学園祭 6
オープニングセレモニーで、特別クラス各学年代表はそれぞれ短い“出し物”をやる。
そう言われて桃は、顔色を失った。
「聞いてない。」
呆然と呟く。
そんな連絡あっただろうかと耳を疑った。
歴史研究クラブ渾身作の衣装をつけたまま、その出し物のために演台から降りた吉田を見て、はじめて桃はその事実を知ったのであった。
「はっ?」
右隣の仲西が驚いて桃をマジマジと見詰める。
仲西は自分の出し物・・・剣舞のための剣を荒岡から受け取るところであった。
あんまり驚いて剣を取り落としそうになり、慌てて荒岡が受け止めている。
「お前!?どうするんだ?」
桃の方が聞きたかった。
剣を受け止めた荒岡も驚いたまま動きを止めている。
大講堂中央では、吉田が自分の出し物である四言詩を滔々と謡いはじめていた。
吉田を囲むように移動した特別クラス3年生が、入学式同様、四言詩のはやし部分「幸甚至哉 歌以詠志」を全員で合唱する。
中国文学史上最重要人物の1人である曹操の詩は、この場を圧倒していた。
しかし、残念ながら桃にはその詩を楽しむ余裕などない。
顔色を悪くする桃を、何故か仲西まで心配しておろおろしていた。
「心配いりません。」
その様子を呆れたように見ながら、桃の後ろの明哉が桃の手に自分の手を添えてくる。
「明哉。」
縋るように桃は明哉を見上げた。
何故か頬を赤らめながら、明哉は安心させるように桃に頷きかける。
「大丈夫です。私たちの方で全て用意しておきました。桃は黙って立っていていただければそれで結構です。」
勝手な真似をして申し訳ありませんという明哉の謝罪を、桃は困惑しながら受け止めた。
何はともあれ、安心する。
「本当にそれでいいの?」
「はい。この話が来た時にどうしてもやりたいモノが思い浮かんだのです。皆と相談して、どうせなら桃にもビックリしてもらおうと思って内緒で準備していました。」
どうりで何も聞いていないはずだった。
違う意味でビックリしたわとこのサプライズにドキドキした胸を、桃はなで下ろす。
「心配させるな。」
ホッと息を吐きながら仲西が文句を言った。なんだかんだと人の良い仲西である。
「誰もあなたに心配してくれなどと頼んでいません。」
「頼まれなくったって、心配するだろう?普通。」
明哉と仲西が睨みあう。
それを宥める内に、吉田の四言詩は終わりにかかっていた。
自分の出番が近づいたため、進行係に促された仲西が渋々移動をはじめる。
桃の側を通り過ぎながら、桃の耳元に口を近づけそっと囁いた。
「お前のために踊る。見ていろ。」
それはとんでもなく艶を帯びた甘い言葉だった。
流石の桃の頬も赤くなる。
慌てて伸びてきた明哉の手を軽くかわして、仲西は舞台をヒラリと飛び降りた。君主風の衣装のゆったりとした上衣がフワリとなびいて桃の目に残像を残す。
苦笑しながら荒岡が後に続いた。
並び立つ仲西と荒岡は、周囲の目を引きつけずにはおかない。
剣舞は2人で舞うそうだった。
「もの凄く豪華な剣舞になりそうですね。」
桃の言葉に心底嫌そうに顔をしかめながらも、同意しないわけにはいかない明哉たちだった。
胸の前で捧げるように構えた剣がそのまま水平に弧を描く。
滑るようになめらかに仲西は足を運んだ。
ヒュッと風を切る音がして剣が2回3回と回転する。目にもとまらぬ速さで繰り出される剣と軽やかな足さばき、優雅な動きに誰もが目を奪われた。
その仲西と対をなすように荒岡が隣で鮮やかに体を翻す。
重なるようで重ならず、ぶつかるようでぶつからず、紙一重の間隙とピタリと息の合ったタイミングで危なげなく荒岡は剣を操っていた。
派手な軍師の衣装と肩にかけたマントがヒラリヒラリと舞う。
息を飲むような見事な剣舞が講堂中央で披露されていた。
桃は心の内で感嘆する。
(大したものだ。)
心からそう思った。
呉は尚武の気風の地である。
剣舞は呉の武将であれば、たいてい誰もがたしなむ舞であり、その技の優れた者は大いに称賛される。
孫権、周瑜の舞はその事実を如実に表していた。
声も無くその舞に見惚れる桃に、明哉が声をかけてくる。
「桃、そろそろ我らの出番です。舞台を降り、剣舞が終わったらそのまま講堂の前方へ進み、中央を向いて立っていてください。」
桃はハッと我に返る。
「本当にそれでいいの?」
心配そうに明哉を見上げた。
「はい。」
力強く頷く明哉の目を桃は見詰める。
「・・・任せる。」
桃は短くそう言った。
「はっ。」
明哉は深く礼をとる。
桃は静かに立ち上がり、壇を降りた。
万雷の拍手の中、仲西と荒岡の剣舞が終わる。
桃は明哉に言われたとおり講堂の前方へと歩を進めた。
途中ですれ違う仲西と荒岡が心配そうにこちらを見ている。
桃は2人に称賛をこめた眼差しを送り、フワリと微笑みかけた。
