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陸軍少年学校物語  作者: 崎ちよ
第2章  皐月「訓練も最盛期ですが」
13/81

第13話「頼られること」

 中村風子は同級生の男子を見て無性にイライラしていた。

 情けなく地面を這いつくばっている彼に対して。

 一体の軽歩兵補助服(軽歩)が転がっている。

 転がるだけではない。ギシギシと音を立て醜くもがいていた。

 立ち上がろうとして失敗し、転げ、そしてその都度、男子の悲鳴が無線を通じて聞こえてくる。

 ――悲鳴を上げたいのはこっちだって。

 風子はそう思いつつ、冷たい目で上田次郎を見下ろしていた。



 二週間の非日常。

 現役のむさくるしい兵士に散々弄り倒された部隊自習は終わった。

 この学校自体が彼らの人生にとって非日常ではあるが、それでも、普通の、平穏な学生生活に戻ったと言っていい。

 もちろん、訓練がそれで終わりということではない。もちろん今まで通り、学生達は汗を流し、様々な訓練を行っている。

 まわりにはむさ苦しい兵士はいないが、罵声を飛ばす教官達は健在だ。

 訓練で叱られる環境は何も変わっていない。

 変わらない。

 そんな中、学生達は軽歩の訓練の最盛期を迎えていた。

 最盛期と言えば聞こえがいいが、スパルタ方式でビシバシしごかれていると言っていい。

 月末、海軍金沢基地で基地祭がある。

 その記念式典で陸軍少年学校の学生たちがゲスト出演するのだ。

 パレード。

 ただ、整列して軽歩で歩くだけ。

 だが、失敗は許されない。

 海軍の目の前である。

 そういうわけで陸軍の威信という面倒くさいものが、学生達に圧し掛かっているのだ。このため、学生達は特訓に近いような軽歩の詰め込み教育を受けていた。

 特訓。

 風子は被害者だと自分を思っている。

 せっかく、得意分野ができて楽できると思った。だが、全然楽ではなく逆に負担になっていた。

 軽歩の操縦が下手くそな次郎の面倒を見ることになったからだ。

 バディ。

 ――上田とバディを組め。

 教官にそう言われた。

 バディというのは、二人一組でお互いの不得意分野をカバーするような関係だ。

 残念だが、風子にとっては次郎の失敗をひたすらカバーするだけになっていた。

 ――嫌な顔をするな、同期で下手な奴がいれば上手な奴が面倒をみる、これが軍隊の常識だ。

 風子はこれを『強制同期愛』と命名している。

 同期は仲良くなければならない。

 同期の為なら自分を捨てなければならない。

 この、よくわからない空気に対して風子は嫌悪感を抱いていた。

 そして、今。

 改めて同期愛の強制を腹立たしく感じていた。

 ――上田のバカ、バカ、バカ。

 風子と次郎は端から見ると仲良く腕立て伏せをしていた。

「じゅじゅじゅーきゅううーうー」

 反省。

 二人で反省。

 風子の過失ではない。

 次郎のヘマのせいである。

 軽歩の操縦をミスした次郎に対し、伊原少尉は怖い顔つきのまま『減点! バディで反省! 腕立て伏せよーい! 上田は五十回、中村は二十回』と、特徴のある声――背格好に似合わない甲高い声――でメガホン越しに叫んでいる。

