昔日(番外編) 後編
注:このお話はBLでもMLでもありません!(絶対!!)
劉備の私室を離れ、シンと寝静まった成都城内を歩く孔明の心は、曇っていた。
(何故に私は、素直にものが言えないのか・・・)
心の内で大きなため息をこぼす。
・・・孔明とて、敬愛する劉備と一緒の時間を過ごしたかった。
あの場で、今しばらく酒をともに楽しみ、そのまま一緒に寝る事は、孔明が一言頼めば快諾されただろう事だった。
そのくらいの信愛を劉備から得ている自負はある。
しかし、その一言を言えないのもまた孔明だった。
無駄に高い自分のプライドが恨めしい。
甘え強請るような言葉など、孔明には口にできるはずもなかった。
考え込みながら歩いていた軍師は、いつの間にやら自分が、城の内奥にある星見の櫓に来てしまったことに気づく。
まだ入城して日の浅い成都城だが、ここは孔明が一目見て気に入って、考え事をする時などに度々足を運ぶようになった場所だった。
今夜も自然と足が向いてしまったらしい。
見上げれば、月のない夜空に星が煌々と輝いていた。
星降るような壮大な夜空は、一時自分の胸に燻るもんもんとした悩みを忘れさせてくれる。
孔明は息をのんで星々の輝きにそのまま魅入られていた。
・・・とはいえ、夜の空気は冷える。
煮詰まった頭は多少冷えたものの、このままでは体調を崩してしまうと思った孔明は、少し残念には思ったが、無理矢理に視線を星空から外す。
(・・・部屋に戻ろう。)
そう思った時だった。
「おお!見事な星空だな!!」
この場で聞こえるはずのない声が、夜のしじまを破った。
驚いて振り返る!!
「我が君!?」
そこには、まだ私室で酒を飲んでいるはずの劉備が立っていた。
「どうして、ここに!?」
己の目が信じられずに孔明は問う。
「酔い覚ましだ。」
劉備は笑ってそう言った。
目を見開く孔明に、ゆっくりと近づき、なお口角を上げる。
・・・孔明は、劉備のその言葉が言い訳であることを直ぐに悟った。
おそらく鬱々としていた自分の様子を心配してついてきてくれたのだと理解する。
恥ずかしさと申し訳なさに、孔明は面を伏せた。
そのくせ、胸の内には、自分のことを気にかけてここまで来てくれたのだという事に対する喜びが沸々と湧き上がってくる。
どうして良いかわからずに立ち竦む孔明に、声がかけられた。
「ところで、我が軍師は、ここで何をしておったのだ?」
からかうように急にそう問われて、答えに窮した孔明は、天を仰ぎ思わずこう答える。
「星読みです。星を読んで、今後の世の流れを知ろうとしていたのです。」
劉備は、「ふむ。」と言って顎鬚を撫でた。
「天は、何を語っている?」
「・・・はい。」
引っ込みのつかなくなった孔明は、もう一度、今度ははっきりとした意図を持って星を眺め、星の配置を語り出した。
劉備は興味深そうに聞いてくれる。
(この方は、いつでも私の話に耳を傾けてくれる・・・)
意図せず訪れた幸せな時間に、孔明は酔った。
喜びに頬を赤らめて語られるその話が暫く続いたところで、孔明の肩にフワリと何かが被せられた。
自分の体を突如包んだ暖かなモノに驚き、確認した孔明は“それ”が劉備の着ていたゆったりとした上衣であることに気がつく。
「我が君!?」
「そのままでは、冷えて体を壊すぞ。」
確かに孔明は官服のみの薄着であった。先刻は冷えると思い屋内に戻ろうと思ったくらいなのだ。
喜びに昂揚して自分が寒さを忘れていた事に気づく。
「!!しかし!これでは殿のお体に障ります!!」
自分などより劉備の体の方が余程大切だった。
「日頃より鍛えているのだ。この程度の寒さなどにびくともせぬよ。」
「しかし!!」
劉備も孔明も互いに相手の体を気遣い、しばしどちらが上衣をかけるかで言い争う。
双方譲らぬ言い合いは続いた。
「ふむ。」
突如、劉備は顎鬚を撫でながら考え込む。
その直後、唐突に孔明の体を引くと、自らの腕に抱きこんだ!!
「うわっ!?・・・わ!我が君?!」
そのまま無理矢理に孔明を座らせ、その背に覆いかぶさるように抱きかかえる。
自分たち2人の上から上衣をフワリと被った!
「これで良い。考えれば、布きれ1枚よりも人肌の方が暖かいに決まっている。そうであろう、孔明?」
孔明は・・・自分の顔が火を噴くかと思った。
「た、確かに、殿の仰るとおりではありますが!!・・・不敬です!!」
劉備に幼子のように抱かれて、孔明の心臓はバクバクと音を立てて高鳴った!
ジタバタと暴れる孔明を、劉備はなおギュッと抱き締める。
「何が不敬なものか。それどころか普段は見上げているそちの顔が眼下に見られてこの上ない良い気分だ。・・・さあ、先ほどの星読みの続きを話してくれ。」
劉備は上機嫌でそう言った。
確かに孔明は劉備より背が高く、平地で立って話す際などは、どうしても劉備が孔明を見上げる形にならざるを得ない。
だからと言って、この体勢はない!と孔明は思う!!
慌てふためき、なんとかしなければと思い・・・そう思いながらも、喜びが身を浸すのを止められようもなかった。
劉備は既に齢50を超えている。20歳年下の孔明とて30過ぎだ。
いい歳をした大の大人が何をしているのだと心の内で呆れるのだが、この喜びはそれを軽く凌駕した。
敬愛し、この方のみ!と信じ、一身を捧げて仕えてきた劉備の信頼と自分を案じてくれる心が、人のぬくもりと共に孔明に伝わる!!
