オリエンテーション合宿 3
横山に言われ、桃は、明哉に軽く目をやり・・・仕方なく「はい。」と返事をした。
「だって、これって・・・ほぼ名簿順に10人ずつ割り振っただけでしょう?」
・・・そのとおりだった。
桃や理子のような女子生徒と藤田のように明らかに体格的に見て体を張った競技に向かない者を弓術に回した他は、名簿順に1番・・・いや、2番から各競技に張り付けたのが1組の参加者名簿だった。
聞いた他のクラスの委員の顔が驚愕に固まる。
「こんな、個々人の適性も何も無視したようなエントリーで勝てるとでも思っているの?それとも1組は戦う前から勝負を捨てているの?」
「違います。」
落ち着いて答えたのは、明哉だった。
そのまま立ち上がると、桃たち1組の生徒を言いくるめた(丸め込んだと言っても良い)持論を展開する。
「そもそも、今回の競技会の個人戦では各クラスに大きな差は出ないはずです。勝敗は団体戦となる最後の模擬戦が決めるでしょう。」
明哉の言葉に横山をはじめとする教師陣の顔が微妙に引き攣る。
明哉はフッと笑った。
「個人戦の主な目的は、私たちに自らの力不足を自覚させることのはずです。」
言い切った明哉の態度に、大柄な体育教師が軽く唇を噛む。その態度はそれを肯定しているも同然だった。
「当然でしょう。13歳で前世の記憶を取り戻して、それからたった2年あまりしか経っていません。体格も何も全く違う別人に、私たちは生まれ変わったのです。余程の者であっても前世のような力を取り戻せるはずがない。・・・なのに、ほとんどの者たちは、自分が前世と同等の力を持っていると誤解している。」
明哉が1組の全員の前でこう言った時、男子生徒のほとんどは驚いたように自分の手足や体を凝視した。15歳の少年期から青年期に移り変わる最中のどこか頼りない今の体と、前世の、戦乱を生き延びるために鍛え抜かれた体との違いをあらためて確認しているかのようだった。
「技術など、それに体がついて来なければ何の役にも立ちません。個人戦で私たちがまともに戦えるなどと思う方が間違いです。かえって前世で達人と言われた者の方が覚えている体の動きと現実のギャップにやられて無様に負けることでしょう。・・・どう出るかわからない個人戦の成績など40人でならせば、余程運が良かったり悪かったりしない限り、大した差がつくとは思えません。」
横山は・・・諦めたように笑った。
「・・・だから、この名簿なのね。」
「要は各人が今の体の力不足を思い知って、今後の訓練に身を入れる動機付けを得られれば良いだけの試合へ参加する者を決めるために、無駄な時間を使う必要性を感じませんでした。そんな事をするくらいならば団体戦のためにチームワークを良くすることに力を入れた方が余程ましだ。」
・・・決して、名前で呼び合うかどうかの話し合いに時間を取られ過ぎて、時間切れで適当に割り振ったわけじゃない・・・と桃は信じたい。
明哉の言い分によれば、名前呼びもチームワークを良くするためのワンステップだそうだ。
・・・確かに1組には微妙な仲間意識が生まれつつあった。
明哉の・・・諸葛亮の考える事は、昔も今も手におえないという共通認識に付随する連帯感だ。
どうやらその認識は、他クラスの委員や教師陣にも伝染したらしい。
何とも言えない視線で見詰められて・・・桃はいたたまれなかった。
「わかったわ。どのみち、もう変更はできないのだし、この事が吉と出るか凶と出るか見させてもらうわ。」
「“事を謀るは人に在り、事を成すは天に在ります”。どう出るか、確かに楽しみですね。」
・・・それは、謀った者の言う言葉だろう!と桃は言いたい。何も考えずに名簿順に決めた奴の言う言葉では絶対ない!
