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陸軍少年学校物語  作者: 崎ちよ
第2章  皐月「訓練も最盛期ですが」
15/81

第15話「海軍少尉大川一貫と陸戦隊の愉快な仲間たち」

 金沢海軍記念日。

 春らしい陽気。

 陸軍少年学校の学生たちは、軽装甲歩兵補助服(軽歩)を操縦し、一糸乱れぬ行進を終えたところだった。

 学生はもとより大人たちも、パレードが大きな失敗や事故がなく終わったことに対し一安心といったところだ。

 大人達の方がピリピリしていたと言ってもいい。

 学生たちとはいえ、失敗は陸軍の威信を傷つけることになるからだ。

 そもそもなんで陸軍が、海軍の記念日に参加しているのか。

 そんな素朴な疑問を抱いた中村風子は、パレードの前に彼女達の引率者の一人でもある綾部軍曹に聞いていた。

「お手伝い、といってもぜんぜん脇役、刺身でいうと、わさび乗ってる『花形のにんじん』ってとこかな」

 と笑いながら答えてくれた。

 ひねくれたおじさんだな、と風子は思ったが声には出さなかった。

 なぜなら、彼の一歩後ろにはいつの間にか現れた中隊副官である日之出中尉が、かなり怖い目で睨んでいたからだ。

 後で彼が彼女にクドクドと怒られた事は言うまでもない。

 金沢海軍基地の歴史は浅い。

 金沢港はもともと軍港ではなかったが、あの戦争の時に改修され、舞鶴、佐世保に次ぐ日本海側の軍港の一つになっている。

 一方金沢の陸軍は帝国創設以来の歴史がある。

 この町が軍都たる由縁は、その歴史ある陸軍にあると言ってもいい。

 兄貴分の陸軍が縄張りを分けて『弟分の海軍に、記念日ぐらいは手伝ってやろうか』そんな感じだと表現したらわかりやすいかもしれない。

 もちろん、海軍側はそんなことを毛頭思ってはいない。

 そもそも海軍金沢基地は広い。しかも、海軍は金があるから祭りも盛大。そして、艦艇等見るものが多彩なので客も多い。

 海軍にしてみれば、陸軍のアピールの場を与えてやっていると思っているのだ。

 そんなどうでもいい張り合いが、大人達の間で繰り広がっていた。

 子供たちには関係ないことだが。

「研修の心構え、しっかり聞け、そして厳守せよ」

 伊原少尉がその口調とギャップのある可愛らしい声で説明をしている。

 学生たちは、海軍基地研修という名目で、正午をまたいで自由時間が与えられる。

 研修という名前のお祭りを楽しむ時間だ。

 もちろん学生達もそれは承知していることなので、改めて気を引き締めようとわざわざ時間をとって教育をしている。

 内容は『一般立ち入り禁止の船や建物に入らない』『ごみは拾え』『海軍でも上位者――上位者というと、制服着ているひと全員になる――にはすべて敬礼』『海軍の女性は制服効果もあって可愛く見えるがジロジロ見るな』など。

 あと女子には『海軍の若いのが必ずナンパしてくるので、単独行動はするな』という注意事項。

 硬派な軍人さんがナンパなんて恥ずかしいことするわけないだろうと風子は思っている。

 もちろん風子は生まれ故郷の舞鶴で海軍は見慣れていた。

 基地の外と内では水兵たちの印象はずいぶんと違うことは知っている。

 気を付けないといけないだろう。

 そう考えながら風子は次郎を探していた。

 バディとして軽歩でのパレードが上手くできたことを(ネギラ)おうと思っていた。

 まあ、がんばったし、ジュースの一杯はおごってやりたい気分なのだ。

 風子にしてみても、人と協力してあんなにがんばったのは初めてだったから。

 ――出店にでもいっしょに行って、何かお礼をしよう。

 彼女はそう思っていた。

 一方次郎は、ベンチに座ってお祭りの風景を見ていた。

 あちらこちらで、出店や出し物がされている。

 艦艇見学なんかもある。

 最初は松岡大吉といっしょうに行こうと約束していたが『急に用ができちまったぜ、グッパイ、あいつのこと、頼んだぜ』なんてよくわからない台詞を残してどっかに行ったのだ。