 体で覚える反省だ。

 そして、その反省が理不尽なため、ますます次郎に対し不信感を抱いてしまった。

 次郎は五十回を涼しい顔のまま、さっさとやってしまうからだ。風子は息を切らしてやっているにも関わらず。

 そして「ごめん」と風子に頭を下げてまた軽歩に乗り込む。どの面下げてごめんなんて言ってるんだと叫びたくなる。

 それも一回ではない。

 風子はもう今日だけでこの反省が何回目かわからなくなっていた。ここ数日、ひたすらこれを繰り返しているのだ。

 今日の課目は軽歩による障害走。

 文字通り、障害があるところを走る訓練。

 具体的には走るコースに設置されている溝を飛び越えたり、壁を乗り越えたり、綱を上ったり。それから、お決まりの鉄条網を匍匐前進で地面を這って抜けたりするものだ。

 だが、次郎は先ほどからそういった障害で落ちたり、転んだり、引っかかったりしている。

 障害を越えきれなければペナルティー。

 つまり反省が始まる。

 これが一回や二回ならさすがの風子も我慢するがずっと繰り返されている。

『ごめん』

 次郎は軽歩に乗り込み、何回も繰り返している言葉を無線で伝えていた。

 うんざり。

 風子は我慢の限界だった。

 最初なんて、歩くことすらできなかったのだ。

 そこからいっしょに反省の連発。

 とりあえず、今日はまだ上達した方ではあるがその先の障害で引っかっている。

 初日なんかは、よーいスタートから反省がはじまっていた。

 回数は減ったものの、いい加減彼女の二の腕や大胸筋の女子力が落ちそうで恐怖を感じていた。

 初めて軽歩に乗ったあの日。

 彼女は学生の中でも飛びぬけて操縦が上手かった。

 整備のおっさん曹長が『お譲ちゃんは、蝶のように舞い、蜂のように刺すような動きだなあ』と褒めるぐらいだ。

 軽歩は人を選ぶと言われている。

 相性が良かったんだろう。

 ――せっかく楽できると思っていたのに。

 人生初、人に対して優越感が持てる特技ができると思った矢先、次郎とバディを組めと言われた。

 そして、この辛い日々が始まった。

「にじゅううー」

 彼女達は腕立てを終え、軽歩に乗り込み次の障害に向かう。そして、走る。

 ――うん、一応走れるようにはなったみたいね。

 風子はモニターに写る次郎の軽歩を見ながらそう思う。

 そして、障害が現れる。

 地面に対してほぼ垂直の壁。

 囲壁(いへき)と呼ばれる障害だ。

 普通に飛び乗ることができない高さの壁。

 その為、走って勢いをつけその直前で壁を蹴り、その反動を利用して上に飛び上がり乗り越えるなければならない。

『上田君、飛びついて』

 彼女は壁の手前で止まり、腕を振って合図を送った。

 彼は勢いを付けて走る。そして、ぎくしゃくした動きのまま低く飛んだ。

 鈍い音とともに、乗り越えると言うよりも壁に正面からぶつかり張り付くようにジタバタしている。

 彼はなんとかして軽歩の肘を壁上に取り付かせた。

 すると風子の軽歩がすべり込むようにして彼の足元に入り込み、それを押し上げる。

 次郎は風子の力を借りて、なんとか壁をよじ登り障害をクリアーすることができた。

 彼女は彼が壁の向こうに行ったのを確認すると、一旦壁から離れ、軽やかなステップで壁を蹴り上げ、壁上と腰の高さが同じになるぐらいまで飛び上がる。そして難無く飛びつき、それから間髪を入れず壁から飛び降りた。

 ――やっと上手くいった!

