体育祭 10
桃は嬉しそうに笑うと、深く礼をする。
「ありがたき幸せ。」
冗談めかしてそう言うと、梨本と顔を見合わせてプッと吹き出し楽しそうに笑いあった。
羽田は、複雑そうな表情でそんな2人を見ている。
何がなんだかわからないながら、嬉しそうな桃の様子に明哉たちは安心する。可愛い女の子の笑顔に、ホッとしない男なんていないに決まっていた。
それが、桃であれば、尚更である。
その男たちの中で一番嬉しそうに笑いながら、梨本は、桃の目の前に手を差し伸べた。
「?!」
「貸して、その靴。直せるかもしれない。・・・僕は、そういう細かな修理とかが得意なんだ。」
驚いて目を見開く桃に、梨本は今世の自分の家は、町の小さな修理屋なのだと言った。
靴や鞄や家具などの愛用品を修理する店なのだと、どこか自慢そうに話す。
物を簡単に捨てたりせずに、修理して大切に使う手伝いをしているのだと。
小さな時から見てきたその仕事が好きで、誇りに思っていると言って笑う。
「それは、ステキですね。」
桃は、自分の靴を梨本に渡した。
「お願いします。」
「うん。きちんと修理して後で届けるよ。」
梨本は、まるで宝物のように、桃の靴を大切に受け取ってくれた。
その姿に、桃の心は温かくなる。幸せになって欲しいと心から願った。
感慨深く、梨本を見ていた桃の視界が、急にくるりと回る。
「え?!」
「いつまで、裸足のままでいるつもりだ。さっさと他の靴を履きに行くぞ!」
目の前に見事な緋色が迫る!
体がフワリと浮いて・・・桃は、吉田に抱き上げられていた!!
お姫様抱っこである。
途端に物凄い悲鳴があがった!!
「桃っ!!!」
「いやぁぁっ!!吉田さまぁっ!!!」
「どうして、お2人が!!!」
「殺す!絶対殺す!!」
あまりに大きな声すぎて、桃が咄嗟に「降ろしてください!」といった声がかき消された程だった。
騒然とした中で、明哉が蒼ざめた顔で吉田の前に飛び出してくる。
「桃を離してください!」
「そんなことを言っている場合か?早く控室に戻るぞ!」
「戻るとしても、私が運びます!」
吉田は無遠慮に明哉を眺めた。
「お前では、無理だ。」
言下に断じる。
明哉は悔しさに赤くなった。
確かにいくら桃がほっそりした少女だとはいえ、人間1人を抱き上げて運ぶのは、かなりの力を必要とする。
決して明哉がひ弱だというわけではないが、一般的に15歳の少年が同年齢の少女を抱いて運ぶのは無理だと思われた。
まだおんぶであればなんとかなるのだろうが・・・今、颯爽と桃をお姫様抱っこしている吉田を退けてまで明哉がおんぶするのは、流石に格好がつかない。第一どうあっても、吉田がうんと言いそうになかった。
「あの・・・」
ようやく悲鳴が収まって、話しを聞いてもらえそうな雰囲気に、おずおずと桃が口を開いた途端、新たな声が言葉を遮る。
「俺が運ぶ!」
利長だった。
「いや、俺が!!」
当然戸塚もその逞しい体で近づいて来る。
それと同時に、我も我もと力自慢の武将たちが次々と名乗りを上げた。
(いや、あの、そんなことをするよりも先に・・・)
吉田に抱き上げられながら内心困る桃の心中を察したかのように、大騒ぎになった周囲をかき分け、仲西が現れた。
「どけ!!お前らはバカか?・・・ほら、桃この靴を履け!」
何時の間にか仲西はその手に桃のシューズを持っていた。
この時ほど仲西が頼もしく見えたことはなかった。
「・・・・・・・・・」
そう、桃を靴のある場所に運ぶより靴を持ってきた方がずっと容易いのである。
こんな単純な事に気づかないあたり、明哉たちも相当焦っていたのだろうと思われた。
・・・仲西は、レースの途中で桃の靴のヒールが折れたのを見た途端、直ぐに理子に言って代わりのシューズを取りに行ってもらっていたのだった。
