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入学式直前

講堂の壁には紅白の幕がぐるりと張られている。

正面の壇上の中央に演台が置かれ、向かって右側に立派な五葉松が飾られていた。

既に会場には多くの椅子が整然と並べられ、座る者のいないその様はどこか空虚に感じられた。


そんな風にすっかり準備の整った会場の一角で、桃は自分に渡された“新入生代表挨拶文”いわゆる入学にあたっての“誓いの言葉”の例文を懸命に覚えていた。


桃が新入生代表だと告げられたのは、実は2日前だった。

たった2日間で挨拶など考えられるわけがない。

桃はそう言って断わろうとした。

しかし学校側で例文を用意するから、それを読み上げるだけで良いと言われてしまう。

そこまで準備されて断る事ができるほど桃は強くなかった。

良くも悪くもこの学校に、これから3年間世話になるのだ。無用なトラブルを避けたい気持ちもあった。


「自分で言いたいことがあれば、自由に変えてもらって良いわよ。緊張せずに気軽にやりなさい。」


桃にそう言うのは、1年生の学年主任だという国語科の女性教諭だ。横山というその教諭は、おそらく40代。年齢不詳の感はあるが、出るところの出ている豊満な女性だった。

年頃の男子高校生には、たまらない存在ではないだろうか?

もちろん桃には関係ないことではあったが。


・・・挨拶文はごくありふれたものだった。

式を開いてもらった謝辞に始まって、この高校での生活に対する期待や抱負、未来を夢見る心境を語る。その後、先生と先輩に指導を願い、誇りある学生生活を送る事を誓って文章は終わる。


ごく当たり前の内容に桃はホッとした。

何せ“少し特殊な”高校なのだ。三国志の故事成語等を多数引用させられたりしたら、どうしようと危惧していた。

横山は式辞紙をそのまま読み上げて良いと言う。しかし読めない漢字や意味の取違いがあってはたいへんだ。恥をかくのは桃である。桃は先ほどからチェックに余念がなかった。

嫌々ではあっても引き受けたからにはきちんとしなければとも思っていた。

ざわざわと式の準備に慌ただしい周囲の音も気にならない程、桃は集中していたのだ。


だから、そんな桃と横山の元へ近づいてきた2人の生徒に、間近で声をかけられるまで気がつけなかったのは仕方ないと言えるだろう。


「・・・横山先生。」


「少し、よろしいですか?」


横山と桃は同時に顔を上げた。


「吉田くん。仲西くん。」


そこに居たのは明らかに上級生とわかる男子生徒達だった。


1人は身長180センチくらい。スレンダーな体格で、整った容貌だが細い目が酷薄そうな印象を与える。真っ赤なタイは3年生の証だ。


もう1人は、背は少し低く170センチ半ばくらい。赤い髪、碧の瞳の明らかに日本人以外の血が混じっているとわかる美しい容姿の男だった。チタンフレームのライトブラウンの眼鏡をかけて、2年生の証の青いタイをしている。

大きな口が親しみやすそうな印象を与えるが反して眼鏡の奥の目は冷静に桃を観察していた。


国を選ばす転生が起こるセカンド・アースでは、国際結婚は珍しくない。

誰しも前世の自分の住んでいた国に興味を持つため海外旅行も留学も頻繁に行われる。国と国との壁は低く、人もまた自分が生まれた国の人間だと言うアイデンティティーなど持ちようもないため、外国人と結婚することに躊躇いなど感じない。

この生徒はもちろん、おそらく鰐渕もあの身長と肌の色からしてアラブ系の血を引いているのではないだろうかと思えた。


桃の前に立つ2人共、物凄く目立つ。

容姿もそうだが、存在感と迫力が半端なかった。


一般クラスの生徒ではないだろうと桃は思った。


「一応、私たちの式辞のチェックもお願いします。」


背の高い方がそう言って、それぞれ式辞を横山に渡す。


「どうせ私の意見なんか聞かないくせに・・・まぁ、いいわ。相川さん、彼らは在校生の歓迎の挨拶をする生徒達よ。こっちの背の高い方が3年代表、生徒会長の 吉田 達也 くん。そっちの眼鏡が2年代表 仲西 貴志 くんよ。・・・吉田くん、仲西くん、彼女は新入生代表挨拶をする 相川 桃 さん。」


紹介されて、ペコリと頭を下げながら桃は疑問に思う。


(なんで2人?)


在校生代表は1人ではないのだろうか?


一方、桃を紹介された吉田と仲西の方も驚き訝しそうな顔をしていた。


「・・・女?」


「彼女は?」


横山はそんな2人の様子に苦笑する。


「彼女は1年1組1番だから代表に選ばれたのよ。あなた達とは違うわ。下手な勘繰りをしないでね。」


彼らと違うとはどういうことかと、桃は不思議そうに首を傾げる。


「1年1組1番?!」


「そんな理由で?」


驚く彼らに、桃の方がびっくりした。

当然の理由ではなかったのだろうか?


