ゴールデンウィーク 4
広いテーブルの上に、これでもかと並べられる豪華な料理の数々。
磨き抜かれた銀器のテーブルセット。
白い陶磁の花器に活けられた美しい花々と、かご盛の果物。
どこの晩餐会のテーブルコーディネートだというような夕食の席に、桃は内心ため息をこぼしていた。
食事の用意ができましたと案内された仲西邸大ホールでの夕食会は、常識の範囲を超えていた。
桃の左隣は仲西財閥総帥、要は仲西の父である。
つまり、ホストの右隣の主賓席に桃はついているのだ。
たかが一介の女子高生をこの席に座らせるとか、ないだろう?と突っ込みたい桃だった。
しかし、案内されてしまったものは仕方ない。表面上は、にこやかに会話を楽しむしかなかった。
『こんなところで同郷の人に会えるとは思わなかったな。なんたる僥倖だろう!お嬢さんは、どの辺りに住んでいたのかな?』
仲西によく似た面差しで落ち着いた笑顔を惜しみなく桃に向けてくれる仲西の父は、ダンディな紳士だ。
名だたる財閥の当主とはとても思えない親しみの籠った態度で桃に接してくれる。
その前世は、なんと桃と同じ中国の漢安出身だという話だった。残念ながら生きていた時代は、桃たちと重ならないそうだが、同郷の人間と会えたのが余程嬉しいのか、先刻より漢安の話題をしきりに桃に振ってきていた。
『美しい故郷だった。養蚕が盛んで・・・そうそう、あそこに行ったことがあるかい?ほら、あの有名な・・・』
・・・笑顔が引き攣りそうな桃である。
(ホストなのに、良いの?この態度。)
夕食が始まってからずっと桃にかかりっきりなのである。
それもどうかと思うが、何より仲西の父は、会った当初からかなり早口の中国語、しかも漢安地方の方言ともいうべき言葉でペラペラと喋っているのだった。
(絶対、私以外に通じていないわよね。)
中国は広いのである。狭い日本でさえ沖縄の人と北海道の人が方言で話せば通訳が必要な事態になる。
仲西の父と桃の会話を理解できる人間は、この場には他に1人もいないだろうと思われた。
明哉や理子といった他のメンバーたちも流石にこの言葉には口を挟めず、心配そうに桃を見ているしかできない。
・・・地方色豊かな話の内容と言葉。
しかも、その話はところどころ微妙にずれており、桃がその点を指摘すると、驚いたように訂正し、笑顔で謝ってくる。
・・・仲西の父の目的が何なのかはあまりにもあからさまだった。
そして、それを仕掛けたのが誰であるのかも考えるまでもないだろう。
『・・・もう、ご納得いただけましたでしょうか?』
何度目かの間違いを訂正した後で、ついに桃は苦笑しながらそう言った。
仲西によく似た綺麗な碧の瞳が見開かれる。
『・・・やはり、気づかれてしまったかい?』
気づかない方がどうかしていると、桃は思う。
仲西の父は明らかに、桃が本当に漢安の人間なのかを調べていた。
潔く桃に頭を下げる。
「試すような真似をして、すまなかったね。」
女子高生が世界有数の財閥総帥に頭を下げられては居心地が悪い。
慌てて気にしていないから頭を上げてくださいと言った桃に、仲西の父は嬉しそうな笑顔を返した。
そのまま、今まで2人のやりとりを固唾をのんで見守っていた自分の息子へと向き直る。
「間違いない。貴志、このお嬢さんは本当に漢安の出身者だよ。」
仲西の父の言葉に、仲西だけでなく、明哉や他の桃の仲間たちも驚いて息をのんだ!!
