オリエンテーション合宿 15
天吾と天吾の後ろの仲間たちが息をのむ。
「当然でしょう?・・・此処は本物の戦場ではない。・・・勝っても負けても、誰一人として命を奪われることはおろか、怪我をすることもない。国も大義もかかっていない、ただの競技に、“この方”が本気になられるはずなど、ありません。」
ここは、セカンド・アースなのですよと、明哉は静かに言った。
声もなく、天吾たちは、桃を見詰めた。
眠る少女に・・・眠る”獅子”が重なって見える。
鋭い牙と爪を、ふるう場所を持たない“眠れる獅子”。
それは、獅子にとっては、
・・・“喜び”なのか?
・・・それとも、“悲哀”なのか?
声を失い立ち尽くす天吾を見て、明哉はフッと笑う。
「それでも・・・ここがセカンド・アースだろうと、例え“地球”であろうと、私のすることは変わりありません。」
「孔明?」
「私のすることは、彼女の側にいることだけです。・・・例え、彼女が“誰”であろうとしていても。」
そう決めたのですと明哉は言って・・・キレイに笑った。
おそらく、利長と翼も、そう思っている。
明哉は、それを当然の事実として感じていた。
思わず、ドキリとして・・・天吾は歯噛みする。
(この、イケメンめ!!)
昔も今も、孔明には腹が立つ。
さっさと自分の進むべき道を決め、迷いなく自分の前に立つ姿は、美しく“華”がある。
自分には、決してないものだ。
どうしたって、惹かれずにはいられない。
「まったく、お前はイヤな奴だよ。」
天吾の顔は、言葉とは裏腹に嬉しそうに緩んでいた。
「あなたに、イイ奴と思われても嬉しくありませんから。」
さて、と言って、明哉は腰を上げた。
風が一際強く吹き、戦場の喧騒を運ぶ。
1組と3組の連合軍は、4組を牽制しつつ5組の戸塚に向かっている。
守りに徹した“魏の許褚”は強く・・・攻めあぐねているようだ。
5組の反対側では、串田が4組に睨みをきかせているが、こちらは小競り合い程度で本格的な戦いにはなっておらず、呂布は力を持て余し、さぞかしイラついているだろうと思われた。
2組と4組の境も大きな戦闘には、なっていない。
4組が何を考え、何を狙っているのかは・・・未だ判明していなかった。
それらを冷静に見てとると、明哉は手を差し出して・・・黒馬をまねく。
動き出した黒馬を見て、天吾たちの顔が強張った。
「!?おいっ!」
この黒馬が動けば、弩が発射されるのでは、なかったか?!
冷や汗が流れ落ちる。
明哉は、ニヤリと笑った。
「・・・ウソですよ。こんな至近距離から弩を打つはずがないでしょう?打ち所が悪ければ、死にますよ?」
黒馬の動きと弩が連動しているというのは、真っ赤なウソだったのだ。
天吾たちの力が抜ける。
その場にへたり込みたかった。
「桃を頼みます。この場の指揮は、士元、あなたで十分でしょう。かわりに私は2組の指揮権をもらいます。・・・そろそろ、“あの者”にも向かい合ってあげなければ、ならないでしょうからね。」
「おいっ?」
相変わらず、とんでもないことを言いだしてくる男だった。
「“遊戯”のような戦いでも、真面目に相手をしなければならないこともあるということです。・・・まったく、面倒なことですがね。」
肩を竦めながら明哉は、呼び寄せた黒馬に、ひらりと跨る。
黒馬の脇には既に10本の旗がくくりつけてあった。
2組とその先の4組の分なのだろう。
それは・・・端から、この展開を予想して準備していたということだ。
「おい!!・・・何を考えている?俺にこの場の指揮だと?・・・桃を俺に預けるというのか?!」
そんなことを明哉がするとは、考えられなかった。
天吾は、焦る。
「そう言っているでしょう?・・・あなただって、元々桃を守るつもりで此処に来たのでしょう?」
今更何を言っているのです?と言われて、天吾は言葉に詰まった。
見透かされて・・・頬を赤らめる。
確かに天吾が、この場に早々に来た一番の理由は、傍目にも1組の本拠地の守りが、あまりに薄いせいだった。
黙って見ていられずに、仲間を引き連れて駆けつけてきたのだ。
・・・おそらく、それも明哉の手の内だったのだと今となればわかる。
その証拠に、天吾がここまで本拠地に迫っても、1組の誰一人として戻って来る気配が見えない。
それぞれ戦に没頭しているとはいっても、本拠地の様子を気にせぬはずはないのだ。
それなのに、この対応ということは、最初から天吾の動きは予想されていて、戻る必要はないと全員に伝えてあるということだ。
(どこまで、読んでいるんだ?!)
