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掲示板前

 真新しい制服に身を包み、新入生のクラス分けの張り出された掲示板の前で少女は、そっとため息をつく。


吹き抜ける4月の風は、爽やかに短めのスカートを揺らした。


少女はそこに書かれている自分の名前を確かめる。

・・・何度見ても変わらない。

事前に聞かされていたとおりのクラスに少女の名前はあった。


1年1組1番 “相川(あいかわ) (もも)


男女平等の精神に則って名簿が男女別に並ばなくなってから、“相川”という名前の桃は小中学校を通して、出席番号1番でなかったことがなかった。

別に今更その事を不満に思うわけではないが、ただ、叶う事ならば、1組にはなりたくなかった。


今日は入学式。


新入生の1年1組1番は、新入生代表の挨拶をしなければならないのだ。


正直・・・気が重い。


何故なら、この私立南斗(なんと)高等学校は桃の第1志望の高校ではなかったから。

それどころか、第2志望でもない。

絶対入りたくなかった高校ナンバー1の学校なのだ。


13歳で成人と認められるこの世界だが、教育制度はそもそもの地球と同じだ。

日本では、小中学校が義務教育でその上に高校と大学がある。

前世で近代の教育を受けた者は望めば教育を免除されるのだが、その数は圧倒的に少い。


桃だって前世で難しい方程式を解いた記憶もなければ英語を話した記憶もなかった。

だから中学から高校へ進学することには桃は何一つ不満はないのだ。


当たり前のように高校受験に臨み・・・


試練の15の春。


桃の桜は見事に散った。


第1志望に落ちた桃は、絶対確実と中学の担任も塾の講師も太鼓判を押した第2志望の高校にも・・・落ちた。


あんまり大丈夫だと言われていたので他に滑り止めの高校も受けておらず、中学浪人は絶対ダメだと母に言われた桃は、仕方なく、この“少し特殊な”高校に入学した。


それなのに、新入生代表の挨拶をするだなんて・・・桃はため息を抑えることができない。




クスクスと笑い声が聞こえてきたのは、その時だった。


慌てて声のした方を振り向く。


そこには同じく新しい制服を着た男子生徒が口を押えて笑っていた。


「ごめん。あんまりがっかりした、ため息だったから。・・・友達とクラスが離れたの?」


人懐っこく聞いてきたその子は、男だというのに物凄く可愛かった。

色白でフワリとくせのある黒い短髪に大きな黒い瞳。身長はかなり高く180センチはあると思うのだが、どうにも可愛いという印象が先に立つ。

男子の制服を着ていなければ背の高い女の子かと思ったかもしれない。


キラキラの笑顔が桃の返事を待っていた。


まるで子犬のようなその姿に、桃は見惚れながら返事をする。


「違うわ。私、1組の1番だから、入学式で挨拶をしなければいけないの。」


「あぁ、新入生代表の挨拶?」


桃はコクリと頷く。


風が舞って2人の間に校庭の桜の花びらを運んできた。桃はその場でクルクルと渦巻くそれに目をとられる。


「そっか。たいへんだね。どうりでこんなに早く来ていると思った。」


入学式が始まるのは、あと1時間も先だ。

桃はこの後、式の練習があるので早く来ているのだった。


掲示板の前には、桃とその男子生徒の他に人はいなかった。


「俺も1組だよ。6番 木村 (つばさ)。」


翼はそう言うと簡単な自己紹介を始める。

他県出身で全寮制のこの高校の寮に入るために前日からここに来ていること。入学式が楽しみで待ちきれなくて早めにクラス分けを見に来てしまったこと。


「でも、ラッキーだったな。早速同じクラスの子と知り合えた。これから1年間よろしく。」


嬉しそうな笑顔でそう言われれば桃も悪い気はしない。

お返しにポツリポツリと自分のことを話した。

基本、桃は、あまり口数が多くない。聞かれたことや必要なことに言葉を惜しむことはないが、どちらかと言えば物静かで大人しく地味で目立たぬ方だと思っている。

改めて名前を名乗った後で、自分の実家は前日に入寮するほど遠くではないこと。寮生活に少し不安を覚えていることなどを話した。


「そっか。俺は寮生活ってのを、結構楽しみにしているよ。毎日が修学旅行みたいだと思わない?」


ニコニコ笑って言われれば桃も仕方なく笑って、そうかもと頷く。

実際はそこまで能天気には考えられなかったが・・・


桃の同意を得て、翼は満面の笑みを浮かべる。


「だろう?!・・・楽しい高校生活の始まりなのに・・・のっけから新入生代表挨拶なんて、ついていなかったね。」


挨拶などあろうとなかろうと、この高校での生活に何の楽しみもない桃だが、同情してくれている翼にそんなことを言わないだけの分別はあった。


「他の高校なら、入学試験の成績優秀者ってことも有りだろうけれど・・・ここはね。」


仕方ないねと笑いかける翼に、出かけたため息を堪える。


この高校の入学試験に成績優秀者などいるはずがない。

・・・いや、正確に言えば一般入試を受けた6組から10組の生徒の中には、いるだろう。

しかしこの“少し特殊な”高校の売りは、特別選抜試験に受かった1組から5組の生徒にある。この特別クラスの生徒を差し置いて一般生徒が代表になどなるはずがなかった。


この高校の特別選抜試験の合格条件は、たったひとつだけだ・・・


「あ!肝心な紹介がまだだったね。・・・俺は、張飛(ちょうひ)(あざな)益徳(えきとく)。俺の前世は、(しょく)の将軍だよ。」


何でもないことのように、翼は軽く言った。


(?!)


