オリエンテーション合宿 9
「俺は、今、この女を口説いているところだ。邪魔をするな。」
思わぬ横槍が入ったことに、不機嫌そうに戸塚が言う。
・・・これで、口説いているつもりなのだろうか?
その言葉を聞いて、串田の笑みがますます深くなった。
「そりゃぁ放っておいてもいいが・・・お前その女の正体が、わかっているのか?」
「正体?」
串田の言葉に訝しそうに戸塚は聞き返す。
「・・・そいつは、“玄徳”だぞ。」
「!!」
流石の戸塚の表情も固まった。
穴が開きそうな程の勢いで、桃を見詰めてくる。
「・・・違うわ!」
桃の否定を串田は鼻で笑った。
「的盧に選ばれておいて何を言う?俺だって赤兎馬に選ばれて覚悟を決めたんだぞ。・・・往生際が悪いんだよ。」
どこかイラついたように串田は言った。
「・・・私は、“女”だ!」
「だから?」
桃は串田を睨み付ける。
串田も真っ向から睨み返した。
「・・・俺とこうして睨みあえる時点で、普通の“女”でなんか有り得ないんだよ!それを“農民の妻”だと?どうせつくなら、もっとそれらしい嘘をつけ!」
桃は、ビクリと震えて・・・串田から視線を逸らした。
ダン!!と串田が机を叩く!
「俺から目を逸らすな!!」
睨みあえば怒鳴り・・・目を逸らしても怒鳴りつけてくる。
どうすればいいと言うのだ?
串田は・・・呂布は、何にそんなに腹を立てているのだろう?
わからなくて、身動きのとれない桃と、その桃の様子になお苛立つ串田の間に・・・スッと戸塚が入った。
庇うように串田の視線から桃を遮った。
「女に対して声を荒げるな。」
冷静な戸塚の制止の声に、串田は・・・なお激高した。
「?!・・・そいつは、“玄徳”だぞ!!」
「関係ない。」
戸塚は静かに言い切った。
「なっ?」
「俺は、今日ここで出会った1組の“相川 桃”を気に入った。・・・前世なんかどうでもいい。」
そう言うと戸塚はその太い腕で・・・軽々と桃を抱え上げた。
「!?」
片方の肘と手首の間に桃を座らせるように抱いて、びくともしない。
思わず桃は戸塚の頭を抱えるように手を回した。サラサラの髪が指の間をくすぐり、思ってもみないような柔らかな髪の感触にびっくりする。
「部屋まで送ろう。荷物はこれだけか?」
まるで桃の重さなど感じていないように桃の広げていた問題集を空いている手で集めて持つ。
「え?・・・いや、別に一人で歩ける・・・」
慌てて桃は戸塚の手から降りようとしたのだが・・・
「“好きな女”を抱いて運ぶのは男の夢だ。黙って抱かれていろ。」
「!!」
(いや・・・抱くって、ちょっと・・・)
桃はジタバタとしたが、当然のことながら戸塚はビクともしなかった。
「おい!待て!!」
突然の事に呆然としていた串田が、我に返って声を上げる。
「呂公。・・・貴公は、女の扱い方が上手くない。前世でも妻妾の言いなりになってみたり、見捨ててみたり・・・貴公のやり方は間違っている。・・・女には優しくするものだ。・・・特に気になる、好きな女にはな。」
「?!」
串田は・・・反論しようと口を開け、言葉が見つからずに口を閉じ・・・結果、口をパクパクと開閉させた。
そんな串田を何だか憐れむように見て、戸塚は桃を抱いたまま自習室から出て行く。
たまたま、すれ違った者たちが・・・驚いたように立ち竦んで、桃と戸塚を見送っていた。
「串田を許してやってくれ。あれはまだ若い。前世の記憶があるとはいえ、感情は現世の体に引き摺られやすい。15では無理もないのだ。」
何だか達観しているかのように戸塚は言った。
確かに戸塚は年上だが、たった2歳しか違わないはずだ。この年頃の2年の差は大きいとは言うが・・・
そう言えば許褚は長生きをしたのだったなと桃は思う。
曹操の孫の明帝の時代まで生きていたのではなかったか?