 そういう訳で急遽一人になってしまった。そして、単独行動禁止と言われているから、動くこともできず途方に暮れていた。

 これだったら、同部屋の先輩である落合や潤といっしょに行動すれば良かったと後悔している。

 ちょうどその時、風子は次郎を見つけていた。

 よくよく考えると、女子が男子を誘うなんて相当ハードルが高い。

 それがバディであっても。

 でも、労いたい。

 ――よし、声をかけよう。

 なんで、『よし』と、気合を入れる必要があるんだろうと、風子は自分にツッコミを入れていた。

「お、次郎ちゃん奇遇だねえ」

 二年生の渡辺潤(ワタナベジュン)が次郎に声をかけた瞬間、一歩踏み出そうとしていた風子はバッと人ごみに隠れる。

「ジュンさんっ」

 次郎の目がキラキラする。

 これで退屈な時間が終わると思ったからだ。

「落合さんともはぐれちゃって、うろうろしてたら部屋っ子の次郎ちゃんがいるからさー、ほら自由時間を満喫しながら団結の強化ーってのも悪くないでしょ、あれ? 次郎ちゃんもひとり?」

 部屋っ子とは同部屋の後輩という意味である。

「はい、大吉がさっきなんか急用があるって」

 潤は考えるそぶりを見せてニヤっとする。

「ははーん、そうか、だから泣いてたのか、男の友情かー」

 潤はニヤッとして隠れている風子の方に視線を向けた。

「え? なんの話ですか?」

「教えたら男が廃るから教えなーい」

 楽しそうに潤は笑っている。

 大吉は風子に淡い恋心を抱いていた。だが、先日のイチャイチャ騒ぎにより大吉は恋より友情を優先して身を引いたのだ。

 お祭りイベント。

 そんなところで邪魔するわけにはいけない。

 そう思った彼は『頼んだぜ』の言葉に力を入れていた。

 もちろん次郎は何の事かわかっていない。

 残念な友情である。

 それはそうと、潤が誘う前に次郎に近づこうとして近づけない、もやもやしている女子が一人。

 風子は様子を伺いながら念仏のように『お礼を言うだけだから』を脳内で再生している。

 一方潤は風子の応援をしようとしていたが、背中に殺気を感じ身を引いた。

「渡辺先輩、こんにちは」

 そう声をかけたのは、風子ではなかった。

 金髪おかっぱ頭が揺れる。

 満面の笑顔に流暢な日本語。

 殺気のぬし。

 次郎は咄嗟に潤の袖をひっぱり「いきましょう、早く行かないと祭りが終わります」と顔を引きつらせながら言う。

 嫌な予感しかしない。

「あれ、上田君もいっしょなんですね」

 にこにこ。

 外行きモード、いい子モードを炸裂させているサーシャ。

 目は笑っていない。

「こんにちは上田君」

 にこにこ。

 表情が動いていない。

 ぎゅっと、おびえた子供が母親の袖を引っ張るかのように次郎は潤の制服の袖を引っ張る。

「……ゲイデンちゃん、今日もかわいいね」

 顔を引きつらせながらも、いつもの軽い口調で潤が声をかける。

「当たり前です、先輩」

 にこにこ。

 表情に動きがないまま、潤の背中に隠れる次郎を見る。

「上田君、話しよ」

 にこにこ。

「……」

 潤が一歩引いた。

「ジュンさん、部屋の団結は……男の友情は……お、俺を見捨てるんですか」

「ごめんね次郎ちゃん、落合さんと約束があるんだ、うん、装備品とか、あの人マニアだから好きでしょ、あんまりしゃべんないけど、ね……三年生の命令は絶対だから、ほらあの人、無口だし、力めちゃ強いし、けっこう怖いからさ」

