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陸軍少年学校物語  作者: 崎ちよ
第4章  文月「夏だ!海だ!訓練だ!」
25/81

第25話「レッテル」

『次にロシア情勢です……国境付近では……ソ連軍が動員を……なお、極東共和国の……書記長は……中立を』

 食堂のテレビにはニュース映像とアナウンサーの声。

 山中幸子は不機嫌だった。

 気になるニュースの視聴を邪魔されてしまったから。彼女はそんな表情を一切隠さず、邪魔をしてきた目の前の男達に向けていた。

「だから今度の休日、みんなで」

 彼女の対面(トイメン)に座り、話しかけているのは宮城京(ミヤギキョウ)である。

「学生長しつこい」

 学生長とは京のことである。

 京の顔が凍りつく。

 彼は縁なし眼鏡を人差し指で押し上げ、固まった笑顔のまま、はははと笑った。

 イケメンかつ秀才の彼は誰からも邪険にされたことがない。

「興味ない」

 気だるそうに彼女は言った。

「なあ、同期が話しかけてるのに、そんな態度はねーだろ」

 こちらもイライラを隠すことなく貧乏揺すりをしているのは大吉。

 右ひじをついて、お行儀悪く京の隣に座っている。

「私の楽しい食事の時間を奪いながら、そういう言い方はないでしょ」

「独りでいつも食べてて、何が楽しい食事の時間だ」

 ――馬鹿な話ばかりしている帝国のあなた達なんかに、一生わからないと思うけど。

 幸子は頭の中でそう反論する。そして、挑発的に口の端を曲げた。

 彼女にとって、この食事の時間は大切なニュースを見る時間だった。

 西の学生達に合わせなくてもいい、自由な時間。

「ちょっと頭がいいからって、そんな態度」

 大吉が拗ねた顔でそういうことを言うものだから、幸子は拍子抜けした。

 また他の奴らみたいに『だから東の奴は』なんて、言われるかと思っていたからだ。

 このお子様な男子は、彼女の高飛車な態度に対してムスッとしている。

 そう思うと、自然と笑いたくなった。

 目の前の男子が、すごく単純で馬鹿っぽかったから。

「な、何笑ってやがる」

「別に」

「お前、いつもひとりだから、ちょっと……そうかなって、くそう」

「は?」

「なんだよ、秀才だからって、お高くとまりやがって」

 大吉が彼女のことを気に食わないのは『東』であることではないらしい。

「別に、あなたみたいなチャラチャラして、耳にピアスとか、ふざけた穴が開いているような人と話したくないだけ」

 大吉が中学生のころに開けたピアスの穴である。

 この学校で制的に外されたが、まだその跡はある。

「チャラチャラしてねえよ……お前こそなんだ、髪、そう髪、長いくせに」

 幸子の髪は肩の下まである長さだ、だが学校にいる間は後ろで纏めてお団子にしている。色だって染めていない。

 規則には長髪の場合は、訓練の邪魔にならないように纏めるようになっている。

 そういうわけで、髪型を自然にしているのは休日ぐらいであった。

「ここの規則どおりよ、あなたはそんなことも知らないの?」

 むぐう、と言いながら口をわなわなする大吉。

 幸子はそれから無言でさっさと食事を済ませ、男子二人を置いて立ち上がった。

「どうして、こうも帝国の男って、底が浅い人間が多いんだろう」

 彼女は独り言のようにそう呟き去っていった。

「帝国とか、そんなん関係ねえし……」

 大吉はムスッとした顔をのまま呟いていた。 



「納得できません、どう考えてもスパイじゃないですか」

 ある男子が小山にそう言ったとき、教場の空気は一変した。

 この発端は、一部の男子と女子が幸子の事をスパイと言い出したからだ。

 東は二十年前と同じように奇襲をかけるに決まっている。

 国境線付近を探るために幸子は活動している、と。

 学生達がうわさを広めているものだから、なんとか手を打とうとして、小山が教場で話をしていた。

 教師としても、幸子に対する、差別を看破する訳にはいかない。

 当初は学生に解決させようと、学生長の京を動かしてみたが、彼もお手上げだと、小山に訴えてきた。そして、彼女の孤立は深まるばかりだった。

 同じ留学生のサーシャに聞いてみても「文化の違いだからしょうがない、日本人みたいにみんな仲良くとかどうでもいい」なんて言っている。彼女は次郎、大吉そして緑や風子といったところと交流があるが、そもそも他人の人間関係に興味がないのだ。

