オリエンテーション合宿 27
桃の周囲に、続々と1年の軍団が駆けつけて来る。
「止めろ!理子!剛!拓斗!」
桃は、淡々と名を呼んだ。
然程大きな声とは思えないのに、その声は、よく通った。
「止めなさい!貴志!!」
黒鹿毛の大きな馬に騎乗している剛の後ろに乗せてもらっていた理子が、大声で叫び近づいてきた!
剛も理子も小柄で軽い体とはいえ、2人乗りでここまで駆けつけるのはたいへんだっただろう。剛は、馬をねぎらいながら、理子に続いて声を上げた。
「お止めなさい!陛下!!周公も、背後から矢を射かけるなど、将の風上にもおけぬ行為!他の誰が許しても、この昭が、許しませんぞ!!」
仲西と荒岡は、ビクリと体を震わせ、信じられないように、理子と剛を見た。
「理子と・・・まさか!?」
「・・・張公?」
張公と耳にした途端、仲西の碧の目は極限まで見開かれた!
「なっ?!まさかっ?!なんで!!1年に“公”がいるんだ!?・・・それに、何だ?その外見は!!有り得んだろう!!」
半ば、パニックを起こしていると言っても良いような状態だった。
・・・前世で、孫権が滅茶苦茶、張昭に弱かったのは、周知の事実である。
仲西は、震えあがって荒岡の陰に体を隠した。
「おだまりなさい!!!わしだって好きでこんな外見に生まれたわけではありません!!それを・・・他人の外見を論うなど!!君主として、あるまじき態度!!御母上が聞かれたら、どれ程嘆かれることか!!そこに直りなさい!!君主たる者、どうあるべきか!今日こそ、その身に叩き込んで差し上げます!!!」
剛の怒りは・・・怖かった。
仲西は、ますます青くなって震える。
「ま、待て!孤が悪かった!落ち着け!落ち着いて話せばわかる!!」
「黙らっしゃい!!!」
もはや・・・情けない事に、模擬戦の勝敗がどうのこうのというレベルではない言い争いだった。(ちなみに、“孤”というのは、君主の一人称である。)
間に挟まった荒岡とて、呉のご意見番とも言うべき張昭に物申せるはずもない。
美しい顔を困惑させて仲西と剛を交互に見詰めていた。
「本当にとんでもないわね!1学期間は手出し無用の決まりまで破るなんて!何を考えているの?!」
理子まで加わって、きゃんきゃんとまくしたてるものだから、堪らなかった。
呂布の猛攻にも怯まなかった2年の戦意が・・・すっかり失われてしまう。
理子と剛は馬から降り、同じその場に仲西と荒岡も降ろさせて、他の2年の面々も呼びつけ正面から向かい合った。
「そもそも、やつがれが陛下にもの申すのは、陛下の御母上が、御臨終のみぎりに・・・」
前世で耳にタコができる程に聞かされた張昭の決まり文句が始まる。
仲西は、体を震わせ縮こまり、荒岡や松永など他の2年全員が天を仰いだ。
“これ”が始まると、最終的に孫権が謝って、張昭共々感極まって、おいおいと泣き崩れるまで終わらないのが恒例だ。(ついでに言えば、“やつがれ”というのは”自分”の謙譲語である。)
自分たちの当初の目的も、何もかもを忘れて、呉の武将たちは、嵐の通り過ぎるのを待つかのように、じっとこの事態を耐え忍ぶのだった。
「陛下!お止まりください!」
桃の言葉を受けた拓斗は懸命に吉田たちに向かって馬を走らせる。
本拠地を占拠した吉田たちは、4組の旗の下に集まっていた。幸いな事に未だ旗は立てかえられていない。
その様子を目の当たりにして拓斗は唇を噛む。
吉田たちは、4組の女生徒・・・前世は呉夫人だと言われる”三須千怜”を人質にとっていた。
3年が此処を占拠したのは、ほんの少し前の事だった。
矢の尽きた瞬間に攻勢に出た3年に、残念ながら西村たち1年は、なす術もなかった。
西村は、自らは残り、他は全員に逃げろと指示したのだが、千怜は逃げるのなら西村も一緒だと言い張って逃げることをしなかった。
その結果、最後の抵抗をする西村の動きを封じるために、内山が命じて千怜を人質にとったのだった。
千怜の肩を掴んでいるのは、前世は典韋だという3年2組の岩間哲士という男子生徒である。戸塚並みの堂々とした体格のこの男は、実は男気に溢れる人物で、女性を拘束するという、自分にとって不本意きわまりない事態に困惑しきっていた。恐ろしい顔つきで仁王立ちをしているが、その実、千怜の華奢な肩を壊してしまいそうな恐怖を抱いて、実に恐々と抑えているのが実情であった。
そんな事とは傍目にはわからない拓斗は、この事態を見て愕然としていた。
「何という事を!陛下!!」
真面目な拓斗は非難の声を上げる!