 風子は腕立てをしなくてもいい、腕がこれ以上逞しくならなくてもいいと歓喜しながら着地しようと下を見たときだった。

『馬鹿っ』

 風子は無線越しに叫んでいた。

 足元にいつものように転んでジタバタする次郎の軽歩がいたのだ。飛び越えたのはいいものの、着地を失敗してもがいていたのだ。

 風子は着地の態勢をとろうとしている軽歩の腕を伸ばし壁を押す。そして彼を踏まないように軌道を変えた。

 それは無理な動作だった。

 風子は必死にバランスを取ろうとするが、空中で一度崩したそれを元に戻すのは至難の業である。

 地面に足を着いた瞬間、よろけるようにしてバランスを崩し次郎の軽歩に覆いかぶさるように倒れた。

 ゴン。

 鈍い音が、風子の操縦席で響く。

「いったあ……」

 ヘルメット越しとはいえ、頭を打って彼女はぐらんと世界が揺れる感覚に襲われる。

「ごめん、中村さん」

 無線での会話ではない。軽歩の鉄板越しに下の方から、くぐもった声が聞こえてきた。

「冗談? なんでこんなところに寝そべってるの、おかしい」

 風子はヒステリックな叫び声を上げていた。

「また、反省……、もう、いい加減にして! 足引っ張るのはやめて! なんでできないの! もっと努力してよ!」

 彼女はそんなことを口に出してから、はっとする。

 我ながら嫌味なことを言うと思っていた。

 次郎は手を抜いていない。

 彼女も知っているのだ、彼が地道に努力しているのは。

 訓練が終わった後、一人で操縦要領の復習をしているのは知っている。

 でも、頭ではわかっているが、苛立つのだ。

 がんばってもだめな次郎に。

 なんでも卒なくこなしている。

 だからと言って偉そうにすることはない。それに、あまり目立たないようにしているのもわかる。

 軽歩以外は無難に教育をこなしている。

 器用なことがばれた教官には遊ばれているが、基本的に学生の中でもできる人間の部類に入る。

 一個ぐらいできなくてもいいじゃないかと思う。でも、それさえも何とかしようとして、努力する姿を見ているとイライラしてしまう。

 風子とは逆なのだ。

 彼女は、この軍隊の学校に入って勉強も体力も技術も、何もかもだめだった。

 だが、軽歩だけは違った。

 他のものをできるようになろうと努力しようとは思わなかった。

 目の前の時間をこなすだけで必死だからだ。

 せっかくの得意分野。

 鼻高々で楽勝だったはずの訓練。

 次郎がぶち壊したのだ。

 自分に迷惑がかかるにも関わらず、努力してもできない彼が腹立つのだ。

 とにかく、すべてにむかついていた。

『ほんと、ごめん、迷惑かけて』

 彼女は、無言で立ち上った。次郎は上半身をやっと起こした状態だ。

『ごめん』

 風子の目には、彼の軽歩の肩がしょんぼりしている様に写った。

 そういう姿を見ているうちに、彼女は苛立ち、腹を立ててる自分のことが格好悪く感じてくる。

『上田君』

『な、なに』

『ばーか』

 ギシっと彼の軽歩が音を立てた。

『ばーか』

『ごめん』

『ほんと、馬鹿』

『ごめん』

 情けない声だと風子は思った。口が緩む。

 ――ま、いいか。

 風子はそうつぶやいて、前を向く。そして、次郎が立ち上がる音を聞いた後、次の障害に向かうために歩き出した。



「ぐぬぬ、ふーこめ」

 訓練が終わった後の格納庫、汗だくで軽歩から這い出て来た風子が見上げると、そこには金髪おかっぱの女子が立っていた。

 彼女も次郎と同様に軽歩が苦手だったが、こちらは彼とは違い、物凄い早さで操縦技術のレベルを上げ学生の中でも上位グループに入っていた。

「私を差し置き、ジロウとしっぽりするなんて」

 風子は言われた意味がわからず困惑した顔をしてしまった。

 相変わらず、マイナーな日本語の表現を使うロシア人だな、と風子は思った。

「迷惑なだけなんだけど」

 風子がそう答えるとサーシャは言い返してきた。

「べったべたで訓練してる」

 どうして、次郎の事で絡んでくるのか風子にはいまいちピンときていないのだ。

 ――そういえば、サーシャは次郎をもらうとか言ってたような。

 あの宣戦布告を思い出し、げんなりした気分になる。

「サーシャ、あのね、私は上田君のことなんとも思っていないから、うん、むしろ嫌い」

 風子はばっさり言う性格なのである。

「むきー、余裕すぎる発言」

「だから、なんでそうなる」

「むー、上から目線!」

「むしろ下から見上げてますけど」

 まったく噛み合わない二人の会話を遮るかのように、格納庫に大きな金属音が鳴り響いた。

「くおらあ! ガキども、どんだけ壊せば気がすむんじゃあ!」