 急がなきゃ、とワザとらしいことを言って手を振りながらその場を離れる。

「ジュンさーん」

 手を伸ばし次郎は助けを求めるが、振り払うかの様に潤は走り去った。

 しばらくして、途方に暮れた次郎はゆっくりと後ろを振り向く。

 ――いなくなっていればいいんだけど。

 そんな願いはかなうはずもなく、いい子モードの笑顔のままサーシャは次郎を見据えていた。

 その白い肌、可愛い笑顔、まるで人形の様で怖いと次郎は思う。

「あら、上田次郎、こんなところで奇遇ね」

 白々しい。

「そして、この私を避けようなんて、百万年早い」

 さっきの笑顔のまま、こめかみに血管が浮かしている。

「下僕のくせに」

 あれ、奴隷じゃなかったけ。

 どちらにせよ、次郎のことを言っているいうのは理解できるている。

 パレードの前に「この勝負、私の勝ちね」なんて宣言していたのだ。

 確かに次郎とサーシャは初日に軽歩の操縦で、どっちが上手くなるかを競い合って――無理矢理次郎は巻き込まれた――負けたら奴隷にするとか胸を触らせるとかで賭けをしていた。

 次郎は彼女も軽歩の操縦が下手だったため、この賭けはご破算になったとばっかり思っていたがそうではなかったらしい。

 続いていたようだ。

 トータルで私が上手いとサーシャは胸を張って宣言した。

 次郎もさすがに、あれだけ風子に迷惑をかけたのだから、軽歩の操縦に関しては上手にできるなんて言えなかった。

「なら、今日から下僕ね」

 高笑いしながらサーシャは笑う。

 そうなれば、次郎もたまらない。

「俺の方が上手だ」

「あ、そう、じゃあ私の胸を揉んだら、はい、どうぞ」

 ぐいっと突き出される、サーシャのおっぱい。

「勝ったというのなら、はい賞品、どうぞ」

 詰め寄られる次郎。

「勝ったと思えないから、触れない、はい、どうぞ」

 ぐいっ。

「は、恥ずかしくないのか」

「勝負に恥ずかしいとか恥ずかしくないとかあるかっ!」

 サーシャ一喝。

 なぜか次郎は叱られる始末。

 もちろん、ヘタレの次郎が胸に触れることもできず、彼が負けたことになってしまった。

 滅茶苦茶だ。

 まったく、理不尽である。

「エスコートさせてあげる」

 サーシャは高らかに宣言した。

 ジト目の次郎。

「じゃあ、デートしてあげる」

「言葉でごまかすな!」

「ふん、負け犬のくせして偉そうな」

 サーシャはすっとスマフォを取り出し、ささっと操作をしたかと思えば、画面を次郎に突き付ける。

 軽歩の動画だった。

 こけてじたばたしている姿。

 外スピーカーで情けない声で助けを求める次郎に対してうんざりした声で返す風子。

 ぱっと次の画面に移る。

 次郎と風子が軽歩でなく、生身で重なりあって訓練している風景だ、あの大勢の人に馬鹿にされた時のもの。

『痛い』

 意外と色のある風子の声。そして端から見るとずいぶんと体が触れ合っている姿に次郎は赤面し、自然とサーシャのスマフォを奪おうと手を伸ばす。

 それに対して彼女はピョンといった感じにステップを踏みそれをかわした。

 そもそもサーシャが乱入する前から、動画を撮っていたなんて。

 そこまで次郎も頭は柔らかくない。

 ほーほっほと高笑い。

「情けない、ほんと情けない、私の下僕のくせに、ほんと情けない男」