「誰だ?」
そんな拓斗を興味なさそうに見ながら吉田は疑問を口にした。
「さあ?」
答える内山も素っ気ない。
脱力しそうになるのを堪えて拓斗は声を張り上げた。
「華歆です!!どうか、このようなご無体な真似はお止め下さい!!」
華歆と言われて、吉田は、「ああ。」と声を上げる。
「華尚書令か。」
「私の後釜ですね。」
内山もそう言って頷いた。
後釜とは言っても、華歆は荀彧より6歳年上である。曹操はそれより更に2歳上だ。
ただ荀彧は29歳で曹操に投じており、華歆はそれより9年遅れ44歳の時に曹操に帰している。
つまり仕える時期が荀彧の方がずっと先輩だったのだ。
当然、前世で年上だったからと、内山が拓斗を敬うはずもなく、年齢も位も上だった吉田にいたっては、拓斗の言う事など、聞くはずもなかった。
「そうか。お前は1年に転生したのか。それは災難だったな。安心しろ。お前ほどに優秀な文臣であれば、いつでも召し上げよう。そうだな、とりあえず俺の名代ということで1年をまとめてみるか?お前であれば造作もないことだろう。」
「お断りします!!」
なんて恐ろしい事を言うのだと拓斗は顔色を悪くする。1年のこのメンバーを自分がまとめるだなんて、天地がひっくり返ってもありえない!!
「それより!本当にお止め下さい!!勝つためとはいえ女性を人質になさるとは、お気が触れたとしか思えません!このように”国の命運も人の命もかかっていない戦い”で、そのような真似をするなど、御名に傷がつきます!」
勢い込んで拓斗が言った言葉に、吉田はフンと鼻を鳴らす。
「その言葉、そっくりそちらに返そう。”国の命運も人の命もかかっていない戦い”なのだ。よもや1年は自分たちの勝利のために、この女性を犠牲にするなどという真似をしないだろうな?・・・そんなことをするのならば、地に落ちるのは1年の評判だぞ?」
自分たちで先に人質をとっておきながら、厚顔無恥にも程があると言うセリフを、ニヤリと笑って吉田は言う。
「!!・・・なんという!」
拓斗は絶句した。
「厚かましいにも、程があるな。」
西村がポツリと呟く。
「・・・そうね。」
澄んだ高い声が、その場に聞こえた。
的盧に乗った桃がこちらに着いたのだった。
西村は桃の姿を見て、唇をキュッと引き結ぶと深く頭を下げる。
「守り切れず申し訳ありません。」
桃は、西村の態度に驚いたように目を瞠ったが・・・少しして静かに首を横に振った。
「十分です。よく守ってくれました。・・・もう、大丈夫ですよ。」
桃は安心させるように自分の背後を指し示す。
桃の後ろには天吾が控え、翼や利長、陸といった他の武将たちも続々と向かってきていた。
黒馬に乗って駆けて来る明哉の姿も大きく見える。
桃は、西村から視線を外すと、そのまま吉田の方を向いた。
「降参してください。いくら人質を取ろうとも、この戦力差で3年生が勝てるはずはありません。その程度の戦況は当然お読みになれるのでしょう?」
桃の言葉に、吉田は目を大きく見開く。
「確か・・・”相川 桃”といったか?まさか、1年の代表は女なのか?!」
今の今まで代表は、諸葛亮だと思い込んでいた吉田たちだった。