(いぶか)る桃に横山は同情たっぷりの視線を投げかけた。


「彼らは、昨年と一昨年の新入生代表挨拶をした生徒なのよ。名前からわかるように、当然彼らは1年1組1番ではないわ。」


「え?」


横山は桃を尚も気の毒そうに見ると理由を説明してくれた。


「今までの新入生の代表は、立候補制なの。我こそはと思う生徒の中から代表者が選ばれたのよ。名簿で選んだのは今年が初めてよ。」


突然のカミングアウトに桃は混乱する。


そして混乱しているのは桃だけではなかった。


「何故、今年は名簿でなんてことになったのですか?」


仲西が尋ねる。


横山は肩を竦めた。豊満な美女のそんな仕草はとても悩ましい。


意島(いじま)先生がそう決めたのよ。例年立候補者の中から代表を選ぶのは意島先生の役目なのだけれど・・・その彼が今年は名簿にすると言い出したのよ。仕方ないでしょう?」


選ぶのが面倒になったんじゃないかしら?それとも選ぶような生徒がいなかったとか?と無責任に横山は付け足す。


桃は思わず出かけた舌打ちを堪えた。


続けられた横山の話を要約すると、意島は特別入学選抜の面接担当責任者だそうで、昨年までは代表挨拶をしたいと立候補した新入生の中から、面接結果を見て、これはという生徒を選び出したのだそうだ。なのに今年はそれをしないで1組の1番にすると勝手に決めてしまったという話だった。


そんな理由で自分が代表挨拶をするはめになったのかと思えば、桃の心の中に意島という教諭に対する怒りがメラメラとわいてくる。


とんでもなかった。


立候補制だとすれば、桃は絶対!立候補などしないから代表にはならなかったはずだ。

運が悪かったと諦めるには、あまりにも悔しい。


歯噛みしたい桃とは別に、何やら考え込んでいた吉田が呟く。


「・・・今年の入学者の中には、“昭烈(しょうれつ)帝“はいなかったということか?」


吉田の言葉に、桃は驚いたように顔を上げ、その整った顔を見つめた。


吉田は、何だ知らないのか?と桃を見返す。


「今回の転生の”偏り”は念が入っている。多少の例外はあるが、各年によって三国が分散されているんだ。俺達3年は魏、仲西の2年は呉、そして今年の1年は蜀の転生者がほとんどを占めているはずだ。」


横山に対する時とは違い、吉田は桃には自分のことを俺と言って話しかけてくる。新入生相手に気を使うつもりはないということだろう。


「つまり今年の新入生の代表は、”昭烈帝”になる可能性が高かったということです。」


後を仲西が引き取って説明した。


昭烈帝とは、三国志の蜀の英雄、劉備(りゅうび)諡号(しごう)だ。


桃は目を見開いた。

そんな!と思う。

・・・新入生代表を劉備がするはずだったという情報は、桃を混乱させる。


(何故、今年に限って名簿に?・・・何故、私に?・・・立候補者がいなかったのか?・・・いや・・・)


「“劉備”は、学校全体で20人は下らないと聞きました。」


桃は、先ほど翼から聞いた情報を口にした。


20人以上の人間が我こそは劉備だと主張しているのだ。当然彼らは、新入生代表として立候補したはずだ。その中の誰かが新入生の代表として挨拶をすればよかったのではないのか?


「そう名乗る奴は、2年と3年にも2人ずついるが、全員偽物(・・)だ。新入生だけで21人いると聞いたが・・・選ばれないところを見れば、そいつらも全員“はずれ”だな。」


断定する吉田に、そんな馬鹿なと、桃は思う。


「どうして偽物だとわかるのですか?」


・・・転生者の正体を知るのは、難しい。

本人かどうかを知るのは本人のみだ。それを他人に証明してみせるのは、その人物が有名であればあるほど困難を極める。何せ、その人物に対する真偽入り混じった伝記が巷に出回り、本人よりもその人の人生に詳しい人間が結構いるのだ。三国志とて正史と三割の虚構を含むと言われる演義があり、その他にも数多(あまた)の書物が存在する。それら全てを読破する者がいれば、その者は本物よりも余程本物らしい偽物(・・)になるのではないのだろうか?


それなのに、代表に選ばれなかったという理由だけで、劉備と名乗っている者全てを偽物と吉田は断定する。

仲西もそれを当然と受け止めているようだ。


(何故?)