“劉備”が生まれたのは、後漢時代の涿郡の涿県というところである。今の北京の近くであるから中国でもずっと北の方だ。
一方漢安は犍為郡というもっとずっと南の内陸部にある。
桃が自称どおり漢安出身者という事は、桃は劉備ではないということの証明にもなる事だった。
「間違いないのですか!?」
焦って仲西は父に確認する。
「間違いない。彼女の知識は漢安に生まれ育たなければ持ちようのないものだ。言葉も聞き間違いようのない私の故郷の言葉だ。遥かな時を越えて、またこの懐かしい言葉を話す時が巡りこようとは!感無量だ!!」
ジンと感じ入ったように仲西の父は、瞳を閉じて感慨に浸る。
「私もお話出来て、嬉しく思います。」
「桃さん!!」
何時の間にやら、ちゃっかり名前を呼んで桃の手を両手で握る仲西の父である。
向かいの席で仲西の母(赤毛のもの凄い美人だった。どうやらレセプションルームにあった赤毛の日傘の女性の絵のモデルは、仲西の母のようだった。)が呆れたようにため息をつく。
ごめんなさいねと言うように桃に目配せをしてくれた。
こちらも世界に冠たる財閥の当主夫人に相応しい落ち着いた賢夫人だった。
そんな?!と仲西は表情を曇らせる。
自分の父が、1年の“相川桃”が偽称している(と仲西は思っていた。)漢安の出身者だと知っていた仲西は、父と桃を引き合わせる事で桃の化けの皮を引き剥がそうと思っていたのであった。
桃は、その性別にもかかわらず、誰がどう見ても“劉備”に見えた。
普段は、どこにでもいそうな可愛い少女なのに、いざとなった時には、堂々とした他を圧する威厳を現す。
その立ち居振る舞いは、明哉などの1年はもちろんのこと、吉田や内山という3年も惹きつけてしまう。
かくいう仲西も、オリエンテーション合宿での桃の奇策や吉田への対峙に目を奪われた1人だった。
しかし、当の桃は自分の事を“漢安の農民の妻”と言い張ってゆずろうとしない。
仲西は自身の手で、桃を“劉備”だと認めさせようと考えたのだった。
なのに、これでは自分の計画とまるで反対の結果が出てしまう。
むしろ仲西は、桃の言葉の裏付けを与えたようなものだった。
呆然とする仲西に、仲西の父は更に思いもよらぬ事を言ってくる。
「安心しなさい。“合格”だ。桃さんとの交際を認めよう。」
「え?」
「えっ?」
「えぇっ〜!?」
物凄い悲鳴があちこちから上がった。
「なっ?!父さん、それは!?」
「仲西!!貴様!?」
「陛下!あなたという方は!!」
「桃をどうする気だ!?」
「殺す!絶対殺す!!」
喧々囂々たる叫びを何事もないかのようにスルーできる仲西の父は、やっぱり只者ではなかった。
あまりの事に驚き固まっている桃を見ながらウンウンと頷いている。
「いきなり、人物を見定めてくれだなんて頼んでくるから何事かと思えば、こんな可愛いお嬢さんだったなんて。・・・自分が見初めた女性を父さんに紹介したかったんだな?」
全く、真面目で恥ずかしがり屋な奴だと、仲西の父は1人悦に入る。
「違っ・・・父さん!」
否定する息子に照れるなと笑いかけた。
「確かにお前の嫁ともなれば、将来は一緒に我が一族を支えていかなければならない重要な存在だ。お前の事だ、自分の恋愛感情だけでは動けないと思ったんだろうが・・・心配いらない。彼女なら大丈夫だ。私が保証しよう。」
そんな保証なんかいらない!と思う桃である。
どうしてこうなったの?と仲西を睨んだ。
当の仲西自身も呆然としている。
「あら?・・・でも、あなた、理子ちゃんはどうなさるの?」
この騒ぎの中で、おっとりと聞いてきたのは仲西の母だった。仲西が同じ財閥内の須賀家の理子と結婚するだろうことは、財閥内の暗黙の了解となっていた。
「それなんだが・・・」
仲西の父は、難しい顔で話し始めた。
「貴志は、理子ちゃんに少しも相手にしてもらっていないじゃないか?」
グッ!と詰まる仲西である。