 だからこそ、京を動かしてみたが「嫌われているみたいでだめです」との事だった。

 ソ連がロシア帝国に挑発的な行動をとっているという報道が盛んになってきている今、学生の間で東が侵攻の準備しているのではないかという噂がたっていた。そして、ソ連の動きに合わせて、属国である東が二十年前のように侵略してくるのではないかと囃し立てる学生は、幸子を糾弾していた。

「二十年前のは侵略ではなく、帝国が海上封鎖など経済的な挑発をしていたから、やむを得ず行った自衛の処置よ」

 彼女は淡々と反論する。

「それに、属国という言い方は訂正しなさい。ソ連と我が国は対等な関係であり、完全に独立しているわ。今回の緊張はソ連とロシアの問題であり、わが国は中立的な立場をしっかりと表明している」

 それに対して、もごもごと男子生徒は言う。こんなことで文句を言うものは、そもそも又聞きの話だけを信じ込んでいるだけで、その歴史と言ったバックグラウンドの知識は付け焼刃だった。

 言い合いになると、負けてしいまう。

 文句を言う男子はサーシャに目を向けた。彼女は渦中の国の人間である。ソ連の友好国である東に対して、辛辣な言葉が出ると期待していた。

 すると彼女は何も言わず、その男子に冷たい眼差しを返した。

 サーシャは、今そこにある自国の危機をこんなくだらない話の種にされていることに腹を立てていたからだ。

 そういう訳で、執拗にその男子は幸子のことをスパイ、スパイと罵っていた。

 そう罵ることしかできなかったのだ。

 そんな男子を小山は一喝して止めた。そして、彼が「納得できません……」と言いだしたのだ。

 彼は祖父と祖母、そして叔母が極東共和国()に殺されたといった。

 二十年前の戦争、戦火の内にある富山出身。

「君の気持ちもわからんわけじゃない」

 深いため息をつく小山。

 彼にとっても東は同期達の仇である。

「だが、山中個人にスパイとかそういう事を言っていい理由にはならない」

「証拠がないからですか?」

「ああ、そうだ。荒唐無稽だ」

「東生まれの人間だってことが、スパイの証拠だと思いますが」

「生まれとかそんなもので人を判断するな」

 小山の口調はいつもの様に威圧的ではない。

「スパイとかそんなことを言う前に、君たちは同期なのだ、同期は信頼しなければならん」

 小山は一字一字を丁寧に言った。

 一瞬、あの同期達の顔が浮かんだからだ。

 今はもういない、彼らの顔が。

 その時だった。スッと手を上げながら幸子が立ち上がって口を開いたのは。

「小山先生、別にこんな奴らにスパイ呼ばわりされても、なんとも思いません。私の祖父もあの戦争で戦死しました。帝国には私だって恨みがあります。それに、私は義務で留学してきました、別に仲良しクラブに入れとは命じられていませんので」

 キッと、例の男子を睨む。

「放っておいて下さい」

 そう言って椅子に座った。

 小山は一瞬だけ困った顔をした。そして、いつもの(イカ)つい顔を作る。

「山中に侮蔑的な言葉をかけることは、私が許さん。以上だ」

 小山自身もそんなことを言ったところで、何も解決にならないことは重々承知している。だが、彼自身も二十年前の出来事に対して、しっかりと整理ができていないのだ。

 お互いの気持ちはわかる。

 もう二十年もたったことも。そして、個人ではなく国という色眼鏡で人を判断してはならないことを。

 だが、どうしても整理がつかないのだ。

 彼は感情がそうはさせないことも十分わかる。そして、自分もないとは言い切れないのだ。

「小山先生、そんなくだらないことを言うのはやめてください、侮蔑だろうが何だろうが、徒党を組まないと意見を言えないような、そんな帝国の人間と会話をしようなんて思っていません」

 そう言って幸子は立ち上がり教場を出て行く。

「山中っ」

「お手洗いです」

 いつもならば、激しく指導が入る小山であったが、彼は黙って幸子が教室を出て行くのを見送ることしかできなかった。

 