「やめろ、動画はやめろ! 音も止めろ! いや、ごめんなさい、すみません、もう勘弁してください、お嬢様、痴女様、申し訳ありません」

「あら、やっと自分の立場をわきまえたようね」

 痴女様は聞こえなかったらしい。

「ははあ、もう下僕でも奴隷でもなんでもいいです」

 次郎はベンチの上で正座をする。そして頭をベンチにこすり付けるように土下座した。

「道端の団子虫のように丸くなっちゃって、それが日本人のもっとも恥らしい姿、土下座ね」

「はっはー」

「情けない、本当に情けない」

 ほーほっほ、とサーシャは笑いながら、スマフォの動画を消した。

「じゃ、下僕、奉仕しなさい」

 満面の笑みで彼女は宣言する。そして、次郎から視線を外す。

 その外した視線先に風子がいなくなっていることを確認した。



 海軍と言えばカレー。

 色とりどりの立て看板や旗に『駆逐艦春雨名物焼きカレー』『ミサイル巡洋艦金剛名物カレーうどん』など、多くの出店が立ち並んでいる。

 サーシャはこういうお祭りが珍しいのか、少しはしゃいでいる様子だった。

 次郎は、彼女の表情がいつもの外行きの笑顔ではなく彼に見せるような高飛車な笑みでもなく、どちらかというと子供みたいだと思った。

 なんにしても高校一年生。

 まだ十五歳の彼ら。

「上田次郎……じゃない、下僕」

「今、ちゃんと名前で呼んだ」

「日本語、難しい」

「下手な日本人より日本語知ってるだろう、あんた」

「そんなことより、あれ」

 彼女は指差した先には『りんご飴』という看板

「食べたい、買ってきて」

「了ー解」

 立ち食い大好きロシア娘。

 次郎がびっくりするぐらい、さっきからバクバク出店の食べ物を口に入れていっている。

 はしまき。チョコバナナ。クレープ。カキ氷。そして、途中で飽きたといって彼に渡すのだ。

 もはや下僕というよりも、犬やネコのような扱い。

 次郎もカキ氷だけは喉も渇きに抵抗できず食べていた。

「どうぞ、お嬢様」

「うん」

 次郎はうやうやしく二百円のりんご飴を差し出した。

「次郎、これはきれいな食べ物だな」

 艶やかな真っ赤な飴がたっぷりかかったりんご。

 それに無粋にぶっさしてある割り箸。

「よくもそんな毒々しいものを」

 彼女はペロっとなめると。

「甘い」

「でもりんごの味がしない」

 と感想を言っている。

 次郎の内心びくびくしていた。

 今はまだ、上機嫌なのでお買い物のパシリで済んでいる。

 この性悪女のことだ、機嫌が悪くなるとどんな重労働を課せられるかわかったものじゃない。

「それと、こんな物もらった」

 さっきの飴屋はくじ引きがあって景品を引いてきたのだ。

 出店のおっちゃんが「二等賞、おめでとう」なんて言っていたので、どんなものをもらえるかと思えば単なるトンボ玉だった。

 水色を基調としたガラスに、赤や緑や黄色の縦じま。

 その中に白い花のようなものが散りばめられている。

「貧乏くさいガラス」

 ペロッと舌でりんご飴を嘗めたあと、サーシャは興味なさそうな反応をして受け取った。そして、それを胸のポケットに入れた。



 二人は基地の中を一通り回り終わっていた。

 未だ人の出入りは激しい。

 人ごみに疲れたので、建物と倉庫の間の人通りの少ない道路で休もうと歩みを進めた。

