第21話「ラッキースケベと彼女は止まらない」
「はい、上田君、よそ見しない!」
厳しい口調で上田次郎を注意しているのは三島緑。
彼女は二つ並べた椅子の上に仁王立ち。ついでに手を腰に当てている。
現役軍人の『一中隊名物炭火焼き鳥焼きそば』やら『二中隊名物豚バララーメン』など仕込みが始まっているせいで、窓の隙間から食欲をそそる匂いが教室に入ってきていた。
「いーい! 敵は現役の出店、学生なんて目じゃないから! 私達がトップ! いい、一番! 一番じゃないと意味無いから! 気合入れて! つうか入れろ」
手を腰に当てながら口上を垂れる緑。
そんな彼女が見下ろす先には、様々な『冥土』的コスプレをした面々。
次郎の落ち武者、風子のゴスロリ、サーシャの狐耳巫女。
「まずは挨拶から!」
緑が右手を高々と上げる。
その右手には扇子が握られていた。そして、スナップを効かせて手首を振ると、パッとその扇子が開いく。
「はい! いらっしゃいませご主人様から!」
「「「いらっしゃいませご主人様」」」
一斉に頭を下げるコスプレ女子一同。
「はい、もっと気合を入れて!」
「「「いらっしゃいませご主人様!」」」
緑は、パッと扇子の先を狐耳巫女に向けた。
「サーシャ! 声が小さい! 日本に来たんだから日本のシキタリに従う!」
「う、はい」
「声が小さい!」
「はいっ!」
さすがのサーシャも緑にはたじたじである。やはり、あのネズミ事件以来、力関係が決定していた。
「もっと頭を下げる!」
「はいっ」
サーシャはその無駄に短いスカートを気にしながらお辞儀をする。それを見て、少しだけ緑の口の端が上がった。
服の製作者は緑である。
そんな狙いもあったのかもしれない。
次郎はそんなサーシャを見ながら、不思議な感じがした。
だいたい、あのサーシャがである。
いきなり殴られたり、目潰しくらったり、とび蹴りを次郎にくらわせた女の子がである。
そんな彼女が狐耳の何かを頭につけ巫女服を着て頭を下げているのだ。
――ロシア貴族の誇りはどこいった?
次郎はそうツッコミを入れたかった。
――そもそも巫女服だよ、巫女服、異教徒の宗教指導者の姿をして、あれだろ、貴族だったら、ばりばりのロシア正教徒じゃないのか。
なんて、彼がチラッチラサーシャを見ていると、隣のゴスロリ娘に小突かれ……いや、グーパンされた。
「最低、サーシャのお尻ばかり見て、気をつけてサーシャ、後ろの変態がジロジロ見てるから」
「な……」
慌てる次郎。
確かに彼はつい見せそうで見えないその部分を気にしていた。
むらむらしていたのも事実である。
だが、見えていないのだ。
――見えてはいない、ってことは見てないのと同じ。
そう叫びたい心を落ち着ける。
なにせ風子が相手である、次郎としても波風をたてたくない。
すると、サーシャがくるっと後ろを振り向く。
スカートもふわりと浮いた。
「ふーこ、大丈夫! 今日は見られてもいいパンツだから」
「「な……」」
あんぐり口を開ける二人。
ドンッ。
緑が立っている椅子が踏みつける音がした。
「そこっ! 無駄口叩くな、つうか上田君邪魔」
パシッと扇子を閉じ、ピッとその先端を次郎に突きつける。そして、すぐに扇子を開き挨拶練習に戻った。
「ありがとうございましたっ! はいっ!」
「ありがとうございました、ご主人様」
緑が腕を組み、そして頷く。
「次! 男子! いらっしゃいませお嬢様」
男子達が一斉に口を開き、そして頭を下げる。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
「そこのハゲっ! 気合入れろ!」
ハゲ。
落ち武者スタイルの次郎のことである。今日はそういうカツラを被っているため、雑に呼ばれるとそうなのかもしれない。
「はいっ! いらっしゃいませ! お嬢様!」
「叫んでも意味がない! 女の子相手なんだから、もっと紳士に」
「はいっ! いらっしゃいませ、お嬢様ー」
