オリエンテーション合宿 10
明哉たちは、息をのんで目の前のホワイトボードを見詰めた。
そこでは、桃がスラスラとクラスメートの名前を書き出している。
・・・事の始まりは、模擬戦のための話し合いが始まる早々、明哉が放った一言だった。
「クラスを3つに分けたいですね。」
「3つ?」
「策を遂行するために必要な隊の数です。うちには3将軍がいますし丁度良いでしょう。」
明哉の中では、模擬戦を制するための策が既に出来上がっているらしい。
つい先刻の夕食後、全生徒を集めて模擬戦の細かなルールや勝敗規定が説明されたばかりなのに、流石と言うしかなかった。
おそらく模擬戦を行うと言われた時から、明哉は頭の中で、様々なパターンを想定して策をめぐらせていたのだろう。
そうとしか思えない思考の早さだった。
・・・説明された模擬戦は、言うなれば“陣取り合戦”だった。
まず、広大だった馬場を更に上回る冗談のような広い大地が5つに区切られ、それぞれのクラスに陣地として与えられる。(流石は、北海道だった。桃はため息しか出ない。)
各陣地には中心となる本拠地と4つの拠点が設けられた。
そのそれぞれに、それを支配する証となる旗を立てる場所がある。
要は、その場所に自クラスの旗を立て、その数を競うゲームだった。
各クラスには、25本の旗と20頭の馬が与えられる。
陣地の場所はくじ引きで決められた。
武器は剣に始まって、槍、弓等各種揃えられて好きな得物を選ぶ事ができる。ただしそのどれもが刃をつぶされて、代わりに馬術競技で用いられたような朱色の液体が染みたモノに覆われていた。
「この液体をつけられた者は、その位置、量によって行動を制限する。実際の戦いであれば死んだだろうと判断された者は、その場で模擬戦から外される。」
体育教師は、厳として言い渡した。
桃は、その説明を聞いて、それなら、わざとやられたふりをして早々に戦線離脱することも可能なのかもしれないと考えた。
・・・クラスメートには申し訳ないが、最近意に反して、かなり注目を浴びてしまっているため、何とか目立たずこの模擬戦をやり過ごしたいと密かに願っていたのだ。
しかし、その桃の胸中を読んだかのように、体育教師の言葉が無情に続く。
「各クラスの“委員長”が死んだと判断された場合は、そのクラスは、その時点で全員敗戦となる。それまで確保した陣地も全て白紙に戻される。“大将”の首をとられたら、お終いということだ。わかるな?」
・・・わかりたくなかった。
これでは、是が非でも最後まで戦場に立っていなければならない。
桃は、がっくりと項垂れた。
競技の開始は明後日の朝9時、終了は午後の2時と告げられる。
2時の時点で残っているクラスの中で、もっとも旗の数の多いクラスが優勝だった。
「何故2時なのですか?たった5時間では、全体的な侵略は困難です。結果近くのクラスとの小競り合いで勝敗が決する可能性もあります。もっと時間をください。終了時間はもう少し遅い時間でも良いのではないですか?」
疑問を口にしたのは、4組の清水虎太郎だ。
・・・孔明を名乗る生徒だった。
それに対する教師からの答えは・・・それでは飛行機の時間に間に合わないという、何とも現実的な理由だった。
考えてみれば、模擬戦の行われるのは合宿の最終日なのだ。
試合が終わると同時に着替えて荷物をまとめ、桃たちは全員、東京へと戻らなければならなかった。
・・・微妙な沈黙が周囲に広がる。
団体戦というクライマックスに向けて盛り上がった気持ちが、シューッと音を立ててしぼんだ瞬間だった。
前世の戦いを思い起こし昂揚した気分に、現世の現実という水をかけられたといったところだろうか?
此処は、間違いなく“セカンド・アース”であった。
ゴホンと体育教師が咳払いを一つする。
「安心しろ。決着はちゃんとつく。少なくとも昨年の仲西も、2年前の吉田も、時間内に全陣地の制覇を成し遂げて、学年をまとめあげている。・・・もっともやり方は随分違ったがな・・・お前たちの中に、吉田や仲西に匹敵する者がいれば、可能なはずだ。」
それは・・・効果テキメンな煽り言葉だった。
曹操や孫権ができたことを、お前たちは、できないのか?と暗に言われて引っ込めるはずがなかった。
誰もの顔に、全陣地の制覇を狙う強い表情がみなぎる。
その様子を見て、桃は、心中でそっとため息をついた。
たった今、ここは現世だと冷静に思い至ったばかりだったのに・・・
模擬戦は、熱くなりそうだった。
「吉田さんと仲西さんは、何がそう違ったのですか?」
それでも気になって桃は疑問を口にした。
彼らは・・・曹操と孫権はどんな風に、この模擬戦を勝ったのだろうか?
体育教師は、苦笑する。
「吉田は、自クラス以外のクラスを全滅させた。・・・反対に仲西は全てのクラスをほぼ無傷で自分の配下におさめた。どちらも2時までには全陣地を手中にしていたな。」
それは・・・いかにも、“らしい”やり口だった。
吉田の両脇には、戸塚ともうひとり戸塚並みの体格の男がいたそうだ。
(典韋よね・・・)
桃は、三国志上、最強といわれる豪傑を思い浮かべる。
一方仲西の隣には、仲西とはる美貌の男がいたという。
(・・・周瑜?)
