オリエンテーション合宿 18
馬謖、字は幼常。
名家、馬家の五人兄弟の末っ子に生まれた彼は、頭が良く軍事理論が好きな利発な若者だった。
この若者を諸葛亮は、たいそう気に入り高く評価していた。
一方劉備は、馬謖のことを「口先ばかりで現実的でない。」と断じ、諸葛亮が馬謖を重用する事の危険を注意していた。
しかし・・・諸葛亮は劉備亡き後の戦いでその言葉を無視して馬謖を起用し、結果、劉備の危惧したとおりの敗北を喫する。
・・・功を焦った馬謖の失態が、敗戦の原因だった。
馬謖は、この責任を問われて処刑されてしまったのである。
「あの者が、自分の本当の名を名乗れずに偽名を使う気持ちは・・・よくわかります。私の名を騙るのも、その名に相応しい功績を上げて少しでも皆に自分を見直してもらいたいからでしょう。・・・まったくもって、見当はずれな目論見だと言うしかない事ですがね。」
淡々と語る明哉に、戸惑いの目を向けながら悠人がたずねる。
「それは、本当に馬謖なのか?・・・何故そうだとわかる?」
何を当たり前のことをと明哉は返した。
「おかしなことを聞きますね?将軍はかつての自分の部下を見つけるのに明確な理由を必要とするのですか?・・・そんなものはなくとも自然にわかるものでしょう?前世での交わりが深ければ深いほど、何もなくとも、わかるものです。その者の立ち居振る舞い、ふとした仕草・・・そのどれもが無意識の内に自分に訴えかける。・・・“あぁ、この人なのだ”と教えてくれるのです。」
そう言うと、明哉の目は自軍の・・・1組の本拠地に向けられた。
そこに誰がいて、誰を思っているのかは、誰の目にも明らかだった。
・・・言われてみれば、それは悠人にも覚えのあることだった。
陸が自分は厳顔だと名乗った時も、“やはり”と思った悠人だった。
かつて共に戦った、かけがえのない友や配下の者。
・・・そして、身命を捧げた主。
悠人も、陸も・・・明哉の言葉は実感として身に染みた。
「馬謖を止めるのは“私”です。・・・“私”でなければならないでしょう。協力してくれますか・・・悠人?」
「おう!」
「陸?」
「もちろんだ!」
明哉の問いかけに力強い声が返る。
そこで止まると思った明哉が、そのまま問いかけを続ける。
「・・・季常?」
悠人と陸は、驚いて何時の間にかその場にいた、第三者の姿に目をやる。
それは、同じ2組の不破 陽向という生徒だった。
「はい。・・・尊兄。」
諸葛亮を”尊兄”と呼ぶ・・・男。
それは、馬謖の兄・・・馬良であった。
馬良、字は季常。
馬謖のすぐ上の兄である馬良は、馬家の5兄弟の中で最も優れていると評された男だ。眉が白く、この事から優れた人物を”白眉”と呼ぶ故事がうまれる元となった男だった。
「陽向!・・・お前?」
驚く悠人と陸に、陽向は生真面目に頭を下げる。
「騙して、すまない。・・・俺は、何としても“弟”を捜したかった。弟は、俺だとわかれば絶対に近づいて来ないと思ったから、偽名を使って目立たぬように振る舞っていたのだ。俺の私事のために、2組のみんなを欺いていた事を謝る。」
真剣な表情の陽向に、悠人も陸も責める言葉を失う。
陽向の気持ちもわかった。
馬謖が功を焦ったのは、優秀な兄、馬良へのコンプレックスが原因だとも言われているのだ。
前世で馬良は、馬謖が失態を犯す前に死んでしまっている。今世では何が何でも弟を助けたいと思っているのだろう。
「済んだ事は問いません。問題はこれからのあなたの働きです。・・・一気に攻め入ってくる”清水”を叩きます!桃に、指一本触れさせるわけにはいきません。・・・協力してくれますね?」
明哉の言葉に、陽向はその場で叩頭する。
「ご命令のままに。・・・“尊兄”のお言葉に従います。これ以上、弟に間違った行為をさせるわけにはいきません。自分の功のために、“あの方”に剣を向けるなどと・・・例えそれが、この“模擬戦”の主旨であったとしても、許されることではありません。」
陽向は、今まで目立たずに周囲をずっと観察してきていたのだ。
4組の清水が捜していた“弟”だということは直ぐにわかった。
・・・諸葛亮を名乗る意図も。
同時に、他の人物もつぶさに見て来ていた。
明哉の言うとおりだった。
わかるのだ。前世で、側近くに居た人物で、あればあるほど、それが誰かということは。
何の証拠も根拠もなくとも、それは当然の事として自分の心で・・・感じる。
自分の感じた真実は、“弟”の行為を例えようもなく愚かで許されぬ事だと判じた。
“弟”にそんな真似をさせるわけには、いかなかった。
・・・誰より、“弟”自身のために!