桃の心臓がドクリと大きな音をたてる。

驚きに大きく目を(みは)るのは、これだけの有名人物の名を聞けば普通の反応と見えるだろう。




・・・そう、この高校に特別入学する要件は、“中国の三国志時代に生きた前世を持つ事”だった。




転生には、(かたよ)りがある。人によってはその偏りをブームと呼ぶ。


ある時代ある特定地域に生きた人間が、5〜6年くらいの間に、集中して同じ地域に転生してくるのだ。


桃の年代の日本には、三国志時代の人物が大挙して生まれ変わっていた。


セカンド・アースでは、地球のような国家間の違いや争いは・・・無い。

当然だ、転生は国を選ばない。

日本人が日本人に生まれ変わる可能性は、実は結構低かった。

桃の両親も転生前は英国人だったと言っていた。


それでも、この三国志時代から日本への転生の集中は中国の不満を買った。何故我が国の英雄たちが、選りによって日本などに産まれるのだという不満だ。

転生して記憶を取り戻した者たちも、かつて眼中に入りもしなかった東夷(とうい)の端の端の辺境に自分たちが転生してしまったことを嘆いたが、これこそ後の祭りだろう。


多くの不満を尻目に、数年前から三国志時代の前世の記憶を蘇らせる者が日本に続出していた。


この一種のブームに乗ったのが、私立南斗高校だった。三国志時代の転生者に無条件での入学を許可したのだ。


おかげで高校受験にことごとく失敗した桃も中学浪人にならずに済んだ。


・・・例え桃自身は、絶対にこの高校だけには入学したくないと思っていたとしても。


「私は、来珠(らいしゅ)字は季芳(きほう)漢安(かんあん)の農民の妻よ。」


漢安とは蜀の県のひとつで養蚕が盛んな豊かな土地だ。

桃はそこの農民の妻だと名乗った。


だが、その言葉を聞いた翼は何故か不服そうな顔をする。


「ふ〜ん。・・・そんな、どこの時代にでも居て好き勝手に詐称できそうな前世で、よくこの学校に特別入学できたね?」


(詐称?!)


桃は、たった今まで親しそうに話していた翼の態度の急変と、あんまりな物言いにびっくりした。


何か気に入らなかったのだろうか?


「それが本当なのだから仕方がないでしょう?それに、時代なんか女の私にはよくわからなかったけれど、黄色い頭巾を被った(ぞく)が出没していたと言ったら信じてもらえたわ。」


言い返す声が刺々しくなってしまうのは、仕方のないことだろう。


「・・・黄巾の乱か。確かに俺たちと同じ時代だね。」


翼は渋々納得したように頷く。

桃の顔をじっと眺め、何やら考え込むように腕を組んだ。


別に信じてもらわなくともいいと、言ってやりたくなったが、桃はぐっと我慢した。

これから1年間同じクラスで過ごすはずの人間との関係がこじれるのは面倒だった。


そろそろ入学式の行われる講堂に桃が集合する時間になる。


丁度潮時と思い、一旦別れを告げようとした桃の背後から・・・新たな声がかかった。


「益徳。」


呼ばれたのは翼だ。

翼の知り合いなのだろう、前世の(あざな)で呼ぶのは、かなり親しい証拠だ。


振り向いてその姿を見、桃は目を瞠る。


(背が、高い・・・)


190センチを軽々と超えるのではないだろうか?

真っ直ぐな長い黒髪を後頭部の高い位置でひとつに結んだいわゆるポニーテールの迫力ある美形がそこにいた。


「兄貴!」


破顔一笑し、翼が側に寄る。

今ほどまでの考え込むような様子が、あっという間に霧散した。


“兄貴”と呼ばれるからには、この男子生徒は翼の兄と考えるのが普通だが・・・


(・・・違う)


桃は、何故か確信する。


男子生徒の制服は、自分たちと同じくらい真新しい。桃を見る眼光鋭い切れ長の瞳や浅黒く精悍な顔立ちは年上と言ってもいい雰囲気を持ってはいるが・・・


「相川さん。紹介するよ。同じ1組の40番鰐渕(わにぶち) 利長としなが。俺の親友で・・・前世は関羽(かんう) 字は雲長うんちょうだよ。」


やっぱりと思いながら桃は小さく頭を下げる。


「おい!」


勝手に前世まで紹介された利長は、訝しそうに翼を見た。


「兄貴、彼女は 相川 桃 さん。前世は自称“漢安の農民の妻”だってさ。1組1番だから入学式で代表挨拶をさせられる可哀相な子なんだよ。」


翼の紹介に・・・桃も利長も頭を抱えた。


(何?自称って・・・)


可哀相な子という紹介も、いかがなものだろう?


