平常 1
「お願いいたします!張公!!」
苦虫を噛み潰したような顔をしている剛の前に、深々と頭を下げる上級生が2人。
オリエンテーション合宿後1週間が経って、既に見慣れた朝の風景となっているその様子に、1年1組のクラスメートたちは誰も驚かなかった。
「わしは、もう関係ないと言っておる。」
「そこを何とか!」
「陛下をお止めできるのは、張公しかおられないのです!!」
剛の前にいるのは、両方とも青いタイをした2年生だ。
1人は、2年2組4番の小黒 祥太。前世は、魯粛 字は子敬 である。
文武両道の、孫権の信頼厚い呉の重臣だった。
魯粛は、呉の中でも劉備との同盟を主張し、蜀との友好連合策を目指した人物でもある。
そのためか、1年の教室に居てもあまり疎外感なく普通に受け入れられていた。
丁度登校してきた利長が、小黒の姿を認めて「おはよう。」と挨拶をしてくる。
関羽と魯粛は、蜀と呉の微妙な外交の最前線である荊州をめぐって何度も交渉を重ねた間柄だ。
あわや全面戦争かという場面で行われた“単刀会”は有名な話である。
それぞれ護身用の刀を持っただけの将校団を引き連れての、魯粛と関羽の直接対話。
これによって2国の全面武力衝突は回避されたのだ。
小黒もまた「おはよう。」と、かつての敵将に挨拶を返す。
それを皮肉に見ながら、剛はフンと横を向いた。
「わしなどより、横江将軍の方が、余程陛下のお気に入りであろう。」
横江将軍とは、魯粛のことである。
確かに剛の言うとおりの面もあった。
前世で、型破りで不遜な人物だった魯粛を、張昭は何度も非難しているのだが、孫権はその意見を聞かず、魯粛を尊重することを止めなかった。
「とんでもありません!」
小黒はプルプルと首を横に振る。
「陛下は私の意見に耳を傾けることはしても、ご自分の意志を曲げてまで私の意見をとり入れるなどということは有りません!そんなことができるのは、張公お一人だけなのです!!」
うんうんと小黒の隣に居るもう一人の人物が頷く。
彼は、2年3組8番、佐野 良。前世は、諸葛謹 字は子瑜 である。
諸葛謹もまた呉の重臣だ。
そして、彼は、諸葛亮の兄でもあった。
もっとも、既に登校していた明哉は、佐野とは軽く会釈を交わすだけで、親しく言葉を交わそうとはしない。
前世で兄弟だったとはいえ、互いに蜀と呉に別れ、それぞれに心から仕える主君を持った2人は、転生したからといって、その立ち位置を変えることをしようとはしないようだった。
「陛下の意志を翻すことができるのは、張公だけでいらっしゃいます!。」
大真面目な佐野の言葉を、今度は小黒が頷いて肯定する。
「・・・今度は、何をしろと言うのだ?」
イヤそうに、それでも2人の話を聞いてやる剛は、既に何回か2年の仲西の暴挙を止めている。
それは、例えば、「張公の転生を祝って、祝宴を開こう!」という校内での飲酒を未然に防ぐ事だったり、(「わしを”だし”にして飲もうなどと、不謹慎極まりませんぞ!!」と怒った剛の説教は2時間に及んだ。孫権は、酒が大好きで、おまけに酒癖が悪いので有名なのである。)「寮で虎を飼いたい!」という16歳の少年として微笑ましくも、馬鹿なのか?と疑わざるを得ないような夢を諦めさせる事だったりした。(前世で虎狩りが大好きだった孫権は、張昭に危険を訓戒されたことがあったのだが・・・あまり懲りてはいないようだった。)
今度は、何かと身構えていた剛に、言われた言葉は、拍子抜けするようなものだった。
「陛下は、ゴールデンウィークに主だった武将をご自宅に招待されるのです!それを止めてください!!」
・・・何かと思えばと、剛は大きく息を吐き出す。
全寮制の南斗高校では、ゴールデンウィークは間に挟まった平日も休日と振り替えて休みにする。つまり、今年はなんと10連休なのだ!!各々実家に戻ったり、旅行に行ったりと楽しく休暇を過ごす予定を立てるのが最近の生徒たちの楽しみだった。
「何で止める必要がある。良かったではないか。行って来い。」
勝手にどこへでも行けと剛は手を振る。
「良くありません!!」
小黒が悲壮に叫んだ!