余裕たっぷりに笑う明哉の足を踏みつけてやりたい桃だった。
何とか気を取り直した教師陣から、明日以降の競技の細かいルールや日程の説明がされる。
それらの全てを聞いて、生徒たちから質問や疑義の提示をされて納得できるまで話し合い、この学年会はお開きとなった。
会議が終わるやいなや、串田はさっさと部屋を出る。まるで一刻も早くこの場から去りたいというような姿に全員呆気にとられる。
困ったように笑いながら牧田が、丁寧に他の全員に頭を下げながら退出して行った。
桃と明哉も戻るために立ち上がる。
天吾と悠人は、お先にと言って、桃に手を振りながら出て行った。
続こうとした桃と明哉の元に、3組の大江 蓮・・・徐庶がやってくる。
「久しいな。孔明。」
徐庶は、諸葛亮の親友と言われる人物だ。劉備に孔明を紹介し、自身は母を人質にとられ曹操に下った経緯を持つ。この学年に生まれる事ができて良かったと明哉に語った。
「私を本物と認めるのですか?」
4組の清水をチラリと見ながら明哉がきく。
清水はムッとするとそのまま黙って立ち去っていった。
後ろから西村・・・法正がこちらを見て苦笑いしながら後に続いていく。
「認めるも何も、先刻のやり取りを見て、誰がお前以外を孔明と思えるんだ?何を考えて清水がお前の名を騙り、西村がそれを認めているのかはわからないが、一目瞭然とはこのことだろう。」
明哉はフンと笑う。
「ならば、私も聞こう。・・・何故お前は、その”偽物”が陛下の名を騙るのを認めている?」
明哉が視線を向けた先には、3組の委員長の立木 聖・・・自称“劉備”が、表情を強張らせて立っていた。
立木は明哉とはまた違う美しさを持った男子生徒で、整った顔立ちが人目を惹いた。
「無礼であろう!丞相!」
「陛下以外から、そんな物言いを受けるいわれはありません!・・・無礼はそちらだ!偽物!」
こんなに凛とした明哉を見た事がなかった。
驚く桃を尻目に、大江は苦笑しながら明哉に話しかける。
「どうして、そうきっぱりと彼を偽物と断じるのだ?」
「新入生代表挨拶に選ばれなかった段階で、今現在”陛下”を名乗っている者は全て偽物です。本物が名乗り出ていれば、その者が代表に選ばれていたはずです。・・・現3年の吉田や2年の仲西のように。」
「そうは言うが、たまたま偶然が2年続いただけかもしれないぞ?噂どおり今年は選ぶのが面倒くさくなって名簿にしたのかもしれないし・・・だいたい、意島というのは、そんなに信用のできる教師なのか?」
確かに大江の言うとおりだと桃は思う。
意島の胡散臭い姿が思い浮かんで、桃は思わず顔を顰める。
「易経の腕は、人物が信用できるできないに、かかわりはありません。どれほど情けなさそうな教師だとしても、2年続けて正解を出す腕を信用しないわけには、いかないでしょう。」
「・・・大江くん、多川くん。いくら意島先生が此処に居ないとしても、私たちはまだここに居るのよ。」
少し離れた場所から横山が呆れたような声を上げる。
「すみません。」と多川は、上面だけの謝罪をした。
横山が肩を竦める姿が目に入る。
「おおかた、うちのクラスの隼と同様、自分が偽称すれば陛下が名乗り出てくださるとでも思ったのでしょうが・・・浅慮としか言いようがありませんね。」
立木を見る明哉の目は冷たい。
「隼?」
「“馬猛起”将軍ですよ。その彼にしても、”美髯公”に言われて陛下の御名を騙るのは止まりましたがね。」
美髯公が関羽である利長を指すことは周知の事実である。
何度も思うが、今の利長にその呼び名はどうなのだろう?
