あれだけがんばったのだからうれしいことなのに、なぜか彼女は素直に喜べなかった。

 次郎の教え方が上手だから泳げたのだろうか……そんなことを思ってしまう。

 その葛藤の中で、ぼーっと彼らを見てしまった。

「休憩ー」

 鈴が特訓中の学生に声をかけた。

 真っ赤な顔をした大吉を不思議そうに見ながら、上がろうかと声をかけ、風子は陸に向かった。

 ばしゃばしゃと学生達は一斉に海から上がる。

「小山先生特性のレモンのはちみつ漬けね」

 彼女はそう言いながら海から上がってくる学生に開けたタッパーを差し出し、はちみつの中に浮いているレモンの輪切りを配っていく。

 それにしても、準備がよすぎる小山である。

 風子もレモンを口に頬張る。思ったよりも酸っぱくて、目を閉じブルルと体を震わせた。

「すっ」

「ぱいっ」

 サーシャが横で同じようにブルルとしながら、同じ言葉を言っていた。

 すると、お互い目が合う。

 彼女たちは自然に笑顔だった。

「ふーこのおかげで、足と手がちゃんと動いて、浮くようになった」

 恥ずかしそうに少し下を向いたままサーシャは言った。

「よかった、上田君の教え方がうまかったからじゃない?」

 つい、そんなことを言ってしまう。

 すると、サーシャは眉間に皺を寄せ、不満な顔になった。

「次郎はぜんぜんダメ、教え方が下手、言っている意味がわかんないから、ふーこが言ってたことを思い出して練習していた」

 それは本当のことだった。

 風子に気遣っての言葉ではない。

 次郎は何をやらしてもできるものだから、できない人間の気持ちがなかなかわからないという弱点がる。

 そういう人間というのは人に教えるのが下手なことが多い。どうしても、スタートの感覚が『できる』視点からであり、できない理由を理解できないからだ。

「まだ、顔がつけないから、息継ぎはできないけど……」

 まただ。

 風子はそう思った。

 もう、これだから、この子はたまらないのだ。

 うつむき加減に不機嫌そうな顔――きっと恥ずかしいのだろう――をするサーシャを見て、抱きしめながら頭をガシガシと撫でたい衝動に駆られた。

「大丈夫、プールより海は鼻に入ってもツーンってしないから」

「怖いかも」

 風子はその一言にびっくりした。

 なぜなら、あのサーシャが『怖い』と言ったからだ。

 今までの彼女の言動から考えて、そういう弱音は吐くはずがなかった。

 素直。

 頼る相手ができて、そうなったのかもしれない。

「上田君に言って、休憩のあと顔を付ける練習した方がいいよ」

「ふーこに見てもらいたい……」

「うん、でもくじで決まったことだから」

「そっか……」

 心細そうな表情で風子を見上げるサーシャ。

 風子はまた、あの衝動に駆られたがなんとかそれを抑えることができた。

 


