ゴールデンウィーク 3
「どうして私が指揮を執っていないとわかった?」
ライトブラウンの眼鏡の奥の碧の瞳を面白そうに光らせて、仲西が訊ねる。
矢を射った直後、仲西がようやく騒動に気づいて止めに入るという“形”をとって、戦いは収められた。
当然その後、剛が説教2時間コースに入ろうとしたのだが、とりあえず歓迎の挨拶だけはさせてくれと仲西が懇願し、桃たちは、やっと仲西邸の中に招き入れられた。
広く豪華なエントランスホールを通り、レセプションルームに案内される。
天上の高さ、間取りの広さ、家具やさり気なく置かれた調度品の優雅な美しさに目を奪われた。
(ここは、日本なの?)
見る者の視線を計算されて壁にかけられた絵画は、どれも素晴らしく、全て前世はルノワールだったという画家の描いた作品のようだった。暖かな色調の絵で、日傘をさした赤い髪の女性が優しく微笑んでいる。確か、物凄い値段のつく絵だと何かのテレビ番組で紹介されていたような覚えがある。
桃は、ため息しか出なかった。
絵画の中の赤い髪より、なお鮮やかな赤が、桃の目の前で揺れていた。
自らの“不手際”で起こった事態を詫びながら、ありきたりな歓迎の言葉を述べていた仲西は、優雅な動作で桃たちを席につくようにと促した。
自分もちゃっかり桃の右隣に座り、お菓子と飲み物を勧めてくる。
不機嫌な顔の明哉が桃の左に座り、仲西の右には荒岡が座った。
この場に居る2年の関係者は、荒岡だけだ。
他の人は後でゆっくり紹介すると仲西は言うのだが、特に紹介してもらう必要性を感じない桃である。
断ろうと思って、仲西の方を見たら、何故か仲西の後ろに居た荒岡に、思いっきり睨まれた。
(何?)
誰を睨んでいるのかと思って、思わず自分の後ろを見る。
当然のことだが、後ろには誰もいなかった。
どうやら、荒岡は桃を睨んでいるらしい。
(何で?)
さっぱり心当たりのない桃だ。
・・・実は、先ほどの一件で、仲西の弟の覇月が、すっかり機嫌を損ね、「あんな女の顔を見たくない!」と言って、自室に籠ってしまったなどと、桃にわかるはずもなかった。
せっかく会えた断金の友の顔が見えなくなってしまったことを荒岡が逆恨みしているなどということも、想像できるはずもない。
(美形が睨むのって、迫力があるわよね。)
わからない事を深く考えても仕方ないとおもった桃は、呑気にそんな感想を抱いた。
あらためて自分の周囲を見回して、その美しい顔ぶれに目がチカチカする桃だ。
(このメンバーでお茶って・・・)
有り得ないと思う。
何が悲しくて、女の自分よりもキレイな男たちに囲まれなくてはならないのだろう。
桃から遠く離れた席には、相変わらず目立たない猛がひっそりと座っていた。
心からその隣に座りたいと願う桃だった。
ヒタ!と目を向ければ、丁度顔を上げた猛と視線が合う。余程桃は困った顔をしていたのだろう。声をかけようと口を開けた猛だが、言葉を発する前に、その動きはピタリと止まった。
「どこを見ているの?」
キレイな顔を傾けて、仲西が桃にそう訊ねてきたのだ。
物凄い、色気があった。
「え?あ、の・・・」
「桃がどこを見ていようと貴方には関係ありません。」
ピシリと明哉が言い、その言い様に荒岡がなお機嫌悪く、眉を顰める。
「へえ〜?君は、彼女が“誰”を見ていたのか気にならないのかい?」
からかうような仲西の言葉に、その場の空気は凍りついた!!
見れば、猛は青い顔でふるふると首を横に振っている。
確かにこのメンバーの中から連れ出してくれと猛に頼むのはムリとしか言いようがなかった。
重い空気の中、何を話せば良いものかもわからず、桃は頭を抱える。
そこへ、仲西が振ってきた話題が、冒頭のセリフだったのだ。
(それって・・・)
今回の攻撃が、自分の指揮ではないものの、明らかに自サイドの誰かの指示の元で行われたのだと自ら暴露するような発言に、桃は呆れる。
荒岡も隣で渋い顔をしていた。
(まあ、でも、今更よね。)
呆れながらも桃は、隠そうとしない仲西の態度を少し好ましく思う。
だから、正直に答えてあげても良いかなと思ってしまったのだ。
「仲西さんが攻撃する理由が、ありませんから。」
仲西は碧の目を見開く。
本当にキレイな碧だなと桃は思った。まるで、吸い込まれるようだ。
「・・・へぇ〜?」
一拍遅れて、仲西は声を上げた。
かまわず桃は説明する。
「仲西さんは、私たちの合宿にいらっしゃいました。その時、私たちの戦いを見て行かれたはずです。今更ここで主戦クラスではないとはいえ、ご自分の戦力を晒してまで私たちの力を試すような真似をされるはずがありません。」
桃は、今回の戦いの目的は、1年の力量をはかる事だと見当をつけていた。
そうでなければ、何の点数にもならない学校外での戦いをしかけるはずがない。
数のみに頼って、力押しの戦いを仕掛けてきたことも、その見当を裏付けていた。
勝ちが目的ではなく、相手の力を見極める事を目的とする戦い。
今回の攻撃は、そうとしか思えなかった。
しかし、戦うということは、相手の力を知ると同時に、己の力も相手に示すことになる。
だからこそ、主戦力を投じなかったのだろうが、それにしても既にオリエンテーション合宿の模擬戦で、1年の戦いを見ている仲西には不要の戦いのはずだった。
仲西は、わざわざ不要な危険を冒すような人物には見えない。(虎狩は好きではあるが・・・)
では、誰がそれを必要としているのか?
