オリエンテーション合宿 16
4組の前に、5組のお話が入ります。
清水虎太郎くんの正体を楽しみにしていらっしゃる方・・・もう少しお待ちください。
「思ったより、戸塚くんは苦戦しているようだね?」
5組の本拠地で牧田は、生真面目そうに髪を三つ編みにした少女に話しかける。
「1組の攻撃には、私憤が入っていますから。」
淡々と返す少女は、“橋爪 芽生”といった。
・・・諸葛亮の前世の妻であるところの黄夫人だ。
「私憤?」
「戸塚さんは、こともあろうに、“桃さん”にプロポーズしましたから。」
牧田の目が驚きに見開かれる。
芽生は、そんな牧田に、いかにも意外だというように視線を流しながら、戸塚の起こした騒ぎを話して聞かせた。
「珍しいですね。”劉景升”殿が、こんな有名な話をご存知なかったなんて。」
牧田は大げさに肩を竦めた。
「俺は、万能ではないよ。・・・できるだけそうあろうと努力はしているけれど・・・今の俺は、わずか15の子供でしかない。万能とは程遠いとしか評価できないな。」
万能であろうと努力するあたり、既に15の子供ではないだろう。
芽生の呆れたような顔に、牧田は苦笑を返す。
「まさか、戸塚くんに先を越されるとはね。・・・俺も、まだまだ甘いってことだな。」
情けないなと牧田はため息をつく。
芽生は驚いて目を見開いた。
・・・先を越されたということは、牧田もまた戸塚のように桃に結婚を申し込むつもりだったということなのだろうか?
「いきなり、プロポーズしたりはしないよ。」
芽生の考えている事が、顔に出たのだろう。牧田は笑って否定した。
「・・・そうだね。まず、交際を申し込むつもりだったな。このオリエンテーション合宿が無事終了したら、高校1年生らしい“明るい男女交際”をお願いするつもりだったんだよ。」
“明るい男女交際”?
劉表が?
もろに不信そうな瞳で芽生は牧田を睨む。
本当だよと言って、牧田は笑う。俺だって、まだ死にたくないからねと言った。
その明るすぎる笑みから、・・・芽生は視線を外した。
こんな風に笑っているこの男は、自分の手には負えない。
・・・何を考えているのか、いまいち読めない牧田より戸塚の方がずっとましだと芽生には思える。
芽生は、戸塚が戦っている3組との境界へと目を向けた。
・・・そこでは、本当に個人的な恨みに塗れた戦いが繰り広げられていた。
「よくも、抜け駆けしてくれたな!少しばかり“がたい”がイイと思って!!」
クソッ!!と叫びながら、翼は戸塚に攻めかかる!
前世の己も斯くやと思われる鍛え抜かれた肉体を持つ戸塚は、翼にとっては“羨ましすぎる”存在だった。
「俺なんか!どんなに頑張っても筋肉隆々になれないのに!!」
死にやがれ!コンチクショウ!!と本気の攻撃が戸塚に降りかかっていた。
・・・桃に告白したことを抜け駆けだと責められるのは、まだわかるが・・・体型の事で文句を言われても、戸塚には困惑以外の何ものでもない。
戸塚は困り切って、縦横無尽に討ちかかってくる翼の矛を受け流していた。
「桃は!俺と兄哥のモノだ!!」
いや・・・だから、3Pはちょっと・・・と、丁度休憩に入っていた隼の隊に居て、この戦いをつぶさに観察していた拓斗は顔を赤くしながら思った。
「よく言った!!」
翼の反対側から同時に戸塚に斬りかかりながら、利長が翼の言葉を後押しする。
「俺たちを差し置いて、桃に近づこうなどと!許すものか!!」