「だから、顔をつけないとダメだって、何回も言わせるなよ」

 次郎がきつい声色でサーシャを叱っている。

「……」

 サーシャはキッと睨んで口をつぐんでいた。

 言えないのだ。

 風子には言えるが、どうしてもこの次郎だけには弱いところを見せられない。

 その時、大きな波が二人を飲み込むようにして押し寄せてきた。

 波がサーシャの頭の上までかかる。

「げほっけほっ」

 海水を少し飲んでしまったのか、せき込みながら必死に顔にかかった水を拭うサーシャ。

「まさか、水、顔にかかるのが、嫌?」

 次郎はサーシャをバカにしているような口調でそう言うと、意地悪そうな表情でサーシャを見た。

「……違う」

「人を散々、挑発してきて水が怖いとか」

 次郎にしてみれば、彼女とはじめて出会ったその日に足蹴にされそうになるわ、ぶん殴られるわ、そして奴隷扱いをうけるわ、高飛車な印象しかない女子なのだ。

 それが顔に水がかかるのが怖いとか、もう笑うしかない。

 にやにやしながら小バカにした視線を向けた。

 黒い軍用ボートに乗っている金髪の兄貴が次郎の方を向く。

 何やらボートの上で慌てた感じだ。

 ボートも彼らの方を向いた。

 その時だった。

 次郎の後頭部に衝撃が走る。

 口をあんぐり開けた大吉が彼の視界に入った。

 振り向くと、鬼の形相の風子。

「誰だって弱みはあるんだから、馬鹿にするとか、最低」

 勢いまかせに介入。そして、つい激高してやってしまったこと後悔した。

 なぜなら、次郎はついこの間、学校祭の夜に泣きついた相手なのだ。

 気になる男子であった。

 できれば、自分のことを良く見て欲しい相手なのだ。

 ――でも、そんなの関係ない。

 風子はキッと次郎を睨むと言葉を続ける。

 漢気(オトコギ)が乙女心に勝った。

「教え方が下手、教えるんだったら、ちゃんと相手の弱点をちゃんと把握して、そこを修正できるようにするべき」

 そりゃその通りだが、次郎には酷な話ではある。

 サーシャは素直に次郎には弱いところを話していないし、話すつもりはなかったからだ。

「い、いやでも」

「でもじゃない」

「そ、そんなのわからないし」

「わからなくはない」

 もう、ここまで来ると引き下がれない。

 ブウウウンン。

 二人の沈黙の中エンジン音が響き黒いボートは何事もなかったかのように、また沖の方に離れていった。

 未だにボートの上の金髪兄貴はハラハラしながら妹の方をちらっちらっと見ているが、風子が入ってきて安心したのかもしれない。

「あーら、弱ってるサーシャちゃんもかわいい」

 ぎゅ。

 ボリュームのある肉厚が風子を後ろから包む。

 気付いたら彼女は絵里に挟まれるようにして抱きしめられていた。

「へっ? えっ?」

 声にならない声を出しながら一体何事かと風子は戸惑う。

 絵里は妖艶な笑みを浮かべながら、風子の背中をこちょこちょっと撫でた。

 一方次郎と大吉は、そのきわどい水着と大人の色気を前に硬直している。

「こんな時、男なんてなーんの役にも立たないから、ここはちゃんと女の子同士の友情で泳げるように練習した方がいいと思うの」

 そう一言告げると、どぼんと水面に潜った。

 今度はざばんと水しぶきを上げ、顔を次郎の前で勢いよく出る。

 次郎は顔をそむける。

 もちろん胸もぼよんと跳ねるのを次郎はチラミしているのだが。

 ムッツリスケベは伊達ではない。

「お仕事もあるんだけど、サーシャちゃんをいじめちゃだめよ、あの子のお兄様も冷や冷やしてるみたいだから」

 ウインクして次郎のおでこをはじくと、また水の中に潜り、すごい速さで泳いで離れていった。

 波が大きくなっていく。

 次郎、大吉、風子はプカプカ浮き、サーシャはつま先立ちになってなんとか水面から顔を出していた。

 大きな波が連続で打ち寄せてくる。

「陸の方に移動しよう」

 風子がそう提案して、陸の方へ向かおうとした。

 ばしゃーん。

 陸の方は波が打ち返しのものと重なり、うねるような感じだ。

 大きい波が続く。

