【1】説明と宣告
『ハゲに人権は無い』
とは、誰が最初に言ったのかを気にするようになって久しい。
秋の寒風は頭皮を撫でるように通り抜けるが、そこに靡くものは何も無い。
冬を迎えるには足りない落ち葉を踏みしめ、竹林の中を歩く図書館帰り。
頭に空、首元にマフラー、手に分厚い本、腰元に鞘に収まった一刀。何でもない一人のハゲ。
男の名前は『吾妻』(あづま)と言う。
先天的に毛根が死んでおり、頭から髪は生えていない。瞳は黒色、学生の時の灰色のジャージを変わらず着ている。
体型は約1年の怠惰を経て腹部に脂肪がたっぷりと溜まり、身体の節々に重みを感じ始めた。
生業はハゲ兼うんこ製造機。貰った飯を食らい、身体を僅かに動かし、排泄物を吐き出す、人間の皮を被った違う存在に他ならない。
学生は卒業し、生まれてから8824日呼吸を継続しているが、その過程で得たものは一つしか無い。
学生の卒業記念に校長から賜った『鬼を斬れる刀』がその唯一にあたる。
『鬼を斬れる刀』とい名目だが、別段これだけが『鬼』に傷を付けられる訳では無く、普通の刀剣でも鬼に傷を付けられる。
普通この『鬼を切れる刀』には銘という刀の名前が刻まれているらしいが、この男の刀にはその銘は無い。いわゆる無銘である。
だが、これも仕方が無いことだ。
普通、生まれてから5475日を最後に学生は学校を卒業する。各々の誕生日からきっかり5475日を経過した段階で全過程を終了し、卒業になり『鬼を斬れる刀』を賜る形だがこの男だけは違った。
この男の場合、『外』で生まれた者なら当然の身体能力を持っておらず、その過程を終了するまで人より3002日を要した。
その為、元来この男に用意していた刀は別の誰かの元へ流れ、いつ卒業できるか分からないためか卒業当日の朝急遽製造された刀を渡される羽目になった。
この男と同じ年に生まれた人はとっくのとうに卒業し、その時の友人からは名前も忘れられる始末。
話を戻すが、学生は卒業後『鬼殺し』という生業に就く。
この国は『外』(げ)という名であり、そこには人間を欲する『鬼』という存在がいる。
『鬼』は人間のように二足歩行型の生物で、金属に似た赤き装甲を纏い人間の3倍はあろう巨躯を持ち得体の知れない能力を持つ。
人間との対話を求める知能を持たず、本能のままに人間を殺し食糧にする、或いは子を為す道具とする、というのが学生時の授業で教科書に記載されていた内容だった。
一概に言えば、人間に害なす生物で生きるために殺さなければいけない存在。
その生息状況は数が多すぎるという言い分一つで不明であるが、勝手な推測の内では大分数は減ったのではないかと思う。
理由として先人達が鬼を結構殺したという記載を図書館から借りた書物に記載されていたからだ。
だが『鬼』との戦いが始まった日から今日で52598日になる。一切状況が改善されないことに人々は憤りを感じている。
何が『鬼殺し』だ! 不甲斐ない、もっと殺せ、と。
そんな事を一方的に思って帰路についていたら、竹林の出口で吾妻の友人が待っていた。
「あら。あらあらあら、お犬さん。どしたん? 彼女でも待ってるん?」
「違いますよ、吾妻さん。まーた図書館に行って。貴方が来るまで寒空の下、待っていた私の身にもなってください」
眼前にいる人は『犬成』(いぬなり)という青年であり、吾妻の友人でもある。
夜にも映える黒髪は短く整えられ、同色の瞳、成人男性の理想体型に近い中肉中背。吾妻と同じ学生の時の灰色のジャージにスニーカー、腰元には青色の鞘に収まった刀が備わっている。
吾妻の卒業する年、過程を共にした期間が長くその時意気投合し、友人となった。
卒業後は犬成は『和水』(なごみ)という淑女の下で『鬼殺し』の実践修行を積んでおり、吾妻の友人とは思えないほど覚えがよく強くなっていったと聞く。
先日も襲撃した鬼を一人で三頭殺した彼は『外』の国では後々の特記戦力になるのでは無いかと思う。
一方、吾妻という男は卒業後彼の一軒家に居候し、『鬼殺し』の任も果たさず彼に甘えきってただ飯を食らっていた。一応家事はしていたが。
そんな彼がわざわざ吾妻を待っていた? 疑問を隠せず、言葉に出す。
「――待ってた、ってどゆこと?」
「分かりませんか? 薄々感ずいているのでは無いんですか?」
「さて。晩飯はまだ作ってないよ? 家帰ったら作ろうと思ってたし」
「晩飯では無く! 分からないのですか?」
「うーん………分からん!」
「……はぁ、貴方も分かっていると思ったのに。では、説明します。吾妻さん、貴方が学校を卒業し、もう1年になろうとしております。それなのに一頭の戦果も挙げず、私の得たお金で飯を食らい怠惰を尽くす日々。国長であられる『三波』(みなみ)様から出撃要請が掛かっております。はい、コレが要請書です」
犬成は懐から取り出した古ぼけた紙を向ける。それにではデカデカと出撃要請と書かれており、その下には私の名前も書かれていた。
出撃要請は『鬼殺し』の任を課せられたが、それを果たさぬ人物に送られる宣告書である。脅しの文書といっても差し支えない。
「おーついに来ちゃったか。……いや、いやいやいや冗談じゃなくマズくね? 私の刀、銘入って無いんですぜ。物理で楽に鬼殺せるなら先人がそうしているでしょうがー」
『鬼を斬れる刀』に打たれる銘はその刀に備わっている能力を意味する。詳細は教えてもらえなかったが、『神子』という人物が『鬼』と似た能力を持っており、それを物体に付加できる。これで付加された武器が『鬼を斬れる刀』にあたる。
その武器の所有者は備わっている能力を自在に扱える、という対『鬼』の武器として支給されている。
それなのに吾妻の刀だけは何も能力を持たない唯の刀。明らかに他の『鬼殺し』と戦力格差があるのだ。
「マズいですよ。ですが貴方の怠慢が今の結果に至っただけですが。銘が無く刀の力が使えなくても、鬼の装甲には間間に隙間があります。鎧の隙間を狙い、突き殺す。介者剣術、学校で習ったでしょう? 忘れたなんて言わせませんよ」
相手の言葉は真っ直ぐ突き刺さる。その通りだ。『鬼を斬れる刀』が配られる前の鬼の倒し方なんて介者剣術しか習っておらず、有効的なのもそれしか無いと覚えている。
本で顔面を隠し、顔をそっぽに向け聞きたくないけど聞かなければいけないことを犬成に問う。
「おおぅ…畳み掛けて来るね、お犬。紙見たくないから教えて、どしたら許してもらえる?」
「……この紙を渡して1日の内に鬼を一頭殺すこと。それが出来なければ、『外』の国から出て行って貰う事になります」
その言葉に疑問が浮かんだ。
「『外』の国を――……出る? 『内』の国に行けってことか?」
「いえ、これです」
本を少しずらし犬成を見る。犬成は水平にした手で首を横切る。即ち、
「あー首チョンパね。オッケ、何もしないうんこ製造機には死をってか。流石に楽したいけど死にたくないからやるわ」
「僕も手伝いますよ。友達が首チョンパになるなんて見たく無いですしそれに――…」
「単純に戦力が不足しているんです。貴方もこれからちゃんと『鬼殺し』になって貰います」
犬成が放った言葉は何か嬉しそうだった。