「つうか、なんで松岡君がまざってるの!」
また閉じた扇子を鋭く突きつけると、その先には女子の浴衣に猫耳と三本の尻尾をつけた松岡大吉が不機嫌な顔をしている。
「いや、俺男子だし」
くわあ! と変な声を出しながら頭を抱える緑。
「わかっちゃねえ」
緑は眉間に皺を寄せ目を閉じたままそう唸った。
「なんのために、時間かけてそんな女の子女の子した化粧してやたって思うのよ」
こめかみに血管を浮かせて怒っている。
「いや、それはお前ら女子が俺を無理やり」
「男なら覚悟しなさい」
「いや、覚悟って」
ばんっ。
緑が椅子を飛び降りる。
そして、大吉の顎に扇子の先を押し付け、ぐいっと押し上げた。
大吉の薄ピンク色の唇がわなわなと震える。
「あなたは、今日一日女の子なの」
「お、俺は、だいたいなんで女装なんか」
「あなたの衣装作るの忘れたから、私が着る用に作ったの渡してやったの! 私と背の高さとか同じでしょ、それにかわいい顔をしているんだから、お似合い! そう、むしろ喜んで欲しい、つうか感謝しろ」
「なんで、そうなるんだよ」
「ああん?」
ペシペシ。
扇子で大吉の顎を叩く緑。
「バラすけど」
つけまつ毛をした大吉のパッチリした目が高速で瞬きをする。
「風子ちゃんの……」
「……は、はい、わかりました、マスター」
「聞こえない」
「マスターのおおせのままにぃ」
「よろしい」
緑はそう言うとクルッと踵を返し、椅子の上に立った。
どうも、大吉は弱みを握られているようだ。
「よし、宮城君、もっとダンディーに、せっかくイケメンなんだからもっと自信もって」
そう言われた宮城京は、その長身とイケメンさを生かしてドラキュラの格好をして、女子相手の最終兵器といった位置づけだ。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
「いいよー、いいよー、もっと色気出していこうかー」
「いらっしゃいませ、お嬢様」
「エロい、そしてカッコいい、すばらしいよ宮城くん」
もうなんだかわからないキャラになっている緑である。
そんな感じで早朝から気合を入れ、開店の時間を迎えた。
客入りは上々。
学校外の中高生は冥土喫茶の前に立つ女の子達の奇抜な服装に惹かれたのかもしれない。
だがそれだけではない。
教室の前を通ると、珈琲焙煎機から立ち上る香りに包まれるのだ。この香りに惹かれて入った客も多い。
喫茶店の様々な器具の使い方を教えた橘桃子もジーンズにTシャツという姿で現れ、店の奥でがんばっている学生を見てにこにこしている。
「うちでこのままバイトしてもらってもいいんだけど」
彼女がそう言うと、真田鈴が困った顔をする。
「バイト禁止なんです、すみません」
「わかってるわ」
そう言っていたずらっぽく桃子は笑う。
――だって、ここにいたんだもの。
声に出さず、そう口が動いていた。
「すっごくかわいい」
ばたばたと動く男子と女子を見て、桃子は微笑んでいる。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
頭を下げる次郎に対し、桃子は隠すことなく笑い出す。
「面白い、変な格好」
「笑いすぎです、店長さん、これは落ち武者の格好で」
「肩に矢が刺さってるし、ふふ」
「飾りです」
彼は少しむすっとしてしまう。綺麗なお姉さんに馬鹿にされるのは少し我慢できない。さっきまで、小さな子供相手にその矢を抜かれそうになったり、甲冑をはがされそうになったり、と散々な目にあいながらもがんばっているつもりだったから、なおさらなのだ。
「じゃあ、珈琲お願い」
「かしこまりました、お嬢様」
「ふふふ、お嬢様とか、恥ずかしい」
コスプレのせいか、男子はからかわれ、女子はどう見てもナンパみたいなことをされているのもいる。
声をかけやすい雰囲気であった。
中村風子はゴスロリ姿をいいことに、無表情のまま感情を込めていない。
淡々とてきぱきと接客をしている。