 別の日、空が紫色から黒く変化する時間。

 幸子はカップアイスを入れた買い物袋を下げ、留学生用宿舎に向かって歩いていた。

 お風呂上りの楽しみである。

「おい、スパイ」

 人の気配のない路地で声をかけられる幸子。

 男の声を無視して彼女は歩き続ける。

 売店を出てからずっとつけられていたのは気づいていた。

 男三人が幸子を追っていた。

「なあ留学生、上級生の言うこと聞けねえのか」

 道をふさぐようにして立ちはだかる男子学生。

「いや、東の言葉は違ったよな……同じ民族の癖して、あっちの奴は調教されているから」

 ――せっかく雲もない夜だから、星でも見ながらアイス食べようと思ったのに。

「一人でこんなところをぶらつくなんて、やっぱりお前、スパイだな」

「は?」

 物凄く挑発的な声で幸子は返す。

「この先は学校本部がある場所だ、そこで家捜しでもするつもりだろう」

 彼女はアホかと思う。

 こんな学校にある秘密の文書なんてたかが知れている。

 本国に渡すような内容のものはない。

 それに、そういうものがあっても、自分ごときが入手できるような管理はしていないだろう。

「……」

 幸子は不機嫌な顔をする。

 アイスが溶けてしまうことを気にしていた。

「図星だな」

 一人がニヤニヤしだした。

 ちなみにこの学生達は次郎をリンチしようとしたあの時の二年生である。

「なあ、お前、よく見ると可愛いし、いい体してるし」

 ありふれた言葉を吐く男を、心底殺してやりたいと幸子は思う。

 男と言うものはどうして、自分を性的な対象としか見ないんだろうか……それは、共和国でもいっしょだったけど、と。

 ――面倒臭い、こいつら、()ってしまいたい。

 もうこの気温じゃアイスも溶け始めてるんじゃないだろうかと思うと、無性に腹が立って来た。

「なあ、ちょっと付き合ってくれればいいんだって」

 妙にぎこちない言葉で男はしゃべる。

 直感だが、こいつらこういうことに慣れていないと幸子は思う。

 やろうと思った男は、有無を言わせず押し倒してくるものだから……そう思うと心に余裕が出来てきた。

 だから彼女は、一瞬ため息をつくと今までとは全然違う妖艶な笑みを浮かべた。

「したら……許してくれる?」

 一人の男に近づくと、馬鹿な男どもがくすぐったくなる様な声で囁く。

「な、何を」

 彼女は慣れた手つきで男の股間を撫でた。

「口で」

 ――なんかするもんか!

