オリエンテーション合宿 22
「貴方たちは、馬を失いました。速やかに降りて投降しなさい。ここで無駄な抵抗をしても、足を失った貴方たちは直ぐに2組の部隊に捕まるでしょう。貴方たちの一発逆転のチャンスは失われたのですよ。もはや打つ手はありません。・・・わかりますね?“幼常”。」
静かに語りかけてくる・・・その声。
前世で本物の諸葛亮であった昔も、今も、一際人目を惹く美しい男が、変わらず馬謖を“幼常”と・・・字で呼んだ。
「明公・・・」
思わず、清水の口から声が漏れる。
「?・・・幼常!?」
清水の仲間たちから驚きの声が上がった。
それに明哉は呆れたような一瞥を投げる。
「当たり前でしょう?本物の“私”が此処にいるのです。・・・彼が“諸葛亮”のはずはありません。彼は・・・“清水 虎太郎”は、“馬謖”ですよ。」
4組の仲間たちは、目を見開き清水を見詰める。
確かに・・・彼らは、清水が孔明ではない可能性を考えなかったわけではなかった。
入学当初、沢山いた“諸葛亮”は・・・今では1組の多川と4組の清水の2人だけになっている。
関羽や張飛といった他の武将たちも、今となっては偽称する者は・・・皆無だ。
入学式が終わり、オリエンテーション合宿が始まって今日で6日が過ぎた。
この6日間、生徒たちは、ただ安穏と過ごしていただけでは決してなかった。
クラス対抗競技会という名の“戦い”の中で、互いに競い、力を出し合って日々を過ごしてきていたのだ。
そして、その中で・・・本物と偽物の差は全てにおいて歴然として現れていた。
誰が見てもわかる・・・本物と偽物の違い。
その事実の前で、偽称していた者たちは、1人また1人と名を偽る事を止めていった。
(劉備を騙る者もまた同様にいなくなっていたが、こちらの事情は、少々違っていた。・・・劉備は、未だ本命が正式には、現れていない現状だ。偽称者が遠慮をする相手はいないのだ。・・・しかし、劉備の名を偽称する事を、劉備に忠誠を誓う武将・・・関羽や張飛たちが許さなかった。彼らの本気の怒りを前に、怖気づいた劉備の偽物たちは、名を偽る事を止めたのだった。)
そんな中、2人残った・・・諸葛亮。
本命は・・・1組の“多川 明哉”だった。
彼の言動は前世の“丞相”をありありと思い起こさせる。
諸葛亮に近い位置に居た者ほど、多川を本物と認めた。
そうさせる“モノ”を多川は持っていたのだ。
4組の生徒たちとて、それを認めぬわけではなかった。
多川は・・・諸葛亮だと思える。
しかし、同じく諸葛亮を名乗る自クラスの清水もまた・・・あまりにも“優秀”だった。
知識の豊富さ、頭の回転の速さ、自分たちには考え及ぶこともできないほどの発想の豊かさ・・・清水は、その全てに優れていた。
そして、何より彼の“弁舌”に彼らは、感じ入った。
模擬戦の流れを正確に予想してみせ、その上で自クラスが勝利する策を考案し、わかり易く説明する。
聞き入った彼らは、驚き感嘆し・・・そして思ってしまうのだ・・・この“清水”こそが諸葛亮なのかもしれないと。
それ程に、清水の才は群を抜いていた。
・・・迷う彼らは、結局、自クラスに三国志随一の天才軍師“諸葛亮”がいるという、自分たちに都合の良い“事実”を信じることを選んだ。
前世の記憶を持つとはいえ、彼らは15歳の少年なのだ。それは、仕方のないことかもしれなかった。
・・・そして、少年たちは、真実に目を瞑り自分たちに優しい方を選んでしまったつけを払うはめになる。
「・・・馬謖?!」
「当たり前でしょう。私の名を騙り、私に成り済ます事の出来る者など“幼常”以外にありません。・・・私が、我が子同然に慈しみ、側に置いた“幼常”以外にね・・・」
苦く話しながらも、明哉の言葉には慈愛が溢れていた。
「・・・明公。」
呆然と清水は呟く。
そんな清水に、”不破 陽向”はズンズンと近づくと、馬の手綱に手をかけて、清水に馬から降りるようにと促した。
「さっさと尊兄のお言葉に従え。お前は、いつも”我が儘”が過ぎる。あれ程俺が注意していたのに・・・」
その口調。
その態度。
諸葛亮である多川を尊兄と呼ぶ・・・人物。
「・・・兄さん?」
まさか?と呟いたきり、固まってしまった清水を、半ば強引に陽向は馬から降ろす。
立って向かい合った彼らは、ほぼ同じくらいの身長だった。体型も似ている。
転生したのだ、今の彼らに血のつながりなど無いはずなのに・・・どこか2人は似ていた。
そのまま清水を立たせたままで・・・その頬を、陽向はギュッと握りしめた拳で・・・殴った!!