いつもと違い、黒髪ロングのカツラを被っているせいで、雰囲気意がまた違うが、いつもの腐ったマグロの目はしていない。
本人なりに遠慮をして、今はやるべきことをやっているのだろう。
これはこれで、大きなお友達に人気が出ていたりする。
冷たい感じがまたよろしいという男もいるようだ。
そんな中でもひと際目立つのがサーシャだった。
彼女は、とても素直に、そして上品に接客をしていた。あの、サーシャがである。
小さな子供には優しく。中高男子にも上品に、相手の視線が巫女服の胸元やスカートの裾に行こうがお構いなく相手をしている。
そんな中、サーシャの目の前に立ってはいけない人間が現れたのだ。
じっとサーシャを見据える青い目。
外の学校の制服を着た男子高校生がテーブルに座ったため、サーシャがお盆にお冷とおしぼりをのせて、注文を聞きに行こうとした時だった。
彼女の目の前に彼女と同じ色の髪の毛と同じ色の男、そして白い詰襟の軍服――ロシア帝国海軍夏制服――を着た男が現れた。
「ミ……ミハイル」
男は硬直してしまったサーシャに近づくと短く、そして強く耳元で何かを言った。
ロシア語だったため。次郎は聞き取れない。
侮辱の言葉だった。
ミハイルという海軍軍人がその場を去ると、サーシャはわなわなと肩を震わせ、次郎を睨みつける。
「五秒以内に、この盆を受け取りなさい」
彼女は五秒以内と言いながら、今にもお盆を地面に叩き付ける様な剣幕だった。そのため次郎は慌ててお盆を持つ。
だいぶ彼も理不尽耐性がついているのかもしれない。
サーシャは、くるりと一八〇度回った。
巫女服のミニスカートの裾が、あれが見えないぎりぎりの線で膨らみ、そして閉じた。
狐耳は尖がった感じである。
「(むかつくっ!)」
彼女はロシア語でそう言った。だが、次郎には、はっきりと日本語でそう聞えていた。
彼は何か抗議でもしようかと、口を開けようとしたが、横から覗いた彼女の目には涙が浮かんでいたため口を閉じる。
しょうがなく、制服男子高校生の元に落ち武者の次郎がお冷を運ぼうとすると、猫耳浴衣尻尾付の女子が横に来た。
「貸せ、お前はサーシャのところに行け」
盆を盗み取るようにして受け取った大吉は力強いウインクをした後、ニッと口の端を上げた。
踵を返し、サーシャがお冷を運ぼうとしていた相手の男子高校生の方に歩みを進める。
次郎はその大吉の後ろ姿に漢気を見た。
涙目の女子を放って置いては男がすたるじゃねえか、そう背中が言っていた。
三本の尻尾がひょこひょこと揺れていたが。
「いらっしゃいませご主人様」
大吉は、少し恥ずかしそうに裏声を出し挨拶をする。
男子高校生も少し恥ずかしげに「ど、どうも」と受け応えをしてメニューを見た。
大吉。
こんな女子力を隠していたとは、次郎もびっくりである。
次郎が店の奥に行くと、椅子に浅く座ったまま、ムスッとした表情をしている金髪で巫女服の女子がいた。
次郎が入って来たということに気づくと、不機嫌な表情のまま話を始めた。
「ミハイルはお兄様なの」
――なんだ、兄弟喧嘩か。
次郎はそう思うと、なんだか肩の力が抜けた。もしかしたらフィアンセとかそういうものじゃないかと思ったのだ。
だって、相手は貴族のご令嬢様なのだ。
「私の十二歳年上でロシア帝国海軍大尉」
ここからは愚痴だった。
「昔から、私のことを馬鹿にする人、嫌われている」
不機嫌そうに口を尖らせたサーシャは子供っぽい表情をしていた。
「そのお兄さんがどうして、金沢……そして、ここに?」
「知らない、船が寄ったんじゃない? それでたまたま来て、妹でも見て馬鹿にして行こうとでも思ったんだと思う」
「仲が悪いんじゃなかったっけ?」
「ゲイデン家の中じゃ、海軍はエリート、陸軍は格下扱い」
「え?」
「あのお兄様は、私が行く先々でああやって現れては馬鹿にする、小さいころからそうだった」
足を組んでテーブルを肘をついているサーシャは、心なしか狐耳が垂れている様な感じだった。
