オリエンテーション合宿 25
丘の斜面はなだらかだが、速度を上げて馬で駆け降りるには相当な技量を必要とする。
なのにそれを事もなくこなす10騎の騎馬は、いずれも16〜18歳の若者たちばかりであった。
今世において、彼らが馬を得て乗り始めたのは3年生であっても2年前、2年生はわずか1年前でしかないはずだ。
とてもそうとは思えない見事な手綱さばきで彼らは馬を操っていた。
前世の記憶を持っているとはいっても、その技量は流石と認めるしかないものだった。
一際早く疾風のように駆け降りる一軍を目標に決めて、5組の串田・・・呂布は赤兎馬を急がせる。
呂布の率いる隊も相当な手練れ揃いであったが、流石に赤兎馬に敵う者はいない。
まさか置き去りにして駆けるわけにもいかず、串田はジリジリとした思いを抱きながら必死に周囲を急かせていた。
串田の気分的には、単身攻め入って、5騎や10騎の敵などは、愛用の武器である方天画戟の一撃で屠ってしまいたい思いだったが、この場面では拙速に過ぎると言われるだろう。
なによりここには、そんな武器などなかった。
先端に朱いスポンジのついている軽すぎる戟を、串田は皮肉に見やる。
(おもちゃだ。)
だが、それでも何も無いよりは、ましだった。
“呂布”は、これから戦いに臨むのだ!
「ハッ!!」
串田の気分は昂揚し、自然に獰猛な笑みが口元に浮かぶ。
・・・その笑みが、ふいに緩んだ。
串田の口中に、今朝方食べたパウンド・ケーキの甘い味が、ふと思い出され広がったのだ。
桃が、特別に自分のために作ってくれたと西村が言った、パウンド・ケーキ。(当然、串田の“脳内誤変換”である。西村は、5組で渡すのは串田だけだと言ったのであり、串田のために作ったのだとは一言も言っていなかった。)
桃のことを思うと、串田の心は不思議な熱い想いに締め付けられる。
前世の自分を死に追いやった“劉備”であり、そのことを否定する“女”。
それに苛々するのだと思っていたのだが・・・
思わず憤りをぶつけてしまった、あの自習室を思い出す。
戸塚は“気になる、好きな女”と、そう言った。
“前世は関係ない”とも。
言われれば、ぐうの音も出ない自分がいた。
だからといって、素直に認めるのは、癪に触る。串田は、自他ともに認める意地っ張りな人間だ。
(だが、今日この時だけは!!)
甘かったパウンド・ケーキの、舌に残る味にかけて!
(必ず勝つ!・・・桃、お前のために!!)
「急げ!!」
串田は、自分の隊の仲間に檄を飛ばした。
「止まれっ!!」
串田の大音声が響く!!
連環の鎧を着、頭上に紫金冠をいただき、巨大な戟をひっさげて迫りくる、その姿。
跨るは逞しい無双の赤き名馬だ。
呂布の“勇姿”は一目で誰の目にも、それと知れた。
「!?呂布か!!」
思いもよらぬ早い段階で自分たちに向かってくる敵・・・しかも呂布の存在に、仲西も驚く。
オリエンテーション合宿で1年はある意味隔離されていた。
入学式の翌日に即合宿に入ったことも重なって、1年の情報は皆無に等しい。
それでも、ところどころ伝わった情報の中には、残念ながら呂布の存在を示すモノはなかった。
「上々です!呂布をこちらに引き付けられれば、3年の動きは楽になる。」
冷静に荒岡が情勢を判じる。
言われてみればそのとおりだ。
今回仲西たちの役割は、囮のようなものだった。もちろん自分たちで陣地の1つを占拠し、旗を立てられれば、それに越した事はないが、あくまでそれは3年の仕事。2年の本務は1年を攪乱し、できるだけ注意を引き付けることだった。
「俺が行く!」
迫ってくる呂布から仲西を庇うかのように鹿毛の馬を前方に出したのは、堂々とした風采の若者だった。
2年1組33番 松永 広大
前世は程普 字は徳謀である。
孫権の父、孫堅の時代から仕えた古参の武将で数多くの戦いに参戦し、幾たびも功績を上げている力ある将だ。
かの有名な赤壁の戦いで周瑜と並んで呉軍を率いたのも程普である。
若くして主君となった孫権を張昭と共に支えた人物でもあった。
「程公、相手は呂布です。いかに程公ほどのお方であろうと、お1人では危険です。」
程普は・・・松永は苦笑して、話しかけてきた荒岡を振り返った。
「櫂、戦いになるとやたら遜った態度になるのは、いい加減止めろ。俺たちは同級生だぞ。確かに前世で俺はお前を生意気な若造だと思っていた時期もあったが、結局は認めただろう?お前が俺にそんな態度をとる理由は何もないんだ。」
言われて荒岡は、綺麗な顔を赤らめる。
「そうでしたね。・・・広大。」
「それでいい。・・・呂布の事は心配するな。あいつの恐ろしさは、お前らよりも俺の方が余程よく知っている。1人で当たる気など毛頭ないさ。援護を頼む。」
ニカッと笑った松永に、荒岡はしっかり頷いた。
その様子を見てから、松永は頭を上げる。
「いざ!参る!!・・・呂布!走るを止めよ!!我は、程普!いでや来れ!」
堂々と名乗りを上げると、松永は馬首を串田に向けて打ちかかって行く。
手綱を引いて赤兎馬を止めた串田は、楽しそうな笑みを浮かべた。
「程普・・・“江東の虎”の四将の一か。肩慣らしに丁度いい。我より逃げぬその意気や、良し!・・・いざっ!!」
掛け声と共に、あっという間に赤兎馬で距離を詰めた串田は、大きく戟を振るった!
