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陸軍少年学校物語  作者: 崎ちよ
第3章  水無月「学校祭の季節です」
22/81

第22話「結局はラッキースケベでした 」

 風子は休憩のため外に出ていた。

 一番忙しい時間帯を過ぎたが、人混みを避けて新鮮な空気を吸いたかったからだ。

 ふと、自分が冥土喫茶の服装――ゴスロリ――のままだったことに気付く。

 彼女は赤面してきょろきょろとまわりを見た。

 少し自意識過剰と言ってもいい。

 一般客が入れない通りということもあり、まわりに人はいない。

 安堵した瞬間、建物の壁際を這うように怪しい動きをするサーシャが目に入った。

 巫女服の彼女に声をかけようとした時だった。

 一瞬血の気が引く。

 背後から口を塞がれたからだ。

「しーっ」

 風子は脱力する。

 声の主が緑だったからだ。だが、心臓はいまだにバクバク音を立てていた。

「だめだよ、ふーこちゃん、ばれちゃうから」

「え? 何が」

「あの二人」

 緑がそう言って指差す方向には、サーシャと甲冑姿の次郎の姿があった。

「怪しい」

 緑の目がキランと光る。

 風子は嫌な予感がして一歩下がる、だが、彼女にがっしりと捕まった。

「跡をつけよう」

 緑がそう宣言する。

「別にあの二人がどうなろうと、それに緑ちゃんがお店を離れたら……」

「大丈夫、宮城君ががんばってるから」

「じゃ、じゃあ私も宮城君手伝わないとね」

 風子はそう言って踵を返そうとしたが、ぐっと緑はつかんだ腕に力を入れる。

「サーシャと上田君が逢引しようとしてるんだよ」

「わ、わたしは興味ないし」

 そう言って風子は緑から目をそらす。すると緑は風子の両肩に手を置いて、その瞳を覗き込んだ。

「私があるの」

 その迫力に仰け反る風子は声がでない。

「三角関係とか美味しすぎる!」

 有無を言わさぬ緑。

 こうしてふたりの少女は巫女服金髪女子と甲冑男を尾行することになった。

 