少し沈黙が続いたため、男子として落ち込んでいる女子を励ますような言葉はないか考えていた。
姉の言葉を思い出す。
――女の子は大切にしなさい。男は女の子を幸せにするために存在しているの。いい。言わば奴隷なのよ、ド、レ、イ。
ありがたいことに、そういうことばかりを物心つくときから植えつけられていた。
彼は軽く息を吸った。
彼女が元気になるような、何か話題はないものかと。
「なあ、サーシャ」
「な、なによ」
「緑と白の縞々のパンツ、見えてる」
ゴン。
彼女は思いっきり、足を振り上げてテーブルを蹴った。
あ、見えた。
そう彼が思った瞬間、彼の腹にテーブルが激突した。
「げほげほ」
悶絶である。
「バカっ! すけべ」
そう罵りながら、彼女は立ち上がると次郎に近づき、見下ろした。
「付き合いなさい」
顔を真っ赤にしたまま彼の甲冑をひっぱり上げ、教室の外に出て行った。
「お腹が空いた」
サーシャは独り言のように言う。
口調がいつもと違って幼い。
どうも自分におごれと言っているらしいと、次郎は思った。
彼はため息をつき、しょうがないと思いつつ、真田中尉が宣伝していた一中隊の『炭火焼き鳥焼きそば』でも買いに行こうと、出店の並びに向かった。
通りには親子連れや若い恋人同士。別の学校の男子女子、そしていかにもマニアっぽいリュックサックとかカメラをもったおっちゃんやら、たくさんの人で溢れかえっている。
――人に酔いそう。
次郎は少し面を食らった。
彼は人ごみが苦手なのだ。
狐耳ミニスカート巫女のサーシャと甲冑男子――禿頭のカツラは外してる――で歩いているものだから、ちょっとアレなおっさんに声をかけられ写真を撮られそうになったりした。
そうしているうちに、次郎は出店の中に『一中隊名物炭焼き鳥焼きそば☆』のノボリを見つける。
人ごみを掻き分け、人の少ない場所にたどりついた時だった。
ごっつんこ。
甲冑ががしゃんと音を立てる。
彼の目の前で女の子が転んだ。
尻もちをついた格好の女子は、左右で結んでいるテールを揺らし、次郎を見上げた。
白いシャツに赤いリボン、そして水色のスカート。
金沢で有名なお嬢様学校の制服だ。
次郎はやばいと思って目をそらした。
革靴、黒いハイソックス。そして太ももの先にある白い布をチラッと見てしまったからだ。
女の子は気づいていない。
だが、狐耳の金髪娘は気づいてしまったらしい。
「目はだめ、目はしゃれにならないって」
悲鳴を上げる次郎。
サーシャは得意の目打ちを放っていた。
「また、次郎はラッキースケベしようとしたから天罰」
冷酷に判決を下していた。
即効裁判、即時制裁。
次郎は目を押さえながら、一応紳士的に倒れている少女に手を出す。そして、少女は遠慮がちに手を握って立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ですか?」
二人は同時に声を出した。
二人の手はまだ握ったままだ。
サーシャは足音を立てながら近づくと、その二人の腕をガシッと握り、無理矢理離そうとする。
少女はすぐに手を離し、スルッとサーシャの掴んだ手が抜けた。
「大丈夫」
何故かサーシャが答える。
「私も大丈夫です」
女子がそう答えると同時にもう一発サーシャは次郎にサミングを放っていた。
「目がああ、目がああ」
次郎がそうアピールするが、冷徹な金髪娘は無視。
彼はフラフラと歩き出す。
すると次郎の顔が柔らかいものに当たっていた。
背の高い女性。
頭を下げて歩いたから、ちょうど柔らかい部分がそのあたりにきていた。
げしっ。
にぶい音がした。
サーシャが次郎の肩に上段廻し蹴りをくらわせたからである。
すると、ますます次郎はぶつかっている女性から離れられず、もがもがともがくことになる。
なにせ、次郎が体験したことのないような包容力が、胸にあったからだ。
「すけべっ」
激昂したサーシャが顔を赤くして罵る。
――女子とは違う、サーシャは柔らかい、中村は硬い、じゃ、じゃあ、だ、誰?
