球技大会 3
球技大会の第一目的は、クラスの親睦を深める事にある。このため余程体調的に無理でない限り、生徒全員は球技大会に参加することが義務付けられている。
それは当然女子生徒にも課せられた義務で、そのかわり女子生徒が出る際はハンデがそのチームに与えられていた。
攻撃の際、女子生徒は自分で打たなくとも無条件で1塁に出塁できる権利をもらえる。もちろんそれは、権利であって義務ではないので、自分で打つことを選ぶ事もできる。
一方守備に女子生徒が入る場合は、そのチームは1人多く10人で守ることができた。
当然、今の1年1組も10人で守っており、外野が4人いるのだが、そのライトもライト、ファールラインぎりぎりの位置に、桃は立っていた。
余程でなければ球など来ないと思った、その桃の位置に狙ったように荒岡のボールは飛んでくる。
ピンポイントで桃を狙えるあたり、荒岡の能力は桁外れと言えよう。
何で、凡フライにこんな能力を発揮する必要があるのか!?と、猛は呆気にとられる。
1塁に走る事もせず、ボールの行方と桃をジッとみつめるキラキラした男が心底残念でならなかった。
全員の注目が、桃へと集中する。
桃は・・・自分の方に向かって落ちてくるボールを困惑しながら見上げていた。
(捕れるかしら?)
確率は五分五分だと思う。
大会規定のために、せめて1試合で1回くらいは守備についたりバッターボックスに立ったりしなければいけないと思った桃は、それでも桃なりに頑張って練習を積んできていた。
しかし、野球というものはそんな付け焼刃でなんとかなるようなスポーツではないのだ。
桃がフライを捕れる確率はどんなに凡フライであっても5割がいいとこなのが現状だった。
(えっと、落下点には入っているから、グラブを左肩の上の方に上げて、右足を1歩後ろに引く?・・・それとも、左足を1歩前に出すんだったかしら?)
・・・それは、どちらでも同じ結果になると思うのだが、ここでそれを迷っているあたり、冷静そうに見えて、実は桃もかなりテンパっているのかもしれなかった。
野球と言う競技は、戦などより余程難しいと思える桃だ。
戸惑う桃に向かい、容赦なくボールは落ちてくる。
(捕れない!)
情けなくも桃がそう確信した瞬間だった。
桃の目の前に背の高い大きな体が割り込んで、桃を庇うように立ちはだかると鮮やかにジャンプしてその凡フライを捕球する。
ポニーテールの長い髪が生き物のように跳ねて、落ち着いた。
「大丈夫か?桃?」
振り返って心配そうに聞いてくるのは、ライトの定位置にいた利長だった。
「あっ、うん。・・・ありがとう。」
ホッとして桃は笑う。
定位置からライン際のこの場所までは結構距離があるのに、利長はそこを走ってきたらしい。それでも息ひとつ乱していないのは流石と言えるだろう。
「気にしなくていい。ここは普通にライトの守備範囲だ。」
桃の笑顔を眩しそうに見ながら利長はそう言ってくれる。確かに守備範囲ではあるが、ここまでライン際をセンター寄りに守っていた利長が捕るのはファインプレーと言って良いはずだった。
「ナイスキャッチ!!」
ピッチャーマウンドから大声で翼が声をかけてくる。
利長はゆっくりとボールを翼に返した。
「力み過ぎるな!」
「好的!」(わかった)
利長の言葉には素直な翼だ。
守りについている1年1組全体にもホッとした空気が流れる。
そんな空気の中、桃の側からゆっくりと離れて自分の守備位置に戻って行く利長を、荒岡は忌々しそうに睨み付けていた。
「せっかく相川さんに捕ってもらおうと思ったのに・・・」
それは、試合の目的として間違っているのではないか?と猛は思う。
しかし、何故かそれは猛だけの思いのようだった。
「惜しかったな。」
荒岡の次のバッターである仲西が入れ替わりざまに、荒岡にそう声をかける。
「上げすぎました。」
「ウム。そうだな。ポテンヒットくらいの方がいいかもしれないな。」
仲西は真面目な顔でそう呟くと、考え込みながらバッターボックスに立った。
どうやら仲西も右投げ左打ちらしい。
スラリとした立ち姿は見惚れる程にさまになっていた。
ちなみに2年1組の打順は、1番が荒岡で2番が仲西、3番が松永である。
え?彼らがクリーンナップじゃないの?と思われるかもしれないが、南斗高校球技大会の”野球”は大会規定で1試合は7回までと決められていた。結果、有力選手に1回でも多く打順を回すために、ほとんどのクラスが1〜3番に有力選手を並べているのだ。
当然1年1組の1番バッターは猛である。
(おいおい、さっきの言葉は本気なのか?)
その猛は、真剣な顔でバッターボックスに立つ2年のイケメン君主を半信半疑で見つめていた。
敵の会話をそのまま信じるような愚を犯すつもりはないが、試しに内角寄りにミットをかまえてみる。
どう出て来るかを見るための外すつもりの一球なのだが・・・
利長の言葉に落ち着いた翼は、猛の指示通りのインコースに低く外れるボールを投げてくる。
翼の手を放れたボールは、唸りを上げて猛のミットに吸い込まれようとした。
しかし、その瞬間、非の打ちどころのないお手本のようなスイングで仲西のバッドが振り抜かれる。
カッキ〜ン!という澄んだ音を立てて、ボールが打たれた。
(嘘だろ!?)