「おい、外国人」

 如何にもチンピラ風。

「お声をかけてあげてるんだよ、聞こえねえのか」

 後ろの方から声をかけられているが二人はそのまま歩みを早めることもなく、悠然と無視していた。

 小走りで男たちが詰め寄る。そしてその内の一人が横からサーシャの顔を覗き込んだ。

「おいおい、ロシア人だよ、敵国のロシア人だよ」

 と喚きながら周りの仲間をはやし立てる。

「ぼんじゅーるだっけか」

 げらげらと汚い笑いが沸く。

「敵国のスパイが、のうのうと帝国海軍の基地内を歩くとはいい度胸じゃねえか」

 また、チンピラ達がドッと沸いた。

 海軍の制服を着た水兵、それにしてはガラが悪い。

「お前ら、北方の島だけじゃなくて金沢までぶんどる気か?」

「市民は飢えているのに、貴族様はお留学か、だいたいお前らは遊びで戦争してるんだろ? 貴族の矜持なんて言って」

「早いとこ、あんたの国の革命軍さんをなんとかしないと、お国つぶれちゃうよ」

「なんか、能登半島のゲリラも活発化しているし、お前らが操ってんじゃねえか?」

 子供に対して、大の大人――と言っても、彼らも二十前後の若い水兵であるが――が寄ってたかって汚い言葉をぶつけている。

 それに内容もひどい。

 サーシャのロシア帝国はモスクワを中心に勢力を保っているが、その東側のシベリアと中央アジア、そして極東方面はソヴィエト連邦の勢力下にあるのだ。

 だから日本帝国と同盟を結んでいる。

 ただ、一部の民族主義者達からは陰謀論的に黒幕はロシア帝国などと囁かれていたりする。

「おい、お嬢ちゃんに坊ちゃん、大人の話はちゃんと聞きなさいって、お前らの学校で教わってねえのか?」

「陸軍は外国女にホイホイするのかよ、日本人の矜持はねえのかよ」

 珍しくサーシャは表情を変えず、あの笑顔のまま歩き続けている。

「おい、俺たちは海軍陸戦隊なんだよ、そこらへんのお船の水兵さんと違って、気が短けぇしお行儀が良くないんだよ!」

 男がサーシャの腕を掴んだ。

 掴んだように見えたが、スルッと抜ける。

 また、無視して歩き続けた。

 彼女にとって、このチンピラ達は雑音が多い空気ぐらいにしか映っていたいのかもしれない。

 だが次郎はそういうわけにもいかず、一人一人を確認した。

 最初につっかかってきたのが若い少尉、そしてその周りには何もしゃべらない二等兵曹が一人、ずっとぺちゃくちゃしゃべっている兵卒が四人。

 ――面倒くさいことになる前に、逃げるか。

 サーシャのことだ。

 今は奇跡的におとなしくしているが、いつ牙をむくかわからない。

 そうは言っても相手は六人。

 たった二人でなんとかできる人数でもない。

 サーシャの腕を掴んで走り出す。

 だが、すぐに止まった。

 二人ほどに先周りされてしまっていたからだ。

「あの、すみません……彼女、日本語がよくわからないので、返事ができないんです」

 彼は頭をぺこぺこ下げた。

 六対二。しかも一人は女の子。

 逃げるのも難しい。

「うそつき」

 サーシャは次郎の手を振り払いそう言った。

「違う、私はちゃんとした日本語しかわからない、この馬鹿達の汚らわしい言葉は聞こえないだけ」

 サーシャの顔は、あのふてぶてしい顔に戻っていた。