「もう、そんなに怒らなくていいのに、おばさんなんだから」
「すけべには制裁! ジロウはわざとやっているから」
そう宣言するサーシャ。
次郎は自分のことを心底不幸だと思った。
「あら、おばさんのおっぱいなんて減るものじゃないんだから、ねえ、三和」
そうしているうちに、次郎の視界も回復してきた。
目に映ったのは、あのカフェに勤めてる桃子やバイトの女性と同じくらいの年齢の女性だった。
そして納得。
サーシャとはボリュームが違う。
風子と比べると、ゼロか百かという世界だ。
ぼこっ。
また、次郎は蹴られた。
ローキックが太ももに入って、とても痛そうだ。もちろん蹴った相手は言うまでもないだろう。
「今比べた」
次郎は女は怖いと思う。彼の姉もそうだったが、何かしらそういう電波を受信する装置が埋め込まれているんじゃないかと思うときがある。
特にこの金髪は怖い。センサーが敏感なのだ。
「お母さん」
ごっつんこ女子のツインテールが揺れる。
「「お母さんっ?」」
サーシャと次郎は同時に大きな声を出して驚いていた。
「お母さん?」
なんで、こんなに驚くのだろうか、そういう目で二人を見ている。
「い、いやすごくお若いので」
次郎がそう言うと、彼女は驚いたように目をパチパチさせ、そして笑顔になる。
彼は年上好きのせいもあって、少し顔が赤い。
「やだ、そこの狐のお耳がついたお嬢さんの方がかわいいのに」
そんな比べ方をしたんじゃないんだけど、と次郎は思いながら、母と娘を見る。すると少女の方がジッとサーシャを見ていることに気づいた。
――そりゃ、この格好は目につくよな。
彼はそう思った。
その後、当たり障りのない会話をして姉妹みたいな母娘と離れた。そして、やっと焼きそば屋にたどり着いていた。
「おー、少年少女、早く来ないと売り切れちまうとこだった」
ビール瓶片手に、焼きそばをじゅーじゅー焼いている綾部軍曹が声をかける。
「クロ、二人前」
「押忍」
黒石上等兵が器用に長方形の発泡スチロールの皿に、焼きそばをのせる。そして、炭火焼していた鶏肉を丁寧に一口サイズに切った後、それを上に盛り付けた。
「右のやつがお嬢ちゃん用な、青海苔入りじゃないから、あれ食うと、女子力落ちるから」
綾部軍曹は慣れた手つきで魚粉をふり、僕の分には青海苔をまく。
「ジロウ、なに? 青海苔って」
「うーんと、青海苔を食べると、歯にそれがひっついて……残念な女の子になる」
「なるほど」
妙に感心するサーシャ。
「オシッ」
体育会系独特の低い声で、黒石は次郎に焼きそばを差し出す。
次郎は財布から二人分のお金を取り出して黒石に渡すと、お釣りはないはずなのに百円玉を二つ返された。
彼がびっくりした表情で顔を上げると、油と汗にまみれた黒石のゴツイ顔がニッとしていた。
二人は後ろのベンチに腰掛けることにした。
はたから見ると二人仲良く焼きそばを食べているように見えなくもない。
いつものような喧噪もなく、二人は焼きそばに集中していた。
サーシャは美味しいものを食べると、機嫌がよくなるタイプの子なのである。
たまにロシア語も混じりながら美味しい美味しいと言いながら食べていた。
そろそろ教場に戻らなければあの緑に何て言われるかわからないので、二人は人々の喧噪を避け部外者立ち入り禁止の裏道を歩くことにした。
――そう言えば、海軍基地でこんなとこを歩いているときに襲われたっけ。
