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陸軍少年学校物語  作者: 崎ちよ
第3章  水無月「学校祭の季節です」
20/81

第20話「あの頃の想い、大人達の想い」

「一応、ここ喫茶店なんだけど」

「知ってる」

 橘桃子はあきれた声を出した。

 佐古はグラスの中にある大きく丸い氷を指で撫でた。

 グラスにぶつかった氷が気持ちのいい音を奏でる。

「メニューにあるから」

 軍服に坊主頭の佐古は、なぜかこの店の雰囲気に溶け込んでいる。

「あなたみたいなアル中がいるから載せたんだけど」

「そりゃどーも、何度も言うけど俺はアル中じゃない、アルコールが好きなだけだ」

 彼はそう言いながらグラスに口をつけた。

「ウーロン茶野郎に何かひとことないのか」

 明らかに馬鹿にした口調の佐古は、右隣りの男を挑発的な目を向けた。

「喫茶店でウーロン茶を頼んで何が悪い、茶だ、茶、日本人なら茶だ」

 筋肉が盛り上がって見えるグレーのスーツを着ている男。

 刺さりそうなソフトモヒカンの髪型の下にある凶悪な顔。

 少年学校の教師をしている小山だった。

「ま、できれば珈琲か、紅茶飲んで欲しいんだけど」

 桃子はウーロン茶が大陸文化とはつっこまない。

 小山は口を尖らせ、不機嫌な顔をしてそっぽを向いた。

「酒や珈琲は筋肉に悪い」

 小山の言葉に対して、佐古は鼻で笑う。

「こいつ飲みに行っても酒を飲まん、まったく面白くもなんともない……筋肉バカだからな、筋肉バカ」

「やかましいわ、このハゲ」

「ハゲじゃない、坊主だ」

 顔面を突きつけ会う二人。

 鼻息が荒い。

「相変わらず仲がいいわね、佐古君も小山君も」

「だれがこんなバカと」

 と佐古。

「だれがボケと」

 と小山。

 そしてぷいっと顔を背ける。

 子供のころは三〇代半ばといえばいい大人だったのに、そんな風には見えないと彼女は思う。

 ――あーあ、すぐあの頃と同じ顔をするんだから……。

 桃子はこの腐れ縁の二人のこうした姿を見ていると、あの頃の日々が、つい最近のことの様に思えるのだ。

 たまに、あの頃が戻ってくると。

「……はいはい、殴りあわないで」

 子供の喧嘩を止める様な口調で、桃子は間に入った。

「俺は、こいつよりも桃子さんに会いにきたんだけど」

 佐古の発言を邪魔するようにして小山は左腕を伸ばし、彼の口の前に手の平を広げた。

 子供みたいに会話の邪魔をしている。

「オレの方がお前よりも、桃子さんに会いたいと思っている」

 お互いに顔を近づけ口をぱくぱくしながら睨み会う、すると今度は小山がしゃべりだした。

「オレなんてな、もう、会いに来たどころじゃない、愛を語りにきたぐらいだ」

 佐古が仕返しとばかりに、ぐいっと小山の首を制するように右腕を伸ばして圧迫する。これはたまらず、小山はバランスを崩し椅子から転げそうになった。

「俺こそ、桃子さんにだなあ」

 二人はジタバタしながら、相手を退けぞらせようと、腕を伸ばしお互いの顔や胸を圧迫し続けている。

「はいはい、奥さんに電話していいのよ」

 呆れた顔で、どこか笑いを含めた声でピシャリと言ってのける。

「……そういうことはさ、大人なんだし、やめようよ、桃子さん」

「佐古のバカはお灸を据えないといけないと思うが、オレのハニーにそういうことをな、大変なことになるから、いや、ちょっと」

 ジタバタする二人。

「で」

 笑顔の桃子。

「ごめんなさい、許してください」

「……すまん」

 ペコリと謝る男二人。

「はいはい、私なんかに愛を語らないで」

「ダメ?」

 小山が頭を下げたまま、首を傾け桃子を見上げる。