仲西にしてはナイスな好判断に、いつも逆らってばかりの理子も、この時ばかりは素直に従った。
「本当に、ご立派になられて・・・」
荒岡の陰に隠れて、剛はハンカチで目頭を押さえていた。
チッという舌打ちの音が、桃の頭上から聞こえてくる。
「・・・余計な事を。」
忌々しそうに呟いて、渋々吉田は、桃を降ろそうとした。
しかし、その吉田を、何故か仲西が制す。
「まて、そのまま地面に降ろしては、また足が汚れる。もう少し抱き上げていろ。」
吉田の動きが止まる。・・・吉田が黙って仲西のいう事を聞いたのは、この2人が出あって初めてのことかもしれなかった。
近づいてきた仲西は、荒岡がこれも必要でしょうと用意してくれた濡れタオルで、吉田に抱き上げられたままの桃の足を、そっと拭く。
「まったく、裸足で走るだなんて・・・キレイな足が砂だらけだ。」
無茶をして怪我でもしたらどうするんだ?と文句を言いつつ仲西は桃の足を丁寧に拭いてくれた。
借り物競争のゴールは、当然ながら観客から非常によく見える位置に設けられている。
保護者も生徒たちも、目を丸くしてこの様子を見ていた。
桃は・・・羞恥に赤く染まる。
(恥ずかし過ぎるでしょう!!)
心の中で悶えた。
未だ吉田にお姫様抱っこで抱き上げられたままの桃。
両の素足を仲西が手に取って、丁寧に拭き清め、靴を履かせてくれている。
周囲を、心配そうな明哉や荒岡といった美形軍師と翼や利長などの凛々しい武将たちが取り囲み・・・
(・・・どこの女王さまよ。)
自分視点では見る事のできないこの現状を頭に思い浮かべてみて、桃は、穴があったら入りたい!と心から思った。
背中を流れる汗は、決して暑さによるものではないと確信する。
「ほら、いいぞ。」
ようやく、今回ファインプレイを連発した仲西が、いい笑顔で許可を出した。
吉田が名残惜しそうに、今度こそ桃を下に降ろす。
脱力しそうな体に、グッと力を込めて、桃は地面に立った。
トントンとシューズの履き心地を確かめる。
「・・・ありがとうございます。」
例え、どれほど恥ずかしくとも、世話になったし心配もかけてしまったのは確かなので、桃はきちんとお礼を言った。
みんなにも礼を言い、最後にもう一度仲西に頭を下げる。
「困った時はお互い様だ。気にしなくて良い。」
非情に爽やかに仲西は言った。
本当に非の打ちどころの無い好青年だった。
・・・ここまでは。
「これで、ようやく写真が撮れる。靴はいまいちだが、まぁ足元を撮影しなければなんとかなるだろう。さあ、撮るぞ!」
物凄い良い笑顔で、仲西は続けてそう言った。
「・・・写真。」
思いもよらぬ言葉を聞いて、桃は呆気にとられる。
そう言えば、そんな約束だったのだと思い出した。
・・・ひょっとして、今までの仲西の行動は、ひとえに今の姿の桃と、このまま写真が撮りたいためだけのものだったのではないだろうか?
確かに、桃が靴を履きに控室に戻れば、その場で同時に着替えてしまう可能性は高い。
(まさか、それを防ぐために・・・?)
上機嫌な仲西を目にして・・・今更ながら桃は、先刻の約束を後悔した。
「写真!?」
「そう言えば、そんな約束だったな。」
「私の許可なしにそんな勝手な真似はさせませんよ!」
「当然、私とも撮ってくれますよね?」
「俺も!俺も!!」
「俺だって!!!」
思いもよらない大騒ぎになってしまった写真撮影に、桃は頭を抱える。
この衣装を脱ぐまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。
迂闊な約束は二度としまい!と固く決意した桃だった。
 