「だから、単独行動は、やばいって」

「うるさい」

 サーシャはズンズンと先に進む。

 後を追う次郎には彼女の背中に『怒』という字が浮かんで見えた。

「中隊長は教場にいろって、狙われているんだろう?」

「は? どうして? このサーシャ・ゲイデンがならず者に対してコソコソと媚を売るような真似を」

「いや、そういう問題じゃなくて、相手は飛び道具とか、すごくやばそうだし」

「私ひとりでそんな奴はぶっつぶす」

 到底貴族とは思えない言葉を使うサーシャ。

 ロシア語の場合、上流階級の言葉と発音をしているらしいが、日本語の方は覚え方を間違えたようだ。

 一方、大人たちは教場付近で騒いでいた。

 サーシャが消えているからだ。

「あの、お転婆娘」

 佐古少佐は死語とも言える言葉を呟きながら、自分の甘さに怒りを覚えていた。

 あの敵はやばい。

 そう肌で感じていたからだ。



 風子と緑は訓練場にある林縁沿いの獣道を進んでいる。すると、彼女達の尾行のターゲットが足を止めた。

 何をしているのか目を凝らすと、二人のシルエットが重なりあったのだ。

「え、うそ」

 風子がかすれた声でそう呟くと、緑は隣で女の子とは思えない「うほっ」という奇声を上げた。

 その瞬間だった。

 ターゲットが猛ダッシュ。

「ち、ばれたかっ」

 緑は袖をまくり走り出した。

 五分ぐらい走ってみたが、元々追われる方に比べ体力のない二人。完全にまかれてしまった。

「はあ、はあ、はあ」

 肩で息をする風子。

「や、やられた、ちくせう」

 緑はぜーぜー言いながら、言葉を吐き出す。

「今頃二人は……巫女と武者がしっぽり……ああああ、美味しすぎるのにっ」

 悶絶緑。

 美味しいらしい。

「でも、大丈夫だよふーこちゃん」

 息も途切れ途切れなのに、ずっとしゃべっている緑。

 不思議と一方的だがふたりの会話は成立していた。

「じーぴーえすぅー」

 青色の猫が言いそうな口調――しかも古い方――で彼女がスマフォを取り出す。

「こんなこともあろうかと、あの巫女服にGPSの子機を仕込んでいるから」

 満面の笑みの緑。

「な、なんでそんなものを」

 風子ドン引き。

「中学生の時、親が心配して、何かあってもどこにいるかわかるように持たせてくれていたから……」

 今の言葉だけならとてもいい話に聞こえるが、用途外で使っている時点で親に謝った方がいいと風子は思った。

「はっけーん」

 なぜか、うれしそうな緑。

 部隊実習訓練の時、モフモフネズミを見た時の目と同じだった。



 GPSを頼りに彼女たちはサーシャと次郎を見つけていた。

 ターゲットのふたりは何やら警戒したように動きを止めている。

「なあ、逃げよう」

 次郎は少し焦った声でそう言った。

「フフ」

 彼女は不敵に笑う。

 能面の男達が二人を囲んでいた。

 警棒やナイフを持った男が四人。 

「我が大和民族の団結を妨害する夷狄(イテキ)め」

 警棒を持った男が一歩前に出た。

 民族統一派。

 帝国国内で活動する過激派の一部だ。

 東西の分裂は外国勢力の陰謀だと主張する一派で、主にビラをまいたりヘイトスピーチを行ったりするような団体である。

 テロリストというほどではないと言われているが、裏で事件にならないほどの嫌がらせをしているという噂もある。

「貴様らが、我が民族の分裂を利用……」

 能面が悠長に演説をしている途中に彼女は動いていた。

 彼女は相手の都合に合わせるような性格ではない。

 一瞬で間合いを詰めた彼女はしゃべっている能面の懐に飛びこむ。そして、左手で警棒を制しながら右手で顎を強打した。

 右足のふくろはぎ同士をぶつけるようにして足払いをしながら、彼女は器用に左手首を回転させるようにして、相手の手首関節を捕った。

 受身を取らせないように倒す。

 彼女は華麗に相手の顔を踏みつけながら警棒をぶん捕った。

 驚いて硬直しているもう一人の顔面と鼻の下あたりを、ぶんどったばかりの警棒で突き込んだ。

 短い警棒を両手で持ち、男に比べ軽いとはいえ彼女の全体重をかけたそれの威力は凄まじい。

 能面は後ろに倒れそうになるのを必死に堪えようと、一歩、二歩と下がる。

 サーシャは追い詰めながら、全身の力を抜くようにして姿勢を低くした。そして、警棒を縦回転させながら、相手の股間を強打する。

 目の前で、容赦ない動きをするサーシャに見とれてしまい、次郎は身動きがとれていなかった。

 あんぐり口が開いている。

「野蛮人め! ロスケめっ!」

 外野の能面は意味のない言葉をギャーギャー喚いている。

 もちろんサーシャは完全に無視。

 彼女が一歩前にでると、能面二人は一歩下がった。

 ナイフを持って圧倒的に有利な態勢だというのに、能面達は劣勢に見えた。

 それでも男達は諦めない。

 じりじりとした間合いの詰め合い。

 そんな中、悶絶して倒れていた一人が不意に立ち上がり奇声を上げた。

 手には刃物の怪しい光。

「サーシャ!」

 悲鳴に近い声を上げたのは風子だった。

 その声に次郎が反応した。

 ナイフを腰だめにして突進してくる能面。

 次郎は真正面から能面を受け止めるように見せかけて、かさなる瞬間に体を少し引き、相手のナイフを握った両手をふんわり押さえる。そして、後ろに引きずるようにして地面に押し込んでいった。