再びムッとした桃に利長が頭を下げる。


「すまないな。こんな奴で。悪気はないんだが・・・新入生代表はご苦労様としか言いようがないな。俺も名前の所為で時々苦労するから気持ちはわかる。」


利長の言葉によれば、名簿順に何かをしようとする時、3回に1回くらいは後ろからさせられるそうだ。鰐渕という姓の彼は桃とは正反対に名簿の最後尾でなかったことがないと言った。


同じような立場の利長に、桃は何となく親近感を抱く。


しかし、その親近感を表に出すことなく曖昧に笑うと、そろそろ行くねとこの場を離れる言葉を口にした。


これ以上彼らと会話を続ける気は・・・なかった。


それなのに、


「・・・聞かないね。俺たちが“本物”なのかどうか。」


翼が笑いながら別れ際に言ってくる。



「・・・偽物なの?」



内心そんなことはどうでもいいから一刻も早くここから離れたいと思いながら、渋々と、疑わしそうに桃は聞き返す。


「いや、本物だけど・・・俺たちの学年だけでも“張飛”は5人居て、“関羽”なんかその倍はいるそうだよ。」


(!?)


桃は、呆気にとられた。


「・・・“物好き”な人が大勢いるのね。」


他に言いようがなかった。

桃にとって、わざわざ面倒を引き寄せそうな前世を詐称するなど”物好き”としか思えない。


なのに、翼は弾かれたように大笑いする。


「”物好き”か・・・うん!いいな!“桃ちゃん”最高!・・・あ?!桃ちゃんって呼んで良い?」


良い訳あるか!と思ったが、楽しそうに笑う翼の様子に諦めて、ため息をつく。


「名前呼びはイヤだった?」


「・・・ここは日本よ。」


前世では“名”はとても大事なもので、直接呼ぶことはかなり失礼な事だった。親しい者同士が呼び合う時は“字”を使うのが普通だ。

しかしセカンド・アースのしかも日本の此処でそんな事に拘るようなつもりは桃にはない。


桃の答えに翼は、なお嬉しそうな笑顔を返す。

感情をストレートに表すその姿は、良く言えば素直・・・悪く言えば単純である。

・・・少なくとも表面上は。


(・・・そうだ。こいつは何時も、こんな奴だった。)


踵を返して講堂へ向かい始めた桃の背中に、笑い混じりの翼の声がかかる。


「“劉備”は、学校全体で20人は下らないってさ!!」


・・・桃の足は止まらなかった。





桃の去った後で、“関羽”は訝しそうに“張飛”を見る。


「笑えるな、兄哥(あにき)。あんな“農民の妻”がいると思うか?」


その笑顔は・・・獰猛で、口調は粗雑だ。

つい今し方までの可愛さの欠片も見えない。


「一概には言えまい。転生後の環境にもよるだろう。・・・貴公は彼女を“誰”だと思ったのだ?」


一方答える利長の言葉遣いも多少時代がかっている。


周囲に他人さえいなければこれが普段の彼らだった。


関羽の問いに張飛はクツクツと笑いながら答える。


()夫人かと思ったのだが・・・」


「あぁ、確かに。凛とした立ち姿が似ていらっしゃるか?」


同意した関羽に、しかし張飛は頷かない。


「・・・違うかも知れん。」


「違う?では、甘夫人か?」


それにも首をひねって返す。


「わからん。わからんが“農民の妻”でないことだけは確かだ。・・・この俺の勘がそう言っている。何より、兄者の名前に振り返りもしない農民が、いるか?」


張飛の言葉に関羽も、そうかも知れぬと思う。

確かにあの少女には妙に気にかかる何かがある。


「だが、そうだとしたら、いったい何故自分の前世を偽る?」


さあな。“物好き”なんだろう?と返す張飛は、ひどく楽しそうだ。


完全に面白がっていた。


張飛は昔からその時の自分の感情だけで突っ走る事が多い。


今もそうなのだろう。


ただ、張飛の考えなしの行動は、時折妙に核心をつくことがある。


もっとも本当に時折で、大概が自分たちに迷惑をかけて終わるのだが・・・


関羽は深く考えることを止めた。


「まあ良い。彼女の正体が何であれ、遠からずわかるだろう。・・・この高校の特別クラスは正体を隠したまま平穏に過ごせるような場所ではないし、ただの“農民の妻”が在籍を続けられるようなところでもないからな。」


確かに、と言って、張飛は酷薄に笑う。




掲示板の前に、ようやく他の生徒がチラホラと集まってきた。


2人は人集(ひとだか)りを避けるため、その場から離れる。


すれ違った生徒は、目立つ容姿の2人を、頬を染めて振り返った。

長身の美形も然ることながら、隣を歩く可愛い男の子に見惚れてしまう。



天使のようなその笑みは、獰猛さも酷薄さもキレイに隠し去っていた。


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