新入生の代表に選ばれた者が劉備だと揺るぎなく主張する、彼らは・・・



胸がドクドクと音を立てる。

目を離すことができず凝視する桃に、2人は不敵に笑った。



「俺達が過たず選ばれたのが何よりの(あかし)だ。・・・あぁ、そうだ。俺は曹操(そうそう) 字は孟徳(もうとく)だ。」



「私は、呉の孫権(そんけん) 字は仲謀(ちゅうぼう)です。」



何でも無い事の様に、目で訴えた桃の疑問を彼らは肯定する。


桃は絶句した。



・・・おそらく彼らは本物なのだろう。



本物の自分達は、揃って代表に選ばれた。

であれば、今年の新入生の中に本物の劉備が居れば、当然代表に選ばれたはずだというのが、彼らの論理だった。


何の気負いもなく、自分達の前世を口にする男達。


彼らは、それきり桃に興味を失ったように2人で話し合いを始めた。劉備のいない蜀の1年をどう扱うか協議しているようだった。



(曹操と孫権・・・)



桃は信じられずに、そんな2人を見つめる。


魏の武帝と呉の大帝。


遙かな昔、互いに覇を競い戦っていた彼らが、現世に転生し顔を合わせて話し合っている。


その現実に・・・目眩がした。


(彼らはこの事態を受け入れているのか?)


頭がクラクラとして、吐き気がするようだった。



「相川さん、顔色が悪いわよ。大丈夫?」


そんな桃の様子を目に止めて横山が声をかけてくる。


「大丈夫です。・・・緊張してきちゃいました。」


桃の答えにそれもそうよねと頷いた横山は少し離れた場所にある椅子を指し示し、そこに座って休むように指示する。

桃は素直にその言葉に従った。



この場から少しでも遠くへ離れたかった。


椅子に腰かけ目を閉じる。


脳裏に前世の光景が蘇り・・・それを無理矢理打ち消す。


落ち着けと自分に言い聞かせていた。




吉田は、青い顔で俯き加減に椅子に座る少女をチラリと見る。


「あんな調子で、大丈夫なのですか?」


「大丈夫でしょう。少なくとも、さっきまでは緊張した風もなかったし落ち着いていたわよ。」


横山の言葉に吉田はそうですかと頷く。

ならばあの1年の少女は自分と仲西と会って緊張したということか?

自分達の前世を聞かされれば当然の反応なのかもしれないが・・・


「1年なのだから彼女の前世は蜀の人間なのでしょう。貴方たちのどちらかの軍に殺されたのではないの?」


それは十分有りえる話だった。


「この高校に来る時点で、そんな事は乗り越える覚悟ができているべきでしょう?」


仲西が少し面白くなさそうに指摘する。


その通りだ。この高校に進学すればそんな事態が起こり得るということは、事前に十分わかっているはずだった。

その覚悟もなく入学してくる者などいないはずだ。


「彼女は、この高校が本命ではなかったのよ。2次募集か3次募集で入学が決まったのではなかったかしら?」


「そんな者を新入生の代表に?」


軽い非難の籠った仲西の声に横山は再び肩を竦める。

文句は意島先生に言ってとその態度は表していた。



「・・・面白くないな。」



吉田が呟く。


横山と仲西は驚いたようにそんな吉田を見た。

彼が他人の態度に対してそんな風に感情を露わにすることはあまりない。


吉田は、細い目をなお眇めて椅子に座る少女を見ていた。


三国志時代の前世の記憶を持ちながら、この高校に来るつもりがなかったという少女。

もちろん、そういう人間も多くいる。

この高校には入学しても特別クラスではなく一般のクラスに進む者も多い。

特別クラスの”特殊性”からすれば、それも仕方のないことだろう。


そんな人間は沢山見てきている。


それに対して何の感情も抱いたことなどなかったはずなのに・・・


なのに、何故だろう?


自分達を見て顔色を悪くして悄然と椅子に腰かけるあの少女が気にかかる。


この高校に入るつもりがなかったのだと聞かされた途端、吉田の胸の内に訳のわからぬ怒りが込み上げたのだ。


そんな者が自分達と同じく、学年の代表に選ばれた事への怒りなのだろうか?



「・・・そうですね。私も、確かにあの少女のあの様子には苛立ちを感じますね。」



自分でそう言いながら、それが不思議なように仲西も認めた。


「止めてよね。特別クラスの女の子は貴重なのよ。」


特別クラスは女性の数が圧倒的に少ない。

三国志の転生者のほとんどが男性だという事と特別クラスのカリキュラムそのものが原因だった。


「それに、わかっているでしょうね?1学期は学年を越えての干渉は禁止よ。新入生が、まとまる前に手出しすることは許されないわ。」


横山の忠告に吉田も仲西も一応は頷く。


1学期は新入生に対する猶予期間だった。

そうでなければ、1年生など入学してわけの分からぬ内に2、3年生にいいように制圧されてしまうことだろう。

逆を言えば、1年生は1学期の間に学年をまとめ上げる必要があるということだ。どれほど早くリーダーを決めて体制を固めるかが、1年生の命運を決める。



「・・・もっとも、1年からの依頼があれば話は違いますよね。」



眼鏡の奥の碧の瞳を光らせて、仲西は横山に確認する。

吉田の表情もニヤリと歪んだ。


横山は顔を顰め・・・離れて座る桃に視線を投げる。



桃の顔色は、まだ悪かった。

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