ガッ!と痛そうな音が周囲に響く。
堪え切れず清水は、その場に尻餅をついた。
「?!」
痛みよりも驚愕が勝る!
・・・何が起こったのか、一瞬清水にはわからなかった。
馬良は・・・穏やかで優しい兄だった。
才気煥発で弾けるような魅力をいつでも発していた馬謖と比べ、才はあってもそれに驕らず誠実で、どちらかといえば地味な印象を与える人物でさえあった馬良は、自らの才に溺れるようなマネをする弟をいつも静かに窘めていた。
「お前って奴は・・・」
呆れたようにそう言ってから始まる説教は、いつだって愛情に溢れ、馬謖を案ずる思いに満ちていた。
・・・未だかつて、こんな風に殴られた事など一度もない!!
「恥を知れ!!自らの汚名返上のために、尊兄の威光を借り、事を成そうとするなどと!!・・・しかも、こともあろうに“陛下”に対し剣を向けるなど!!!断じて許される行為ではない!!!」
激昂して怒鳴る兄の姿に、清水は震える。
あまりの事態に考えることもできなかった。
「謝れ!!・・・お前と俺の情けない頭2つを下げた所で、到底許される罪とは思わないが、何よりまず!謝罪することが先だ!!尊兄と、陛下に対して土下座して詫びるんだ!!」
そう言うと陽向は、倒れたままだった清水の側に近寄り、清水の頭を地面に押さえつける。
そのまま、自分も地に額をつけ、明哉の前に平伏した。
清水は、その全てをされるがままに受け入れ・・・どこか呆然と、陽向の・・・兄、馬良の姿を見た。
馬良は・・・泥にまみれていた。
先ほど土を払った行為を全て無駄にして地に伏せたためだ。
(・・・兄さんが・・・俺のために?)
何故、そんなことをするのだと・・・思った。
兄は・・・馬良は、自分と違い何一つ間違った行為などしていない。
何時だって、清廉潔白な正しい行いしか自らに許さない兄なのだ。
何故その兄が、自分などのために、地に額ずいているのか?!
「・・・止めろ!」
知らず、叫んでいた。
陽向の手を払い、その体を引き起こす!
額についていた泥を・・・震える手でぬぐった。
「幼常?」
「止めろ。・・・止めてくれ!・・・何故兄さんが、俺のために謝るんだ!?俺なんかのために・・・な・んで・・・」
清水は・・・泣いていた。
どうしようもなく、心が締め付けられ・・・手先の震えが止まらない。
悔しくって・・・
情けなくって・・・
そして・・・嬉しかった。
「お前は、俺の弟だ。」
一緒に謝るのは当然だと言ってくれる・・・兄の存在が、泣けるほどに嬉しかったのだ。
涙で霞む視界の端に・・・フワリと動く羽扇が映る。
「2人とも、顔を上げなさい。・・・桃を狙ったことについては謝る必要は、ないでしょう。これは、クラス対抗の模擬戦です。戦いにおいて、敵の大将の首を狙うのは当たり前の戦法です。そのことを責めようとは私は思いませんし・・・“桃”も思いはしないでしょう。」
明哉の落ち着いた声が静かに響いた。
「しかし!!」
なおも言いつのろうとする陽向を、羽扇が止める。
「幼常の“間違い”は、そんなことではありません。」
わかっているでしょう?と、明哉は2人に確認する。
「彼の”間違い“は、ことを行うにあたって、我が名”諸葛亮“を騙ったという一事につきます。・・・他者を動かす者には、責任があります。偽の名を使うということは、自らが負うべき責を投げ出すことに等しい。それは、他者に対しても、自分に対してさえも許されない行為です。」
厳しい口調に、清水も陽向も言葉を失う。
悄然と項垂れた。
「・・・もっとも、幼常の気持ちもわかります。」
明哉の言葉に、弾かれたように顔を上げる。
「確かに、今この時点で、“馬謖”に従う者はいないでしょう。例え、それがどれ程に良策であっても“馬謖”の名を聞いただけで、その声に耳を傾ける者はいない。」
