昔日(番外編) 前編
「兄者!兄者はおられるか!」
制覇したばかりの益州成都城に大きな声が響き渡る。
その声の出所は、1人の漢だった。
彼の名は張飛、字は益徳という。
張飛といえば・・・身長8尺(約184㎝)、豹のようなゴツゴツした頭にグリグリの目玉、エラが張った顎には虎髭、声は雷のようで、勢いは暴れ馬のよう・・・と、いったい、どんな化け物なのか?と思うような描写を”ものの本”に書かれてしまう人物である。
しかし、豈図らんや、今城内を急ぎ行く男は、それほど目立った容姿ではなかった。
身長こそ本と然程違わないが、頭や顎の形はごく普通。目も大きくはあるがグリグリと評されるほどのものではない。筋骨隆々とした鍛え抜かれたその体型は見事だが、それとてきちんと人間の範疇に入っている。
むしろ外見だけを見れば、女人から好ましいと判断される容姿だと言っても良いだろう。
ただ、声の大きさと、元気の良さは言い得て妙かもしれなかった。
今も雷のような声を城中に鳴り渡らせながら、闊歩している。
「兄者!!」
「どうした?義弟よ。」
騒ぎに気付いたのだろう、奥から男が1人歩み出てきた。
張飛と義兄弟の契りを結んでいる、この城の新しい主、益州を制したばかりの劉備、字は玄徳である。
劉備は、身長7尺5寸(約173㎝)、腕が膝に届くまであり、耳が非常に大きく自分の耳を見ることが出来たと”ものの本”には書かれている。
これまた、どこの人外か?と思ってしまう描写だが、実際はほんの少し人より手足がスラリと長く、形良い福耳をしただけの男だった。
髭が薄いと、からかわれたという伝もあるとおり、その肌の髭に覆われていない頬の部分などはつるんとしている。
若い頃は、血気盛んで学問よりも武術を好んだ漢も、50歳を過ぎたころから落ち着きを見せるようになり、今では、泰然自若とした態度で、見る者に静謐とした雰囲気を与えるまでになった。
一見穏やかで優しげなその容貌は、この人物が魏や呉と三つ巴の争いを繰り広げている“雄”だとは、とても信じられぬほどであった。
「雲長が来ていると聞きました!本当ですか!?」
勢い込んで聞いてくる張飛に、劉備は困ったような笑みを向ける。
「耳が早いな。つい先刻、江陵から着いたばかりなのだぞ。」
「何故、一番に俺に教えてくださらなかったのです!?知っておれば隊を整え、迎えに出ましたものを!!」
黙っているなど酷い仕打ちだ!と張飛は幼子が拗ねたように怒る。
そんな張飛に声がかかった。
「お前が、そんな様子だから兄者は教えられなかったのだ。出迎えなどと、とんでもない。俺がここに来たのは、“忍び”の行動なのだぞ。」
「兄哥!!」
劉備の背後から、呆れたように1人の豪傑が現れた。
それは、話題の主、関羽、字は雲長であった。
彼も、劉備、張飛と義兄弟の契りを交わしている。
関羽は、身の丈9尺(約216㎝)、2尺(約48㎝)の髭、熟した棗の実(赤黒い)のようなと形容される紅顔だと“ものの本”には書いてある。
しかし、こちらもやっぱり虚妄だった。
関羽の実際の身長は、流石に2mは越えないし、髭とてせいぜい20㎝というところだ。(それ以上長ければ、戦いの邪魔になるに決まっていた。)色白ではなかったが、棗の実ほど赤黒いわけもなく、色黒かな?という程度の肌の色だ。
天下にその名の鳴り響く名将にふさわしい堂々とした勇姿が、過大視される原因かもしれないと、そんな風に思わせるような美丈夫だった。
・・・関羽は、本来荊州江陵にあって、魏や呉ににらみを効かせる役割を担っている。
その守りの要というべき男が、ここ益州に居るのは確かに秘すべき事かもしれなかった。
「兄者が益州を制した祝いを、どうしても直接お会いして申し上げたかったのだ!」
荊州を守るという、必要不可欠かつ重大な役目を負っている立場とはいえ、主君の大事な戦いである益州攻撃に参加できなかった関羽の心中は、穏やかならざるものがあった。
益州制覇における関羽の功績は、張飛、諸葛亮と同等と評価され、荊州の軍事総督にも任命されたのだが、そんな事でその心が晴れるはずもない。
そのため、今回無理を言って秘密裏に成都へ押しかけたのだった。
当然、参謀たちは良い顔をしなかったが、それで思い止まるような関羽ではない。
短期間で極秘裏に行うからと、強引に押し切った益州入りだった。
「祝い!?・・・酒か!!」
張飛が歓声を上げる!