 出したところを引っ張って、捻って、蹴り飛ばすつもりだった。

 噛み切ろうとも思ったが、さすがに気持ち悪い。

 だいたい、馬鹿な男はこれで退散できることを彼女は経験的に知っていた。

 その時だった。

「なんだ、お前」

 三人の内、一人が気づいて声をかけた。

「あの、先輩……山中さんも嫌がってますから、手をひいて頂けませんか」

 恐る恐るという感じの声。

 そう言いながら近づいてきたのは大吉だった。

「な、なんか失礼なことしました? たぶん、失礼なこと言ってると思うんですが、そういう女なんで」

「失礼なことなんか、言ってない」

 幸子はムッとしてつい声を出してしまった。

「あ、刺激するなって、バカ」

「バカ? 私に向かってバカって!」

「おいチビ! なんでお前がスパイを庇う!」

「庇うも何も、先輩達に失礼なことをしたんだったら……同期なので謝らないといけないかなっ……と」

 そう言うと彼は頭を下げた。

「おいおい、東の人間だぞ……こんなんが同期とかお前バッカじゃねえか」

 男はそういいつつ、幸子の肩に手を当てて身体を引き寄せる。

「俺達の慰みものにしかならねえって、東の女なんて」

 頭を下げている大吉の顔が真っ赤になり、こめかみの血管が浮いた。

 東の女なんて。

 彼の頭の中にその言葉が何度か繰り返された。

「離れろ!」

 彼が顔を上げた瞬間、その小さい身体からは想像できないような大きな声を発した。

「このクソ先輩! てめえ、そんなどうでもいいことで差別だの区別だのしてんじゃねえ!」

 態度は一転、大吉は小さい身体を大きく見せようと、ズボンのポケットに手を突っ込み肩をいからせる。

「どいつもこいつも、そんなクソくだらねえことで、人を決め付けやがって」

 一方、幸子はあきれていた。

 何に対して彼が怒り出したのかまったく検討がつかなかったからだ。

 チャラチャラして、そして幸子が一番嫌いな『馬鹿っぽい』男子である大吉。

 きっと腹の虫が悪いのだろうと思うことにした。

「なんだ、このチビ野郎!」

「うるせえ! てめえら先輩の癖して、三人でつるまねえと何もできねなんて情けねえ!」

「てめえ! 先輩に対してなんつう口の聞き方を!」

「ばーか、俺は尊敬する人しか先輩とは思わねえんだよ」

「なんだ、ごらぁ!」

「やるか、このクソ先輩ども!」

 大吉が挑発したせいで、二年の三人組みは幸子から離れる。

「痛い目見ねえとわかんねーなら、半殺しにしてやる!」

 そんなことしたら学校で問題になるから、できないのだが。

 彼らは懲罰を与える相手に対しては、腹にパンチを入れようなやり方。

「このストーカー野郎、てめえらがアホ面で山中を追っかけてるからよ、俺がその後付いていったら強姦しようとしてやがる!」

 大吉は強姦を強調して言う。

 いつもより声がでかい。

 というか、興奮した二年生たちの方がさっきから大声を出していた。

「バカヤロウ! この女がスパイするんじゃねえかって思ってつけてたんだ、俺らの正義感強えからよ」

「で、なんでてめえの下半身のチャックは開いてやがるんだ!」

 でかい声。

「な……」

 さっき、幸子が触った時にチャックを下したのだ。

「この変態が!」

 大吉が挑発する。

「き、貴様ぁ!」

 チャック全開男が拳を握る。

「クソ先輩、次は暴力ですかっ!」

 明らかに大吉は目の前の男には言っていない。

 男が彼の襟首を掴んだ時だった。

 大吉は、満面の笑みでそれに応えた。

 そろそろ来てもおかしくない時間だったからだ。

「やめないかっ!」

 よく通る甲高い声が響く。そして一七〇㎝後半はある影が暗い街灯の下にあった。

 伊原少尉だった。

 その姿は一〇〇m以上離れた所にあったが、その声と背の高さで学生達はだれであるかすぐにわかった。

 彼女はずんずんと三人組の前にすすむと、険のある声で咎める。

「詳しく聞こうか、お前らが何をしていたのかを」

 そして振り向く。

「松岡、ありがとう、よく通報してくれた」

 そう言うと、彼女はポキポキと拳を鳴らした。

 留学生に対する暴行なんかあった日には学校の一大事なのだ、なにせ外交問題に発展する恐れもある。

 もちろん当の本人たちはそういう気はさらさらないが。

 一方、大吉は幸子の後ろを付けていく男達を見て、この馬鹿な先輩どもを貶める方法はないかと考えを巡らせた。

 入隊してすぐに、いろいろとご指導ご鞭撻を頂いたことを根に持っていたのだ。

 ――チクりゃいい。

 彼も教官にとって留学生というものが大切な存在であることは十分知っていた。

 だから彼は内線電話で通報していた。

 何もなくてもストーカーのように後ろを付けている男子三人がいるというだけで、十分通報の説明もつくだろう。

 もし、現場で幸子が何かされそうになっても様子を見るつもりだった。

 だが、怪しい雰囲気になってきたのを見るに見かねてついついしゃしゃり出てしまった。

 わいわい騒いでいたから、教官も場所がわかったという効果はあったが。

「さて、教官室に行くか、反省させてやる」

 この日の伊原はずいぶんと機嫌が悪かった。

 プライベートで何かあったようだ。

 彼女はそう言いながら、唇の端を震わせ、そして残忍そうな笑みを浮かべる。