 整備長であるおっさん曹長が怒鳴り声を上げていた。

「すんませーん、乗ってるのは上田でーす」

 そう大声で答えるのは松岡大吉。

『大吉ー、助けてー』

 外部スピーカーで次郎の情けない声が漏れる。

「バディは中村だろ、中村に助けてもらえよ、お前ら仲良いし」

 意地悪そうに大吉がそう叫んでいる。

『だって、大吉が手伝ってくれるっていうから』

「手伝うって言ったけど、助けるなんて言ってねえし」

 次郎は一人で練習しても、いつまでも伸びないため、大吉に操縦を教えてもらっていたのだ。

 一方大吉は、次郎のバディである風子にいいカッコしたいという下心もあって、引き受けていた。

『大吉ー、覚えとけよー』

 恨めしい声の次郎。

「いいじゃねえか、中村とイチャつけるんだし、ちくしょー」

 口を尖らして大吉が叫ぶ。

『だから、中村は関係ないって』

「あいつも、もしかして気があるんじゃねえか、次郎に」

 ついつい彼女の話になるとこうなる。

 照れ隠しかもしれないが、思っていないこともベラベラしゃべってしまう大吉君である。

 一方離れた所で、この会話を聞いていた風子はスッと立ち上がり、大吉の方を向いて口を開いた。

「は?」

 そんなに大きな声ではなかった。大吉とは二〇メートルほど離れていた。だが、その底冷えするような声は格納庫に響き渡り、彼の耳に入っていた。

 大吉が振り向く。

 彼はゾクッとした顔をして、一歩下がった。

 風子の氷のようなまなざしが彼に突き刺ったからだ。

「い、いや、中村、違う」

「何が?」

「お、俺は……」

 はむはむ口を動かす彼。その時だった。

 ごん。

 拳骨。

 大吉が崩れ落ちるようにして悶絶している。

 (こぶし)をかざす整備長が軽歩を見下ろしていた。

「てめえら同罪だ! コラ! 勝手に軽歩を動かしやがって!」

『すみません、すみません』

「返事は一回だ、バカヤロウ」

 ゲシ。

 倒れた軽歩から顔を出している次郎の顔面を踏む。

 軽歩の操縦。

 もちろん、訓練はすでに終わっている。

 勝手に軽歩を動かしていいはずがない。

 だから、彼らは訓練直後の数分を使って、ばれないように気を使いながら、端っこの方で練習をしていたのだ。

 これ以上、風子に迷惑をかけたくない。

 次郎は大吉になんで迷惑をかけたくないのか、と聞かれた時『俺にだってプライドがある』なんて答えていた。

 だが、たぶんそれは違うと彼は思うのだ。

 よくわからない、もやもやした気持ちがある。

 三月末に最悪な遭遇をしてから、何かとつっかかる。

 きっと、相手もつっかかりたくないはずなんだが、なぜかタイミングが悪い。

 いつも格好悪いところばかりを見せている。

 それをプライドと言ったらそうなのかもしれないが、ちょっと違うのだ。

 自分を嫌っている相手にこれ以上迷惑をかけるのは、とても辛いことだと彼は思っているから。

 派手な音で、動きが止まっていた学生たちの喧噪も戻り、格納庫に残っている学生も少なくなっていた。

 そうしているうちに、次郎と大吉は散々整備長に怒鳴られ、頭を下げ、なんとか許してもらい解放された。

 じーっと次郎を見ていたサーシャがクルッと振り向いて風子を見た。

「ふーん、ふーこはそういう作戦で、ジロウに、ね」

 風子はサーシャが言っている意味がわからず、目をパチパチさせる。

「なら、こっちも」

 サーシャはそう言うとおもむろに作業服の上着を取り、ずいずいと次郎の方へ歩み寄っていく。

 白い薄手のTシャツ。

 汗でぴったりとくっついた肌が透けて見える。

 先日、これを見てしまったために、次郎は目潰しを頂いた話は周知のとおりだ。

 男子たちは身を引くようにして目を逸らす。

 軽歩を片付け、次郎と並んで歩いている大吉も、いきなり現れた金髪女子を前に、目を逸らすどころか仰け反るような反応を示した。

「うわ」

 大吉が、押しのけられる。

 チラッチラッと彼は見ていたが、先回の事件とはまったく異なりサーシャは気にすることもなく、次郎の横に立った。

 かわいそうなくらいに無視された大吉は唖然とするしかなかった。

「下手くそ」

 急なことで次郎も状況が掴めていないが、とりあえず頷いた。

「情けない」

「お、おう」

「上手になりたい?」

 軽歩の操縦も同程度に下手っぴだった彼女。次郎は彼女がいつの間にか上達していることを知っている。

「そりゃ……」

「ふふふ」

 満面の笑みの金髪。

 ごくり。

 彼は生唾を飲み込み緊張した。

 次郎にとってサーシャは、理不尽にぶん殴ってきたり、目潰しをしてきたりと、恐ろしい女子でしかない。

「ふふふふっふふふふふ」