「はい、奥さんの番号、と」

 携帯を取り出す桃子。

 すると小山は盛り上がった筋肉を縮める様にしてため息をついた。

「あーあ、またふられた」

 意地悪そうな表情で勝ち誇ったように笑う佐古。

「お前に桃子さんを落とせるわけがない」

「ふられたの何回目だっけ」

 そうたずねる桃子の顔は優しい。

「もう忘れた、学生のころからだから」

「そうだっけ」

 小山も桃子もさっぱりした言い方だった。

 佐古は少し複雑な顔をして目の前のグラスに口をつけた。そして、何かを思い出したように口を開いた。

「そう言えば、お礼を言うことがあった」

 彼はグラスの縁を、人差し指の腹でスーッなぞりながら話しをする。

「そう言えば桃子さん、学校祭の手伝いをするとか聞いたけど」

「ええ、晶ちゃんと鈴ちゃんから頼まれちゃったから」

 佐古の部下である日之出中尉と真田中尉もここの店の常連である。

「オレも頼んだ」

 なぜか胸を張ってがんばったアピールする小山。

 無駄にピクピクと筋肉を動かしている。

「うん、小山君からも」

 佐古はため息をついた。

「小山のバカはどうも学生に変なことをさせようとしているから、ほどほどにして欲しいんだけど」

「変なこととはなんだ! お前のようなボケが内恋(ナイレン)禁止だ、内恋禁止だなんて戯言抜かすから、公然と恋愛の場を作っただけだ」

「あのな、中隊長として風紀に関わることはきちんと律する義務があってな」

「はんっ! 何が風紀に関わることはきちんと律する義務があるんでござんす、だよボケ!」

 後半部分は佐古の口真似をする。

「バカ、俺の部下同士がチュッチュしてみろよ、そんなの士気に関わる、発情期の犬猫じゃあるまいし」

「よく言うわ、何が中隊長だ、小っせー! そんな若い奴らの気持ちを押さえつけることでしか統率できないなんて、いや小物小物」

「お前な、軍隊だぞ……俺は指揮官なの、そんな公衆の面前でイチャコラしてたら(イクサ)なんてできん」

「はっはー、お前のところの真田中尉や、綾部のクソ野郎とのイチャイチャは許してるのに、子供はだめだなんて、理解できん」

「それは違う、あいつらは大人、いいか、職場じゃ一切そんな雰囲気出してないだろう」

「街で手繋いで歩いていたぞ」

「外は構わん」

 口を尖らせる佐古。

 桃子はいつもの様に罵り合いを始める二人の顔を見て、あの頃、あの学校の制服を着ている二人の姿が重なっていた。

「あの子達は高校生だぞ、恋をだな、恋をしっかりしないと、ロクな大人にならん!」

 小山は無駄に上腕二頭筋を膨らませる。

「軍隊だ、そんなの必要ない」

 佐古はグッとグラスの中のウイスキーを流し込み、じっと小山を睨んだ。

「懐が狭い! もっと学生のころはボケはボケでも融通利く奴だったのにな」

「バカはバカらしく、黙って俺の言うことを聞け、俺の方針で中隊は動いているんだ」

「オレら教師は大隊長直轄だっての! このクソボケの指揮下じゃーない」

 大隊長。

 彼らの上司にあたる、第一〇九少年学校長兼独立歩兵第九大隊長の事だ。

「大隊長だって、そんな自由恋愛を求めていない」

 そう佐古が言うと、小山はフンッと鼻で笑った。

「避妊はさせろって言ってた」

 佐古はその言葉を聞いてげっそりした顔になる。

「恋は仕事だって言ってたな、あのおっさん」

「あのおっさん、愛人関係をさらりと自慢する様なダメ人間だぞ」

「俺がこの前聞いたのは『いいか、一箇所で二人以上はやめろ、僕が大尉のころ、師団司令部で同時に四人と行為を持ったときは職場でバレた、さすがに師団長に注意を受け大変だったからな』なんて、自虐ネタ……言ってた、サラッと」

