ホームルーム 2
桃が驚いて見上げれば、そこにはボサボサの頭をしたやる気のなさそうな男が1人立っている。
1年1組の担任 意島 季則 だ。
・・・先刻の入学式で1年1組の担任として意島から呼名された桃は・・・思わず返事をしようかしまいか悩んでしまった。
この男の所為で桃は代表挨拶をする羽目になったのだ。それが担任かと思えば返事などしたくなくて当たり前だろう。
最終的には返事をした桃だが・・・不自然な間に、会場には奇妙な緊張が走った。
自分の所為じゃない!と桃は、強く思う。
それにしても、入学式の時はもう少し髪もきちんとしていて、それなりにスーツを着こなしていたはずなのに・・・式からそれほど時間の経たない内に、どうしてここまでボサボサになって、しかも薄汚れた白衣姿に変わっているのだろう?スーツ姿がそこそこ格好良かっただけに、物凄く残念感が漂う。
呆れる桃たちを尻目に、持っていた黒い冊子・・・出席簿で翼の頭を叩こうとして空ぶった意島は、まるで出席簿が悪いかのように、その黒く細長い四角の冊子を睨みつける。
不満そうに口を尖らせると・・・翼に席に着くよう促した。
「公開告白は、全員の自己紹介と連絡事項を伝達した後でするように。」
(こ、公開告白!?)
ちょっと待て!と桃は怒鳴りたい。
担任のくせになんてことを言うのだと思う。
素直にわかりましたと言って自分の席に着く翼も翼だと思う。
「後でね。」とニッコリ笑いかけてくるのは止めて欲しい。
後なんて絶対無い!と桃は心に誓う。
何時の間にか理子も自分の席に戻っており、教壇に立った意島は、今ほどの騒ぎなどなかったかのように話しはじめた。
「担任の意島だ。40歳独身。担当教科は生物。・・・前世は益州のあちこちで占師をしていた。転生のブームからはずれた例外中の例外だ。」
突然の自己紹介に教室中が静まり返る。
まさか担任が自分達と同じ三国志時代からの転生者だとは誰も思っていなかった。
「・・・占師。」
誰かがポツリと呟いた。
「管輅のような大物じゃない。易経が少しわかる程度だ。俺に占ってもらおうなどと思うなよ。」
管輅は曹操に太史の位に就いて欲しいと依頼されたほどの力のある占師だ。
三国志時代、易経は一種の学問で、これに通じる者は権力者から重く用いられている。
(だから、この先生が新入生代表を選んできたのね。)
桃は納得する。それと同時に意島に対する苦手意識も強くなった。
元々皆無だった好感度が益々下がる。
怪しい担任とこれから1年間付き合っていかなければならないのかと頭を抱えたくなった。
「この高校の詳しい説明は、明日からのオリエンテーション合宿で十分に行われる。今日のホームルームは、各自の自己紹介と合宿の事前連絡だ。あと自己紹介後にクラス委員を決める。」
桃の気分にはお構いなしに意島は淡々と話を進める。
少し低めの声は耳に心地良い。
これは生物の授業は居眠り確実だなと桃は思った。せめて午後一の時間帯にならないで欲しいなと心の中で願う。
「・・・自己紹介の前に、念を押しておく。」
その心地良い声が、少し大きくなった。
「わかっていると思うが・・・“前世”を理由にした、いじめも暴力行為も一切禁止だ。」
当たり前だと桃は思う。
理由がなんであれ、禁止に決まっている。
当然の事なのに、意島は尚も念を押す。
「それが判明した時点で違反した者は即退学だ。言い訳は一切聞かない。これは入学決定と同時に提出してもらった誓約書にもきちんと書いてある。これから行う自己紹介で、このクラスの中でも前世の敵同士が出会う可能性がある。・・・前世に引き摺られるな!それをもう一度お前達の頭と心に刻みつけろ!」
意島の恫喝に教室内の空気がピリピリと震える。
ボサボサの頭と白衣の担任の思わぬ迫力に驚かされた。
・・・しかし、そういう事であれば先ほどの翼の言動は随分危なかったのだ。下手をすれば入学早々退学になっていたのかもしれない。
翼は桃と目を合わせるとクスリと笑って肩を竦めた。
・・・あまり反省している様子のないのが心配だった。