答えなど聞くまでもないことだった。
昨年、前世の記憶を取り戻したばかりの血気に逸る少年。
感情の起伏の激しい、闊達な、魅力あふれる男。
その性格で周瑜を初めとした多くの英傑を惹きつけ、後の孫権が帝となる下地を固めた人物。
”孫策”はおそらく、2年後南斗高校に入学してくるつもりでいるのだろう。
その時、桃たちは3年生だ。
孫策が桃たちの実力を知りたいと思うのは当然のはずだった。
(本当に傍迷惑な子供よね。)
劉備、曹操、孫権と並び称されるため失念しそうだが、本来劉備、曹操と同年代なのは、孫策、孫権兄弟の父、孫堅である。劉備の5歳年上が孫堅。その孫堅の1歳年上が曹操であった。
桃は、これらの推測をここまで馬鹿正直に言いはしなかったが、今回の戦いを仕掛ける理由があったのは仲西の弟の”覇月”だと思ったということは話す。
その上で・・・
「可愛い弟さんなのでしょうけれど、招いた客人に不意打ちで戦いを仕掛けるのは、してはいけない事です。間違いは間違いとして教えてあげた方が良いですよ。」
しなくてもいい、忠告まで仲西にしてしまった。
仲西は・・・呆気にとられる。
桃をマジマジと見て、やがてクツクツと笑い出した。
非常に感じの悪い笑い方だが、美形というのは得なもので、嫌味に感じるよりも機嫌の良さそうな笑顔もまたキレイだなと思えてしまうのが困りものだ。
桃は、イヤそうに顔を顰めた。
こんな笑い方をされても腹が立たないところが、心底イヤな男だと思う。
絶対、これ以上深い知り合いになりたくなかった!!
「そうだな。君の言うとおりだ。」
仲西はそう言って、また少し笑う。
しかし、桃の隣で明哉がムッとした気配を感じて、慌てて顔を引き締めた。
「君の言うとおりだが、いかんせん弟は前世では私の兄でね。なかなか注意しづらいんだ。どうだろう?君からも注意してもらえないかな?・・・もちろん、お尻を叩くのはなしの方向でね。」
仲西は、いたずらっぽくそう言った。
「貴様!!」
「なにをずうずうしい!!」
「桃がそんな事をするはずがないだろう!!」
テーブルのあちこちから一斉に抗議の声が上がった!
実は結構注目されて聞き耳を立てられていた桃と仲西だった。
仲西は、わかったからと降参するように両手を前に上げる。
「わかったよ。今日の所は諦める。・・・部屋の用意もできたようだから、今日は各自部屋で休んでくれ。」
丁度、準備が整った事を告げに来た使用人を見つけて、仲西は全員に退室を促す。
明哉たちは、不承不承その言葉に従った。
礼儀に則ったキレイな動作で、仲西は桃の手を取りエスコートをしようとする。
必要ありませんと断った桃の手をギュッと握った。
「今日のところは諦めるけれど、まだ滞在日程は2日間ある。そのうち気が向いたら弟に会ってやってくれないかい?」
周囲に聞こえないように耳元に口を近づけそう囁いてきた。
「貴様!!」
「離れなさい!!」
次の瞬間、あっという間に桃は明哉に抱きこまれ、周囲を守るように五将軍に囲まれていた。
仲西の前には、荒岡が飛び出して楯となっている。
一触即発の雰囲気で睨みあう彼らの前に現れたのは剛だった。
「何をなさるか!悪ふざけが過ぎます!どうやら、じっくりお話する必要があるようですな。」
剛の姿に、仲西はたちまち顔を蒼ざめさせた。
「こ、公・・・待て、落ち着け!孤が、悪かっ・・・」
「だまらっしゃい!!!」
剛の怒鳴り声は、思わず桃も耳を塞ぐものだった。
この日の説教が2時間で終わらなかったことは、言うまでもないだろう。
もちろん、桃たちは理子の案内でさっさと客室に退散する。
豪華絢爛のレセプションルームに剛の声が延々と響き続けたのであった。