「物凄くダンディだもんな、あのおっさん」

「そーいや、うちの日之出中尉を口説いてた」

「……五十手前で何やってんだ、あのおっさん」

「日之出は容赦なくしばいたらしいが……」

 二人は一息つくようにして目の前のグラスの中身を飲み干した。

「ある意味、勉強になるがな」

 そう言いながらうなずく佐古。

「そうだな、勉強になるな」

 うなずきながら小山が同意する。

「あら、一箇所で浮気相手は一人にするってことが勉強?」

 ぐいっとカウンター越しに体を乗り出し、笑顔のまま桃子は会話に割って入る。

「まあ、目安として」

 目をそらす佐古。

「そうそう、目安だなあ」

 頭を上下にゆっくり小山は振る。

「ふふふ、奥さんにチクっちゃおう、サイテー、ほんと二人はサイテーだって」

 桃子の声に二人が硬直する。

「やめて、ごめんなさい」

「やめて、すまん」

 さっきまでの勢いは消え、二人はカウンターに頭を近づけるように深々と頭を下げた。

「だいたい、バカなお前が、変なことを言い出すから、おい」

「ボケナスだが、お前もあのおっさんのこと好きだろう、なんか腹心みたいに可愛がられているじゃねーか、そのハゲ頭、撫でられてたし」

「ハゲじゃない坊主だ」

「猫みたいに喜んでいただろ、お前」

「……え、そういう関係?」

「違うよ、桃子さん、頭撫でるのは大隊長のスキンシップなんだよ……そっちの気はないよ、超絶女好きだし、あの人」

「あのおっさん、この前『僕は、女の子にももてるけど、同性愛者にもモテるんだ』って自慢してたぞ、ダンディに」

「……え、それ、かっこいい」

「かっこいい?」

「大隊長さんを見る目が変っちゃう、どうしよ、今度お店に来たらじろじろ見ちゃうかも」

「桃子さんうれしそう」

 苦笑気味に佐古が言葉を返す。すると桃子は満面の笑みを彼に向けた。

「だって私、ゲイのお友達が欲しいって思ってるから、世界が広がりそう」

「……なんか、家内も同じこといってた」

「あ、そうなの、奥さんとは気が合いそうね、今度ウチにつれてきてよ」

「娘が小さいから無理」

「あなたが娘さんの面倒を見て、家に残ればいいじゃない」

「……あー、そーゆーこと」

 ぐいっと体を入れ込み、物理的に小山が会話に割って入ってきた。

 寂しがり屋なのである。

「今度オレとこいつの奥さんと二人で飲みにくる」

「は? てめえみたいなエロ筋肉バカになんでうちのを」

「なんだと! びびってんじゃねえよ、ケツの穴が小せえ」

「やかましいわ、筋肉バカ」

「一生、奥さんの尻にひかれていやがれ」

 佐古はスッと真顔に戻り小山を見た。

「いや、そりゃ小山、お前ところの方が、やばいだろう」

「あ、はい……待て、違う、うちはオレが優しくしているだけだ」

 はんっ。佐古はそんな声を出して笑う。

「携帯で話す時の声、あれやばいぞ、そんなゴツイ体してありゃねえわ……お前、家庭の中じゃ食物連鎖の底辺だろ、底辺」

「うっせ! オレは使用人レベルだ! お前のところは奴隷ぐらいだろ」

 肩パンチの応酬が始まる。

「この、バカ筋肉!」

「この、石頭ハゲ!」

「はいはい、お願いだから殴り合わないで。周りのお客さんがひくから」

「んなこと言っても、桃子さん、このバカが」

 佐古は小山を指差しながら、訴えるような目で桃子を見上げる。

「違う桃子さん、こいつが先にだな」

 小山は肩パンチに来た佐古の手を握り、そのまま理不尽な握力でつぶしにかかる。

「いててててて」

 そう言う佐古は、自由の効く左手で小山の太ももに手を伸ばす。そして内側の皮を爪で挟んだ。

「あたたたたた」

 悲鳴をあげるおっさん二人。

「静かにしろっ!」

 ごん。

 ごん。

 佐古と小山の上腕にチョップ連撃。

「いてぇ……お客さん殴ったよここの店長」

「あたた、筋肉と筋肉の間を突いちゃだめ、痛いから、まじに、酷い」

五月蠅い(ウルサ)い」

 彼女の言葉は、まさにうっとうしいハエに文句を言う口調だった。

「はい」

「はい」

「それはそうと、恋愛禁止、恋愛禁止って佐古君はいうけど、ねえ、昔の私とのアレはいったい何だったの?」

 桃子は佐古の顎を右手で押し上げた。

「も、桃子さん、怖い」

「質問に答えなさい」

「あ、あれはあれ……あ、あの頃とは立場が違うから」

 桃子は右手を元に戻し、真面目な顔に戻った。

「あの子達は、あの頃のわたしたちと同じよ」

「違う、俺はちゃんと君とは人前じゃいちゃつかなかったし、ちゃんと節度をもって付き合ってた」

「なによ、節度って」

「節度がないことをしていたのは、この隣のウーロン茶バカ」

「あん? オレが何をした」

「あの胸の大きな女の子……名前は……まあいい……お前が付き合ってた女子、たまーに食堂とかでイチャついていた、覚えているだろう」

瓜生絵里(うりゅうえり)ちゃんだ、イチャついてはいない、ただ愛をだな……」

 佐古は小山の話を遮る。

「お前みたいなバカが、その絵里ちゃんと公衆の面前でイチャコラしているから……あれは酷かった、周りはうんざりしてたんだよ、あれってさ、ほんと同期の絆に悪影響がある」