別に仲西は理子に特別な感情を持っているわけではなかった。ただいろんな条件を考え合わせて、自分の妻には理子が一番無難だろうと考えていただけだった。今は芳しい返事を寄越さない理子も、その内もっと大人になれば己の立場を理解してイエスという返事をするだろうと考えていた。
ここで、一言断っておくが・・・仲西家は、この規模の家格の家としては珍しいことではあるが・・・恋愛至上主義の家であった。
仲西の父は、母にべたぼれであったし、理子の母である仲西の父の妹も、一族の須賀家の当主に心底恋して嫁いだのであった。
仲西家の中では、婚姻を政略の手段と考える、前世の孫権の考え方を持つ仲西の方が異端だと言えた。
「どう見ても、貴志が理子ちゃんに振り向いてもらえる様子はないだろう?それでも貴志が理子ちゃんを好きなのならば、もう少し様子を見ていても良いとは思ったが・・・貴志自身に他に好きな娘ができたのなら、その話に拘る必要はどこにもないと思うんだよ?」
それもそうねと仲西の母は言った。
あっさり引き下がらないで欲しいと思う桃である。
理子は、思いもよらず自分が仲西と結婚するルートを免れそうなラッキーと、大好きな桃が選りによって仲西とくっつかされそうなアンラッキーに、どうしてよいかわからないほど混乱していた。
他の者たちも、桃が漢安出身で間違いないと言われたり、仲西の婚約者扱いされたりとあまりの急展開に、どう反応して良いか迷っている状況だった。
とりあえず、この夕食会が終わったら仲西は叩きのめそうと決意している明哉たちだった。
不穏な空気を感じとったのだろう。仲西が必死に父親に訴える。
「父さん。俺は別にそんなつもりは・・・」
「大丈夫だと言っただろう。桃さんならば私が保証する。」
仲西の父は、何だか偉そうに胸を張ってドン!とその胸を叩いた。たいへん厚く頼りがいのあるナイスな胸板である。
「私に相対して、怖気も緊張も見せずに堂々と渡り合えるその態度。・・・彼女は只者ではないよ。次期当主夫人として立派に勤まるに決まっている。」
嬉しそうに仲西の父は、そう言った。
「え?・・・」
桃は、ポカンとする。
仲西の父の・・・ひいては仲西の疑惑を払拭するため、頑張って相手をしたのだが、よもやそんな評価をされるとは思っていなかった。
「さぞや、前世も名のある一族の一員だったんだろうね?程氏?それとも石氏かな?」
程氏も石氏も漢安で力のある豪族である。
ちなみに私は李氏だよと仲西の父は言った。李氏もまた、程氏石氏ほどではないが、漢安で権力を誇る一族であった。
「私は、そんな・・・私はただの“農民の妻”で・・・」
しどろもどろに否定する桃の言葉を、仲西の父は一笑に付す。
「残念だが、そんな謙遜は通らないよ。・・・君は“農民の妻”ではありえない。決して私は農民を馬鹿にするわけではないが、それでも世の中には身分のような周囲の環境によって、その身に備わる格や雰囲気というものがある。君の持つ”それ”は、農民や一般階級のものではない。明らかに支配者階級の・・・そう、貴志や覇月に通じる”王者”の風格だ。どんなに隠そうとしても隠しきれるものではないよ。」
仲西の父は、そう言うと優しく笑った。
桃は、ギクリと固まる。
明哉たちは、ますます混乱した。
仲西の父は、桃を間違いなく“漢安”の人間だと言い、一方で桃が“農民の妻”であることを否定する。
では、自分を”漢安の農民の妻“だと自称する桃の言葉は、本当なのか?嘘なのか?
・・・しかし、その疑問を誰も確かめることはできなかった。
何故なら、仲西の父が、
「いやぁ、良かった。これで我が家も安泰だ。」
などと嬉しそうに言った途端、ホールの入り口の重厚なドアが、バタン!!と大きな音を立てて開かれたからであった。
驚いてそちらを見た人々の目に、紅顔の美少年の姿が映る。
「俺は!!そいつが俺の義姉になるなんて、絶対認めないからな!!!」
大声で怒鳴って宣言したのは、自室に引き篭もってストライキをしているはずの仲西の弟、覇月・・・前世の孫策であった。