これほどに幸せなことはなかった。
「我が君・・・」
「諦めよ。」
尚深く抱き締められてそう言われれば、孔明はその言葉に従うしかなかった。
いや、従いたかった!!
・・・・・・・・・・・・
その後、孔明は自分が何をどう語ったものかさっぱり覚えていなかった。
熱に浮かされたように喋り、興奮と感動と・・・そして、おそらく連日連夜の激務の疲れが一気に押し寄せて、自分は朦朧としていたのだろうと後になれば思う。
翌朝、1人、目が覚め寝台に起き上がった孔明は、二日酔いでもないのに痛む頭を抱える破目になる。
恐る恐る、あの後の事を思い出してみた。
おぼろげな記憶の中で、もう戻ろうと言われて立ち上がる際、足元がふらついた自分を心配した劉備に、部屋まで送ってもらったような覚えがある。
寝台まで連れて来てもらい、孔明の床もまた劉備のモノ同様に大きく立派である事に呆れた劉備を・・・そう、孔明は、劉備を、「一緒に寝ましょう!」と誘ったのだった!!
頭がガンガンと鳴り始める。
誘ったばかりか、驚く劉備に、「いくら大きな床でも、体格のよい男4人で寝るのは狭すぎますでしょう!」とか、「私は張将軍と違って、いびきはかきません!」などと言い募り、言葉をつくして説得しようとしたような覚えまである。
「私と寝るのはお嫌ですか!?」と迫ったのは、夢の中の出来事であってくれ!!と願う!!
・・・結局その後どうなったのかは、記憶になかった。
今自分が1人で目を覚ましたことから考えれば、おそらく劉備は、呆れ果てて自分を1人寝かせて自室に戻ったのだろうと思われた。
(そうだ。第一、殿は関将軍たちと一緒に寝るお約束をしていたのではないか?!)
既に今日には荊州に帰ってしまう関羽との約束を破ってまで自分と寝てくれるはずなどなかった。
(・・・戻って、笑い話のタネにされてしまったかもしれない。)
穴があったら入りたかった。
いや、なくとも自ら掘って、自分で埋まって上から土をかぶせてしまいたい!!・・・と考える。
だが、どう考えても自分の失態は、なかったことにはできなかった。
寝台の上で悶々と悩み、いつになく起床の遅い孔明を心配した小姓が起こしに来るまで孔明は寝台から出られなかった。
「今、行く。」
のろのろと孔明は起き上がる。
もうすぐ朝議の時間だった。
本来であれば、朝議の前に昨晩無理に劉備から決裁をもらった案件の手回しをしたかったのだが、既にそんな気分ではなくなっていた。
結局、諸葛亮が朝議の場に着いたのは、いつもの諸葛亮からすればかなり遅い時間だった。
「遅れまして申し訳ありません。」
「良い。遅れたわけではない。普段の軍師将軍が早すぎるのだ。」
既に上座に着いていた劉備が、頭を下げる諸葛亮をとりなす。
優しい言葉にホッとするが、主君より遅れるなど本来の諸葛亮であれば、自身に許すはずもない事だった。
向かいに立つ酷薄そうな顔をした男が、覇気のない諸葛亮に、馬鹿にしたような視線を向けてくる。
男の名は法正、字は孝直という。
この益州の前州牧劉璋の配下であったが、劉璋を見限って劉備を迎え、劉備に益州をとらせた中心人物であった。
劉備の信頼も厚く、蜀郡太守・揚武将軍に任じられている。
・・・諸葛亮とは性格が合わず、たびたび衝突していたが、互いに相手の力だけは認める存在だった。
これまた普段の諸葛亮であれば、法正にそんな目を向けられれば、気力は奮い立ち睨み返すのであるが、今朝ばかりはそんな気もおきない。
そんな諸葛亮を訝しそうに法正が見た時だった。
諸葛亮よりなお遅れ、しかもその事をいささかも悪いと思っていない男がその場に現れた。
「兄者!!」
“声は雷のようで、勢いは暴れ馬よう”な張飛であった。
「無礼でしょう!張将軍!!」
張飛のその態度に眉を顰めた法正が一喝するが気にも留めない。
「酷いではないですか!!兄者!!昨晩はどちらでお休みだったのですか!?」
・・・その言葉に諸葛亮は、目を瞬いた。
(え?)
法正を宥めて後、張飛に向き合った劉備に、張飛はなおも詰め寄る!!
「聞けば、酔いつぶれた俺を労わり、雲長、子龍も共に、昔のように一緒に寝ようと言ってくださったそうなのに、夜中に出て行ったきり明け方まで戻って来られなかったと聞きましたぞ!!」
おかげで張飛は、関羽と趙雲に「お前のいびきがあんまり酷いせいだ!!」と恨まれてしまったのだと張飛は言った。
「さあ!白状してください!!一体どこの美姫の元にお通いになったのですか!?」
兄者を誘惑したその美姫に、文句のひとつも言ってやらねば気が済まない!と張飛は鼻息荒く叫んだ。
それは、どう考えても八つ当たりだろうと、その場にいた一同は呆れ果てる。
・・・そんな中、諸葛亮だけが愕然としていた。
(夜中に出て行ったきり明け方まで戻って来なかった?)
それは・・・
呆然として見上げた諸葛亮の目と、首座に座って張飛に詰め寄られている劉備の目が・・・合った。
いたずらっぽく劉備の目が笑い、諸葛亮にそっと目配せする。
それは、密やかな内緒事を共有する共犯者の目であった。
「兄者!!!」
張飛がますます大声を出す!
その日の朝議が、議論どころでなくなってしまったのは、言うまでもない事だった。