「そりゃ、ただの嫉妬だろう」

「ああ、そうだね、あんな筋肉バカになんで彼女ができるってことでもう怨念が立ち込めるわ、同期の間でモヤモヤっとするわ」

「健全じゃないか、高校生とモヤモヤは」

「高校生じゃない、軍人だ」

「軍人である前に高校生だ」

「はいはい」

「でも、隠れて手を握ってたりするのは、なんとなく不健全よね、今思い出すと」

「え、隠れて手を握ってたの、このバカと桃子さん」

「『手、寒いよね?』とか言って裏でこそこそ握ってくるの、佐古君」

「……ある意味エロいし、たぶんいろんな欲求がムラムラしてて『手』なんだろうな」

 頭を抱えテーブルに額を押し付け悶絶する佐古。

「い、いいじゃないか、慎ましくて、かわいいだろう」

「ま、ムッツリスケベなのか、慎ましいのかは微妙だけど」

 ハッとした顔で小山が思いついたように話題を変える。

「……ん?  っていうか桃子さんもこのバカもちゅーはしてないの」

「拒否権発動」

 佐古は抑揚のない声で答える。

「してないよ」

 少し笑いを含んだ声で桃子は答えた。

「化石」

 明らかにバカにした、そんな上から目線の小山は一言そう言った。

「うるせバカ」

「純情でよかったよねー、いい思い出」

 佐古はぐいっと、小山に顔を寄せた。そして、ちらっと桃子を見て口を開く。

「桃子さんがちゅーさせてくれなかったんだ」

 また佐古の口は尖っている。

 桃子はそれを無視して、空になった二人のグラスを処置を始める。

「桃子さんがちゅーさせてくれなかっ……」

 小山は佐古の口調を真似をして、さっきの言葉を復唱するが笑いがこみ上げて来たのだろう、筋肉をプルプルさせながらクククと笑っている。

「はい……さっきと同じ、おかわり」

 二人の会話を気にすることなく、桃子はウイスキーのダブルとウーロン茶をコトっと置いた。

「ありがとう……もうこのボケナスのは薄めにしといてくれよ」

「ロックで薄めも何もないんだけど」

 そう言いながら桃子は笑って、カウンター越しにある椅子に腰掛けた。

「……あのね、本当はしようと思ってた」

「えっち?」

 スパコン。

 桃子の平手が小山の頭を叩いた。

「……小山君サイテー、何その言い方。すごくおっさん、エロ親父」

「三十七だもん。しょうがない」

「三年生の学校祭」

 その瞬間、三人のいる空間の空気が変わる。

 懐かしいような、そして哀しみを含んだそれだ。

「……」

「……」

「ダンスパーティーの後」

「……そっか学校祭か」

「桃子さんは喫茶店の元締めだった、思い出した」

「喫茶店で、佐古君もいっしょに手伝って、教室に二人きりになったところで、キスしようとか、期待してた」

「そんな雰囲気じゃなかったよ」

 苦笑いの佐古。

「そりゃ、そういう素振りみせないようにしてた、恥ずかしいし」

「まあね」

「それでダンスパーティーの後を狙ってたわけだ、お二人」

「俺は狙ってない」

「期待してただけ」

「そこだけいい子ぶっちゃって、正直に言え、先生、怒らないぞー」

 そんなことを言う小山は普段出さないような猫なで声。

「はいはい、狙ってました、二人きりになるのを狙ってました、だっていい雰囲気だろ、学校祭の準備をしている夕焼けの教室なんて」

「よーし、いい子だ、先生、頭撫でてやるから」

 そう言って小山は手を伸ばすが、佐古は鬱陶しそうに、その手を(はた)いた。

「でも、できなかった……あの日はこなかった」

「結局、ダンスパーティーもできなかったし」

「……」

「……」

「……」

 静かにため息をつく三人。

「そっか、やっぱりあの戦争が全部持って行ったんだなあ、オレたちの」