前世の関羽の鬼神のごとき戦いを彷彿とさせる勢いで、利長もまた戦っていた。
後方から弓で、この3人の戦いに割って入ろうとする無謀な5組の他の生徒を牽制しながら、猛と剛はため息をつく。
やっていることは1組の作戦どおりなのだが、動機が完全に私的なものになってしまっている利長と翼・・・そして他の仲間たちの態度に、既にお手上げ状態だった。
「そうよ!そうよ!やっちゃえっ!!」
それをなお煽りながら、弓を射る理子にも手が付けられない。
何せ剛の・・・張昭の制止の言葉さえ、きかないのだ。
付ける薬がないとは、まさにこの事だろう。
1組は、かつてないほどの勢いで、5組に・・・戸塚に向かっていたのだった。
「・・・時間の問題か。」
つい今し方までの笑みを消して、牧田は冷静に分析する。
多勢に無勢・・・流石の魏の許褚であっても、あの勢いの1組を止めるのは、これ以上は無理に見えた。
むしろここまでもったことの方が驚愕だ。
許褚の三国志で一二を争うという実力は、本物だったということだろう。
「串田くんを援軍に回せば・・・もう少し持つかな?」
考えを巡らせる牧田を・・・芽生は首を横に振って止めた。
「串田くんは、決して戸塚さんの援護に行かないでしょう。」
「?・・・何故?」
牧田に、芽生はその理由を説明する。
「”呂公”は、”牟郷候”に、“貴公は、女の扱い方が上手くない”と断じられてしまったそうですよ。」
・・・あの時、自習室には少なかったとはいえ他の生徒もいたのだ。大声を出した串田はその生徒たちの注目を集め・・・結果そのやりとりは、一部の生徒たちの間には知られてしまっていた。
牧田は・・・柄にもなくポカンとした表情を浮かべる。
「それは、また・・・随分、バカ正直な意見を言ったものだね。」
まったくですと芽生も同意する。
牧田も芽生も、戸塚の意見には全面的に同意するのだが・・・それでもモノは言い様という言葉があったはずだ。
「・・・串田くんの援護が見込めないとなれば・・・これ以上粘っても良い結果は得られないということか。・・・潮時かな?」
牧田は顎に手をやる。
暫し考え込んで、
「・・・1組と停戦条件を話し合う必要があるな。」
そう言った。
現状で5組は押されているのだが、牧田は少しも慌てていなかった。
芽生も落ち着いて牧田に聞き返す。
「条件とは?」
「うん。・・・5組の立場の確保かな。例外の多い、うちのクラスを迫害しない保証が欲しいな。」
「具体的には・・・?」
「俺を主要な参謀の1人として遇する事。」
そうするのが、当然のように牧田は何の気負いもなく言った。
芽生も異論なく同意する。
「・・・他には?」
「ないよ。・・・あえて言うなら、俺も欲しいな・・・ここを卒業してから“桃”に結婚相手として考えてもらえる権利が。」
言っている内容よりも、牧田が“桃”と呼捨てにした方に、芽生は眉を顰める。
そして・・・フゥ〜と息を吐いた。
「わかりました。その条件で停戦を結びましょう。2番目の条件で、多少ごねるかもしれませんが私の権限でなんとかします。・・・1組からの条件は、ありません。傘下に入って旗を立てかえてくれれば、それで良いそうです。」
淡々と話す芽生の言葉に、流石に牧田も驚いた。
「橋爪さん・・・?」
「孔明から、この件に関して全権を委任されています。私の好きなように停戦協定を結んで良いそうです。」
・・・何時の間にそんな話をしたのだろう?