“曹操”・・・と考えて、桃は、手の中の戸塚の髪をツンツンと引っ張った。
「ん?」
「牟郷候・・・」
何だ?と戸塚は桃の方を向いた。
自然見上げる形になって・・・桃は巨漢の顔を見下ろす。
「本当に、関係ないのか?私が・・・“劉備”である可能性があっても、候は私を望まれるのか?・・・魏王への忠義の心とは、反しないのか?」
戸塚は・・・難しい顔で考え込んだ。
考えて・・・「面倒な事を考えるのは苦手だ。」と笑った。
「牟郷候!」
「・・・現世と前世は違う。」
きっぱりと戸塚は言った。
桃は・・・驚き、黙り込む。
「それが現実だ。此処は“漢”ではなく、むろん“魏”でもない。戦は無く・・・俺のこの力など・・・何の役にも立たぬ無用の長物だ。」
誰より自分には、それがよくわかると戸塚は淡々と語った。
・・・確かにそうだろう。
戸塚の鍛え抜かれた肉体が本当に何の役にも立たぬとは思わない。
だがしかし、確かに桃は思ったのだ。
戸塚より翼の方が、今の日本では生きやすいだろうと。
「吉田は・・・武王陛下は、良い方だ。今も昔もあの方のありようには憧れている。吉田は、俺がお前を気に入ったことをイヤがるとは思わないが・・・お前はイヤか?吉田に傾倒している俺を、お前は気に入らないか?」
不安そうに戸塚は、桃の顔を見上げた。
桃は・・・戸塚の瞳を見下ろす。
「魏武王は・・・本当にイヤがらないとお思いか?」
「もちろん!」
戸塚はきっぱりと言った。
たった今まで揺れていた瞳が定まって、揺るぎなく見上げてくる。
(・・・変わらない。)
桃は、そう思った。
前世も現世も・・・許褚の曹操に対する信頼は、揺るぎようもないのだ。
そしてその事を何の躊躇いもなく認めている。
前世と現世の違いを認め・・・前世と現世で変わらぬモノも認めている。
そしてその上で、桃を気に入り口説いてくる。
(・・・曹操が気に入るはずだ。)
桃は思った。
何もかもをありのままに認め受け入れる大きな漢。
(体と同じくらい心も大きい・・・。)
桃は・・・クスリと笑った。
戸塚が桃を想うことを、果たして、この漢の言うとおり、曹操が・・・吉田が認めるかどうかは微妙だ。
これほどの漢を吉田は手放したくないだろう。
ましてや、“蜀”の人間に渡したいと思う訳がない。
そう、桃は・・・粉う方なき“蜀”の人間だ。
それだけは間違いない。
吉田の整った容貌がイヤそうに顰められ、細い目をなお細めて剣呑な光を浮かべる様子を想像して・・・桃は、再び笑った。
先ほどから桃が笑う度、戸塚が顔を赤くしているのだが、桃は気づかない。
「戸塚さん・・・」
「何だ?」
戸塚の顔を見下ろし、その赤い顔に、やっぱりこの体勢はキツイのではないかと桃は心配する。
「戸塚さんの先ほどの申し出を、考えて差し上げてもかまいません。」
戸塚は目を見開き・・・次の瞬間物凄く嬉しそうに笑った。
先ほどの申し出とは、もちろん、“妻になれ”という言葉のはずだ。
「ただし・・・」と桃は言った。
戸塚の笑みが固まる。
「・・・戸塚さんが、無事進級して3年間この高校で学び、私と一緒に卒業できたら・・・です。」
戸塚の顔がみるみる曇る。
「・・・そんな。」
その表情は絶望的と言っても良かった。
「難しいことではありません。良い成績をとってくれなんて言いませんから。赤点をとらなければ良いだけです。・・・そうして卒業できたら、戸塚さんの申し出を受けるかどうかを“考えて”みてもかまいません。」
・・・とんでもない上から目線の言葉だった。
しかし・・・それでも戸塚は真剣に悩み始める。
「本当に、卒業できたら“考えて”くれるか?」
「はい。」
戸塚にしてみれば、限界なまでに頭脳を使い、考えて・・・ついに戸塚は、「わかった。」と答えた。
「努力する。その代わり、勉強を教えてくれ。“桃”が教えてくれるのなら、頑張れる気がする。」
「・・・スパルタですよ。」
「お手柔らかに頼む。」
真面目な表情で見つめ合って・・・桃と戸塚は同時に吹き出した。
戸塚はカラカラと、桃はクスクスと笑い合う。
・・・楽しかった。
自分には過ぎたような漢だと桃は思う。
ただの”農民の妻”として生きようとする自分には・・・
笑いながら戻った桃の自室の前に、いつものメンバーが、行方不明の桃を心配して集っており、桃を抱えて戻った戸塚と一悶着を起こすのは・・・お約束だ。
その騒動の中で、戸塚が桃にプロポーズ?したと知った翼たちが、それならば自分たちも!と声を上げたのも当然の事で・・・
あまりの騒動に耳を塞いだ桃が、
「約束でも何でも好きにしていいから、静かにして!」
と怒鳴りつけたのは、仕方のない事で・・・
気がつけば、桃が卒業してから妻になるかどうか考えなければならない相手は、山ほど増えていた。
冗談が過ぎる・・・と桃は思う。
果たして、冗談かどうか?
答えが出るのは、卒業後?なのだろうか・・・。
担任の意島の易でも、わかりそうもなかった。
余談ではあるが・・・
この騒動を傍で見ていた山本拓斗が、当日の日記の中に、興味深い一文を書いた。
華歆は謹厳で真面目な男なのである。
何事も書き留めておきたいタイプだったらしい・・・
以下、その文を載せる・・・
【本日の騒動の中でのダメダメ発言ワースト3!】
第3位 発言者 翼(張飛)
「桃は、俺と兄哥(関羽)のモノだ!!」
ダメな理由:3Pはちょっと・・・
第2位 発言者 明哉(諸葛亮)
「桃と濡れて交われるのは私だけです!!」
ダメな理由:水魚の交わりを拡大解釈しすぎでは?
第1位 発言者 理子(孫夫人)
「桃ちゃんは、私のモノよ!!」
ダメな理由:・・・だって、それってガールズ・(ダメだ!これ以上書けない・・・)
拓斗が、本当に真面目な人間なのかは、一考の余地があるだろう・・・