仲西は微かに息を飲む。
荒岡も目を見開いた。
桃はそのまま真っ直ぐ前を見る。
桃にできるのは、明哉たちを信じて立つことだけだった。
(それであれば、何時でも可能だわ。)
ゆっくりと歩いた桃は、中央へと振り返る。
知らずその口には笑みが浮かんでいた。
大講堂の前方に立つ小さな少女。
桃の着る君主風の衣装は、同じに見えて実は吉田や仲西のものとは違っている。
基本は変えず、しかしウェストは細く絞られ、胸や尻はふわりと強調されて優しい線を描いている。緩やかに流れる裾はドレープとなって水面のように床に広がっていた。
腰に美しい意匠の剣を帯剣してはいるものの、女性らしさを前面に出したその衣装に包まれた小さな少女は・・・とてつもなく、大きく見える。
落ち着き払った少女の笑みに観客の誰もが目を奪われゴクリと喉を鳴らした。
桃の背がスッと伸びた瞬間だった。
大講堂の正面入り口から一糸乱れぬ動きで特別クラス1年生が入場してくる。
明哉と利長を先頭に名士や武将たちが寸分たがわぬ動きで行進していた。
特別クラス1学年総勢200名程がピタリと動きを同調させて動く。
それはまるで1つの生き物のようだった。
個々の人間が心を1つにして全体で同じ行動をとる事は、時に大きな感動を呼ぶ。
特別クラス1年生の行進は、その感動を見る者全てに引き起こしていた。
列は乱れることなく、規律を持って展開され、明哉と西村が桃を中心に一歩下がり左右に別れるようにそれぞれ名士を率いて横一列に整列する。
残った者たちは、五将軍を先頭に五列縦隊を作った。
その中には理子や文菜をはじめとした女子生徒もいて男子生徒に劣らぬ動きを見せている。
隊の最後方右端に串田が、左端に戸塚が堂々と立っていた。
どの方向から見ても一直線に見える美しい隊列は、ピタリと動きを止め、次の瞬間串田と戸塚の両端をはじめとして、波が打ち寄せるように次々とその場に膝をつく。
ザーッという効果音が聞こえそうな程、後方両端から打ち寄せた人の作った波は、明哉と西村の元まで辿り着いた。
そして、2人の動きに合わせて、一斉にその場で全員が拝礼する。
ザッ!という、音なき音を伴い、桃の前に特別クラス1年全員が頭を下げた。
それは、感動的な光景だった。
見ている観客達の胸が熱くなる。
涙をこぼす者もいた。
シンと大講堂は静まり返る。
深い感動が全てを押し包んでいた。
・・・桃は、自分の前に広がる、傅く人の波に圧倒されていた。
心臓がバクバクと打ち、胸の奥から喉を締め付けるような重い塊が競り上がってくる。
これほどシンクロさせた動きを演じるためには、どれ程の練習が必要だったのだろう?
おそらく桃が夏休みで家に帰っている間に行われたのであろうその努力に、桃は少しも気づかなかった。
(サプライズ過ぎるでしょう。)
深い感動と共にそう思う。
皆が自分のためにしてくれた事を思い、泣き出したいようなその感動が・・・桃の体を動かそうとしていた。
止めろ!と心の奥で思う。
自分は明哉の言うとおり黙ってこの行動を受け止めればそれでいい。
何もする必要はないのだと、理性は叫んでいた。
なのに、体は勝手に動く。
(こんな事、農民の妻がするはずないわ!)
桃の頭が上げたその忠告は、桃の心に届かなかった。
「・・・面を上げよ。」
よく通る少女の声が、静まり返った会場に響く。
ハッとしたように、全員が顔を上げた。
彼らの前に立つ少女は、深く輝く黒い瞳で彼らを見渡す。
少女は、慣れた仕草で自分の腰の剣を抜き放った。
細く派手なその剣を、少女は片手で軽々と目の高さに真横に持つ。
そのままスッと剣を頭上に掲げた。
大講堂の照明が少女の剣に反射してキラキラとした光りを周囲に放つ。
暫し天を指したその剣を、見事な剣さばきで振り下ろした少女は、次の瞬間、床に刺さる寸前でその剣を止めた。
一直線に剣は地を指す。
「天時不如地利。地利不如人和。・・・天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。・・・“人の和”確かに受け取った。」
大音声で少女は語る。
それは三顧の礼で諸葛亮を訪ねた劉備に、諸葛亮が語ったと言われる天下三分の計の構想だった。元は孟子の言葉で、天の与える好機も土地の有利な条件には及ばないし、土地の有利な条件も民心の和合には及ばないという事を意味している。
その上で、諸葛亮は劉備に“人の和”を手に入れろと言ったのであった。
今の1年の行動は、まさしく“人の和”を表していると桃は受け取ったのだった。
軽く剣を振るい、桃はそれを鞘に戻す。
カチリという音が、万雷の拍手と大歓声を呼び起こした!!
特別クラス1年代表、相川桃の“出し物”は大成功に終わったのであった。