 相手の力を受け流しながら、自分の思う方向にもっていく。

「せいっ!」

 気合一閃、ある程度相手が前のめりになりバランスを崩したところを彼は狙った。

 右手で相手の後頭部を押さえ、そして顔面に膝蹴りを入れる。

 彼は能面を割った感触、それと同時にその奥にある鼻の骨を折った感触も膝で味わった。

 次郎は凶器を持った相手に容赦はしない。

 地面に這い蹲る男の手首を踏み込み、ナイフを振り落とす。

 ナイフを手放したその男の手首は無残にもあらぬ方向に曲がっていた。

 風子は、その光景を見て、つい見惚れてしまっていた。

 なんというか次郎の動きが滑らかで、液体の様だと思った。

 だが、目を奪われてしまったため、彼女は背後の人影に気づくことができなかった。

 ゴツゴツして臭い手が急に彼女の口を塞ぐ。

 あの緑の手とは明らかに違う嫌悪感。

 風子は首が動かせないため、視線だけで周りを確認した。

 隣で緑も捕まっていることを確認する。

 能面男は増えていた。

 全部で八人。

 後から来た四人のうち一人はビデオカメラを持っていた。

 彼らの活動報告用である。

 ふたりは抵抗しているが引きずられるように、サーシャ達の前に連れて行かれる。

 能面のリーダーはサーシャの怒りの表情を見て、人質として活用できることを確信した。

「動くな!」

 濁声だった。

「ガキども……まずはその警棒とナイフを置け」

 サーシャは怒りを隠すこともなく能面を睨んでいる。

 同様に、いつも何かしら冷静にしている次郎も体を震わせ激怒していた。

 ――だめ、私なんかで怒ったら、冷静にならないと……。

 風子は自分達のせいで危ない状態になっていることを理解していた。

 なんとかしなければならない。

 そう決断した彼女は動いていた。

 暴漢に襲われた時の対処法、中学生の時に学校でどっかの道場の先生から教わった護身術。

 相手の足の甲を踏み込む。

 彼女は相手が怯んだ瞬間を利用して、腰を横にクの字に折り曲げ、力いっぱい拳を振り下ろして股間に一撃を入れようとした。

 足を踏まれた能面の腰が引けた。

 思いっきり拳を……。

 その刹那、彼女は耳の近くで破裂音なるのを聞いた。

 熱い。

 彼女はパニックを起こした脳を必死に呼び戻そうとする。

 さっきまで見ていた風景が変っていたことに気づいた。そして、目の前には土と、短い雑草があった。

 ――ああ、なんだか痺れる……耳の奥で変な音が聞こえる。

 顔が熱いと彼女は思った。そして、その場所を手で触る。

 ぬるっとした感触を覚えた。

 なぜか風子は笑いそうになった。

 鼻血。

 彼女は誰かが叫んでいるのがわかった。だが、それが誰だかはかわからない。

 頭がぼーっとしていた。

 ――男に殴られて……殴られる前は……足を踏んで……しようとして……なんでそんなことしようと思ったんだっけ……。

 彼女の視線の先には、黒い髪の毛が落ちている。

 ――カツラ取れたんだ。

 ぼーっとしたままの頭で彼女はそう思った。

 ――せっかく、緑ちゃんが作ってくれた衣装なのに、汚れちゃったかも。

 その視線の先。

 ゴトン。

 ――なーんだ、サーシャこっちを見てるし。

 ――警棒を、投げ捨てるんだ。

 ――……。

 ――……だめだよ、サーシャ、そんなことしたら、私、私のためなんかに。

「……サーシャ、だめ!」

 悲鳴のような声を風子があげる。

「だまれ!」

