学年末決戦 15
「危険です!」
間髪を入れず明哉が叫ぶ。
桃は・・・クスリと笑った。
「危険?この戦いで。」
その声の深さ・・・そう言いながらこちらを見るけぶる瞳に、明哉も他の者たちも黙り込む。
「この戦いに危険など欠片もない。だからこそ“私”でも行ける。そうであろう?」
反論など許さぬように自分たちを見回す少女は、既にいつもの桃ではなかった。
「しかし!」
明哉はそれでも食い下がる。
その明哉を制して、内山が前に出た。
「どうされるおつもりですか?」
確かに現状では桃が行くと言っても行けるような状態ではない。出た途端直ぐに敵に倒されて終わりだろう。
呂布をはじめとしたいずれも名だたる将軍たちが揃って押しても、魏の望楼への階段は上れないのだ。
前世はともかく、今世は少女である桃に、歯の立ちようがなかった。
桃の口角が小さく上がる。
「曹操に一騎打ちを申し込む。」
「一騎打ち?」
「そう、一騎打ちならば労せずして望楼に・・・魏の旗の側に近寄れる。」
そして桃は、驚く皆に自分の考えを語った。
・・・・・・・・・・・・・・
「危険です。」
神妙に話しを聞いた後に、再び明哉が繰り返す。
しかしその口調には先刻のような強さはなかった。
「大した危険ではない。」
穏やかに桃は返す。
「それでも危険があることは間違いありません。陛下をそのような目に遭わせるわけには参りません。・・・どうしても一騎打ちが必要だと仰るのであれば、私が行きます。」
生真面目なその言葉に、桃は静かに首を横に振った。
「お前が申し込んでも、曹操は一騎打ちを引き受けないだろう。」
それは、誰が考えても明らかな事だった。
明哉はギッと唇を噛む。
―――そもそも曹操は、相手が誰であろうと一騎打ちを引き受ける必要はないのである。
このまま黙って座していれば、1年の全校制覇は防げるのだ。
例え申し込まれたとしても、一騎打ちという明らかなリスクを冒してまで得なければならないメリットが、そこには何一つなかった。
「おそらく、此度の戦いの勝利と引き換えであっても曹操は首を縦には振らないだろう。既に3年の完全制覇の道は断たれている。今更この戦いに勝利することが曹操にとってそれほど重要だとは思えない。」
深くけぶる桃の瞳は、真実を見抜いて輝く。
「・・・それでもなお、あ奴が一騎打ちを受けるとすれば、それは私からの申し込みの場合だけだろう。」
メリットは何も無い。
ならば、デメリットは?
そう考えた時に浮かんだのが、桃自身からの一騎打ちの申し込みだった。
敵の君主・・・しかも、女からの申し込み。
これを”断る”のは、君主として・・・男として、とてもできないことであった。
外聞が悪すぎる。
「断れば、たかが旗の1本に執着したあげく、女との一騎打ちから逃げた男としてその名を伝えられるのだ。・・・いかに曹操とて、断れるはずもないであろう?」
確かにそれは男として恥ずかし過ぎる伝になりそうだった。
自分がそんな立場になった時のことを考えたのだろう、明哉や他の男たちの眉間にしわが寄る。
「迷っている暇はない。」
桃は無情に言い切った。
「だが、あえて聞こう。我が策を超える策を呈する者はいるか?」
桃の問いかけに答えられる者は、いなかった。
「ならば決まりだ。私が出る。景升殿、停戦の申し出をお願いします。あなたからであれば、曹操も聞くでしょう。同時に一騎打ちの申し入れもしていただけますか?」
言われて牧田・・・劉表は、難しい顔をした。
「俺は、本心を言えば、この一騎打ちには反対だ。しかし確かにこれ以上の策を思いつくことはできない。君の命に従おう。・・・ただ、出来うることならば―――桃、俺は君からの“お願い”が欲しいな。」
言われて桃は、パチクリと瞬きした。
きょとんとして・・・フワリと笑う。
それは、外見どおりの少女の花の咲くような笑みだった。
並み居る武将、名士たちの頬が赤らむ。
「蒼、お願い。」
桃は、たいへん可愛らしく小首を傾げて“お願い”した。
牧田が破顔する。
「・・・それで良い。この劉表必ずや君の願を叶えてみせよう。」
ザッと踵を揃え、優雅にして見事と評すしかないような動きで、牧田は頭を下げる。
頷いた桃は、皆を集め作戦の細部の打ち合わせをはじめた。
「一騎打ち・・・。」
流石の吉田もその申し出に呆気にとられた。
目の前では、先刻停戦の徴に白旗を掲げてやってきた牧田・・・劉表が、真意の窺えない笑みを浮かべて自分の反応を観察している。
「場所はこの望楼。1対1の戦いで介添人はなし。どちらか一方が戦闘不能と判定されるか、望楼の外に出るかすればその時点で一騎打ちは終了。それまでは戦は停止とします。」
一騎打ちとしては、至極妥当なルールを牧田は説明する。
「敗ければ旗を取り、勝てばこの戦いでの勝利を差し出すとでも言うつもりか?」
吉田は憮然として聞き返した。細い目が苛立たしそうに眇められており、牧田の申し出を面白く思っていないことは一目瞭然であった。
まさか、と牧田は鼻で笑う。
「そんな歩の悪い賭けはしませんよ。此度の戦いは既に膠着状態に陥っています。我々は“勝利”を手にし、あなたは1年の完全制覇を阻止したという“些事”に自己満足しておられる。そのようなモノ、賭けの対象にもなるはずがないでしょう?」
バカにしたような言い草は、相手が劉表でさえなければ即座に叩き出すこと間違いないような小憎らしさだった。
「ならば、何を賭けるというのだ?」
イライラとした吉田をなおも煽るような笑みを牧田は浮かべる。
「名誉を。」
吉田は目を見開き・・・ついで呵呵と大笑した。
「断る。どのような名誉も俺は必要としていない。」
そんな言葉に乗せられるかと、笑いの下で吉田は牧田を睨み付ける。
牧田は、笑みを深めた。
「誰があなたに名誉を与えると言いましたか?残念ながら、ここで賭けていただくのは、あなたが今現在お持ちの名誉です。・・・この一騎打ちを受けなければ、あなたの名誉は地に落ちるでしょう。」
吉田はピタリと笑いをおさめた。
どういう事かと考え込み・・・賢い男は、思い至る。
「・・・まさか?!」
牧田は、よくできましたとばかりに頷いて見せた。
「そのまさかです。あなたに一騎打ちを申し込むのは・・・“桃”です。」
ポカンと口が開いた。
「桃・・・いえ、蜀の昭烈帝の名において、魏武帝陛下、あなたに一騎打ちを申し込みます。―――まさかあなたは女性からの一騎打ちの申し込みを、怖気づいて断るだなどという情けない真似をなさったりはしないでしょうね?」
女とは戦えないなどという言い訳は聞きませんよと牧田は伝える。
確かに、桃としてではなく、昭烈帝として申し込まれてしまっては、その言い訳は使えないように思えた。
静かに微笑む牧田の顔が、まるで悪魔の顔のように見える吉田であった。




