ヒーロー、デビュー 5
翌日、パーカー男にやられた怪我がどうしても心配だったので医者に診てもらったが、幸い骨にはなんの異常も無かった。
だが相変わらず、やられた部分はズキズキと痛む。いくら怪我が治り放題とはいえ、辛いことに変わりはなかった。
だがその後、塊の一匹すらも姿を現さないまま一週間近くが経った。
その頃になると痛みもだいぶ引き、一見すると何事も無く静かに日々は過ぎ去っていくようだった。
……それでも、一方が暇になると今度はもう一方で面倒ごとが起こるものらしい。
「大体、お前には物事に対するヤル気ってものがだな……」
あの腹痛騒ぎ以来、以前にもまして山野からの風当たりが強くなったのだ。
授業中は勿論のこと、最近ではHRの時間にまで俺をヤリ玉に上げてくる。
そして今日は、体育の授業中の俺の態度に問題があるとか何とかで教員室への呼び出しだ。長距離走がかったるいので微妙に手抜きしていたのを、校内のどこかから見ていたらしい。
だが自分以外の授業にまで監視の目を光らせるとは、もはや半分ストーカーのレベルだ。
「ん……?話を聞いてるのか、緑山??」
「はい、勿論!」
こいつの説教はいつも長いが、それにしても今日は酷い。感覚的には歴代の説教時間ワースト3に迫る勢いだろうか。
今はただ嵐が過ぎ去るのを待つように、神妙な態度で山野の前に立ち続けるしかなかった。
「……と、言うわけで、今後は気をつけるように」
「はい、すみませんでした」
――よくもまあ、ここまで喋るネタが続くもんだな……。
内心の毒づきはおくびにも出さず、俺はペコリと頭を下げた。
そのまま足早に教員室を出ようとしたが、あと一歩のところで、
「そういえば、この間の補習レポートはどうなっとるんだ?」
「え……!?」
ゴタゴタに紛れて、完璧に忘れ去っていた。
「あ、明日には出せると思うんですけど……」
俺は振り返り、ぎこちない笑顔を浮かべる。無意識のうちに、手が頭を掻いていた。
「緑山、お前はこれだけ言っても……ん?」
席を立った山野が、俺の頭の横辺りに目を凝らす。
「……?」
その視線を辿って、自分が「左手」を頭にやっていることに気がついた。
「!!」
なるべく人目に晒さないようににしていたのに、わざわざ山野の前でやらかしてしまうなんて……。
一週間の間に、すっかり神経が緩んでしまったらしい。
「ま、まだ何か……?」
俺は出来る限りさり気なさを装って、手首の装置を後ろ手に隠した。
「その腕時計、かなり高価なものに見えるが?」
オマケに、一瞬で只の機械じゃないことをを見抜かれる。
だが俺はなおもシラを切り続けた。
「はは、単なる安モンですって……」
「とにかく、しばらくの預かろう。出しなさい」
有無を言わせぬ態度で、山野は手を差し出してきた。その手に対し、俺は曖昧な笑顔を返すことしか出来ない。
そのうちに、山野の方が痺れを切らし俺に詰め寄って来た。
「早く出せというのが……」
まさに袋のネズミだったそのとき、校舎中に非常ベルが鳴り響いた。
「な、何事だ!?」
山野と俺は廊下へ出た。ほかにちらほらと残っていた生徒や教師も、一斉に出てきている。山野は忌々しげに舌打ちし、
「……まずは避難だな。一緒に来なさい」
言いながら、俺に構わずズンズンと歩き出す。
俺がその背中を見送りつつ逃走の機会を窺っていると、突然後ろから腕を引っ張られた。
「本当に世話の焼ける人ですね……」
俺をの手を引いて走りながら、ヒイロはそうぼやいた。
校門の外へ出たところで、俺はようやくヒイロから解放された。
なんとか窮地を脱し、ほっと息を吐く。
「あの教師、ミキさんになんか恨みでもあるんですか?」
これが、一週間俺の様子を見続けたヒイロの結論らしかった。
「そんなのこっちが聞きてえよ……」
俺が力なく答えたところに、キヨからの通信が入る。
(ヒイロ、ミキ、今どこに――……)
しかし途中で、キヨの声はノイズにかき消されてしまった。
更に今度は、俺の視界が歪み始める。
「え……――!?」
「ミキさん?」
振り返ったヒイロの姿は、歪みの中に飲み込まれてすぐに見えなくなっていった。
俺は再び、何も無い空間に一人立っていた。
脳内に響き渡る耳鳴りが、すぐ近くまで危険が迫っていることを知らせている。けれど肝心の通信は、ずっとノイズがかかっていて使い物にならなかった。
「イ、インステリオン!」
即座に変身し、まずは最低限の身の安全だけでも確保する。それでも、今の俺にとってはこのスーツも単なる気休めにしか思えなかった。
「装置を返せ……!」
その時、あのパーカー男の声が辺りに響いた。
「……!!」
俺はごくりとつばを飲み込むと、思い切って声の方へ振り向いた。だがあの男の代わりに、そこには一匹の影の姿があるだけだった。
「!?」
――あの図体って、まさか!?
目を凝らして確認するが、間違いない。
俺の脳裏に、お馴染みの禿げ頭の中年が浮かんできた。
「緑……山ァ……」
特徴的なだみ声までそっくり一緒だった。あまり良い印象を持たれてない自覚は十二分にあったはずだが、なんだか哀しい気持ちが込み上げてくる。
「いやいや、落ち込んでる場合じゃねえ……!」
最悪の形で実を結んでしまったが、これも自分で蒔いた種だ。せめて自分の手できっちりと刈り取ってやるしか無い。
萎える気持ちを叱咤し、俺は黙って武器を構えた。
それとほとんど同時に、山野の影が巨体に似つかわしくない猛スピードで突進してくる。その様は、ちょうど怒り狂う猪を連想させた。
「アウス・レイング!」
俺はその場を動かず、「山影」を迎え撃った。自分のリーチに入ってきたところで、胴体めがけて光る槍を突き刺した。
「どうだ!?」
手ごたえは十分にあった……はずだった。
だがなんと、俺の突きは山影の太った腹で見事に弾き返されてしまった。
――嘘だろ!?
山影は攻撃をブロックすると共に、思い切り拳を振りかぶってきた。その反撃を寸前のところで受け止めたものの、あまりのパワーに衝撃を吸収しきれずに俺は後ろへ吹っ飛ばされてしまった。
ぜい肉の鎧に脅威の攻撃力……元が山野とは思えない強敵だった。
攻略の糸口をつかめないままに、山影が再び突進の構えを見せる。槍はまだ光を失っていなかったが、発動しなければ意味が無い。
槍を構えたまま俺がまごついていると、
(アイテのイキオいをリヨウして……)
「え?」
あの光るヒト形の声だった。
思いがけず聞こえてきたそれに辺りを見回すが、それらしい姿はどこにも見えない。
「相手の勢い……」
あの声と同じ言葉を口に出して繰り返す。その瞬間、俺の頭の中にある考えが閃いた。
奴が襲ってくると同時に、俺も奴に向かって走れば……俺のスピードの分、槍の威力が増すんじゃないのか。実に単純な原理だった。
しかし、それは相手の攻撃にも同じことが言えた。さっきの破壊力、もし失敗すればヒビ程度じゃ済まないだろう。
俺は、自分の手足が震えてくるのを感じた。
「緑山……装置を……」
そうこう考えているうち、山影はさっきと同じように向かって来た。
「いくぞ……!」
もう迷っている暇は無い。
槍を握る手に力を込め、俺は全速力で山影へ突進していった。