「ロシア帝国海軍は紳士しかいない、国に帰ったらこの国の海軍は野良犬ばかりだって教えたら喜びそうね」

 ふと、サーシャはロシア海軍士官の制服を着た兄の姿を浮かべる。

 ――お兄様。

 あの人が見ていたら、きっと制裁しろと怒鳴っているだろう。

 海の男の恥は許せんと。

 一方次郎は慌てていた。

 まるく収めようとしたのに、空気も読まず挑発するサーシャを見て口をパクパクさせる。

「俺は、金沢海軍陸戦隊の海軍少尉で大川一貫(オオカワイッカン)というものだ」

 路地の壁に背中を預けながら、白い海軍士官服を着た男はしゃべりだした。

「威勢のいいお嬢ちゃんに、少し悲しい話を先にしておく、あれだ、俺ら陸戦隊ってのは愛国心と団結心が他の奴らより強くてよ、しかも、教育好きときたもんだ」

 サーシャは挑発的な目を向け口の端をぐいっと引き上げた。

「お前らみたいなやつらに、ちゃんとお灸をすえるってのが大人の勤めだろう?」

 長々と丁寧に説明するのは、彼らの戦意を喪失させるためだろう。

「大丈夫、日本の男は優しいから、ちゃんと、お灸をすえた後、身だしなみも整えて返してあげるから、でも、こっちも教育の記録ってのはちゃんと残しとかないといけない、撮影するけど、まあ気にするなよ」

 大川少尉はだんだんと声が大きくなっている。

 自分で悪ぶって、そういう台詞で高ぶるタイプなんだろう。

「ああ、撮影したものはな、もちろん君がこのことを他言する場……」

 サーシャが跳んだ。

 彼女は瞬間的に間合いを詰めて、大川の股間を蹴り上げる。そして、うずくまる首をクルッと回して、引き倒した。

 次郎は、とっさに近くの水兵に掴みかかって、大外刈りの変形、相手の顎を突き上げるようにして、一人を地面に転がした。

 彼女はもう一度跳ねるように飛んで、もう一人の男の顔面にその華奢そうな指先を撫でるように振る。

 次郎も一回やられた目潰しだ。

 あの時とは違い指の入れ方が深い。

 続いて次郎の方は、ガタイのいい二等兵曹が立ちふさがって動けずにいた。

 彼が動こうとするとタイミングを合わせ、回りこむようにして動くのだ。

 ――やばい。

 サーシャは一対三になっているのだ。

 情けない姿だが、金髪の女子高生に二十前後の男三人が、金的と目潰しを警戒して股間を手で隠すようにして構えている。

 なんとも滑稽な構えだと次郎は思う。

 そう思っているうちに、目の前の二等兵曹がおもむろに掴んできた。

 先ほど投げ飛ばした男も起き上がっている。

 彼は後悔していた。

 男を投げたとき、受身を取れるように投げてしまったのだ。

 彼は人を倒すことにはなれていない。

 つい癖で、道場でやるような投げ方になってしまったのだ。

 彼はその甘さを悔やんでいた。

 男達が、サーシャへの包囲を狭めている。そのうち一人は目を抑えているが、それでも相手が三人となれば多勢に無勢だ。

 次郎はとにかく目の前の二等兵曹を倒したかった。だから間接を狙おうと動く。

 筋でも痛めつければ、そうそうは動けなくなる。

 打撃の中で隙を探した。

 ジャブ程度のパンチが次郎の顔面に入った。彼は顔色を変えず、二等兵曹の大降りの右フックをじっと見てそれをスカした。そのまま左手でその右の肘を強打し、右手で襟首を掴み引き落とす。