凝視してくる牧田の視線を芽生は冷静に見返した。
「実際に1組の多川くんに会ったわけではありませんよ。・・・何でも、桃さんにわずかでも誤解されたくないそうで・・・事情を話して書面を持ってきたのは“孫夫人”です。」
まったく、男って女々しいわよね!と理子は憤慨しながら、多川からという1組と5組の停戦協定に関する委任状を、昨日、芽生の元に持ってきていた。
・・・やり口に呆れながらも、孔明の自分に対する信頼が少し嬉しかった芽生だ。
牧田は大きくため息をついた。
「・・・こちらの考えや動きなど、とうにわかっているという訳か。やはり“孔明”は、侮れない相手だな。」
生まれ変わってもイヤな奴だと、内心劉表は思う。
それにしても・・・
「橋爪さんは、それでイイの?」
桃に疑われたくないと人伝に用を頼むなどという事は、前世とはいえ元“夫”の態度としては、いかがなものかと、牧田には思われた。
芽生は、びっくりしたように目を見開く。
本当に、まるで思っても見なかったことを言われたというような様子だった。
クスッと笑う。
「前世の私と孔明さまは、夫婦というよりは“仲間”のようなモノでしたから。」
牧田はジッと芽生を見る。少しのウソも強がりも許さないと、その目は言っていた。
芽生は、牧田を正面からしっかり見返す。
その目は揺るぎなく、強かった。
「・・・共に、陛下をお支えする“仲間”です。前世の私の評判はご存知でしょう?・・・私の見目では、陛下に妻としてお仕えすることはできませんでした。そんな中、孔明さまは私の知識に目を止めて、共に陛下を支える“仲間”として、私を望んでくださったのです。私たちは夫婦である前に、陛下のためにある存在です。今も昔もそれだけは、変わりありません。」
だからこそ、明哉は芽生を信じて停戦を結ぶ全権を芽生に預けてきた。
反対の立場なら、芽生も迷いなくそうしただろう。
信頼できる・・・”仲間“。
その信頼は、今も昔も揺るぎなかった。
それでも、まだ疑わしそうな牧田に、芽生は苦笑しながら話しかける。
「前世の夫人の話は、墓穴を掘るのではありませんか?ここに、蔡夫人がいらっしゃると言われたら、どうしますか?」
牧田は・・・途端に顔を顰めた。
蔡夫人は劉表の後妻で、劉表のブレーンの1人蔡瑁の姉である。
三国志演技で書かれる様な、劉表の元に滞在していた劉備を邪魔に思って暗殺を謀るような事は実際にはなかったが、長年居座る劉備を面白く思っていなかったのは確かで、今、現世のこの場所で再会するのは・・・面倒な相手なのは間違いなかった。
「・・・わかった。前世の夫婦関係の話はしない。」
「それが、賢明です。・・・ここは、セカンド・アースなのですから。」
前世の関係の何ものをも引き継げないはずのセカンド・アースだ。
だが、蘇った記憶は鮮明で・・・人は誰しもそれに引き摺られてしまう。
「・・・セカンド・アースか。・・・橋爪さん、君は、何故こんな世界があるのだと思う?」
問う牧田は・・・真剣な顔をしていた。
「・・・そんな、存在論を私に聞くのですか?」
芽生は面食らった。
「・・・聞きたい。」
どこまでも真剣な牧田の表情は・・・15歳の多感な少年の顔をしていた。
芽生は、大きく息を吐き出す。
「わかりません。・・・そんなもの、わかる人がいるとは思えません。」
・・・そうだよねと牧田は、少し残念そうに表情を歪め、俯いた。
「ただ・・・」
芽生の言葉に、顔を上げる。
「・・・時々、これは“夢”かもしれないと思う時があります。」
「夢?」
「はい。・・・これは“夢”で、現実の自分は、未だ三国のあの時代で、床の上で書物を広げたまま、転寝をしているのではないかと・・・」
牧田は・・・黙り込む。
「・・・目が覚めれば、自分は以前の醜い娘で・・・おかしな“夢”を見たと自嘲して笑うのだろうな・・・と。」
「黄夫人・・・」
「気にしないでください。ただの感傷です。この世界が“現実”なのは、しっかり理解していますから。」
「すまなかったね。」と牧田は謝り、芽生は「いいえ。」と答える。
顔を上げた牧田の視界に、ただ青い空が映った。
遥かな昔も今も・・・変わらぬ青い空。
牧田は、考え込み・・・やがてポツリと呟いた。
「本当に、この世界全てが“夢”だとしたら・・・一体“誰”が見ている“夢”なのだろうね?」
芽生は、答えない。
答えられるはずのない・・・“問い”だった。
5組の旗が1組の旗に全て変わったのは、それからまもなくの事だった。