 そして、面倒臭い女子でもあった。

「なんでも言う事聞くならコツを教えてあげる」

「無理」

「意気地なし!」

「どうせ、決闘しろとか面倒臭い条件だろ?」

「違う」

「騙されないぞ、じゃあ条件はなんだ」

「なんでも言うことを聞く……」

「奴隷になるとか、そんなんだろう」

 的を得ない答えに次郎は苛々していた。

「へえ、奴隷になりたいんだ」

 売り言葉に買い言葉、さらに高飛車な態度で対応するサーシャ。

「どうしてそうなる、この前、お前が言ったんだろう、負けたら奴隷とか」

 サーシャはため息をつき、両手を横に広げる。

「じゃあ、おっぱい?」

 奴隷になるか胸を触らせるか、いつのまにかそういう賭けになりそうになったことを思い出す。

「いや結構」

 ムスッとした顔の次郎。

「こんなにかわいいサーシャさんが、破格の条件で愚かなドブネズミ見たいに地面を這い蹲るウエダジロウを救ってやろうと言ってるのに」

「わかったよ、もういい」

 次郎はそう言って大吉の方に向かおうとする。

「待ちなさい! 話を最後まで聞いて、後悔したくないでしょ」

「だから、条件を言え」

 サーシャは、じっと次郎を見る。

「……」

「どうした、黙って」

 訝しげなまなざしの次郎。

「デ、デ……」

「で?」

「ト……ト……」

 サーシャは一瞬にして、さっきまでの勢いはなくなり、急に顔を上気させ俯き気味になってしまっている。

「わかった」

 次郎は頷いた。

 彼女はパッと明るい表情に一瞬なったが、恥ずかしくなったのか顔を背ける。

「と、特にしたいわけじゃ、ないけど、日本の文化も知らないといけないから、人生経験の一つだから。日本人の特性を知らないといけないし」

「気づかなくてごめん」

 次郎は頷く。

「別に、俺は女子が目の前でトイレに行きたいっていっても気にしないから、ロシアじゃ恥ずかしいことかどうか知らないけど、大丈夫、恥ずかしがるなよ」

 ポンッとサーシャの頭を叩く。

 その刹那、次郎は激痛が走り飛び上がることになった。鈍い音と共に彼が見たのは、勢いをつけて迫ってくる金髪の頭。

 サーシャは、顔を真っ赤にして頭突きを見舞っていた。

 こう見えて、この女子。

 不器用である。



「ちょっと、ふーこちゃん、なんか変?」

 ベットに寝そべり、ぼけーっとしている風子に対し、同部屋の先輩であるユキが顔を覗きこむようにしながら言った。

 時計は二十二時四十五分、消灯直前の夜だ。

「変ですか?」

「変」

「だって、ニヤニヤしてる、気持ち悪い」

 ユキは残念な顔をしている。

「まさか、風子ちゃんが、そんな情けない顔をするなんて思ってなかったから」

「そ、そんな顔してます?」

 コクリと大げさに彼女は頷いた。

 風子は慌てて顔に手のひらを当ててみるが、いつもとかわらないような気がした。

「好きな人でもできた?」

 ユキはそう言うと眼鏡を押し上げる。

「そ、そんなんじゃありません」

 慌てて顔を伏せる。

「へ、変ですか?」

 ユキは大げさに首を縦に振り、そして眼鏡をクイッと押し上げた。

「そのニヤニヤは、異常」

「でも、恋愛とかそんなんじゃありませんから」

「へー」

 風子は思い出す。

 サーシャとのいざこざがあった後、次郎と顔を合わせた時のことだ。

 ――ごめん、これ以上迷惑かけれないから。

 ――でも、ごめん。操縦のコツを教えて欲しい。

 それから、次郎と風子はちょっとした約束をした。訓練が終わった後、二人で訓練をするということを。

 『バディ』だから助けて上げる。

 そこは強調した。

「頼られるって、悪くないですよね」

「なにそれ?」

 ユキは、はははと笑って自分のベットに戻る。

 風子はその姿を見ながら、いつも先輩に頼ってばかりの自分も、来年になったらあんな感じになるのかなっと想像してみた。

 頼られる自分。

 普段はなんとなく強気で、なんでもできる人。そんな次郎にお願いされた。

 思ったよりもいい気分なのだ。

 そして、サーシャ。

 優越感でもない感情。

 よくわからないが、気持ちがいい感覚であることは間違いなかった。

 ――こういうのも悪くない。

 彼女はそう言って、毛布を被り目を瞑る。 

 いつもの消灯ラッパの演奏が、スピーカーを通じて流れていた。

 一月前は違和感があったが、今は不思議と落ち着く音色だと彼女は思った。

 プツン。

 スピーカーの電源が落ちる音が聞こえる。

 そのころには、風子の小さな寝息が静かに部屋の中で流れていた。



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