 能面の男は風子の髪の毛を鷲掴みにして、引っ張りあげる。

 彼女は必死に悲鳴を上げないようにしながら、ふらふらと立ち上がった。

 緑は恐怖で涙を流しながら震え、声も出せずにいる。

「ロスケに加担する非国民が!」

 サーシャは髪の毛が怒りの波動で逆立ちするぐらい感情が高ぶっていた。

 金属バットを持った能面が彼女に近づいていく。そんな彼女の前に立ちはだかる次郎を無言で蹴り飛ばす。

 じっと睨む次郎。

 能面はもう一度前蹴りを入れるが、一歩も下がろうとしない。

 抵抗もせず、歯を食いしばりじっと睨んでいた。

 すると、サーシャが次郎を制するようにして、一歩、また一歩と前に出る。

 あまりに気持ちが高ぶり、怒りを通りすぎたのかもしれない。

 冷徹な顔になったサーシャがそこにいた。

「ゲス野郎」

 高貴な感じがするその冷徹な表情から出た言葉はあまりにも庶民的だった。

 そのギャップが逆に彼女の美しさを際立たせ、そして相手を気圧した。

「ロシア帝国の(イヌ)に天誅を下す」

 能面がその内側にベトベトした汗を掻きながら金属バットを振り上げる。

 そして振り下ろした。

 風子も緑も声が出なかった。

 あの、綺麗な顔は目を閉じることなく、能面を睨みつけている。

 そしてバットが止まった。

 差し出された腕。

 彼女の目の前にそれがあった。

 次郎は彼女を後ろから抱きしめるようにして左腕を差出した。それがバットを受け止めたのだ。

 鈍い音が風子や緑にも聞こえた。

 彼は一言も悲鳴を上げることがなかった。だが、歯を食いしばる音とその表情は、離れている女子二人には歯がギリギリと擦れる音が聞こえるような気がしていた。

 能面が二人がかりで次郎を抑える。

「おい、この生意気な夷狄の顔、しっかり撮っておけ」

 ビデオの能面がだんだん近づいていく。

 能面達は、風子が吐き気を催すような、気持ちの悪い熱気を帯びている。

「すぐ、泣き顔に変わる」

 金属バットを振り上げる男は自分の台詞に酔っているのか抑揚が変になっていた。そして、ビデオの能面がスキップをするようにして近寄った時だった。

 スーツ姿の男が、低い姿勢のままその場に飛び込んできたと思うと、理不尽な力でビデオと警棒の能面を持ち上げ、そのまま後ろに投げ飛ばしたのだ。

 逆さになったまま空中に投げ放たれた能面達は頭から地面に落ちて動かなくなった。

 同時に悲鳴が起こる。

 男の情けない声だった。

 風子を捕まえていた力がふっと抜けた。彼女はそのまま力を入れることもできず膝から地面に崩れ落ちた。そして、見上げるとフラフラしながらボケッと立っている能面、その後ろに短い軍刀を鞘のまま振りかざした男がいた。

「相変わらず間が悪い」

 小山は相変わらず筋肉がスーツを着たような姿のまま軍服の男に言った。

「やかましいわ、筋肉バカ」

 そう言うと、佐古少佐は短い軍刀の鞘ごと振り回し、フラフラしている能面の腹を突いた。

 能面は腹を押さえるようにして、その場に崩れ落ちる。

「子供に怪我させるなんて、管理者失格だな」

 小山は立ち上がろうとした能面の顔面を当然のように踏みつけた。

「まったくその通りだ……お前こそ、子供にまかれるぐらいの追跡能力でよく教師ができるな」

 ナイフを持った別の能面が佐古に突進すると、鞘つきの軍刀を使って、締めの効いた払いで受け、その獲物を弾き飛ばした。そして、軍刀は無駄のない軌道を描き相手の喉を突いて昏倒させた。