「そう、ぜーんぶ持っていかれちゃった」

「ねえ、あれがなかったらどうなってたと思う?」

 桃子はカウンターに肘を置いた。

「そりゃ、俺と桃子さんは結婚……痛っ」

「高校で付き合ってた者同士で結婚ってあんまりない……つうかオレが桃子さんと結婚してたな」

「お前な、不意のパンチは痛いから、肩でも痛いから、手加減しろって……いや、そんなことより筋肉バカが桃子さんとできるわけないだろう」

「はいはい、ちゅーもできなかった奴には言われたくない」

 ムキーと言い出さんばかりに二人はにらみ合う。そんな二人を見て桃子は少し笑った。

「……勝手に私を取り合わないで、物じゃないんだから、そういうことじゃなくて私たちの仕事」

「俺は……普通にどっかで働いているのかなあ」

「オレは大学にいって、普通の企業に勤めてる、だろう」

「そうそう、そういう雰囲気よね、あの頃の二人がそのままだったら」

「桃子さんは?」

「お嫁さん」

「いやいやいや」

「いやいやいや」

「そういう雰囲気はないなあ」

「……小さい会社つくってそう」

「なによ、そっちの世界でも結婚してないの?」

「結婚が人生の目的じゃない、人生の墓場だなんて言ってそうだよ」

「それじゃ、今と変わらないじゃない」

「結局、今と変っていないのかな」

「そうかな」

 ふふふと三人は同じような声を出して笑った。

 佐古がグラスを揺らし、琥珀色の液体を泳ぎ回る氷を見ながら口を開いた。

「そうそう、桃子さんの彼氏さんは元気してんの?」

「潜水艦乗りだからどこに行くかいつ帰ってくるかわからないのよ」

「お似合い」

「けっきょく軍人に手を出しるもんなあ」

「ちょっとは待つことやってみたいの」

「この前の普通の船乗りは、待てなかったじゃない」

「あれは、あいつが浮気したから、しかもバレバレの」

「潜水艦乗りじゃ、外国の港には寄らないしなあ」

「根暗そう」

「人の彼氏をあーだこーだいっちゃだめ」

「結婚は?」

「あのね、お父さん? お母さん? ねえ、どっちがどっちなの」

「俺がパパで、この筋肉バカがママでどう?」

「殴る」

 握りこぶしを掲げる桃子の目は笑っていない。

「ごめんなさい」

「すまん」

 ペコリ頭を下げる二人。

「一人で喫茶店経営しているのは、あの時のみんなが来てくれるかもしれないって思ったから……もし、あれがなかったら、たぶんそんなエネルギーはないと思う」

 そう言うと桃子は佐古をジッと見つめる。

「来て欲しいって思う力だけで、なんとかやってこれてる、来るはずもないってわかってるんだけど」

「学校祭ではできなかったから」

 佐古はそう言ってグラスに手を当て、そこに付着している水滴をなぞる。

「みんなで一生懸命準備してたじゃない」

「そうだったけ」

 小山は少しおどけた口調。

「……そこは頷くところでしょう」

「へいへい」

「ねえ、二人がこの店に来てくれることが一番うれしいの」

「二人しか来ないが」

「しょうがないじゃない、みんな来れないから」

「下手すりゃ、オレ一人だったかもな、このボケ佐古が生きているのは奇跡だ」

「……」

「オレは始まる前に病院送りになったようなもんだからな」

 自嘲気味に小山は呟いた。

「本当はもっと大勢で桃子さんの店に来れればよかったんだけど」

 佐古には目の前で死んでいった同期の顔でも浮かんでいるんだろうか、うっすらと口が揺るむ。

「しょうがない、みんな帰ってこない」

 そう言った顔は言葉とは裏腹のすっきりとした笑顔だった。

「なあ、あの戦争はなんだったんだろうな」

「小山君……」

「オレは砲弾の破片で怪我をして、みんなと死ぬ前に逃げることになったから、今は生きている」