 可愛い声と可愛い顔とその指導内容のギャップも相まって、学生の間で恐れられている教官のひとりである。

 震える二年生三人を引きずるようにして教官室に連行していった。



「やれーっ! そこだ、下がるな! 一本狙えっ」

 そんな歓声が上がる蒸し暑い道場で、学生達は現役の兵士達の試合を見ていた。

 格闘の試合。

 独立歩兵第九大隊の選抜メンバーの相手は例の海軍金沢基地陸戦隊の面々だ。

 陸戦隊の方は次郎とサーシャに手を出した者達も含まれていたが、試合はめっぽう弱かった。

 先鋒の黒石上等兵が瞬殺で第一試合を制したものだから、現役の応援団を中心に盛り上がっている。

 陸側に旗が挙がる度に歓声が起こるが、大吉の隣にいる女子はムスッとした表情のままだった。

「面白くねーんだ」

「何が?」

 幸子の隣で大吉が話しかける。

「いや、この試合」

 面倒くさそうな視線を幸子は向けた。

「どうして……あなたが私の横に」

 そう幸子が聞くと、大吉は耳まで顔を赤くして口を尖らせる。

「言っとくけど勘違いするなよ、俺はお前が好きとかそういう訳じゃねえから、俺は中村風子が好きだ、だからああやって助けたことを勘違いされても困る」

「は?」

 訝しげな目で彼女は大吉を睨む。

 余計なことを言った。

「あいつら、よく女子にいちゃもんつけてるとか聞いていたから、同期として庇っただけだ」

「低脳……あなた、私を助けたつもりなの?」

「て、低脳って、お前」

「大きなお世話、あいつらムカついたから、わたしのやりかたで半殺しにしようと思ったのに」

 パアンンッ。

 海軍陸戦隊の大川少尉の蹴りが、陸軍側の選手の胴に決まった。

 場が静まる。

 十試合目にして、初めて陸軍側が一本とられた場面だった。

 しかも、打たれた相手は全然格上の林少尉。

 打ち込んだ大川少尉は二ヵ月前に次郎達を襲った時と全然違い、精悍な顔立ちだった。

「おらあ、クソ海軍陸戦隊くせに、生意気な一本入れやがって! やっちまえ!」

 応援の方からそんな声が上がる。

「どうせ陸戦隊のやつの一本なんてマグレだマグレ! 気にするなっ!」

 まただ。

 勝手にレッテルを貼る。

 ○○のくせに。

 ○○だったら。

 あいつらはどうせ○○だ。

 そう大吉は思った。

「はじめっ!」

 審判が叫ぶ。

 大川が果敢にジャブを入れながら攻めると、林も突進した。

 胴と顔面を完全にガードしながらぶち当たる。そしてもつれるようにして倒れた。

 林は大川の顔面を両手で押さえながら、マウントを取る。

 もがく大川はなんとか林の手を払おうとして手を伸ばすが、その瞬間身体の向きを変えられ、腕ひしぎ十字固めの体勢になる。

 大川は必死に取られそうになる右手を左手で引きつけながら、声を上げてきばっていた。

 反面林は冷静に、身体を揺らすように動かしながら相手の疲労を誘う。

「折っちまえ! できそこないの陸戦隊なんかに一本とられやがってっ」

「はやく決めろっ! そんな雑魚部隊相手に何してやがる!」

 そう男達が叫んだ時だった。

 中尉の制服を着た女性が立ち上がり、叫ぶ男達を睨んで鋭い言葉で制した。

「黙れ!」

 男達が仰け反る。

「例え敵でも、失礼な事を言うことは許さない!」

 日之出中尉がそう啖呵を切ると、場は静まった。

「かっこいい……」

「かっこええ……」

 幸子と大吉はそう呟いた。

 静まる道場。

 その沈黙をやぶったのは、一人の男子と女子の声だった。

「「陸戦隊がんばれー!」」

 叫んだのは幸子と大吉だった。

 その時、林の手は大川から外れ二人は立ち上がる。

 静かになった道場に、二人の激しい呼吸が響いていた。

「がんばれ」

 幸子はもう一度、そう言った。

「がんばれ、陸戦隊」

 大吉もそう言った。

 結局、その後の試合は寝技の応酬になり、今度は大川がうまくひじ関節をとろうとしたところを、逆に手首関節を取られて終わった。

「なんで松岡は、陸戦隊を応援……」

 幸子は切れ長の目を細めながら大吉にぼそっと聞いた。

「えっ」

 よく聞き取れなかったのだろう、そう言って大吉は聞きなおした。

「だから、なんで陸戦隊を応援したのかって」

「あ、いやよくわかんない」

「は?」

「なんかさ、そういうの嫌いっつうか」

「そういうの?」

「なんか、よく知らねーくせしてレッテル貼って、馬鹿にするってのが」

 大吉は口を尖らせてそう言った。

 なんだか、すごくお子様な表情だと幸子は思う。

「バッカみたい」

 幸子は、少しクスリと笑ってそう言った。

 なんだかわかったのだ。

 こういう奴なんだと。

「ば、バカってお前、ちょっと頭いいからって」

「悪くない」

「……?」

「悪くないっていった」

 幸子はそう言うと立ち上がった。

 帝国のくせに。

 だから帝国の人間は。

 やっぱち帝国の人間ね。

 口癖の様に頭の中で彼女は繰り返していたその言葉。

 とりあえず、目の前の馬鹿な男には使うのをやめようと思った。

 悪くないから。そして、自分が恥ずかしいことに気づいたから。

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