「このハゲ、いち教師の俺にはそんな能力はいらん、お前ら軍人と違って野蛮ではない」

 小山はネクタイを直しながら言葉を続ける。

「だいたい、お前が目を離すからこんなことになってしまう」

「こっちは、こんなくだらない過激派のクソどもの相手じゃなくてな」

「中隊長の癖して、部下も連れずにおめおめ来たんだろ、その時点でなってない」

「ごちゃごちゃうるせえ、筋肉バカ」

 二人は罵り合いながら、警棒やナイフを持った能面ぶん投げ、軍刀でぶち殴り、場を沈黙させていった。

「三島! 中村!」

 おどおどする女子二人。

「なんでお前達もここにいるんだ」

 三角関係を見たくて跡をつけたなんて言えない。

「この売国奴があぁ」

 くねくね地面で這いつくばる能面男は振り絞るように、まったく威厳のかけらもない声で唸った。

「どうでもいいが、顔を隠してる時点でクソ以下だ」

 佐古はそういうと鉄鞘で能面の腹を突き落とした。そのまま崩れ落ちる能面に前蹴りを入れ、邪魔だといわんばかりに突き飛ばした。

「あ、ありがとう、ございます」

 次郎が、うずくまった状態のまま顔を上げて、大人達に礼を言う。

 サーシャは険しい顔を大人二人に向けたままだ。

 佐古はため息をついた。

「ゲイデン、君を狙っているのはこんな奴らじゃない」

 小山はうなずく。

 サーシャはそんな二人の態度を見てハッとした表情になる。

 その瞬間だった、佐古と小山にビリッとした緊張感が走る。

「こいつらは……本命じゃっ!」

 風子はゾッとした。すごい速い何かが緑と自分の間をすり抜けていったからだ。

「ないっ!」

 佐古は軍刀を抜いた。

 金属音が響く。

 歯を食いしばり必死の形相で佐古はそれを受け止めていた。

 しなやかに動く敵は、佐古に対して短剣で打ち合いながら足払いをしてバランスを崩させる。そして、その隙を利用してなぜか次郎に飛び掛った。

 サーシャは彼を庇おうと動く。

 敵の狙いはそこだった。

 次郎を守るためにサーシャは動くことを確信していた。

 庇うという行動は隙ができる。

 そのままサーシャに対して右手の白刃を必要最小限の動きで操る。

 逆袈裟で彼女が斬られたように見えた。

 だが寸でのところで逸れていた。

 林の奥から放たれた何かがその白刃に当たったため動きが鈍ったのだ。そして、走りこんできた小山が左側からショルダータックルを受け突き飛ばす。

 サーシャを救った『何か』は確認できないが、そんなことに構っている余裕は大人達もない。

「例の奴らはこれかっ!」

「ああ」

 小山はそのゴツイ体のわりには、凄まじい瞬発力を持っている。そのまま押し倒すようにして、敵の馬乗りになる。

 フードがはずれ、長い髪が露になった。

 押し倒された敵は女性だった。

「小山、今行く! 逃すな」

 小山の動きが明らかにおかしい。

 佐古が異変に気づいて歩み寄る。

「おい、どうした?」

 小山が不意に手を離し、女がするりと抜けだした。

 わざととしか思えない離し方。

 それと同時だった。

「上っ!」

 緑が悲鳴を上げた。

 木の上から小さい影が落ちてきた。

 手には刃物。

 佐古を踏み台にするように飛び跳ね、その小動物のような敵は一気にサーシャに間合いを詰めた。

 小山は反応できなかった。

 唯一反応できたのは次郎だった。

 彼は飛び込むようにして懐から何かを出す。

 小さな影と彼が重なった後、金属音とともにキラッと光る金属片が飛んでいった。

 彼は立ち上がり様に懐から小刀を抜いたのだ。

 祖母から預けられた無銘の小刀。

 その重ねが厚いどっしりとした一尺の小刀は、小さな影の持っていたナイフを真っ二つに折っていた。

 彼は落ち武者スタイルの飾りにするため、それを腰に身につけていたのだ。

 道場でやっている動きと同じだった。

 そのまま一歩前に出ながら返す。

 小刀で、太刀で斬る様な太い竹を切るように、表面をなでるように。

 ただし芯を斬ることはしない。

 彼は表面だけをなぞった。そして、鞘に小刀を戻す。

 その動作と ほんの少し時間がズレて、パサリと、小さな影のズボンがズレ下がった。

 白い足。

 女の子の白いパンツ。

 あの黒いハイソックスの奥にあった色と同じだった。

 小さい影はさっきまでの殺伐とした気配からうって変わって、慌てた感じでズボンをずりあげていた。

「女の子、それにあの時のパンツ……」

 次郎はなんとも情けない顔で呟いた。

 パンツのせいで動きが止まった少年。

 小柄な敵は器用にピョンピョン跳ねて後ろの林の中に消えていった。

「逃がしたか……」

 小山が襲撃者二人が消えていった方向を見つめる。

「小山……」

「いや、すまん。なんでもない」

「……」

「俺はアホだ。さっきの女が絵里に見えた」

「絵里?」

「学生の頃付き合っていた……瓜生絵里」