「逃げたなんて言うな……怪我したから後送されたんだろ」

 佐古はそう言うとため息をついた。そして言葉を続ける。

「東からの留学生の女子がいる、彼女の爺さんはあの戦争で死んだ……場所は岐阜らしい」

「あなたが殺したかもしれないとか言いたいの?」

「ああ」

「わからないんでしょ」

「顔が見える位置でやってしまった相手は覚えているけど」

「あのね」

 桃子はそう言って、会話の間合いを切る。

「私が手伝うっていったのは、ちょうど私達とあの子達を重ねたから」

「俺だって……」

 佐古は、言葉を続けようとしたが、彼女の表情を見てやめた。

「なんか、学生さんたちが喫茶店やるって聞いて、何か力になりたかった」

「このバカ小山が、無理矢理喫茶店にしたんだろう?」

「そうなの?」

「あくまで公正に、話し合いと、最後は『ゲーム』の勝敗で決めた」

「うそをつけ」

「だいたい、お化け屋敷と喫茶店なら、喫茶店に決まっているだろう」

「やっぱりお前か、公正はどこにいった」

「善導しただけだ」

「趣味の押し付けだろ」

「押し付けてはいない」

「押し付けだ」

「はいはい、殴り合いは禁止! 今度やったら出入禁止にするからね、周りのお客様が見てるから」

 ふて腐れた顔で二人は手を止める。

「小山君にはお礼が言いたい」

「喫茶店にしてくれた」

「……たまたまだ、たまたま」

「佐古君にもお礼、このお店に頼めって鈴ちゃんに言ったの、佐古君でしょ」

「……真田、あいつ口が軽いな」

「ありがとう」

 彼女はペコリと頭を下げる。

「でも、お礼ついでに、もう一つお願いさせて」

 顔を上げた彼女の顔は真剣になっていた。

「あれはあの子達の学校祭だから、大人が自分たちのことで、気持ちを入れすぎないようにしよう」

 佐古は目を逸らす。そして小山はハッとした顔をした。

「佐古君も無理をしないで」

「無理はしていない」

「もっと、あの時のこと話してくれてもいいんだよ」

「……」

「ごめんね、今回のことでまた思い出すこともいっぱいあったんじゃないかなって、そのうちそれが辛くなりすぎて、こうやって三人で話せなくなるんじゃないかって……そういう無理してるんじゃないかなって……ごめん、私も怖かったから」

「そりゃ、あの戦場のことはあまり思い出したくない。今でも夢に出たりする……でも、学校祭のことは悪い思い出じゃない」

「でも連想しちゃうんでしょ」

「一応、二十年経って、それくらいはコントロールできるようになっている」

 じっと桃子を見て、ゆっくりした口調で佐古は言った。

「ごめんね」

「すまん」

 彼女はカウンター越しに手を伸ばし二人の肩に手を置く。そして、その華奢な腕で男二人を抱き寄せるようにした。

「あのね、さっきも言ったかもしれないけど、ここにこうして同期の二人が来てくれるのは、幸せなことなの」

「たった二人」

「たった二人だけになった」

「二人も、よ」

「そっか」

「そだな」

「うん」

 ぽんぽんと彼女は二人の肩を叩いた。

「そっか……」

「そだな……」

「だって、そのために作ったお店だから、そのために続けているお店だから」

 彼女はぱっと手を離すと、スッと胸を張る。そして、逞しい笑顔を浮かべた。

 その表情はあの制服を着ていた頃の桃子と同じだと、二人の同期は思った。

 懐かしい、あの日々。

 あの場所で輝いていた笑顔だった。

 今、あの場所にいる学生達と同じそんな笑顔。

 少しだけ哀しく、懐かしい思い出の中にある笑顔だった。

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