「1組の指揮は、各隊に任せていてかまいません。3将軍が指揮をとり、張昭と華歆、糜子仲殿が補佐をしているのです。何の心配もいらないでしょう。天吾あなたは此処で桃を守っていてください。」
淡々と言う明哉を、天吾は睨み付ける。
「・・・2組に、悠人以外の使える人材はいますか?」
その視線を気にもかけずに明哉は聞いてくる。
天吾は・・・唸った。
「・・・香西 陸という奴が・・・厳顔だ。」
聞いた明哉は、何とも言えない複雑な表情を浮かべた。
「老将コンビがいるのですか。・・・それは、お気の毒に。」
「うるさい!」
同情されて、天吾はふくれる。
確かに、悠人と陸の“2人”が揃うと・・・口うるさかった。
元気な年寄りというのは、たいてい扱いに困るものだが・・・“若い”年寄りというのも、似たようなものだった。
「力が有り余っているのでしょう。存分に働いてもらいます。」
何かを企む明哉の笑みは・・・何故か背筋を寒くさせる。
「おい!」
「・・・右の箱の中に、パウンドケーキがあります。桃はきちんと2組の分も焼いたのですよ。ありがたくいただきなさい。」
言われる言葉にポカンとする。
(桃が、自分たちにも、ケーキを?!)
じわじわと感動が胸にこみ上げる。
・・・そんな場合では、なかったが・・・
言い置いて、明哉は馬首を2組の陣地へと向けた。
「“士元”、後を頼みます。」
「おい!!」
天吾の呼び止める声に、返事はなかった。
黒馬が見事な動きで駆け出す。
風が渦を巻き・・・後には、眠る桃と天吾たちが残った。
「・・・何を考えているんだ?あいつは!」
愚痴る天吾の声に答えらるものは、誰もいない。
・・・いないはずだった。
だから、呆然と明哉の後姿を見送っていた天吾たちに・・・声がかかった時、彼らは皆一様に驚いて振り返った。
寝ているとばかり思った・・・桃の方を。
「行ったか・・・」
花柄の折り畳み式ラウンジチェアの上に、桃が上半身を起こしていた。
どこか、ぼんやりしている風に見える。
寝ぼけているのだろうか?と天吾は思った。
「桃・・・?」
それにしても、何だか、その様子がいつもと違っていて・・・天吾は、目を瞬く。
静かな少女の姿の、どこがどう違うのかと言われれば、天吾に明確な答えが返せるわけではない。
しかし・・・。
「あれも・・・困った奴だ。」
そう言って柔らかに苦笑した桃の姿に・・・違和感はますます大きくなった。
・・・感じるのだ。
自分を圧倒する・・・大きな“気”を!
・・・目の前の、小さな少女から。
それは、天吾だけではなかった。
天吾の仲間たちも、皆一様に息をのんで桃を見詰めている。
誰も・・・一歩も動けなかった。
「信賞必罰とはいえ、孔明は厳しきにすぎると思わぬか?・・・特に自らに対して。」
少女の目が、静かに天吾を見る。
天吾は・・・体が震えるのを感じた。
桃は、寝ぼけているようには見えなかった。
しかし・・・この時、桃は確かに現実と夢の境にいたのだ。
今の己の姿を見失う“ところ”に・・・
ぼんやりと半分覚醒した頭。
遠くに響く戦場の喧噪。
バタバタと鳴る、旗の音。
桃は、ぼんやりしながらも・・・全てを把握していた。
そんな自分を、不思議にも思わない。
深く光る黒い瞳が、天吾を見、そして視線を・・・遠ざかる明哉にと移す。
瞳の中に、慈愛が宿った。
「ここは、前世ではない。己にも“あの者”にも・・・優しくあればよいものを。」
孔明は、不器用だからなと言って、桃は優しく笑った。
天吾の体は・・・喜びに打ち震える。
大きな感動が湧き上がって・・・自然に天吾は、その場に跪く。
仲間たちも、次々に膝を折った。
そうするのが・・・当然だった。
「士元・・・我が“鳳雛”。・・・孔明を支えよ。」
「はっ!」
黒い瞳が天吾を見ていた。
視線を浴びて、天吾の心が喜びに躍り上がる。
瞳は、満足そうに細められ・・・やがて、小さな口が開き、「ふあっ」と可愛らしい欠伸をもらした。
「眠い・・・」
黒い瞳が閉じられる。
上半身が再び、ラウンジチェアの上に沈んだ。
気持ちよさそうに身じろぎし・・・「ふふっ」と少女は笑い声をもらす。
「・・・士元、知っているか?・・・刺繍や菓子作りは・・・戦より余程神経を使うぞ・・・」
そう言って、また笑い・・・桃は、再び眠りに落ちた。
おそらく・・・次に起きた時、桃は今の会話を覚えていないのだろう。
何故か天吾はそう思った。
思いながらも、己がたった今、垣間見た姿に・・・跪き続ける。
思いもよらぬ僥倖に、動くことができなかった。
それは、他の者も同じで・・・
眠る少女とそれを囲み、跪く男たちの上に、バタバタと“漢”の旗の鳴る音が響いていく。
戦いが始まって2時間が過ぎようとしていた。
 