 地面に叩き付け、相手の首を死なない程度に足で踏み込む。

 頚動脈の付近を狙っていた。

 げほげほむせかえり投げた相手は転がっていた。

 間に合わない。

 彼がサーシャに駆け寄ろうとした時には、彼女を囲む三人の水兵は一斉に動いていた。

 信じられない光景だった。

 サーシャは逆さまになっていた。真ん中の男の頭の上に左手をついて、器用に逆立ちをしている。

 右手はスカート。サーシャもパンツは守る乙女なのだ。

 彼女はそのまま、男の首を曲がってはいけない方に引っ張りながらその背中の方に着地しようとした。

 そうして囲みの外に出るのだ。

 だが、そうはならなかった。

 サーシャが男を後ろに倒そうとした瞬間だった。何をを思ったのか、手を離し、きらっと光る何かを掴もうとしていたのだ。

 それは逆立ちした時に、彼女の胸のポケットから落ちたものだった。

 なんとかその光る物を掴むことはできたが、着地は失敗しバランスを崩して転がった。

 片膝をついているが、その露にしている膝は擦りむけている。

 だが彼女は、膝の痛みに気をとられることなく、手のひらの中にあるそれを確かめて安心した顔になった。

「なにやってんの!」

 次郎はつい叫んでしまった。まだ、敵と対峙しているのになんでそんなガラス細工に気を取られるのか信じられなかったからだ。

 彼女は立ち上がろうとして、バランスを崩して転んだ。

 足を何かに引きずられたのだ。

「クソガキがあああ」

 吠えるような声、大川がサーシャの足首を掴んでいるのだ。

 次郎は横合いから別の男にタックルをくらい足止めされた。

 彼女は容赦なく大川の顔面を踏みつけるようにして蹴りを入れるが、彼が手を離さない。そして、彼女は他の男たちにもう一度囲まれてしまった。

 ――ちくしょう。

 次郎は奥歯がギリギリ鳴りそうなぐらい、それを噛み締める。

 ――体を鍛えていても、ちょっと相手の人数が多いとどうしようもなくなる、正義の味方ぶって守ろうとしても、また失敗かよ。

 その時だった。

 サーシャを囲んだ男の一人が正面から倒れたのだ。

 潤だった。

 男の後頭部に絵に描いたようなドロップキックが炸裂した。

「せーぎーのみーかた! 参! 上!」

 そう言って、次郎にVサインを送る。

 囲んだ他の男のうち、一人がよれよれと足から崩れる。

 振り向き様に顎に対して固い拳の一発を食らったのだ。

「落合さん、ジュンさん!」

 次郎が泣きそうになりながら声を上げる。

「せっかく、人様のデートを観察してたのに、もうすぐいい雰囲気なるってときにお前ら大人の癖に空気も読まず邪魔しやがって、だいたい、子供二人に六人でかかって恥ずかしいとか思わないの?」

 潤はそう言いながら大川の手首を踏み込み、それに掴まれていたサーシャを解放した。

「ちくしょう! ガキ共、お前ら全員の顔を覚えたからな! 街でもどこでも次に会ったらぶっ殺す! くそったれ」

 大川は手首を押さえながら、捨て台詞を吐いた。

 そして、倒れている男を引きずるようにしながら逃げ出した。

 次郎と潤は、あまりにも間抜けな大川の姿を見て「はははは」と声を出して笑った。

 無口な落合は口の端を曲げただけだが、同じ気持ちだろう。

 次郎はサーシャを見る。

 彼女はバツが悪そうに不機嫌そうな目つきで睨んでいた。

 恥ずかしさを紛らわしているのかもしれない。

 