しかし、今この場に現れた、この少女。
周囲の者の彼女への態度。
何より、的盧と思われる馬に跨るその姿。
まさか・・・と、3年の誰もが思った。
代表と言われて、桃は嫌そうに顔を顰める。
「1組のクラス委員長なだけです。」
「委員長?・・・諸葛亮も1組と聞いたぞ。それを差し置いてか?!」
自分でも不本意な事を言われて桃の顔は、ますます顰められる。
不機嫌に黙っていると、「まあ、良いか。」と桃の返事も聞かずに、吉田は言った。
「1年の代表が誰であろうと関係ない。この勝負の勝者は、俺たちだ。」
堂々と宣する。
「この戦力差で勝てるとでも?」
冷静に桃がきいた。
「俺たちの勝利条件を知っているか?」
楽しそうに吉田は、細い目をなお細める。
吉田の手は、4組の本拠地に立っている旗にかかった。
「この旗を立てかえるだけだ。時間は一瞬でかまわない。それぐらい、数分もあれば事足りる。例えそちらがどれほどに多勢でも、人質のある状態で、俺達5人を打ち破って、俺を止められるとは思わないな。」
吉田は、自信満々だった。
確かに吉田の言うとおりだとすれば、1年には、勝ち目はないように思えた。
しかし、桃は少しも慌てなかった。
「あなたに旗を立てかえる事はできません。」
穏やかとも言える桃の言葉に・・・その態度に、吉田は激昂した!
「負け惜しみを!!!ならば、見ているがいい!!!」
怒鳴ると、旗にかけた手に力を入れてグッ!とそれを引き抜こうと・・・した。
・・・したように見えた。
しかし、旗は1ミリも動かなかった。
確かに、手に力が入り、吉田の細身ではあっても鍛えられた筋肉が盛り上がっている様子が服の上からでも見受けられる。
それなのに、ただ無造作に突っ込まれているように見える旗はビクともしないのだ。
「なっ!?」
吉田が焦る!
「何だ!?この旗は!!岩間!!!」
岩間は千怜を人質に取っているのだが、それにかまわずに、自分の代わりに旗を引き抜くように指示をする。
岩間が手を放した途端、千怜は走ってその場から逃げ出したが、思わぬ事態に驚いている3年は、そんなことを気にもとめなかった。
代わった岩間が、その逞しい全身を使って渾身の力で旗を引き抜こうとするが・・・果たせない。
あまりの事に、吉田をはじめとした3年も・・・
もうダメだと思っていた1年も・・・
ようやく剛の説教から解放されてこちらに移動してきた2年も(当然、1年の軍団に周囲を囲まれ囚われている。)・・・
等しく呆気にとられて目を瞠った。
慌てていないのは・・・桃と西村だけだった。
西村がゆっくりと自分のポケットからチューブ状の何かを取り出して、ポンとそれを吉田に投げる。
反射的に受け止めて、手の中のそれを見た吉田は、ポカンと口を開けた。
「ア○ンアルファ?」
それは、超強力瞬間接着剤であった。
しかも、自宅のソファーで空を飛べるという意表を突くCMで有名なEXTRAゼリー状タイプである。
「まさか?・・・」
呆然自失とした吉田のつぶやきを聞いて、西村の口角が上がる。
「うちの組の旗は、全部接着済みです。どんな豪傑であろうとも引き抜く事などできませんよ。」
淡々と西村はそう説明した。