劉備も関羽も苦笑した。義弟の酒好きは今に始まった事では無い。
「おう!酒だけはたっぷり用意した!今夜は飲み明かそうぞ!」
「ありがたい!!流石、兄哥だ!!」
大声で笑い合う2人のやりとりを、劉備は穏やかに見守った。
成都の空は高く晴れ渡り、開けた窓より城内に吹きこむ風は、爽やかで心地良い。
久方ぶりに3人揃ったことに、心からの喜びを感じた劉備は、3年もの月日をかけた益州の平定が、真に成されたことを実感したのであった。
その夜は、極秘裏と言いながらも、噂を聞きつけ集まった者たちと大規模な宴会が開かれた。
英雄たちは、大いに飲み、食べ、語り、笑い、戦いの後の平和に心から酔う。
その後、明日には帰るという関羽を劉備が自室に誘い、張飛、趙雲という昔からの仲間が揃って飲み直すことになった。
趙雲、字は子龍。
彼も、劉備古参の将であり、劉備から、関羽・張飛に劣らぬ信頼を受ける人物であった。
その容姿は、身長8尺、姿や顔つきが際立って立派だったとだけ書かれている。
立派というのが、どんな容姿をさすのか多少の疑義は残るが、趙雲の記載については、誰もがその内容に納得していた。(趙雲ばかりズルい!というのは、張飛の言である。)
何はともあれ、気が置けない仲間との酒は殊の外美味く、4人共かなりのペースで飲んでいた。
「そう言えば、軍師将軍は来られないのですか?」
ふと思いついたというように、趙雲が話す。
軍師将軍とは、諸葛亮、字は孔明のことである。
「奴は、仕事が忙しいそうだ。」
相変わらずクソ真面目な奴だと、呆れたように関羽は言うと杯を重ねる。
劉備の参謀の中心である諸葛亮の反対を押し切る形で、成都入りした関羽は、多少は悪いと思ってこの場に諸葛亮も誘ったのであった。それを仕事が忙しいからと断られたのだ。最初の宴会も、乾杯から数刻も経たない内に座を外した諸葛亮である。
「あ奴は、仕事のし過ぎだ!」
怒鳴りながら張飛が酒をあおった。
大事な兄である関羽の誘いを断った諸葛亮の態度に、少し機嫌を損ねているのである。
そんな張飛の空になった盃に、まあまあと言いながらすかさず趙雲は酒をつぐ。
張飛はそれをまた、グイッと飲み干した。
「そう言ってやるな。益州を平定したばかりで、孔明の仕事は山のようにあるのだ。」
劉備が諸葛亮を庇う。
「確かに、お忙しそうでしたね。」
趙雲までもが、そう相槌を打って諸葛亮に同情するものだから、張飛も兄者がそう仰るのならばとしぶしぶ引き下がった。
その後また4人は、グイグイとかなりのペースで酒を飲み、昔話に花を咲かせる。
時の過ぎるのを忘れる程に楽しい時間を4人の英雄は過ごしていたのだった。
そんな彼らの元に、噂の主の諸葛亮がやってきたのは、それから暫く経って後の事だった。
既に夜も更けたこの時間にまだきちんと官服を着た諸葛亮に劉備は驚く。
諸葛亮は、身長8尺と伝えられている。
文臣としてはかなりの長身と言えるだろう。
その長身を折って、諸葛亮は礼儀作法のお手本のような礼をした。
「失礼いたします。・・・殿、急ぎご判断を仰ぎたい件があり、参上いたしました。」
「それはかまわないが・・・まだ休まないのか?」
「はい。これにご決裁をいただければ本日の仕事は終わりです。明日早朝よりご許可いただいたこの案件の手配にかかりたいと思いますので・・・」
そう言うと、諸葛亮は生真面目に急ぎの案件の説明をはじめる。
呆れながらも劉備は、諸葛亮の話を聞き、意見を交えながら決定を下していった。
最後の案件に劉備が諾と許可を出した途端、そんな2人の様子を驚き、呆気にとられながら見ていた関羽と趙雲の間でドスン!と鈍い音が響く。
・・・なんと、この間も黙々と1人酒を飲み続け、知らぬ間に酔いつぶれた張飛が、椅子から落ちたのであった。
「うわっ!!おい!益徳!!」
「・・・ぐおぉぉぅぅっ!」
返事は・・・大きな、いびきだった。
「張将軍!ここで寝ないでください!!」
「起きろ!|益徳!!自分の部屋に戻れ!!」
趙雲と関羽が慌てて起こそうとするが、張飛のいびきは大きくなるばかりだ。
劉備は、笑って2人を止めた。
「よい。奥の寝台に寝かせてやれ。久方ぶりに兄に会えて、余程嬉しかったのだろう。」
「私よりも、私の持ってきた酒の方を喜んでいたようでしたが。」
関羽もまた苦笑する。
よろしいのですか?と趙雲は劉備に聞いた。
「かまわぬ。昔は皆ともに1つの寝台で寝たものだ。今更なんの遠慮もいらぬ。この部屋の床は、3、4人で寝てもビクともしないつくりであるしな。」
この部屋の前の主は、当然敗れた前益州牧、劉璋であるのだが、華美な部屋と無駄に豪華な床に苦笑を禁じ得ない劉備だった。
「おお!確かに、懐かしいですな。」
ともに1つの寝台を分け合った事を思い出し、関羽の顔にも笑みが浮かぶ。
劉備は、なんなら関羽も一緒に寝ないか?と誘ってきた。
関羽に否やのあろうはずがなかった。
「私も!私も、ご一緒してよろしいですか!?」
いささか酒に酔っているのであろう、趙雲は自分の欲求を素直に声にして上げる。
「かまわぬよ。益徳のいびきに耐えられるものならばな。」
「こいつのいびきときたら、まさしく“雷”そのものだからな。」
「確かに!」
3人は、大いびきをかいて寝ている張飛を見下ろし、呵呵と楽しそうに笑い合った。
何はともあれ張飛をこのままにはしておけぬと、関羽と趙雲が2人がかりで張飛を奥の寝台に運ぶ。
「では、私はこれで失礼いたします。」
そんな中、素面の諸葛亮は退室の旨を告げた。
「あまり働き過ぎるな。お前も早く休むように。」
劉備の労わりの言葉に頭を下げると、諸葛亮は、足早に部屋を出て行く。
その後ろ姿を劉備は、心配そうに見送っていた。
注:このお話は、BLではありません。(多分…)