 今回の揉め事はもちろん大人たちの知ることとなった。

 さすがに、派手に立ち回ったものだから次郎もサーシャも制服が汚れてしまったからだ。

 何があったと真田中尉に聞かれたら、うそはつけないので海軍の陸戦隊とかいう変な人に絡まれましたと答えるしかなかった。

 二人が真田中尉に事情聴取を受けているうちに、中隊長まで出て来た。

 事の顛末を伝えると、真田中尉は怒りを露にしていた。

 女の子に手を出すなんて許せないと思っているのかもしれない。そして、あまり感情を出さない中隊長が、その自分の坊主頭を撫でにっとした後、口を開いた。

「相手は海軍陸戦隊、それを率いていたのは大川少尉で間違いないな」

 真田中尉が答える。

「大川中将の息子ですね……この基地司令の」

 ヘラヘラした綾部軍曹が口を挟んできた。

「大川の野郎は陸戦隊でも手間取っているらしい、司令のご子息だから、内輪じゃあ、お痛できないって」

 中隊長は軍刀の柄を握り、目をつぶる。

「やられたらやり返す、お灸をすえる」

 いつの間にか、その道を極めたような極悪な顔をした先任上級曹長である中川が口を挟んだ。

 あまりにもドスの効いた声だったので、次郎はびくっとしてしまった。

「先任!」

 中隊長がそういうと、中川が頷く。

「相手も言うこと聞かない若い奴らでしょう、うちも若い者にやらせましょう、陸戦隊の本部には仁義をきってきます」

 中隊長は、座った姿勢で軍刀を両足の間に立てるようにした。

「林!」

「はい! 林少尉、現在地!」

「綾部!」

「おーっす!」

「決まりだ、かなり私的な命令だ、いいな」

「了解!」

「オス!」

「命令、大川のガキを吊るせ」

「林少尉、指揮を取り本日中に奴を吊るせ」

「了!」

「綾部軍曹、若いのかき集めろ」

「ウス!」

「かかれ」

 そう言った陸軍の大人たちはどこか楽しそうにしていた。

 次郎はその不思議な雰囲気を前に、呆然としていた。



 大人たちが狩をしているうちに、子供たちは学校に戻っていた。

 ちょうど、彼らを輸送していた車からおりると、潤にサーシャと次郎は呼び止められた。

「そうだ、サーシャちゃんにこれを」

 ジュンさんがポケットからスマートフォンを取り出す。

 サーシャは咄嗟に奪い取ろうと手を伸ばすが、珍しく空をきる。

「さっきの場所で拾ったんだけど、だれのかわからなくて中身聞いちゃった」

 と満面の笑みの潤。

「画面の指紋は消したほうがいいよ、暗証キーばればれだから」

「返して」

「いやね、ちゃんと旦那に見せてあげないと」

「え、ちょっと」

 サーシャは大慌てになる。そして潤に釣られるようにして、次郎から離れた。

「あ、そうそう、結構恥ずかしいからこれ」

 ぽちっとスマフォ画面に触れる。

 そして、サーシャに見せた。

 それは次郎の写真だった。

 りんご飴を買いに行く後姿。

「あのね、先輩の助言なんだけど、こんだけ気になるんだったら、下僕とかそういう言葉は使わないほうがいいよ、素直になったらどお?」

 それから潤と二、三言話した後、次郎の近くに戻ってくる。

 手にはスマフォ。

 サーシャは目を伏せがちだった。

 そんな彼女と次郎は目が合う。

「な、なに?」

 目が合って、わかりやすい反応をするサーシャ。

 たまにはこういう素直な顔をするんだなあ、と次郎は思った。

「先輩が言うとおり、もうあの賭けとかそういうの忘れて、自然にしよう」

 次郎は納得した顔でそう言った。たぶん、下僕とかそういう言葉が気になって助言してくれたんだろうと彼は思っている。

「は?」

 帰ってきたのは、サーシャのうんざりした顔。

「え?」

「何言ってるの、上田次郎、あなたは正当に私の下僕だから」

「なんだよ正当って」

「男の賭け、したでしょ」

「女子、女子」

「やかましい、細かいことは気にするな」

 そんなやり取りをしていると、ちょっと離れた方から潤が冷やかすような声を上げた。

「君達、ほんとお似合いだよね、デートでいちゃいちゃするところをウォッチしてたけど、プレゼントはするわ、間接キスしまくるわ。お兄さんはどっきどきだったよ」

 見る見るうちにサーシャが赤面する。

「次郎君、家族計画は卒業してからだからね」

 潤は続ける。

「うん、そこの作法は、僕が責任をもって次郎ちゃんに教えるから、サーシャちゃんは安心して、大丈夫たぶん世界共通だから、ちゃんと丁寧にできるように教えるから」

 ニヤニヤしている潤。

 隣の落合もむすっとした顔のまま口の端を上げている。たぶん、笑っているようだ。

 赤面するサーシャと次郎。

 何も言い返せない。

 カキ氷を思い出したから。

 次郎は軽率だったと思った。

 そういえば女の子の食べかけだったんだと、今更思っても仕方がない。

 彼らは絡んできた海軍陸戦隊の男達の時と同じように、先輩二人を無視することしかできなかった。

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