 プカプカしていると、サーシャの頭を超えるような波が一気に四人を飲み込んだ。

 ザザーという音とともに、波が戻っていく。そして、太ももぐらいまで水が引いた。

 その時だった。

「きゃ」

 響く悲鳴。

 風子だ。

 胸を両手で抱え込むようにして体を小さくし、首まで水の中に入っている。

「中村、どうした!」

「だめっ!」

 何事かと思い風子に近寄ろうとした次郎は制止の声の理由を察することができた。

 ブラの部分が無い。

 風子の水着がさっきの波でとれてしまったのだ。

「だ、大丈夫見てないから」

 そんな励ましにも何にもならない言葉を向ける大吉。

 今日数度目の赤面である。

「ふ、風子、水着は?」

 サーシャが聞くが風子は頭を振ってわからないという表情をする。

「あ、あった」

 フラフラと泳ぐブラ。

 大吉の前に漂っているものを、何も考えず彼は手を伸ばそうとする。だが、もう一度きた波に飲まれ掴むことを失敗した。

「あ、だめ」

 風子はそう言って赤面する。

 彼女にとってブラの部分を男子に触られるなどもっての他のことであったからだ。

 泳ぐブラ。

 水面下を漂う。

 男子も潜ろうと思ったがやめた。

 潜ると水の中で風子の今の状態を見てしまう可能性が高いことに気付いたからだ。

 すると思いっきり息を吸う音が風子の耳に入った。 

「え、サーシャ?」

 風子が驚きの声をあげる。

 どぼん。

 サーシャが鼻をつまむことなく水に頭を潜ったのだ。

 しばらくして水面に顔を出す。

「待ってて、ふーこ」

 そしてすぐに水に潜る。

 それを数回繰り返しているうちに、サーシャは右手に花柄のブラを掴んで浮き上がってきた。

「あった」

 必死な顔をしたサーシャ。

 その表情に水に顔をつける恐怖はなかった。

 風子はびっくりした顔をしている。

「サーシャが顔を! 水! 水の中に入れてるし」

 喜んでいた。

 その姿に指をさして興奮する彼女は、自分のブラがあったこととかどうでもよくなっていたようだ。

 だって、あのサーシャが潜ったんだから。

 だが、すぐに目の前の現実に彼女は戻ることになる。

 彼女と目が合って慌てて後ろを振り向いた男たちに気付いたからだ。

「あ」

 勢いよく上半身を水の中に沈めると同時に、両手で胸を隠す。

 ――ああああああ、絶対見られたー。

 目のあたりまで顔を付け、ぶくぶくぶく息を吹き出し、叫びたい衝動を必死に抑えた。

 そんな風子の状態を見て、一連の行動を理解したサーシャは、躊躇なく大吉と次郎に近づき、目をついた。

「何見てんだごらあ」

 サーシャ名物、理不尽目突きであった。

 男子達にとっては、本当の意味で事故だった。



 大きな包みを抱えた小山は巨大な弁当箱を開いて、学生達が海からあがってくるのを待っていた。

 昼食は、小山特性お弁当である。

「いっぱい食って、午後も特訓だ!」

 大量のお握りとカラ揚げ、それからスティック野菜。

 相当早起きしないと作れない量の弁当であった。

 再度確認するが、この筋肉、日本史の教師である。

 次に瓜生絵里。

 彼女は休憩前に風子とサーシャを見て一瞬だけニヤっとしたが、あとは何も言わなかった。

 ブラのホックをずらしたなんて余計なことは言わなかった。

 一連の出来事は、彼女の計算どおりだったようだ。なんだか、彼女も楽しそうな雰囲気である。

 あと、サーシャの兄、ミハイル。

 彼は少し離れた場所でボートから上がり、海の家で休憩をしていた。

 海で溺れることもない、そして変な男子もよりついていないから安心したのだろう、昼食は部下たちとともに焼きそばを食べていた。

 そんな取り巻きを他所に、大吉と次郎は、風子のあんな姿を見てしまったものだから、自然と距離をおいている。

 そういう訳で女子四人がかたまって食事をとっていた。

 そんな、和やかな海水浴。

 食事の間に、酔っぱらって女子の学生に絡んできた一人の兵隊が小山に投げっぱなしジャーマンを受けたり、ちゃらちゃらした一般人がしつこく鈴と晶をナンパしたため、晶の足蹴にされたりしていた。