「ゴールデンウィーク明けには、1週間も経たずに“中間考査”が始まるんですよ!!」
佐野の叫びは、切実だった。
聞きたくもない”中間考査”というイヤな言葉に、1年1組の生徒も顔を顰める。
しかし、哀しいかな、それが現実だった。
ゴールデンウィークは・・・浮かれて楽々休んだりすれば、その後に地獄が待っているという学生にとって落とし穴とも言うべき期間なのだ。
それでも1年はまだいい。入学してからあまり授業も進んでいない1年にとって、中間考査は中学の復習のような内容である。テスト期間も2、3年は3日間だが1年は2日間しかなかった。
「お願いします!!」
と小黒と佐野は熱く訴える!
昨年のゴールデンウィーク・・・同じように自宅に仲間を招待した仲西は、自主訓練と称して徹底的に彼らをしごいた。
仲西の実家は・・・なんと、日本屈指の大財閥であった。(理子も実はその財閥グループの一員の家のお嬢様である。)
大きすぎる家は、呉の主だった臣下全てを招いても余りあり、広すぎる鍛錬場とその設備は完璧で、当時の1年生はゴールデンウィークの間中、毎日を戦闘訓練に明け暮れるはめになった。それはひいては、当時2年の吉田の全校完全制覇の連覇を妨げる力の礎となったのだが・・・連休明けに待っていた中間考査の結果は、見るも無残なものとなってしまったのだ。
当時を思い出して、小黒と佐野の顔は曇る。
参加した者全員の平均点が赤点という前代未聞の1年1学期中間考査の結果に、教師陣も顔を引き攣らせていた。(仲西と荒岡は余裕の高得点保持者である。彼らはいわゆる天才と呼ばれる人種で、テストなど授業さえ聞いていれば普通に“できる”ものだった。小黒や佐野も流石に赤点はとらなかったのだが、そんな彼らがいても平均点が赤点ということは、他のメンバーの点数は推して知るべしだろう。)
1年の時でさえそうだったのである。2年に進級した今年の中間考査を考えれば【仲西主催ゴールデンウィーク強制自主訓練】は、何が何でも絶対止めて欲しいイベントであった。
「伏してお願い申し上げます!!・・・張公!!我らは良いんです!赤点の1つや2つ、後でいくらでも挽回できます!!しかし、武将の中には、1学期のこの考査で赤点をもらっては進級が危なくなってしまう者たちが何人もいるのです!!」
「これから、学校制覇を目指して戦闘は激化していくばかりなのに・・・せめて今回の考査で点数を稼いでおかなければ!!」
「彼らはっ!!」と言って絶句した2人の悲壮な叫びが、胸をうつ。
それは、1年にとっても他人事とはとても思えない叫びであった。
みんな・・・明日は我が身なのである。
「・・・周公は、どうされた?」
疲れたように、こめかみを揉みながら、剛は訊ねる。
周瑜であれば、彼らの事情を考慮してくれるはずだし、周瑜の言葉ならば孫権とて聞き入れるはずだった。
「彼は・・・」
しかし、小黒は言い淀む。
「今回の、ゴールデンウィークを一番楽しみにしているのは、実は周公なのです。」
顔を見合わせたのち、佐野は剛に事情を説明しはじめた。
仲西には、今年中学2年生の弟が1人いるそうだ。
今年中2ということは、昨年13歳になって前世の記憶を取り戻したという事である。
覇月という名のこの弟は、英気にすぐれ、鷹の子の如く俊敏な血気盛んな少年なのだそうだ。
「まさかっ!?長沙桓王さまか!?」
それだけで察したのだろう、剛が思わずといったように叫ぶ。
長沙桓王とは、孫権の兄、孫策の諡号である。
若くして散った“江東の小覇王”と讃えられる孫策は、容姿端麗、才気にあふれ、人を惹き付けて離さぬ魅力を持った男であった。
どうやら、今世においては、兄と弟は立場を入れ替えて転生したようだった。
周瑜と孫策が、”断金の交わり”(二人が心を合わせたら金をも切断するほど固く結ばれた友情という意味)と呼ばれるような間柄だったことは、誰もが知っている事実である。
「荒岡は、もう何か月も前から、カレンダーに印をつけて行く日を楽しみにしているんです。」
とても、「行きたくない!」などと言える雰囲気では、ない。
確かに、荒岡が仲西の弟に会える機会を無くすような進言をするはずがなかった。
「もう、頼れるのは、張公しかおられないのです!!」
小黒と佐野は土下座する勢いで、剛に頭を下げる。
剛の顔はますます不機嫌に沈むのだった。