”周郎”と呼ばれる才能豊かな呉の名将の姿が思い起こされた。
なんとなく、その時々の戦いが想像できて桃は目を伏せる。
2、3年の他の生徒たちに同情する桃だった。
しかし、本当のところは同情している場合ではない。
明後日の模擬戦を何とか無難に、極力目立たずやり過ごしたい桃は・・・考え込みながらその後の各クラスでの話し合いの場に移動したのだった。
そして、クラス毎に別れた早々、明哉にクラスを3つに分けたいと言われたのだった。
自分の考え事に思考のほとんどを向けていた桃は、明哉の言葉に機械的に質問を返す。
「・・・3将軍の下に全員を振り分けるの?」
「桃、あなたは別です。あなたは総大将です。そして私は、あなたを補佐します。あなたと私以外の者を3軍に振り分けたいと思っています。」
「・・・理子も?」
「はい。」
桃は・・・フム?・・・と考え込んだ。
もっとも、頭の半分は、まだ模擬戦を無難に、やり過ごす方法を考え続けていたので・・・それはほとんど条件反射のようなものだった。
「どんな編成にしたい?攻守を分けるのか?それとも平均的に?」
「・・・平均的に。」
明哉は、考え込みながら淡々と質問してくる桃に、内心戸惑いながら答えていた。
少女は、どこか心ここにあらずといった風情で考え込みながら、白く小さな手を自分の顎に当てる。
そこにあるはずもない“ひげ”を撫でるかのように手を動かした。
・・・チラリとクラス全員を見渡す。
少女のその眼差しに、何故か全員がコクリと唾をのんだ。
その様子に気づく事もなく、桃は黒いマーカーを手に取って、正面の大きなホワイトボードに向かう。
線を2本引いて、ボードを3等分にした。
そこにそれぞれ、利長(関羽)、翼(張飛)、隼(馬超)の名前を書き入れる。
翼の下に剛(張昭)と理子(孫夫人)の名を書いた。
隼の下に拓斗(華歆)の名を。
利長の下に、新田 猛という、あまり目立たない生徒の名前を書き入れる。
あまりに目立たないために、彼が自分の前世を誰と名乗ったか、明哉でさえ覚えていないような生徒だった。
そして、続けてスラスラとクラスメートの名前を書き出し始める。
桃と明哉を抜けた38名の名を、迷うことなく・・・書いていった。
利長を先頭にした12名。
翼を先頭に13名。
隼の下にも隼を入れて13名を書き出す。
誰もが、呆気にとられて見詰めている中で、書き終った桃は、マーカーを置いて・・・まだ上の空の様子でストンと椅子に座った。
「・・・桃?」
明哉に呼ばれて・・・桃は、ひとつ瞬きをした。
「何?」
ようやく、目の焦点が明哉に合う。
桃は、とりあえず模擬戦の戦闘中は、自軍の陣地からできるだけ動かずにいるのが最善だわと、心の中で結論付けたところだった。
自分は女性なのだ。守ってもらってじっとしていれば、それほど目立たぬはずだと思う。
我ながら良い考えだと思って、自分を呼んだ明哉に目を向けたのだった。
明哉は・・・何だか呆然としている。
(何かあったの?)
「どうして、この編成にしたのですか?」
どうやら、桃の分けた基準を訊ねているようだった。
(おかしなことを聞く・・・?)
「平均的に分けたいと言ったのは、明哉でしょう?」
明哉の希望どおり、どの隊も可能な限り同じ能力になるように分けたのだ。
何が気に入らないのだろうか?
・・・一方明哉は、桃の分けた軍の編成に心の内で舌を巻いていた。
ほとんど、自分の考えていた編成と同じなのだ。
だが、しかし、明哉の考えたそれは、クラスを3つに分ける場合を想定して、各人の前世とこれまでの個人戦の成績等をじっくり吟味して考えた末の結果だった。
間違っても、突然3つに分けたいと言い出され、たいして考えもせずにスラスラと割り振ったモノではなかったし、そんなことが可能だなどとは到底思えなかった。
(何故?こんなことが、当たり前のようにできる?)
しかも、桃は自分が特別なことをしたとは思っていないのだ。
「・・・3将軍は、わかります。彼らにそれぞれ文官をつけたのも・・・剛と拓斗と・・・猛?」
明哉は、内心の動揺をできるだけ表に出さないように気をつけて桃に対していた。
どこか上の空だった・・・桃。
ならば・・・桃のこの行為は、普段の少女の顔の中に隠している”モノ”の行ったものかもしれない。
その”モノ”を・・・再び隠されたくなかった。
明哉に、疑問符をつけられ名を呼ばれた猛は、不安そうな顔で桃と明哉を見ていた。
・・・何故自分が選ばれたのかわからないかのように、どこか怯えた表情を浮かべている。
よく見れば、額にうっすらと汗が浮いている。
桃は、目を瞬いた。
遠くを見ているかのようなその目が、猛を見る。
「・・・安漢将軍・・・“糜子仲”殿に、何か不安があるのか?」
何を言っているのだ?と呆れるように、桃は言い放った。