ガキッ!!という音と共に、松永の矛と戟とがぶつかりあう。
“江東の虎”とは、孫堅のことだ。
孫堅に仕えた程普を筆頭とした4人を、四将と呼んでいた昔を、一瞬松永は懐かしく思い起こした。
今となっては夢のような遥かな前世。
「えいっおっ!!!」
串田の・・・呂布の重い一撃を受け止める。
腕がビリビリと痺れた。
後方から荒岡たちの射る弓が、力押しで押してくる串田を牽制し、引き離す。
呂布の配下の者たちが、そんな荒岡たちに剣を向けて行った。
その隙に松永は、自らの矛を渾身の力で突き出した。
串田は、軽く体を捻って、それを躱す。
(やはり、強い!)
松永は、気を引き締めた。
戦いの高揚感が湧き上がってくる!!
漢たちはそれぞれ正面から、正々堂々とぶつかりあった。
西村は、然程離れていない4組の陣地内で始まった串田と2年の戦いを、忌々しそうに見詰めていた。
まあ、仕方がないと言える展開だ。
先に丘を駆け下った5騎をそのまま放っておくわけにはいかない。
誰かがそれを迎え撃たなければならなくて、今この時点で4組の陣地内で自由に動けるのは串田の軍だけならば、それは当然の対応だった。
(しかし・・・)
問題は、遅れて降りてくる残りの5騎だ。
中でも全身緋色で固めた1騎に、否が応でも目が引き寄せられる。
紅の鎧、紅の兜、馬の鞍まで紅の、その1騎。
(どう見ても曹操だな。)
西村はため息を堪えることができない。
敵は総大将ともいうべき曹操自らが出て来ているのに、迎え撃つこちらに居るのは、自分以外は呉夫人である千怜を中心とした非力な者ばかりだ。
単純に数だけ見れば、1年の方が勝っている。
しかし・・・
(質が違い過ぎるだろう。)
いくら数が勝っていても、ウサギがライオンを倒すことはできないのだ。
しかも、この戦いの当のライオンは、ウサギを倒すのにも全力を出す気満々なのだ。
(止めろよな。)
法正は憮然とした。
ライオンならライオンらしく昼寝でもしていて欲しい。
そう考える法正は間違っていないはずだ。
「護軍将軍。」
蒼白な顔で千怜が西村に声をかける。
千怜たちは西村の指示の元、3班に分かれ襲い来る5騎の騎馬に準備している。
「大丈夫です。言ったとおり次々と、矢のつきるまで交替で弓を射ってください。幸い矢の備えは万全です。陛下は出来うる限り速やかに将を遣わしてくださるでしょう。それまで持ちこたえれば良いだけですよ。」
問題は本当にそれまで持ちこたえられるかどうかという事だけだ。
タイミングは・・・かなり危うかった。
そんな不安をおくびにも出さず西村は安心させるかのように、笑いかける。
不安を感じているだろうに、千怜は弱々しく、それでも笑い返してくれた。
西村の合図で、千怜たちは弓を構える。
3年の騎馬が射程距離に入った。
キリキリと弓を引き絞る、その部隊に、西村は合図をくだした。
「射よ!!」
弓から放たれた矢が、一斉に吉田たちの上に降り注ぐ。
後日振り返れば、わずか数十分の・・・しかし、今現在の西村たちにとっては、果てしなく長く感じられる4組の本拠地をかけた攻防戦が、始まった。