 佐古が一瞬考え、すぐにはっとした顔になる。

「あの、おっぱいが大き……」

 そう言おうとして佐古はやめた、学生を前に中隊長という職責が言葉を選んだのだ。

「……なぜ、その瓜生絵里がここにいるんだ」

「いや、俺の見間違いだと思う、そんな訳、ないよな」 

 小山は少し頭を抱えていた。

 そんな中、少年少女四人組みは呆然としていた。

 あまりに、いろいろな事がありすぎたからだ。

 それでもとりあえず、風子と緑はサーシャの元に行き、無事だったのを確かめ抱き合う。

 サーシャが風子の顔の痣を撫で、目に涙を浮かべていた。

 緑も落ち着きを取り戻したのだろう、少し目が赤いが涙は止まっていた。

 どしりと腰を地面に下ろし緊張から開放されへたり込んでいる次郎はぼーっとその光景をみつめていた。

「上田君大丈夫?」

 緑が声をかけるので、次郎はこくんとうなずいた。

 女子二人もその横に立っている。

「ジロウ、ありがとう」

 目をそらしながらサーシャは言った。

「腕……」

 ぼそっと風子が言うと次郎は首を横に振った。

「いや、俺のなんかより、ごめん、顔殴られて、ごめん」

 次郎も男の子である。

 左腕の骨にひびががっつり入って激痛が走っているが、まずは女の子のことを心配するのが基本であった。

「う、うん」

 遠慮がちに風子が返事をする。すると、次は緑がおどおどしながら質問をした。

「上田君、さっきの……あの女の子のパンツ見えた?」

「うん、白だった」

 次郎は馬鹿正直に頷く。

 無意識だった。

 余計な白だったという言葉に反応してしまったのかもしれない。

 少女達は無意識に動いていた。

 緑は彼のおでこにグーパンチを入れていた。

 風子は彼の後頭部を叩いていた。

 サーシャも彼の足を蹴っていた。

「痛いっ」

 次郎は男の子であることを忘れ、悲鳴をあげていた。


 

 憲兵ではなく大隊の警備係の兵士達が来たのは、その後すぐだった。

 後から乱入した本命のことを彼らはまったく知らないと供述していた。

 一方、次郎と風子は衛生兵に氷をもらってアイシングによる応急処置をしている。サーシャと緑もそれを手伝っていた。

 すると鬼の形相をした坊主頭の佐古が四人の少年少女の前に現われた。

 血管が浮き出ているのが見える。

「危ないから出歩くなと言ったのは覚えているな」

 サーシャは佐古を睨み返す。

「腕試しか何か知らんが、くだらん事でどれだけ迷惑をかけたと思っているんだ」

「あんなのは私一人で片付けていました」

 その一言で佐古の堪忍袋の紐が切れた。

 二十年前、自分達の力も知らないで中隊長――日之出大尉――に食って掛かった自分達の姿と重なった。

 ――私も男子といっしょに連れていってください。

 そう言った同期の橘桃子。

 ――敵が来ているのになぜ逃げないといけないんですか!

 そう言った自分。

 大人の気持ちもわからず、自分達のわがままだけで文句を言うあの必死な姿に。

 佐古が右手を振り上げた時だった。

「良かった……ほんとうに間に合って良かった」

 暑苦しい筋肉の壁が四人の背中に圧し掛かった。

 そう言ったのは涙声の小山だった。

「鼻血止まったかあ、中村、早く冷やさんとお美人さんがなあ、やった奴は倍返しどころか、原型がわからないぐらいにしておいたからな……すまん、ほんとうにすまん」

 ぽんぽんと風子の頭を撫でる。

「三島、怖かっただろう、よく悲鳴もあげずにがんばったなあ、うん」

 緑のほほに手を当てた。

「上田ぁ、腕痛いだろう、男の子だなあ、泣かなくて偉いなあ」

 と言って、容赦なく次郎の腕を叩く。

 かわいそうに彼は電気が走ったようにびくっとして涙が吹き出していた。

「サーシャ、良く頑張った、偉い」

 小山はぎゅうぎゅうと四人を一挙に抱きしめていた。

 彼らは暑苦しい抱擁の中、微妙な顔をしていた。

 なんとも言えない暖かさがそこにあったからだ。

 佐古は彼は涙目の小山を見て呆れる様な表情を向ける。

 しばらくして、ふと笑ってしまった。

 彼は回れ右をして、五人に背を向けその場を離れた。

 やることはまだある。

 顔を引き締め、彼は疲れた体を動かした。 

 

 

 サイレンサー付の拳銃を懐に戻した男達がその場を後にする。

「ミハイル様、こんな拳銃で五十メートルも先のあれに当てるなんて、さすがですね」

 ロシア帝国海軍将校の服を着た男。

 その男に付き従う下士官服を着た男が小声で褒めていた。

「お嬢様が無事で良かった」

 皺を寄せて喜ぶ下士官の男に一瞥もせず、ミハイルは無視するようにして踵を返して歩き出した。

 今の表情を彼は誰にも見られたくなかったからだ。



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