「覚悟ができたら自己紹介を始めろ。鰐渕、お前からだ。出席番号の後ろから順番に行う。」
てっきり自分からだと思っていた桃は、思わぬことに驚いて今度は利長の方を見る。
利長は、言ったとおりだろう?とでも言うように苦笑して桃を見返してきた。
そのままスッと立ち上がる。
覚悟などとっくに出来ていたようだった。
「鰐渕利長。N県出身。得意教科は数学と体育。苦手は英語。・・・前世は、関羽、字は雲長だ。」
一気にここまで言った利長の言葉で、教室中に声にならぬざわめきが広まった。
三国志の英雄”関羽”の、最初からの登場に大方の生徒が息をのんだ。
気にした風もなく利長は淡々と言葉を続ける。
「先生は、ああ言ったが、これから自己紹介する奴に一言、言っておく。俺は・・・俺達は、“兄者”を、”劉 玄徳”を捜している。・・・捜し出してどうしようという意図はない。ただ“会いたい”それだけだ。・・・だから、兄者の名を騙るな。兄者の名を騙られて平静を保てる自信が俺には無い。その忠告だけ、しておく。」
強い目で周囲を睨んで・・・利長は腰を降ろした。
教室中がシンとして、意島は頭をガシガシとかいた。癖なのだろうか?そうであればボサボサ頭の理由がつくと桃は思う。
「俺の話を聞いていて、それか?・・・まったく。」
眉を顰めると諦めたようなため息を吐き、次の者へと促す。
次の生徒は自分の後ろの席の利長をじっと見詰め、それから立ち上がった。
利長に負けず劣らず背が高く、引き締まった体躯を持つ目立つ容姿の男子生徒だった。
「渡辺 隼だ。都内A市出身。家はここから車で1時間くらい行ったところだ。勉強は好きじゃない。体を動かすことの方が得意だ。」
そう言うと暫く考えるように黙り込む。
息をひとつ吐いて言葉を続けた。
「・・・俺は、ついさっきまで“劉備”を名乗ろうと思っていた。成り済まして他の奴らを支配しようとかそんな目的じゃない。その方が”陛下”にお会いできる確率が上がるだろうと思ったんだ。・・・俺が偽証すれば、怒った陛下が名乗り出てくださるのではないかと思っていた。・・・今現在、本物の陛下は、お名乗りいただけていないようだしな・・・しかし、他ならぬ“美髯公”がそう願われるのであれば、偽証は止める。俺は・・・馬超字は猛起だ。・・・俺も陛下にお会いしたい。心からそう願っている。」
“美髯公”とは、長く見事な髯を後漢最後の皇帝である献帝から褒められた関羽の通称だった。
しかし、今の髯1本無い利長にその呼び名はどうかとは思うが・・・
馬超は、その関羽も一目置く蜀の将軍だ。
利長は僅かに目を見開いて渡辺を見る。
その目が好戦的に光っているように見えるのは気のせいではないだろう。
関羽は誰よりも自分が劉備にとって第一の武将でありたいと願っていた男だった。馬超の武者ぶりを聞いて、自分とどちらが強いか気にかけていたのは誰もが知っているところだ。
渡辺は、その利長を静かに見返した。
その目もまた、一歩も引かぬ熱を持っていた。
意島の溜息は益々深くなる。
目線だけで次の生徒を促した。
・・・自己紹介は進む。
できるだけ表情を表に出さないようにして、今日からのクラスメートを見ている桃は・・・内心、焦りまくっていた。
自己紹介の内容はほとんど同じだ。今の名前を名乗り、好きなことや嫌いなことなど今の自分の事を少し話、前世の名前を明かす。
そして誰もが判で押したように“陛下”に会いたいと結ぶ。
(どうしてなの?!)
疑問がグルグルと頭の中を回る。
陛下に会いたいと言葉を結ぶことにではない!
そうではなくて・・・
このクラスに居るのは、ほとんど全てが三国志の武将。それもどんなに下位でも6品は下らない高位の武将ばかりだった。
桃の様に、ただの農民や商人、一般人だったものなど一人もいないのだ。
生徒の募集要項では、ただ三国志時代に生きた前世を持てば誰でもこの学校に入れるはずで、武将である条件など何もなかったはずなのに・・・
事実、桃は、農民の妻だと言って入学を許可された。
一体これは、どういう事なのだろう?
桃の背中に悪寒が走る。
(これじゃ、かえって私の前世の方が目立つじゃない!)