次郎がそう思いながら歩いていると、目の前に短い軍刀を腰にぶら下げた男が歩いてきた。
次郎は慌てて敬礼し、サーシャもそれに習う。
「ご苦労さん」
中隊長――佐古少佐――がそう声をかけながら、じっとサーシャを見た。
その時だった。
空気を切り裂くような音がしたと思うと、地面のアスファルトに金属がぶつかるような音がした。
佐古は舌打ちをした後、三階建ての建物の屋上を睨む。
視線の先の人影が動く。
その瞬間彼はサーシャを背にして庇うようにしてから、軍刀を鞘ごと目の前に掲げた。
金属音。
佐古の唸る声。
「脅しじゃねえっていう脅しか」
コン……コンコン。
黒色の球体が金属音を立てながら地面に転がる。物凄い勢いで飛んできたそれが、鞘に当たり、その跳弾が佐古の左肩に食い込んで、そして地面に落ちたのだ。
彼はすで人影がいなくなっていることを確認してから自分の左肩をさする。ひどい痣になっているのは間違いない、そんな痛み方だ。
「中隊長……」
次郎がそう声をかけると、彼は額から汗を出しながら笑顔で振り返る。
「大丈夫か」
「はい」
サーシャもこくんと頷く。
「忘れろ、今のことは誰にも言うな」
――エアガンか? いや、パチンコだな……わざと、鞘を狙いやがった、むかつくほど正確に。
彼は今年も『民族統一派』の者が入ってきて、ビラ撒きなどくだらんことをする、その他に、上級部隊からある学生を標的に身代金の請求がされているという通報が入ったという大隊長の言葉を思い出していた。
――留学中の貴族の子弟に対して、しかも皇帝に近い地位の貴族限定だが、同様の脅しがばら撒かれているということだ。
――サーシャ・ゲイデンに、ですか?
――そうだ、彼女にもだ。
――対策は……。
――本国からボディーガードを遣すというが、もちろん我が帝国陸軍の中で彼らを活動させるわけにはいかない。ま、入国審査も戦中並みの我が国だ、そう銃器などは持ち込めない。そう考えると、大事にする必要はない。たぶん、ただの脅しだろう。
笑いながら、大隊長は特に手は打たないと言った。
――こんな、楽しい学校祭を、物々しい雰囲気で台無しにしたら悪いだろう。
と。
そうは言うものの、佐古は心配だった。だから、二人の後を追ったり、先回りして迎えていた。
そして、ビンゴである。こ
あの放たれた鉄球は、間違いなく彼やサーシャの急所を一撃できたものだった。
わざわざ外すということは、まさに本気を伝えるための脅しだったに違いない。
――確かに脅しだけどよ……笑って済ませるものじゃねえよ、あのクソ大隊長。
佐古は奥歯をかみ締め左肩の激しい痛みを感じながら、頭の中で恨み言を並べていた。
彼女たちを守るにはどうするべきか……。
――祭りが終わるまでは、教室に閉じ込めておくか……。
彼は仔細を大隊長に報告して、そうしようと思った。
「いらっしゃいませ、ご主人様」
満面の笑みで接客するサーシャ。
だがその反面、彼女の腸は煮えくり返っていた。
――上等、このサーシャ・ゲイデンを脅そうなんて、百万年早い! ぶちのめして吠え面かかせてやる!
次の休憩でここを離れ、駐屯地の訓練地域に行っておびき寄せてやろうと彼女は考えた。
ポケットの中にいれてあるメモをぐちゃぐちゃにして握りつぶす。
『貴女の命が惜しければ、お家の人に泣きつきなさい』
そう書かれたメモを。
――かかってこいやあ!
彼女はふつふつと闘志を燃やしていた。