明哉が見やる先で、ようやく馬から降りた4組の者たちは、その視線から戸惑うように顔を逸らした。
確かに明哉の言うとおりだった。
敗戦の責任を負って処刑された“男”に、すき好んで従う者は、彼らの中にはいなかった。
清水が、模擬戦で勝利を得ようとすれば、偽名を使わざるを得ない状況だったのだ。
それでも・・・と明哉は話す。
「そうであったとしても・・・幼常、お前のしたことは、“誤り”です。・・・例え、どれほど話を聞いてもらえず顔を背けられたとしても、お前は自らの“名”で仲間を説得するべきでした。自分の信ずることに恥いるところがないならば、誠心誠意、相手にぶつかるべきでした。・・・この戦いには、国の命運も人の生死もかかってはいません。そんな戦いを偽称してまで勝つ必要など、どこにもない。・・・それがわかっていながら、己の真の姿でぶつかっていくことができなかった時点で、お前の“敗け”は、決まっていたのです。」
明哉の言葉は重かった。
「“誤り”の上に、得られる勝利など、ありません。」
きっぱりと宣される。
・・・事実、そのとおりだった。
本来であれば、明哉が勝利を得るのに、こんな大がかりな仕掛けは必要なかったのだ。
それどころか、剣の一振り、弓矢の1本さえも必要とはしない。
勝つためには、ただ4組の誰かに一言囁くだけで事足りた。
お前たちの従っている相手は、“馬謖”なのだ・・・と。
それだけで、4組の結束はバラバラになり、清水は孤立し、敗けただろう。
それをせずに正々堂々と真正面から戦って、4組を打ち破ったのは、全て清水の驕りを打ち砕くためだった。
完膚なきまでに叩いて、己の力のなさと非の両方を認めさせる必要が清水にはあった。
「明公・・・」
清水は、明哉を仰ぎ見る。
「真の自分にかえって、一から出直しなさい。理解されないのならば、理解してもらえるまで誠意をもって相手に向かい、努力しなさい。我らは転生しました。・・・お前は、生まれ変わって、本来であれば決してなかったはずの、“やり直し”の機会を与えられたのです。努力しないでどうするのですか?」
明哉の言葉は、広い大地に染みるように響いた。
「・・・私は、やり直せるのですか?」
呆然と問い返した清水に、明哉は頷く。
・・・清水の目から、涙がポロリとこぼれた。
「やり直そう、幼常!俺も協力する。一緒に頑張ろう!」
陽向の・・・兄の力強い言葉に、清水は何度も頷いた。
「ありがとうございます。・・・御名を騙り、申し訳ありませんでした!」
そう言って、清水はその場に膝をつき深々と頭を下げた。
明哉は、満足そうに笑った。
大地に風が吹き渡る。
バタバタとあちこちで旗の“鳴る”音がする。
まるで、自らが空を渡る鳥になったかのような心地で、その風景を見、風を感じ、音を聞く。
明哉は、その顔を4組の方へ・・・その背後の小高い丘へと向けた。
「さて・・・そろそろですかね?」
その疑問は、独り言のように呟かれた。
「尊兄?・・・」
言葉に驚いて下げていた顔を上げた陽向と清水は、揃って息をのんだ!
凛として立つ明哉の顔に・・・好戦的な笑みが浮かんでいた。
なんとも美しく物騒な笑みの中の、瞳が強く光る。
「!!・・・尊兄?」
「・・・来るのですよ。招かれざる客がね。」
白い羽扇がスッと小高い丘の頂上を指し示す。
「!!」
驚愕に明哉以外全員の顔が強張る!
何時の間に現れたのだろう?
そこは、2本の旗が風を孕んで大きく靡いていた。
1本は、青地の旗で中に大きく“魏”の字が黄色で描かれている。
もう1本は、赤地の旗で、こちらは“呉”の字が黒く染め抜かれていた。
遠目でも、否が応にもわかる・・・その旗。
蜀の宿敵・・・覇権を争った2国の“旗”。
小高い丘の上に、魏と呉の旗が風に吹かれ翻っていた。