平凡な一般人の方が目立つなんて、なんの冗談だと、桃は心の中で唸った。
三国志の中で一度は名前が出てくるような者達ばかりの中で、特筆すべき存在は利長と渡辺の他にもう5人居た。
5人の内の2人は当然、張飛である翼と孫夫人である理子だ。
あとの3人のうちの1人は、山本 拓斗という名の真面目そうな生徒だ。
彼は、自分は華歆字は子魚だと名乗った。
華歆は、呉の孫権に仕え、その後、魏の曹操に仕えた文臣だ。有能で清廉潔白な人物だが、蜀にとっては敵だった。
ピンと空気の張り詰めた教室で山本は静かに語る。
「俺は、間違いなく“例外”だ。自分でも何故この年に生まれたのかわからない。呉にも魏にもどちらにもつけずに、こうなったのかもしれない。」
山本は自嘲気味に静かに笑った。
「俺を仲間にしてくれとは言えない。実際、俺の心は蜀にはない。・・・だからと言って今更魏にも呉にもつくつもりもないが・・・信じてくれとも言わない。だが、先生の言葉を思い出して“いじめ”は止めてもらえると助かる。黙っていじめられるようなマゾっ気はないからな。くだらない“いじめ”にやり返す様な面倒事は避けたい。」
それは、俺に手を出せばタダでは済まさないと脅しているのではないだろうか?
意島の眉が寄せられる。
「仲良くしてくれなくて良い。ただ、余計な手を出すな。それだけ言っておく。」
それが山本の自己紹介だった。
聞きながら桃は、入学式の曹操の詩に山本が小さく唱和していた姿を思い出す。
魏につくつもりはないと言う山本の心はおそらく複雑に荒れているのだろう。それを表だって表さない山本の精神力に桃は舌を巻いた。
・・・2人目は背の低い未だ中学生といった男の子で、その姿に似合わぬ落ち着いた様子で立ち上がると・・・深々とため息をついてから自己紹介を始めた。
「藤田 剛・・・何の因果で此処にいるのかわからぬが・・・わしは張昭字は子布だ。」
呉の重臣の名にクラスの中にどよめきが広がる。
藤田は可愛い外見にまったく似合わない様子で顔を顰めるとフンと鼻を鳴らした。
「どうせ陛下が、“あの小うるさい爺とは一緒にいたくない”とでも願ったのだろう。わしとて生まれ変わってまで世話などやいてやるつもりはない。そもそも前世とて長沙桓王さまや呉夫人より頼まれねば後見人など引き受けるつもりはなかったのだ。それを・・・」
ぶつぶつと不満をこぼし続ける藤田を周囲の者は呆気にとられたように見詰める。
ちなみに長沙桓王とは孫権の兄、孫策の諡で呉夫人は孫権の母だ。
意島がゴホンと咳払いをして藤田はハッとしたように顔を上げる。
自分が愚痴をこぼしていたことに気づき頬を赤くする姿は初々しい少年のようで、その中身とのギャップに周囲は言葉もなかった。
「・・・という事で、わしもお前達とは敵対するつもりも協力するつもりもない。先ほどの“華子魚”殿同様、放って置いてくれると助かる。・・・わしを怒らせるな。」
焦ったように、そう言うと不機嫌そうに座り込む。
そんな藤田へ理子は驚いたように目を向けていた。
藤田は凝視してくる理子に眉を顰めて見せた。
「しっかり前を向いていなさい。先刻より黙って見ていれば、行儀の悪い。御母上に呆れられますぞ。」
・・・そう言った。
理子は、小さくなって首を竦めると言われたとおり前を向く。
呉の人間は・・・誰一人、そう孫権さえも張昭には逆らえなかったのだ。
ある意味、呉最強の人物と言えた。
・・・最後の一人は、多川 明哉と名乗った。
一際人目を惹く美形でスッと姿勢を正すと、落ち着いた態度で、先に挨拶していた山本と藤田に軽く会釈した。
「“魏の太尉”と“呉の宿老”を弄せず手にできるとは、思いもよらぬ僥倖です。放っておくなど、とんでもない。存分に働いていただきますのでよろしくお願いします。」
自分の前世を名乗りもせずに2人に向かってそう宣言する態度に、周囲の者は呆気にとられる。
もちろん“魏の太尉”とは華歆のことで“呉の宿老”とは張昭のことである。
山本は困惑したように眉をひそめ、藤田は嫌そうに顔をしかめる。
「私は、諸葛亮、字は孔明です。」
多川は、何でもないことのようにそう名乗った。