 そんなちょっとした出来事もあったが、和やかであった。そして午後も特訓が続く。

 午後も一区切りがついた頃、風子は海から上がり、晶と鈴と話をしていた。

「あの、ありがとうございます」

 風子は晶と鈴の隣に体育座りをしている。

「どうしたの、いきなり」

 鈴が答える。

「サーシャが、こんなに上達できたのは、やっぱり海に来たからかなって思ったので」

「確かに、あの子、あの性格じゃ伸びないと思ってたけど」

 晶が遠くにいるサーシャの背中を見つめながら答えた。

「素直になれたみたいね、あなたのおかげじゃないかな」

 そう言うと晶は微笑を浮かべた顔を風子に向ける。

「本当にお忙しいのに、みなさんで、日之出中尉とかだったら週末はその彼氏さんとかと過ごす時間、ですよね」

 晶のような素敵な女性に彼氏はいるに違いないというのが、風子の感覚だった。

 いないとしたら、世の男どもは何をしているんだと吠えていたかもしれない。

 それに対しキョトンとした顔をする晶。そして、すぐにとぼけた顔をする。

「え、あ、うん、そうね、週末だもんね」

 風子に悪気が全然ないのもわかる。だからこそ微妙な顔をするしかなかった。

 彼氏いない歴イコール年齢の二十八歳である。

「あ、風子ちゃん地雷踏んだ」

 いたずらっ子のような表情を浮かべた鈴が、イシシと笑う。

「え、地雷?」

 いまいち状況がつかめない風子。

「くっそー、最近うまくいっているからって、余裕ぶりやがって」

 晶は小声だが恨みを込めた声色でそう言うとともに、鈴のほっぺをつねっている。

「い、痛いってば、モテる癖に、男を選ぶから悪いんだって」

 いつもはとても大人に見える二人の教官がそう言ってじゃれあう姿を見て、風子もキョトンとしてしまった。

「学生もいるんだから、ほら、そういうことしない」

 鈴もつねられたままではどうしようもないので、大人の声で晶をけん制する。

 風子が二人の姿を見て、がまんできずに吹き出した。

「あ、あの」

 涙に目を浮かべる彼女。

「真田中尉の彼氏さんってどんな人なんですか? きっと素敵な将校さんなんですよね」

 風子はごく自然に、女性軍人のパートナーは男性軍人だと思っていたのでそういうことを言った。

「あー、うん、そのー素敵っていったら素敵なのかもしれないけど」

 曖昧にはぐらかす鈴。

「粗暴、軽薄、お子様」

 ぼそっと晶がジト目で鈴の代わりに答える。

「ちょ、ちょっと、人の彼氏をそんな風に言わない」

「へえー、お二人とお知り合いの方なんですか」

 にやっとする風子。

「はいはい、もうそんなことはいいから」

 鈴がパンパンと手を叩く。

「お二人は仲がいいんですね」

 ふと、風子はため息をつきながらそう言った。

「あなたたちも十分仲良さそうだけど?」

 晶がちらっと遠くのサーシャを見た。

「さっき、泳げた時、あんなに抱き合って心から喜びあえるなんて、うらやましいと思った」

 午後の特訓で、顔を水につける恐怖心が少しだけ薄らいだサーシャは、息継ぎまでできるようになっていた。

 あれだけ、陸で二人でタイミングを練習したのも効果があったのだろう、顔を付けることができるようになった彼女は、あっという間に息継ぎしながら泳げるようになっていた。

 泳げた瞬間、サーシャと風子は抱き合ってしまうぐらい喜んだ。

「自信がないんです、友達を作る」

 風子はそう言って暗い顔をした。

「ずっと、仲良くできる自信が」

 サーシャと緑、そして幸子が笑いながら何かをしゃべっている景色が視界に入る。

 鈴は少し微笑し、晶が口を開いた。

「無理して、仲良くしようなんてしないでいいんじゃないかな」

「でも……」

「自然にさ、自然」

 晶はちらっと鈴を見る。

「素直になって、それから心の内をちゃんと話す、みんなと仲良くしようなんてしなくていいから、みんなと仲良くしようなんてするから、思ってもないことにうなずいたり、そんなことをしないといけないでしょう」

 こくり、風子はうなずいた。

 いじめをするグループに立ち向かった後、孤独になった風子は素直になれなかったことを思い出す。

 彼女たちを撃退し、一種のヒーローみたいになった時、彼女は誰にも自分の弱さや悩みを伝えることができなかった。

 自分は強い。

 そういう自分を勝手に作っていた。

 それに、一度友達の輪の中に入ろうとしたが、自分の考え方と違うものにまで同意したりすることができず、離れていった。

 嘘はつきたくなかった。

 教官二人は風子が中学校で孤立していたことなどは知らない。だが、話しぶりから、何かあったんじゃないだろうかと想像は容易だった。

 だから、こういう話をしている。

「自然体でいられない友達って、友達じゃなくて『お友達』なんじゃないのかな」

 お友達。

 グループに所属するためのお友達。

「あの子たちは、そういう人間じゃないと思うから、今のまま自然に間合いに入ればいいと思う」

 彼女も自分というものをしっかり持っている人間だ。

 自分を曲げてまで、お友達の輪の中に入るようなタイプではない。

 だから、彼女の言葉は、まるで自分達に言い聞かせている様な、確認しているような感じだった。

「羨ましい」

 素直に、晶は風子に対してそう思う。

 だから、そう言って、風子の頭をゴシゴシと撫でた。

 まるで、幼い自分を見ているような気分になったのかもしれない。

「悩め若人(ワコード)

 結局、晶のまとめは、小山みたいなマッチョな言葉だった。

 それに対し、風子は素直にうなずきながら「はい」と返事をする。

 がんばらないけどがんばろうという『はい』であった。


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