陽向はそう決意していた。
満足そうに明哉は、陽向に向かって頷く。
明哉も“馬謖”をどうしても止めたかった。
・・・この手で止めて“馬謖”が、死してもなお囚われている“孔明”の名から解放してやりたい!
明哉もまた・・・心の内で固く決意していたのだった。
「西村!真面目にやれ!」
飛んできた苛々とした声に、あくびをしながら“西村 智也”・・・法正は振り返る。
「やっているだろう。こちらの守りは万全だ。どの拠点にも敵の1人として近づけてはいない。・・・後は、お前のお手並み拝見だ。頑張ってくれよ、“丞相”殿。」
ニヤリと笑って言いながら、ヒラヒラと追い払うように手を振る西村の姿に、忌々しそうに舌打ちしながら清水は離れて行く。
西村は、もう一度大きくあくびをした。
「・・・ったく、こちとら朝早くから働かされて眠いんだ。バカにつきあっていられるか。」
首と肩をグルグルと回しながら、西村は周囲をグルリと見回す。
「まったく・・・バカばかりだ。」
1人呟いた。
4組は、清水の奇襲作戦を秘密裏に行うためにクラスを大きく2つに分けていた。
1つは、清水を中心とした、力のある武将で固めた急襲部隊。4組の戦力は、ほとんどここにつぎ込まれている。
残った、あまり戦力にならない者たちの部隊をまとめているのが、西村だった。
呉夫人のように1組寄りと思われる者たちも当然こちらに組み込まれている。
4組の守備を一手に引き受けていた。
「このメンバーで、守備を担えだなんて、清水も無茶振りをしてくれるよな。」
くどく西村だが、先ほど清水に言ったように、守りは万全である。
攻め入った陸が引き上げざるを得ない、兵法のお手本のような堅実な守りは、西村の指示によるものだった。
(・・・陽動作戦なんぞにひっかかるかよ。そもそも、ひっかかれるだけの余分な兵力を持ってないっつーの。)
心の内で西村は皮肉な悪態をつく。
それでも、西村の見事な采配のおかげで4組は守られていると言って良かった。
清水は、戦闘開始当初に目くらましのために2組を攻撃するふりをして、その後温存していた部隊に急襲の準備を急がせている。
(・・・本当にバカばかりだ。)
心の内のくどきは止まらない。
(何故、真の敵が見えない?・・・見えているのは俺と・・・もう1人・・・)
・・・西村は朝早くから働くはめになった出来事を思い返す。
三度出かかったあくびを堪えて、目じりに涙が浮かんだ。
早朝西村は、ふと目を覚まし・・・今日の模擬戦を思い、イヤな“予想”に気を滅入らせた。
どう考えても自分の“予想”は当たりそうで・・・なのに他の誰を見ても・・・本物の諸葛亮のはずの1組の多川さえ、その可能性に気づいていない様子に、心底嫌気がさしていたのだ。
(清水なんかに拘り過ぎだ!)
心の内で、多川に文句を言う。
前世の時から諸葛亮は馬謖に目をかけすぎていた。
(弟か何かのつもりだったのだろうが・・・)
もっと冷静になれと言ってやりたかった。
苛々として・・・結果、目が冴えてしまった西村は、何か冷たいモノでも飲むかと、部屋を出て食堂に向かった。
・・・食堂には、先客がいた。
正確に言えば、食堂ではない。
食堂に続いた厨房に・・・1組の“相川 桃”の姿を西村は見つけたのだった。