今の内角低めを打てるのか?と、呆気にとられた猛の視線の先で、ファーストを守っている明哉の頭上を越えた打球は、ファールライン内側ぎりぎりの場所にポテンと落ちる。
そのままトントンと計ったように桃の前に転がって行った。
絵に描いたようなポテンヒットに猛の顎はカクンと落ちる。
やった!とでもいうように、グッと拳を握りしめた仲西がバッドを放り出し1塁へと駆けだして行った。
続けて自分の元にボールが飛んで来た事に、一瞬目を見開いた桃は、次の瞬間慌ててボールへ向かい駆け出した。
タイミング的には桃が捕って直ぐにファーストに投げればライトゴロにできそうな当たりなのだが、自分の肩の力では流石にアウトはとれないだろうと、桃はちょっとみんなにすまなく思う。
それでもトンネルだけはしないようにしっかり腰を下げてかまえた。
その瞬間、またしても桃の前を大きな体が駆け抜けた!
目の前を長いポニーテールがスッと通り過ぎる。
走りながら片手でゴロを捕球した利長は、素早い動作でボールをファーストへと投げた。
伸ばされた明哉のファーストミットの中に、吸い込まれるようにボールが入っていく。
一瞬遅れて仲西がファーストを駆け抜けた。
「アウト!」
1塁塁審の声が響き渡る。
「クソッ!」
悔しそうに仲西が舌打ちをした。
「すまない桃、つい捕ってしまって・・・」
見惚れるようなファインプレーを披露しながら、申し訳なさそうに利長は桃に謝ってきた。
ついと言いながら、実はライン寄りに守っていた利長である。
「ううん!ありがとう。私だったら絶対ファーストは間に合わなかったもの。助かったわ。」
その前にきちんととれたかどうかも怪しい桃は、利長に捕ってもらって本当にホッとしていた。
「凄い!恰好良かった。」
素直に感じたままを利長に告げて、無邪気に笑いかける。
思わず利長はグラブで顔を隠してしまった。
目だけを覗かせて、照れたように桃を見る。
「・・・本当に?」
「うん!」
桃にそう言ってもらって嬉しくない男子なんか、1年1組にはいないだろう。いや、1組どころか1年全体にだっていないと思われた。
浅黒い顔色でもはっきりとわかるほどに赤くなった顔を、利長はなおグラブで隠す。
「明哉も!ナイスファースト!!」
桃の掛け声に、明哉はキレイな笑みを返してくれた。
「俺は?俺は!桃!!」
「翼も、ナイスピッチ!!」
「うおっ!やったぁ!」
桃に褒められた翼は、マウンドで小躍りしている。
・・・男子高校生というのものは、総じて単純な生き物なのかもしれないと思わせるような1組の面々だった。
続く松永の打球もまたまたライト方面への大きなファールフライで・・・これまた利長が華麗に捕球した。
(こいつら、真面目に勝つつもりがあるのか?)
スリーアウトでチェンジになって急いでベンチに戻りながら、猛は頭を抱えていた。
「惜しかったな。」「飛ばし過ぎだろう?」と松永を慰めながら守備に就く2年1組の様子を横目で見、ため息を抑えきれない。
まあ、この調子で勝てれば文句はないのだが・・・
真夏の太陽はギラギラと照りつけ、水分補給をするようにと皆に声をかけながらも、何かが間違っているような気がする猛だった。
結果として・・・1年1組は敗けた。
桃が出ている間は、これでもかとライト打ちに徹底した2年1組は、2回を守り、一応塁にも出た桃が交代してベンチに引っ込んだ途端、態度をコロリと変えたのだ。
荒岡の打球は、守備の間隙を突くクリーンヒットとなり、仲西は目の覚めるような鋭い当たりで内野の守りを破る!止めに松永のホームランが飛び出して、試合の流れを一気に自分たちに引き寄せた2年1組は、見事としか言いようのない勝利を手にした。
守っては仲西、荒岡のイケメン完封リレーなんぞ披露されてしまっては、1年1組が敵うはずもなかった。
悔しい事だが、実力差から言えば順当な結果だと言えよう。
「すまない!みんな!」
猛はきっぱりと頭を下げた。
「猛のせいじゃないだろう!」
「私たちの実力が足りなかった結果です。」
「お前はよくやったよ!」
全員が口々に猛を慰める。
「敗けちゃったけど・・・楽しかったわ。」
ね?と最後に桃に言われて、猛はようやく笑みを見せた。
「そうだな。桃の言うとおりだ。・・・久しぶりに野球ができて、俺は楽しかった。」
猛のその言葉に全員で笑う。
桃たち1年1組に悲壮感はなかった。
何故なら・・・
自分たちが優勝を逃した事で、優勝したクラスに桃を海水浴に誘う権利を渡してしまう事にはなるが・・・夏休みは長い。
「別に“それ”以外に、クラスで海水浴に行ってはいけないという決まりはありません。」
明哉はいけしゃあしゃあとそう言った。
そう、考えてみれば1年1組のメンバーが桃を海水浴に誘うのに、許可なんかなんにも必要ではなかったのだった。
他のクラスにその権利を渡してやるのは業腹だったが・・・
「それ以上に、私たちで楽しい思い出を作れば良いだけの事です。」
明哉の意見に全員が大きく頷く。
既に理子などは全員の日程を聞いて、何時どこに行くかの計画まで立てているのであった。
1年1組にとっては、球技大会での敗戦は、他のクラスほど大きなダメージではないのだった。
徐々に気温が上がる中、午前の試合は次々に終わり、ベスト4が出そろう。
準決勝の1組目は、2年5組対1年5組
そして2組目は、2年1組対3年1組と決まった。
孫権VS曹操の因縁の試合がここに始まるのであった。