「美髯公に・・・」
立木は、”美髯公”と呟き、明哉の言葉に真面目に考え始める。
「彼は、陛下の名を騙った者には容赦しないと言っています。陛下の名を騙り続けるつもりなら、それ相応の覚悟をすることですね。」
実際は、その者を前にして平静を保てる自信が無いと言ったはずなのだが・・・関羽を使った明らかな脅しに、桃は呆れた。
立木はグッと言葉に詰まって黙り込む。
大江は、苦笑した。
「何故陛下は、我らの前に姿をお現しにならないのだろう?」
「!!」
大江の言葉に立木は焦ったように顔を上げる。
今の言葉は、立木が偽物だと認めたも同然の発言だった。
「孔明相手にいつまでも偽称が通じるはずもないだろう?いい加減諦めろ・・・趙将軍。」
桃は・・・驚きに目を見開いた。
では、立木は蜀の将軍、”趙雲”なのだ。
趙雲、字は”子龍”・・・劉備に仕えた優秀な武将である。
「・・・やはりそうですか。」
明哉は既に予想をつけていたのだろう、納得したように頷いた。
立木は悔しそうに眉を顰める。
「・・・やはり丞相の目はごまかせないのか。・・・丞相にお聞きしたい。私が陛下の名を名乗る事は、本当に何の役にも立たない事なのか?」
生真面目に立木は明哉に問いかける。
「役に立たないどころか無用の争いを招く下策もいいところです。」
その問いをバッサリ切られて、立木は俯いた。
明哉は、大江に対しても、「お前がいながら、なんでそんな策をとらせたのだ。」と詰る。
大江は「周囲の反応が見たかったのだ。」と返し、「悪かった。」と謝った。
落ち込む立木に・・・明哉は労わるように声をかける。
「気持ちはわかります。・・・陛下を待ち望む気持ちは、私も、他の皆も同じでしょう。・・・ただ、あなたはやり方を間違っている。陛下の帰ってこられる場所を奪って、どうするつもりです?」
明哉の言葉は、立木と大江の胸中に響いた。
誰もが、彼らの主君を、劉備を待ち望んでいるのだ。
・・・桃は、そのことが信じられなかった。
何故彼らはここまで劉備を必要とするのだろう?
彼らが劉備を必要とする理由など、この世界には何もないというのに・・・
横山がこの部屋を閉めるから早く退室するようにと促してくる。
「出ましょう。」と明哉が言って、3人の男たちが先に出た。
・・・桃は一歩遅れてついて行く。
部屋の外に、翼と理子の姿があった。
「桃!」
「遅かったから、迎えに来ちゃった。」
桃は目を見開く。
翼と理子の後ろには、利長と隼の姿もあった。
あっという間に彼らに囲まれる。
明哉は立木と大江を彼らに紹介し、彼らは互いに懐かしいなと言い合って、話を弾ませていた。
時が遡り・・・自分の立ち位置があやふやになっていく。
・・・どこか夢の中に似た奇妙な気分を、桃は覚えた。
眩暈のするような感覚を抑えるため額に手をやった桃を、心配するように理子が覗き込んでくる。
疲れたと伝え、早く戻ろうと言えば、驚き慌てた皆が優しく気づかって、全員に守られるように桃は移動した。
目の端に、近づく桃たちを見て廊下のわきにより自然に道を開ける他の生徒たちに、気づく。
・・・気づいてしまう。
これほど大勢で移動すれば、相手が道を譲るのは当然なのかも知れないが・・・彼らは気づいているのだろうか?
道を開けた後、通り過ぎる彼らを気にしながらも、視線を下に向けて・・・まるで礼をとるように頭を下げていることに・・・
通り過ぎた後の彼らを、仰ぎ見るように見送っていることに・・・
諸葛亮と蜀の五虎将軍の内の4名、関羽、張飛、趙雲、馬超が揃い、孫夫人と徐庶までいるのだ。
わからずといえど当然の反応なのかも知れないが・・・
桃は俯く。
今の自分には、そんな行為を受けるような何も・・・ない。
・・・何故、自分はここにいるのだろう?
顔を伏せ、桃は足早に部屋に戻った。




